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2022.10.04 引退ブログ

「人間だもの」(氏家健太朗)

平素より大変お世話になっております。慶應の範馬勇次郎こと、氏家健太朗です。インスタの写真をぜひ見てください。これが範馬と呼ばれる所以です。刃牙で好きなシーンは勇次郎の「強くなりたくば喰らえ!!!」の後に刃牙と梢江が、、、失礼。刃牙漫談はここら辺にしておきます。

そういえば真聖からバトンを預かりました。
真聖とは「伊藤です。健太朗です。2人合わせて伊藤健太朗です!」でお馴染みの、コンビ「伊藤健太朗」を組み、部室でお笑いをさせてもらっています。彼とはピッチ内外で数え切れない程の激闘を乗り越えて来ました。正直ピッチ内よりもピッチ外での連携の方が強いので、ピッチ内での連携も高めていきたいです。そして4年早慶戦で僕の絶妙な縦回転クロスを真聖がヘディングで決め、2人でニャブるという夢を叶えたいです。社会人になったら僕が八戸に飛ぶことを願っているとか言ってますが、僕が八戸に行ったら毎晩枕を濡らしそうなので、もう少し東京にいてやります。

さて、毎年先輩方の卒業ブログを楽しく読ませていただていたのですが、遂に自分が書く日がやってきたのかと思うと、いよいよ15年のサッカー人生も終わりに近づいているなぁと、 時の流れの儚さに虚しさを感じるばかりです。特にこの4年間は楽しいことも苦しいことも辛いこともたくさんあり非常に濃い4年間でした。訂正します。濃ゆ〜い4年間でした。そんな4年間を振り返りながら、アディショナルタイムに突入した残りのサッカー人生に懸ける思いを綴ろうと思います。

1年目、肩の手術をし、それからなかなか復帰できず、復帰してもIリーグの出番はほとんどなく出場したのは最終節のラスト15分のみ。(因みにこの試合でアシストをマークし、その年のアシスト率王に輝く。)

2年目、初めて自分以外のために本気になった。大好きな4年生を全国に連れていくために本気でサッカーに打ち込んだ。そしてチームの中心としてIリーグを優勝し、チャンピオンシップに出場することができた。しかしそのチャンピオンシップでTOPチームから落ちてきた選手にスタメンを取られた。試合も負けてしまい、4年生の引退が決まってしまった。試合後にはグラマネであった友己(R4卒)の「ごめんな」という言葉や、主将である高津(R3卒)の 「最後まで一緒に出たかったな」という言葉に帰り道で1人泣きそうになった。
チャンピオンシップでスタメンを外されたこと。大好きな4年生ともう一緒にサッカーができないこと。何よりも自分が出ていたら勝てていたと本気で思えなかったことが死ぬほど悔しかった。

3年目、2年目の悔しさを晴らすために顔色を変えて練習に取り組んだ。TOPチームに昇格するも、関東リーグメンバーに唯一選手登録されていないメンバーとして厳しいランメニューをこなす日々。精神的にも肉体的にも非常にキツかった。ただ憧れの早慶戦に出場するという思いで必死にTOPチームの練習に食らいついた。そしてようやく関東リーグメンバー入りを果たす。その週の関東リーグ立正大学戦でベンチ入りをした。ようやく報われたと思い、めちゃくちゃ嬉しかった。試合は点を取り合う激しい展開、後半3-2でリードする中ドログバが鮮やかなループシュートを決め、突き放す。2点差になり、正直出番が来ると思った。しかし結局監督から呼ばれることなく試合は終了し、西が丘のピッチに立つことはできなかった。
その後関東リーグに1度もベンチ入りすることなく3年目のシーズンが終わってしまった。

4年目、シーズンイン当初はTOPチームで活動するもパフォーマンスが悪く、B1チームに降格してしまう。牧野が慶應の中心選手として活躍する中で、不甲斐ないプレーでB1チームの足を引っ張り、テソンさんからは「1,2年で一緒に笑いを取っていた牧野は関東出てるぞ」と言わせてしまう始末。正直恥ずかしかったし情けなかった。その後もTOPチームに昇格するチャンスを掴むことができず、憧れであった早慶戦は 4年目も西が丘のスタンドで応援する側だった。

この4年間、目に見える結果を残すことができなかった。この4年間で残せたのはアシスト率王とショートスプリント王くらい。ただ後悔はない。どんなに苦しくてもやり切った。 ソッカー部でサッカーができたことを誇りに思う。唯一の後悔は両親に自分の晴れ姿を見せることができなかったことだ。

