2022.10.07 引退ブログ
「ポジティブシンキング2」(小林将太)
ギョロ丸、紹介ありがとう。
でも僕は怪物と言われるよりも化け物と言われることの方が多いですね。何故でしょう、少々疑問です。
彼は、貴重な99年生まれの同期です。僕が紘平といる時に呼ぶと自転車ですぐ来てくれるフッ軽な彼が、寮に移住してしまった時はとてもとても悲しかったです。彼に「ちょちゃろー!」って呼ぶと「オレはコーローだあっ!」ってギョロ目裏返り高音ボイスで返してくれます。皆さんも是非。
さてさてさてさて、これは卒業ブログでして、気付いたら書いている側になってしまいました。感慨深いと感じながらもサッカー人生が終わるという実感が持てないでもいます。自分は文章を書くことも多くなく、こういうことには慣れていないので、拙い文章になってはいますが暇であれば最後まで読んでやってください。
僕がソッカー部に入った理由、それは当時の自分はチャレンジする環境に飢えていて自分の可能性を信じていたからだ。というのも、自分の高校までのサッカー歴は、通っていた中高一貫校での6年間のみ。紘平のいた高校と並ぶ都内屈指の強豪校とよく言っていたが、実は東京都のリーグで数えたら上から6個目くらいに位置する弱小校。ただ、そこでは上のリーグの相手を倒すという快感を覚え、個人としてもどこまで上にいけるのかなと漠然と考えていたのが大学でサッカーを続けるきっかけとなったのだろう。「サッカーを続けるならわざわざ体育会じゃなくてサークルでもいいじゃん」と友達に言われることも多々あったが、自分の性格上、最初は楽しんでやれても次第にガチになってしまい、恐らくチームメイトにキレたりしてしまうんだろうなと思い、辞めた。こういうわけで、一般受験入学でも体育会でサッカーができる大学に受験校を絞り、ソッカー部へと入った。
ソッカー部1年目、大半の1年生がDチーム。自分もそのうちの1人だったが、周りには高校時代に別次元だと思っていた名門高校やユースチーム出身の選手ばかり。みんながめちゃめちゃ上手く見えた。GKコーチに毎日指導してもらうという初めての経験で、毎日がむしゃらに何とかボールに食らいついていたのを覚えているが、特に記憶に残っているのは、当時の4年生だった朝都くん(R2卒)のプレー。彼のシュートストップを見た時に、衝撃と少しの不安さえ感じた。自分のシュートストップという長所は武器にならないかもしれないという不安だ。大学のトップレベルを痛感させられた。ただ、その段階で痛感させてもらえたことで、自分の長所を武器にするため、また、少しでもGKの動作を身に付けるためにひたすら教えられたことを意識した。授業後に拓海くん(R2卒)と1対1でシュートを受け続けたのは良い思い出である。
こうして、0からGKの基礎技術や動作を意識し続けて迎えた2年目。Dチームスタートだったが、TOPチームとSチームが沖縄遠征から帰ってきた春にチャンスが訪れた。人数の埋め合わせだろうなと思ってTOPチームの練習へ向かうと、「とりあえず2週間試す」と告げられ、初めてTOP着というものに袖を通した。驚いたが率直に嬉しかった。当初の予定では、3年生でTOPに上がるという目標だったので、こんな早々にチャンスが訪れるとは思っていなかった。TOP着が似合わないと同期に言われていたが、内心では絶対似合っていると思っていた。練習では雰囲気も違い、さらに強度の高い中で自分のミスによって練習が進まないことで、当時の4年生2人にとても迷惑を掛けた。ごめんなさい。結局慣れるには数ヶ月かかった。前期が終わると、今度は公式戦初出場の大チャンス。アミノバイタルカップ、関東リーグ後期の明治大学戦に出させていただいたが、どちらも結果を出せず、自分の実力の無さを痛感したし自分のことでいっぱいいっぱいになっていてGKに大事な冷静に周りを見るということが全くもってできていなかった。この2試合での3失点は鮮明に今でも思い出すし、もっとこうしていたらというのが永遠と出てきてしまう。こうして、経験という面では貴重なものを得て2年目を終えた。
この1、2年の経験を通じて伝えたいことは、「意識し続けること」と「チャンスはいつか絶対に来る」ということだ。意識し続けることに関して、自分の好きな言葉に「意識の無意識化」というものがある。これは中高時代の先輩に教えてもらった言葉で、意識し続けても意識しているうちはまだ身に付いていない、意識しなくとも当たり前にできるようになったときに身に付いたと言える、という意味だ。つまり、技術や動作を身に付けて上達するためには意識し続けるしかないし、身に付いたことを確認するには少し時間が経った後に振り返ってみて初めて分かるのだ。そして、チャンスが来るということに関しては、人数が多い中で運やタイミングなどもあり、チャンスの回数の差異はあっても、絶対に1回はチャンスが来る。自分を振り返ってみると、TOPチームに上がるチャンスは掴んだが、試合での信頼を勝ち取るチャンスは逃した。当然、後者の方が大事なのは言うまでもない。
新たな覚悟を持って迎えた3年目。上級生となり、練習でも試合でも自分が引っ張らないといけない、そう思って迎えた。U-19日本代表との試合など、良い感触のパフォーマンスで上々の滑り出しだった。しかし、シーズン前の栃木シティ戦、アップで右手親指の靭帯損傷。「今のところ将太で行く」と髙橋さんから言われていたのに、こんな怪我で目指した舞台を無駄にしたくない。そう思いながら歯を食いしばって試合に出た。アドレナリンで何とかなったものの、その後の練習ではキャッチする度に激痛が走る程で、騙し騙しでギリギリのところで痛みを押し殺しながらやってしまっていた。痛みは徐々にだが我慢できる程まで落ち着いたが、そんな状態でパフォーマンスは上がるわけもなく、5節からはスタメン落ち。そして、膝の怪我による3ヶ月の離脱、復帰したと思ったら肘の怪我で再離脱。自分が何もできないうえにチームも降格。こんなに上手くいかないことは初めてで、自分のサッカー人生で最悪の1年となった。
