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2022.10.13 引退ブログ

「距離感」(若月輝)

平素より大変お世話になっております、総合政策学部4年の若月輝です。

ナツキ紹介ありがとう。少し訂正させていただきます。22歳独身です。
現在はB1で奮闘する彼ですが、シーズン当初はB2でキャプテンを務めておりました。試合後の締めの言葉をどうしようかと相談されていたのが懐かしいです。キャプテンという役割がナツキの普段見せない真面目な部分を引き出していた気がします。ですが、リスク管理能力は是非見習ってください。

入部当初から4年生いじり、おじさんいじりを受け、毎年この時期になると先輩方から「卒業ブログ楽しみにしているよ」「一緒に卒業だな」と声を掛けられていた私が、本当に卒業ブログを書く側になっているということに時の流れの速さを感じます。いじっていただいた先輩方、元気にしているでしょうか。本当に卒業する番になりました。

私の大学4年間で起きた出来事とその時の感情、ありのままの私が伝わる内容になればと思います。興味のある方は是非最後までお付き合いください。

幼い頃から周囲が何を考えているかを気にするタイプだった。
友人と親しくなっても、一定の距離感を保って接していることが多かった気がする。
4人兄弟の4番目、歳の離れた姉と兄がいたことも影響しているのか、子供っぽくなかったのかもしれない。

サッカーを始めた理由は兄の影響と単純に好きだったから。けれど得点をしたり試合に勝ったりすることよりも、それを見て喜ぶ両親の姿を見るのが好きだった。誰かの期待に応えることが嬉しかった。

自分のために頑張ることよりも誰かのために頑張ることを好む、私はそういう人間だった。

大学2年・Zチーム

「4年生のために頑張る」まさにこれに尽きるシーズンだった。

チームを牽引する4年生の姿は偉大だった。先輩後輩の距離を全く感じさせず、ピッチ内の雰囲気からピッチ外のコミュニケーションまで、非常にお世話になった。チーム一体となって勝利に向かう、全員がチームのために動く、サッカーの中で最も必要で難しいことが体現されていた気がする。そんな先輩方の姿を見て頑張れないわけがなかった。

このチームで私は多くのIリーグをスタメンで出場させてもらった。ひたむきに練習に取り組む先輩を見ていると、「俺が出ていいのか?」と思うことも沢山あったが、そういう先輩に限って「頼むぞ」と試合前に声を掛けてくれる。本心だったのか悔しさを抑え込んでいたのかはわからないが、先輩のこの言葉は気合いを入れるスイッチになっていた。

Zチームとして最後となった公式戦、その日も私はスタメンで出場させてもらった。とにかくチームのために、4年生のために走った。自分にできることを最大限出し続けた。延長戦に入り、試合中に副審で泣いている真聖を見て気付かないふりをした。

しかし結果は虚しくも敗戦。号泣する4年生を前に言葉が出なかった。泣いてはいけないと感じた。もっと自分にできることがあったかもしれない。しかしそんな私の気持ちに気付いたかのように「お疲れ様、ナイス」と声を掛けられた。最初から最後まで4年生の背中は大きかった。

誰かのために頑張ることの楽しさ、難しさを改めて感じたこのシーズン。4年生の先輩方ありがとうございました。そしてこれからも宜しくお願いします。

2021年1月18日〜2021年5月7日。

私が大学生活でサッカーから離れた期間だ。コロナとは関係なく自ら距離を置いた。
理由は様々あるが「自分にとってサッカーとは何か」を考えた末に出た決断だった。

きっかけは姉からの電話。コロナが蔓延していたこともあり年末年始の帰省は控え、1人で年越しをしていた時のこと。今年は会えないからと電話をくれた姉と話していると何故か涙が溢れてきた。1人で抱え込んでいた不安や悩みが吐き出されるかのように話す自分に、姉は落ち着いて聞いてくれた。
「一度サッカーから離れてみたらどう?」
私の気持ちを察するかのようなこの言葉がサッカーと距離を置くきっかけになった。

監督に話を伝えにいくと快く承諾していただき、しばらくの間チームを離れ実家の方に戻った。
離れて1ヶ月は全くサッカーに触れなかった。というか触れたくなかったのが本音である。朝起きてダラダラとテレビを見たりフラーっと外を歩いたり、家でボーッとする生活は精神的に自分自身と向き合い、心を落ち着かせる時間になった。同期からの連絡にそっけない返信をし、「俺ってサッカー辞めるのかな」と他人事のように考えていた。まさに無気力であった。

「やりたくないことはやらなくて良いよ、自分がやりたいことをすればいいさ。まあ俺はもったいない気もするけどね」

実家にいる私に父親が掛けてきた言葉だ。直接は言わないものの辞めて欲しくないという気持ちが十分に伝わる言葉だった。幼い頃から応援し続けてきてくれた親からの言葉。3歳から始めたサッカー、誰かのために頑張り続けることで満足していた自分に対して、自分自身の楽しさを見失っているのでは?と気付かされたような気がした。
自分の頑張りで両親が喜ぶ姿を見ることが好きだった私は「サッカーで誰かのために」と変な使命感を感じていたのかもしれない。ただひたすらに頑張り続けることで生まれたこの使命感がサッカーと自分を引き離さないようにしていた気がする。それも自分の勝手な思い込みで。

大切なものは失ってから気付くと言うが、私は距離を置いたことで気付いた。

私には誰かのためだけでなく、自分のためにも頑張れるものが必要であり、それがサッカーであること。
これまでに全力で打ち込んできたもの、それはサッカーしかなく、そのサッカーから離れるわけにはいかないこと。幼少期からサッカー一筋で、サッカーから離れた自分に他の選択肢は考えられなかった。
あの時、私はサッカーから「離れなかった」のではなく、「離れられなかった」と今でも思う。

