お問い合わせCONTACT
MENU

BLOG

部員ブログ

背景

2022.10.11 引退ブログ

「ありのままの自分」(古川紘平)

溝口、紹介をありがとう。
溝口はいつもボーッと一点を見つめていて何を考えているのか分からないので、とりあえず挨拶代わりにその質問をしておけば正気に戻ると思っていました。きっと貧しい子供たちを救う術を考えていたのでしょう。社会貢献部門、陰ながら応援しています。今度会う時までには違った絡み方を考えておきます。

さて、長いようで短かったソッカー部での生活も残すとこ約1ヶ月となり、毎年楽しみにしていた卒業ブログが自分にまで回ってきました。既にリリースされた同期の卒業ブログはどれも笑いあり、落ちありで面白いものばかりでしたが、僕は4年間で感じた素直な思いを書かせていただきます。
この4年間、あまりに色んなことがありすぎて支離滅裂な内容となってしまっているかもしれませんが、お時間がある方は是非最後まで読んでみてください。

「なぜソッカー部に入ったのか。ソッカー部でなくてはいけなかったのか。」

ソッカー部員なら誰しもが持っているであろうこの問いに対する答え。
私の場合は自分の可能性を試し、限界を知りたかったからだ。1年冬に書いたブログ「冗談だよ冗談」にてその詳細は書いているが、高校時代東京都6部に相当する底辺リーグで得点王だった私は、まだまだ上のレベルでできるという自分への期待と、当時観に行った早慶戦の魅力に惹かれ、大学でもサッカーを続けることを決意した。俺ならもしかしたらこの舞台に立てるかもしれない…根拠のない自信だが、なんとなく自分がピッチに立っている想像はできた。浪人生活が終わり、早稲田と慶應で迷っていた中で参加した早稲田の体験練習で全く歯が立たず相手にされなかったことから、慶應でのプレーを迷うことなく決めた。俺に入部の勧誘をしてこなかった早稲田を絶対に見返してやる。俺が点を決めて早慶戦でぶっ潰してやる。それが私のモチベーションだった。

2019年、憧れのソッカー部員としての生活はDチームから始まり、TOPチームを目指してとにかくサッカーに打ち込んだ。
入部初日の練習は周りのレベルに圧倒され、同期の中で自分が一番下手なのではないかと思ったが、環境には慣れるもので数ヶ月経てば「俺TOPチームに上がるから」という冗談を言える程にまでになった。真聖、大地との熾烈なポジション争いのお陰で自分の強みとは何かを追求する1年間にすることができた。2人共ありがとう。シーズン終盤にはDチームの公式戦に数試合出場することができ、さらには代替わりの時期に目標としていたTOPチームへの昇格をいきなり果たした。冗談が現実のものとなり、飛躍への一歩を踏み出した気がした。