気持ちを切り替えて迎えた4年目。前期は関東リーグ出場なしで、Jr.リーグや練習試合が主戦場となった。シーズン前のパフォーマンスも悪くなく、何故俺を使わないの?って内心思う時もあったが、自分のできることを全うした。4年になり少しは考え方が変わったのか、昔の自分なら不貞腐れていたかもしれない。その変化は、視野が広がりプレーにも良い影響を及ぼしていると感じる。難しい立ち位置でありながらも、不思議とモチベーションは落ちなかった。ポジティブが故なのか。(詳しくは1つ前の自分のブログを。)ある日、じろうは覚えているか分からないが、「バー外練でも表情変えずに前向きなのナイス!」と言ってくれたのを覚えている。そういった声も自分の中のモチベーションへと繋がった。後期へ向けた中断期間では、しょうもない怪我で右手親指の手術となり、当初は全治3〜4ヶ月と言われ、あれ俺もう引退?などと思っていたものの諦めずにリハビリしながら祈っていたら2ヶ月で復帰でき、幸いまだチャンスがある。ここでもまたじろうとは励まし合いながら頑張れた。じろうも早く戻ってこいよ!4年生だから復帰をこんなに早められたし、4年生だから山中湖の走りもやりきれたのだと心の底から思う。普段はそんな柄ではないが4年生の意地を少しでも見せられたのではないかと思う。
前のブログでも綴ったように、自分はこの4年間で、慶應を勝たせる選手になることを目標にし、引退ブログでその達成を報告する予定であったが、残念ながらまだ達成できていない。けれども残ったラスト1ヶ月、慶應を勝たせる選手になれるよう、もう一度意地を見せられるよう、この4年目を最高の1年にするために死ぬ気で闘い抜こうと思うので楽しみにしていてほしい。
後輩たちへ
まずは与えられた現状で精一杯やってみてください。色々な感情があると思います。けれども、そこで辞めたら可能性はどんどん減っていきます。自分の可能性を信じてください。いつかチャンスは絶対に来ます。
それと4年間で全く後悔しないということはないと思います。でも、その中で後悔の大小はあると思います。できるだけその後悔を小さくして終えられるよう、日々考えて過ごしてください。
最後にこの場を借りて、感謝を述べさせていただきます。
GK陣
みんなそれぞれ個性豊かで、生意気だけどこのメンバーでよかったです。来年以降は任せたぞ!一人ひとり言いたいことはあるけどキリがないんで、引退したらゆっくり。いつでも誘ってください。
そうご
3年ぶりに同じカテゴリーで、チームメイトとして、ライバルとしてプレーできるのは俺も楽しいし嬉しく感じています。そうごの何とか上へ行ってやろうという気迫は常に感じていました。なんか最近2部練多いけど頑張ろうな!!
髙橋さん
全くもってGKに関しての知識がなく、基礎がなっていない自分がここまで来れたのは、間違いなく髙橋さんのおかげです。時には厳しく、辛いと感じることもありましたが食らいついてよかったです。3年間ありがとうございました。
藤川さん、陳さん、田原さん、荒くん
藤川さんは豊富な経験から的確なアドバイスをくださり、陳さんからはフィジカルのみならずメンタル面も成長させてもらえたと思います。特に山中湖での試練を乗り越えられてよかったです。田原さんには現役時からお世話になっていて、技術面のみならず見せ方の部分でも見習うべき選手でした。荒くんは、ステップのフィジは少しきつかったけど、髙橋さんの路線を守りながらも新しい多種多様な意見を汲んで、新鮮なGK練習が多くて楽しかったです。去年まで一緒に選手をやっていたという難しさもあったのに引き受けてくれてありがとうございました。
同期
個性的な人が集まった代だけどなんだかんだでみんな仲良いと思っています。引退したらあの部室空間がなくなると思うと虚無感に駆られるでしょう。だから、これから引退までは今までより少し長く部室にいたいと思いました。みんなそそくさと帰らないでね。
最後に両親
これまで不自由なくサッカーをさせてくれてありがとうございます。母は、朝練の時に寝ぼけながらもおにぎりを作りに起きてくれてありがとう。試合結果をさりげなく毎回聞いてくる父。勝ったというと必ず「相手は中学生か?」と聞いてきますがそんなわけありません。いつも気を掛けてくれてありがとう。最後に晴れ舞台を見せられるように頑張ります。
うじのような面白いブログは書けないので、どうせなら本性をさらけ出そうと思い真面目なブログとなりました。実は僕が真面目だということがわかって頂けたら幸いです。また、拙い文章で、まとまりもなかったですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次のブログ担当は木村かのん(4年・土浦日本大学高)です。関東リーグの試合会場にいる彼女と目が合うといつも返してくれる笑顔で緊張が解れる選手は多いはずです。そんな笑顔の裏でどのような想いで4年間を過ごしたのか、乞うご期待!
《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