私はまたサッカーに戻ると決めたものの、なかなか行動に移せなかった。
再開してもまた以前みたいに楽しさを感じることができないかもしれない、この選択は果たして正しいのか。
極度の心配性な私は先のわからない不安を考える天才であると自覚している。もしかしたら〜と考えたらキリがない。そんな自分が自ら行動を起こすことは簡単ではなかった。
いつ戻ろう。どんな顔をして戻ろう。サッカーから離れる期間が伸びれば伸びる程心配は増えていくばかりであった。

そして迎えた4月。関東リーグが開幕し、チームは本格的にシーズンが始まっていた。
その頃の私はというと、授業開始に伴って実家から戻ることになっていた。そう、戻らざるを得なかったのだ。学校という強制的な理由によって私は行動を起こすしかなかった。今考えれば授業に感謝である。

しかし、戻ったもののまだチームには帰らなかった。場所が変わっても感情の揺らぎに変化はなく、グラウンドが近くにありながらもサッカーとは距離を置いた状況となっていた。
戻ってからしばらくして監督の方から連絡があり、「話をしたいから一度下田に来てほしい」と言われた。久しぶりに行く下田には変な緊張感があり、みんなに会うのが怖かったことを今でも覚えている。
監督には、戻る意思はあること、まだ決断できていないことなどを正直に話し、再度時間をもらった。

数ヶ月ぶりにグラウンドで会ったみんなに言われた言葉は「え、太った?」「え、輝じゃん」がほとんど。驚くわけでもなく、この絶妙な距離感がその時の私には嬉しかった。入部したての1年生には変な目で見られたが、みんなの変わらない接し方はサッカーに戻る自分の背中を後押ししてくれたと感じる。

そして久しぶりの下田から約2週間後、私はチームに戻ることになる。
きっかけをくれたのはまさかのマネージャー、同期の大嶽真恋。確か授業に必要な教科書かプリントかを受け取りに行った時のこと。軽く立ち話をしていた時に言われた「どうせ戻るなら、とりあえず戻っちゃえばいいじゃん」この一言だった。

見えない先のことを心配していても意味はない、今できることをやってみよう。ただそれだけのことが私には足りなかったのだ。自分のために今できること、それはいち早くサッカーを再開することだったと今ならわかる。
決断した翌日、監督に復帰の意思を伝え、時間を掛けながらではあるがチームに戻ることの許可を頂いた。
こうして、私は一度距離を置いたサッカーに戻ることになった。

長期間サッカーから離れたにも関わらず、またサッカーに戻ることができたのは様々な人のお陰であると身を染みて感じます。この場を借りて感謝を伝えさせてください。本当にありがとうございました。

サッカーから離れて良かったかと言われれば正直わからない。しかし自分にとってサッカーがどういう存在であるのかを認識することができたと捉えれば、サッカーと距離を置いたあの時間は良い期間だったと言える。
誰かのためだけでなく、少しでも自分のためにも頑張れるようになっている今の自分があるとすれば、あの期間は無駄ではなかったと信じたい。

4年目の現在、私はB2に所属している。
正直、入学当初に思い描いていた4年目ではない。しかしサッカーと距離を置いていたあの時から考えれば、またサッカーと向き合い、楽しみながら打ち込めていることは嬉しい要素だ。

さらに、B2の4年としての役割もある。
私はB2の後輩から見て、どのように見えているだろう。どのような距離感に位置するだろう。
あと残りの期間でB2に何を残せるだろうか。思考か。プレーか。はたまた姿勢か。
まだ間違うこともあるけど間違いなく良い変化をしている雄大、最近疲労が取れないと嘆く瀬賀、B2の愛され浪人こーろー、頼りない4年かもしれないけど、残りの期間必死に頑張ろう。
B2には生意気だけど向上心のある後輩(ブログに、名前を出してとうるさいタカとか石川とか竹内とか)が沢山いる。何でも良い。少しでもみんなのプラスになることをしよう。
きっとそれが誰かのためにも、自分のためにもなるはずだから。

同期のみんな
個性的な同期のお陰で世界の広さを知りました。副務決めでの出来事、長期間の休部などがあった自分が4年間やり続けられたのは少なからずみんなのお陰だと思います。本当にありがとう。

日記のようなブログになってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。後輩に何か伝えられるような立場でもないので、このブログを読んで何か感じてくれる人が少しでもいたら嬉しい限りです。まとまりのない文章でしたが、感想のある方は是非自分まで。

これまでとは違う経験をした大学サッカー。全ての出来事をひっくるめて最後全力でやり切りたいと思います。

明日のブログ担当は、瀬賀凜太郎(4年・桐蔭学園高)です。
彼にバトンを渡すことになるとは感慨深いです。私と彼の出会いは幼稚園。小・中と同じチームに所属した彼と大学で再会するとは非常に驚きました。長い付き合いの私から見るに「常にギリギリを攻める」そんな男です。起床時間、課題提出はもちろんギリギリがベースで、何度も私のリスク管理によって防いできました。決まって言うセリフは「まあいけるっしょ」。つい最近、2年以上在籍しているゼミの教授に「サセくん」と呼ばれていました。「瀬賀」を超えるクセの強さでした。きっと私のことを可笑しくいじっているブログ期待しています。

《NEXT GAME》
10月16日(日)関東リーグ戦 第18節vs 城西大学 @非公開 11:00キックオフ

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