TOPチーム初挑戦となった2020年、サッカー中心の生活は今までにない程充実していた。
練習が終わり、午後にはトレーニングで腹回り、ケツ周りをひたすら追い込む。間食では鯖缶と炭水化物を。お風呂上がりにはアダマ・トラオレのプレー集を観ながら全身のストレッチに30分は掛ける。万全の状態で練習に臨むために一切の疲労は残さない。体は見る見る大きくなり、TOPチームでもフィジカルでは誰にも負けないという自信が付いてきた。監督からはレスラーと揶揄され、風呂場ではラグビー部の1年生に挨拶されるようになった。
今週の練習では何を意識してみよう。ボールを受ける前の背後の状況を確認しよう。とにかく誰よりも毎日の練習を意味あるものにしてやろう。そんなことを考えていると夜はワクワクで寝られなかったし、朝、アラームが鳴れば5秒もしないうちに起き上がり、1分後には朝食を摂り始めていた。これこそが俺が求めていた環境、仲間。ハイレベルな中での練習はとにかく楽しかった。そして終わってみれば関東リーグ5ゴール。夢の早慶戦にもスタメンで出させていただいた。最低限の結果と大学最高峰のリーグで活躍できるという自信が付いた。どんな相手が来ても負ける気がしない。プロの選手と対峙しても通用する部分はある。課題を克服して来年は10ゴール、再来年は15ゴールで得点王。継続して頑張ればプロになれるかもしれない。サッカーへの熱はどんどん増し、自分への期待は膨れ上がった。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。プロへの思いが少しずつ強くなってきた2021年のある朝練の行き、駅の狭い階段を塞ぐ2人の酔っ払いの間をくぐり抜けようと一段飛ばして降りた瞬間、着地した足首はグニャりと曲がり今まで感じたことがないような激痛が走った。捻挫は過去に何度もしたことがあったが、今回のは何かが違うことくらいすぐに分かった。そこからなかなか消えない痛みとの戦いが始まった。MRIで見ても明確な原因は見つからない。何よりもサッカー外でしょうもない怪我をしたことが情けなかった。一瞬の気の緩み、軽率な行動が大きな分岐点となった。その後の早慶戦にはなんとか間に合ったが、決して良いパフォーマンスとは言えなかった。監督からは「お前が出たということは誰かが出られなかったということだ。分かってるのか。」という厳しいお言葉をいただいた。「はい。すみません。」としか言えなかった。結局、3年目のシーズンは2ゴールのみでチームは2部に降格。残留が懸かった大事な試合では前日にメンバーを外され、不甲斐ないシーズンを送った。プロなんて夢のまた夢。来年こそはチームを勝たせられる存在になる。そう誓ったはずだった…
迎えた最終学年、足首の怪我から解放されることはなかった。何度も怪我を繰り返し、出場できたのは序盤の数試合のみで、現時点で0得点。憧れの早慶戦は場内警備という形でスタンドからの応援だった。思い描いていた成長曲線からあまりに逸れすぎていて悔しい以外の言葉が浮かばないのが正直なところだ。そして恥ずかしいことに肝心な4年目はこれ以上書くことがない。

こうして振り返ってみると、私の4年間は見事なまでの転落劇だったかもしれない。2年時の成績をピークに出場試合数、得点数は年々減っていき、夢に見た早慶戦MVPはスタンドから拍手をして見届けることしかできなかった。こんな先輩のようにはなりたくない…入江、我空あたりからそんな声が聞こえてくるような気がします。
しかし、こんなにも自分自身に期待し、失望した転落劇だったからこそいろんな「自分」を知ることができたのもまた事実だ。負けず嫌いで目の前の敵に負けまいとがむしゃらにサッカーに向き合う「自分」 期待を背負いきれない「自分」 どんなに悔しくても笑って誤魔化してしまう「自分」
全てが自分なりにやり切った結果の「自分」であり、現状だ。後悔はない。いろんなことを学び、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれた。ありがとうソッカー部。結果は伴わなかったが、結果以上に得るものは大きかった。
私はこの4年間で決して輝かしい成績を残せたわけでもなければ、模範的な先輩になれたわけでもない。けれども、ソッカー部での4年間は長い目で見れば間違いなく今後数十年にわたる社会人生活を送る自分にとって大きな糧になる。

最後にこの場をお借りして4年間、自分を支えてくださった方々に感謝を述べ締め括らせていただきたいと思います。

友峰さん
本当にお世話になり、ありがとうございました。そしてごめんなさい。
高校時代では想像もできなかった世界を経験させていただき、色々なことを学びました。一生の財産です。
こんな生意気な自分に期待して何度もチャンスをくださったにも関わらず、度重なる怪我でそれを裏切る形になってしまい申し訳ございませんでした。最終学年くらいは結果を出して恩返しをするはずでしたが、できなかったのでなんらかの形でさせてください。
他にも太郎さん、テソンさん、宮内さんを始め、多くの社会人スタッフの方々にお世話になりました。ありがとうございました。

同期へ
時には応援してくれて、時にはいじり倒してくれて、ありがとう。これからもお世話になるだろうから長々とは書かないが、みんなのお陰で楽しい充実した4年間を過ごすことができました。過度ないじりは部内で留めておいてください。一生のお願いです。

両親へ
6歳からの17年間、どんな時もサポートしてくれ、味方でいてくれてありがとう。
毎朝ご飯を準備してくれた母、何不自由なくサッカーができるよう金銭的にサポートしてくれた父。本当に感謝しています。
お陰様で最高に楽しいサッカー人生を送ることができました。少しずつ恩返ししていきます。

次の担当は藤井夏輝(4年・國學院大學久我山高)です。
いつも他人を小馬鹿にし、ニコニコしている慶應のまっしろしろすけ。根は真面目なのがブログでは垣間見えるでしょう。乞うご期待。

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

WHAT'S NEW

新着情報