2022.10.20 引退ブログ
「他生の縁」(加藤翔生太)
平素より大変お世話になっております、経済学部4年の加藤翔生太です。
雄大、紹介ありがとう。
うじが銀ベンチでえぐいメガネを掛け、微笑みながらミニゲームを眺めていたあの日、角刈りの宅野に「あのピンクの靴のチビもまあまあやるよ」と言われ、見てみるとまんまガキ大将みたいな奴がいてドン引きした、あの日から約7年、本当に楽しかったよ、これからも俺の世話役宜しく。あ、でも渋谷のスタバで心に深い傷を負った時、駆け付けてくれなかったことだけは一生根に持ちます。あと、俺の人生狂わせたこと。
さて、本題に入りたいと思いますが先に2つ言わせてください。1つ、「実は1番楽しみにしているブログ」「どんなやばいブログが出てくるのか気になる」と後輩からも言われていますが、圧倒的な文章力の無さと根は真面目な性格により、みんなの期待を裏切る面白くないブログになってしまうことをお許しください。2つ、4年ブログが始まった10/1から毎日やろうと思ってはいたのですが、気付けば締め切りまで残り5時間。バックれてしまおうかとも思いましたが、4年ブログだけはマジで出してって言っていた真恋の顔を思い出し、なんとかパソコンと向き合うことができている状況なので、どうか優しい目でこのブログを読んでください。
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「きっとあのとき、私はスポーツマンとして死んでしまった。」 引用:R3年卒 鶴田隆人
大学2年の夏に前十字靭帯を断裂した。プロになれると信じて疑わなかった自分がもうプロにはなれないと悟らされた出来事だった。これまでの人生の中心だったサッカーを1年ごときの怪我で辞められるわけもなく、TOPチームで活躍することが目標になった。
大学3年の10月、Iリーグ1部専修大学戦、約1年ぶりの復帰戦、コロナの影響もあり、公式戦でいうと約2年ぶり。復帰戦でとんでもない活躍をして周りを驚かしてやろうと思っていたが、武器であるドリブルが全く通用しなかった。正直、練習ではBチームの中で1番上手いと思っていたのに、試合になると自分が1番使えない選手になってしまっていた。十数年のサッカー人生の中で1番無力感を味わった試合だった。一昨日の講演会でハシケン(R4卒)や惠風が言っていたような、悔しさはどこにもなかった。「サッカーおもしろくねーな」「怪我さえなけりゃIリーグ1部なんか余裕だったんだろうな」自分の実力不足を怪我のせいにし、数週間、サッカーから距離を置いた。私は怪我に負けた。
ラストシーズン、初期はTOPチームの選手として試合に出場させてもらったこともあったが、些細な怪我で練習を休んだことや素行不良が原因でCチーム、1番下のカテゴリーでサッカーをすることになった。正直、サッカー人生で1番レベルが低く、サッカー部と呼んでいいのか?と愚痴をこぼす程だった。しかし、サッカーの上手さにあぐらをかく自分と違い、下手くそなりに練習後走る選手、コーチにアドバイスを貰いに行く選手、どれだけ足が痛くても全力でプレーし続ける選手など沢山の尊敬できる選手の存在に気付いた。サッカーの上手さなんか関係ない。全力でサッカーに向き合い、努力してる奴の方がかっこいいし、すごいと心の底から思った。そんなCチームにいる沢山の尊敬できる選手たちに、こんな自分ができることはサッカーを教えること。試合を通じてその姿勢を見せることしかなかった。いつしかそれが自分の目標になった。
スポーツマンとして死んだ私を救ってくれたのは、仲間だった。
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Zチームのみんな。お久しぶりです。問題児の加藤です。マシロと仲良しで、てるとギコギコの加藤です。3,4年生しかいないチームにてると二人でぶちこまれて、「問題児が来たよ(ニヤニヤ)」とみんなに言われたのを覚えています。てるやマシロと違って、そうは思われてなさそうですが、本当にみんなのことが大好きでした。今でも、怪我で途中離脱し何の力にもなれなかったこと、最後に一緒にサッカーができなかったことを思い出し、泣きそうになってしまうことがあります。大好きだったから、希望制の4年早慶戦の応援にももちろん行ったし。「こんなとこに来るような奴だったっけ」と馬鹿にされたけど。怪我をした時、励ましてくれるみんながいなければリハビリを頑張れなかったと思います。本当にありがとう。ちなみにIリーグの最終節に行かなかったのは本当に扁桃炎でした。
