何故「ソッカー部」なのですか。
ソッカー部関係者たるもの、このようなご質問に待ってましたと心中ガッツポーズの域に達してこそ一人前です。何故ソッカーなのか。何故サッカーではないのか。部名申請時に横棒一本書き忘れたわけではないのか。お急ぎの向きで要諦のみご入用であれば「本来は東大や早稲田と同様『ア式蹴球部』としたかったようなのですが、当時既に『蹴球部』がラグビーに使われていたのでSoccerということになり、発音がより近いと考えて『ソッカー』にしたようです」が模範解答となります。ただ折角ページまで割いてこれだけでは少々味気ない。ここはひとつ1927年創部当時の、国際的にはAssociation Footballを正式名称とする競技の本邦呼称事情などもご紹介しつつ、多少想像の力も借りながら初代主将・濱田諭吉がどのような思いで「サ」ではなく「ソ」を選んだのか、皆様と共に思いを馳せられればと存じます。
さて1927年です。さらに6年遡った1921年の結成後「慶應ブルー・ソッカー倶楽部(「ブルー・サッカー」とする資料もあり)」「慶応アッソシエーション・フットボール倶楽部」等の名称で活動していた慶應義塾サッカーチームの体育会加入がいよいよ認められ、正式な部活動となる時がやってまいりました。当時、日本サッカー協会の名称は「大日本蹴球協會」、天皇杯(全国サッカー選手権大会)は「ア式蹴球全國優勝競技會」、全国高等学校サッカー選手権大会は「全国中等学校蹴球選手権大会」。競技の名称としては「蹴球」、もしくは「ア式蹴球」が一般的だったようです。戦後、「蹴」の字が当用漢字から外れたことなどもあって「サッカー」が広まっていきますが、天皇杯が「全国サッカー選手権大会」になったのは1946年、高校サッカーに「サッカー」の文字が入ったのは1966年頃、日本サッカー協会の現名称への変更に至っては財団法人化された1974年です。1927年の濱田主将以下部員一同が、当初部の名称として東京大学や早稲田大学などのライバル達に倣った「ア式蹴球部」を希望したのはごく自然の流れだったと思われます。ただ、慶應義塾には1899年より厳然と、日本ラグビーの開祖を誇る「蹴球部」が存在していたのです。もし慶應ラグビーが早稲田と同様に「ラグビー蹴球部」であったなら、我々は今日、語り継ぐ物語もないまま「慶應義塾体育会ア式蹴球部」を名乗り、このページは存在しなかったでしょう。ただ現実には、紛らわしさを避けるべく「蹴球」の文字は用いてはならぬというところから我が部命名の歴史が始まり、その経緯をお伝えする100年後の今があるわけであります。なお「ブルー・ソッカー」「アッソシエーション・フットボール倶楽部」等の名称も、同様に先達である塾蹴球部(ラグビー部)への配慮だった可能性もありますが、ここでは推測に留めます。また「アッソシエーション」に引っ掛かった方、詳述は別の機会に譲りますが誤字ではありません。当時はそう訳されていたのです。
物語は中盤へ。「蹴球」を諦めた濱田は「Soccer」でいこうと決めます。後はこれをどうカタカナにするか。発音と輸入経路の問題に入ります。Soccerを発音記号で表すと【sɑ'kər】もしくは【sɔ'kə】。前者は米国特有の発音でカタカナにすれば「サッカー」、後者は英国のそれで「ソッカー」となります。つまりSoccerを米国経由で聞かれた方にとっては「サッカー」、英国直輸入であれば「ソッカー」が耳に残るわけです。ただし英国におけるSoccerは、あくまで正式名称Association FootballのAssociationから派生した俗称で、普段は専ら「Football」がサッカーを指す言葉です。一方米国では逆に、Footballといえば我々がアメリカンフットボールと呼ぶ競技を指すため、区別する意味でも「Soccer」が広く使われていました。おそらく1927年の日本でも「Soccer」を耳にする際は米国式の「サッカー」が優勢だったのでしょう。実際、日本サッカー初期の名門「大阪サッカー倶楽部」を始め、「サッカー」を折り込んだチーム名は1920年代から複数確認されますが、「ソッカー」は慶應義塾以外には見当たりません。また当時を知る卒業生手記にも「今まで聞いたこともないような名称」といった表現があり、身内にすら馴染みのない言葉だったことが窺えます。余談になりますが、皆様何の疑いもなく使われているであろう「サッカーソックス」。Soccer Socksと英語で表せば両者のSocに掛かる発音は同一なのに、カタカナにするとあら不思議。サとソの奇譚が始まるのです。希望を胸に英国を旅立った二人は、片や大洋を二度越えるサイドチェンジを経てサを纏い、片やおそらくユーラシアをトコトコ横断しつつソを身に付けて、偶然落ち合った極東の島で結ばれました。「ソッカーサックス」でもあながち間違いではないという可能性も含め、今後は運命に翻弄されたボールと靴下の物語にもご注目頂ければ幸甚です。
本編はいよいよクライマックス。初代主将の手には万感の体育会加入申請書、今まさに提出されんとす、の図です。その名称欄の一文字目に、遂に横棒が加わることはありませんでした。我等が濱田諭吉は「ソ」を選んだのです。発音がより原語に近い「ソッカー」にした、と資料では簡単に伝えていますが、ベルリン大学名誉教授オットー・ネルツ著「フースバル(ドイツ語でフットボール)」を日本で初めて、かつ独学で完訳し、後年日本サッカー界の理論的指導者となる濱田に限って大事な部名を簡単な気持ちで決める筈はありません。誰もが口を揃えてその誠実さを褒めそやす人柄そのままに、考えに考え抜いて「ソッカー」を選んだと我々は信じています。あくまで仮説ですが、濱田はAssociation Football発祥の地への敬意を込めて、敢えて英国式の発音を選んだのではないでしょうか。もしかしたら英パブリックスクールを手本として創設された慶應義塾なればこそ、という思いもあったのかもしれません。他人の考えや世の趨勢がどうであれ、自分は自身が判断した道を進む。かといって「本競技はソッカーなり!」と押しつけるようなこともしない。どうでしょう。これをもって慶應義塾の基本精神である独立自尊の現れとするのは言い過ぎでしょうか。そして皆様が1927年の濱田諭吉であったなら、サとソ、どちらを選ばれたでしょうか。
いずれにせよ、かくて「慶應義塾体育会ソッカー部」は誕生致しました。我々はこの名称と歴史、そして濱田の判断を愛して止みません。一方で、ご質問を受ける度に滔々と語るのもまた、ちょっとスタイルではない。従って「つまりサッカーは技術、ソッカーは気持ち。そういうことです」「Volleyballだって、テニスやサッカーではボレーでしょ?」「何しろ『ソッカー部』はこの世に一つだけなので、呼んでる内に愛着も湧くし言葉としても便利で。それでいいじゃないですか」等々、照れ隠し対応も多くなりますが、これもまた校風。笑って諒としていただければ大変ありがたく思う次第です。
※文責:慶應BRB代表 藤岡康