最後にこうすればもう少し結果を残すことができたんじゃないかなと思うこと。
それは「感情を出すこと」
今振り返ると自分に1番足りていなかったものだと思う。ピッチ外で感情をあまり表に出さない私は周りから人間味がないとよく言われる。ピッチ内でもこれは同じでほとんど感情を表に出さない。
しかしサッカーは感情のスポーツだと思う。点を取られた時にチームを鼓舞すること。スライディングでボールを奪いガッツポーズをすること。上手くいかない時は本気で悔しがること。勝ったら喜びを爆発させること。全てが感情を出すことだと思う。感情を出すことがチームの躍動感、一体感を産む。「感情を出すこと」それはサッカーの魅力の一つでもある。見ていて面白いサッカーは感情がコートに溢れている。今TOPチームで戦っている同期や後輩がこんなにも輝いて見えるのは、彼らが感情むき出しで戦っているからだと思う。
Iリーグで全く試合に絡めない時。チャンピオンシップでスタメンを外された時。TOPチームで唯一選手登録されていない時。4年目の早慶戦をスタンドで見た時。
悔しい時に笑顔でごまかさないこと。もちろん悔しさを押し殺してチームのために明るく振る舞うことも必要な時はあるけど、悔しいという感情から逃げないこと。この4年間、「本当の感情」をさらけ出すことができていれば、もう少し結果を残すことができた気がする。この先こんなにも本気で悔しく、本気で悩み、本気で喜ぶことはないと思う。残りのサッカー人生感情むき出しでいきます。

B1チームのみんなへ
自分がかっこいい先輩、憧れるような先輩じゃないことは分かっています。牧野のように 「みんなの見本でヒーローです。」なんてLINEは来ません。来るのは「うじー、オススメのエアビ教えて」くらいなもんです。
キャプテンマークを巻くことができる順番はB1の中で上から18番目、ちょうど藤平と柳瀬の間、しんのの3つ前あたりです。
こんな僕ですが、まだ最後に成し遂げたいことがあります。
それは西が丘のピッチに立つことです。Iリーグの全国決勝は西が丘で行われる。関東で、早慶戦で立つことができなかった西が丘のピッチに立ち、有終の美を飾りたい。そして自分たちのために毎日寝不足で練習メニューを考えてきて、「ボール保持」もまともに言えない三浦を胴上げしよう。
B1らしく最後は笑って終わろう。

愛すべき同期へ
個性豊かなみんなと共にソッカー部で過ごしたことは、僕の一生の財産です。尊敬できるたくさんの面白い仲間に出会えました。この代で良かった。ありがとう。ここに書きたくても書き切れない程の思いがあるので、ゆっくりお酒の場で話しましょう。オススメのエアビあるんで。

両親へ
一発ギャガーよしこ。朝4時半の「おぱよう」には少々イラつくこともありましたが、朝早く起きて作ってくれる梅入り昆布ゆかりおにぎりは絶品でした。下田に応援に来てくれる時は必ず迷彩柄の服を着ていて、みんなから自衛隊関係の人だと思われているので、なるべく迷彩柄は避けてください。
戸田さんよりもサッカーを見ている、空飛ぶたかし。毎週のように下田に来て私の一番のファンでいてくれて嬉しかったです。 失礼、フアンでしたね。
私がサッカーをしている姿を見るのが、家族の楽しみで、サッカーをする自分に期待してくれていることは知っています。最後にサッカーで活躍する姿を見せたいと思います。 本当にここまで育ててくれてありがとう。

社会人スタッフの皆様、本当にどうしようもないふざけた奴でしたが、最後まで向き合い続けてくれてありがとうございました。支えてくれた全ての人にこの場をお借りして感謝を述べさせてください。本当にありがとうございました。

最後に。
サッカーを通じて本当に色々な経験をさせてもらい、多くのかけがえのない出会いがありました。サッカーなしの人生は考えられません。サッカー、今まで本当にありがとう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。今後共ソッカー部へのご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。

♪兵庫県生まれNY育ち下品な奴は大体友達♪
慶應のゴロニャンキーパー坂巻颯梧(4年・New York Soccer Club/慶應義塾NY学院)。
彼も部室を盛り上げる芸人さんの1人で得意ジャンルはモノマネ。彼のアーニャは鳥肌もん。
僕が思うに彼はこの4年間で最も成長した選手です。1年の練習試合では自陣ゴールにシュートを突き刺していた坂巻が今やTOPチームのGKとして絶妙なロブパスを出していることが信じられません。
4年間で大きく変わった男が何を書くのか注目です。坂巻、是非上品なブログをよろろすお願いするます!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

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