Cチームのみんな。まずはこんな4年生と仲良くしてくれてありがとう。しつこくちょっかい出しても「4年生とは思えない」、とんでもないやらかしをしても「さすが」と笑ってくれるみんなには本当に救われました。それから、本当にみんなのことを尊敬しています。尊敬できるみんながいたから、なんとか力になりたいと思えたし、それがモチベーションとなって最後までサッカーを頑張り続けられています。こんな4年だけど、少しでも多くのものを残せるように練習と試合は頑張っています。ドリブルだけのイメージだったと思うけど、泥臭いディフェンスもすること、実はそのディフェンスがめちゃくちゃ上手いこと、ドリブルが上手すぎること。「カトショーさんみたいになりたい」と、みんなに思って貰えていたら、記憶に残る選手になれていれば幸いです。「カトショーさんみたいになりたい」なんてこの部じゃ絶対に口に出しちゃいかんけどな。真面目な話、自分がいなければ本来試合に出られていた選手もいるだろうし、そこは本当に申し訳なく思っています。
小森さん、横幕、蓮、非常に扱いにくい選手だったと思いますが起用し続けてくれてありがとうございます。
長くなったけどとにかく、俺はCチームで勝ちたい。みんなと喜びを分かち合いたい。最終節産能戦、不恰好でも良いから、今までで1番頑張るから、絶対に勝とう。笑おう。
両親へ。
まずはヒロコ。よく「加藤のお母さんは本当に加藤のことが好きだよね」と言われます。さすがに恥ずかしくてやめろやめろ、とはなるけど、そんなヒロコの下で育ったからこそ、いっぱい人を好きになって、仲間を大切に思える性格になったんだと思っています。感情的になって口出ししてくるなと怒ってしまうこともあるけど、許してね。
次にノブ。ヒロコみたいに表面的に好きを出してくることはないけれど、本当に愛してくれているんだなと人生を振り返って思います。週末の試合は欠かさず応援に来てくれたし、仕事終わりに練習を見に来てくれたこともあったよね。その後2人で公園でサッカーをしたり。毎日サッカーのことLINEしてきてくれたり、いつの間にか俺よりサッカーに詳しくなっていたり、敵わないなと常々思っています。
大きな舞台で活躍する姿を見せられなかったことは心残りだけれど、2人のお陰でここまで大きくなることができました。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
同期へ。
「罪を憎んで人を憎まず」 1年生の時、島田くんのガム事件によって緊急開催されたミーティングで晋作が言っていたこと。みんなよく覚えていると思う。「一樹の陰一河の流れも他生の縁」 この言葉は1年生の時部員プロフィールにモットーを書かなければいけなくて諺ランキングで適当に調べたら出てきたものであり、今も俺のプロフィールに載り続けている。よく雄大と話すけど、生まれも育ちも全く別の地の俺らが慶應に入って、そこからソッカー部に入る選択をしてこうして巡り合ったのは少し照れくさいけど、本当に運命だと思う。一人ひとりに大切にしたいことがあって、正義があるから対立することも少なからずあるけれど、俺は「令和元年慶應」が大好き。言動に対して思うことはあってもその人を憎んだりはしていない。ソッカー部で出会ったこの縁を一生大切にしたい。そう考えています。
男子校からの解放。青春のキャンパスライフに希望を抱き入学するも、キャンパス内で女性と会話をしたのは1分にも満たない。経済学部で同じクラスの天田くんといつも一緒にいたから。一緒に授業に出て、一緒に寝て、一緒にお昼ご飯を食べる毎日。空きコマは空き教室でpktk、あるいはメディアか食堂でトランプ、授業が終われば平和島、夜はカジスタでnoaになり、マックでバケヤシとその同胞たちやニシくんやうじとpktk、週末は決まって新宿か渋谷。箱根の橋を沈めてやろうとするも撃沈。こーろーやカイトらと渋谷の街を練り歩いたり。またこーろーと公園行きたいな。大雨の中ダッシュしてカイトの家まで帰りたいな。部室で罵倒し合いたいな。愛や価値観について語り合いたいな。振り返ればキリがないけど、ちょっと振り返っただけでも分かる程とんでもない大学生活だったけど、みんなと過ごした時間は間違いなく、宝物です。
「もう一度大学生活を送れるなら間違いなく、サークル。サーピーとして、畳に敷かれたブルーシートの上で大活躍するんだ。」とふざけて話したりもしたけど、やっぱり俺はソッカー部に入り、みんなとサッカーがしたい。もう一度、みんなと最高の大学生活を送りたい。
次回のブログは、みんなからサイコパスと言われすぎたせいでサイコパスなのではないかという自己認識が芽生え始めた齊藤淨(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)です。講義の情報提供を求め齊藤くんに連絡をしたものの、ナチュラルに自分が売られていた時は鳥肌が立ちました。そんな淨がどんな思いをブログで綴るのか、楽しみで仕方ありません。皆さん乞うご期待!
《NEXT GAME》
10月22日(土)関東リーグ戦 第19節 vs 明治学院大学 @非公開 11:00キックオフ