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2022.10.02 引退ブログ

「迷惑客」(西川陸斗)

平素よりお世話になっております。法学部政治学科4年の西川陸斗です。

晋作、紹介ありがとう。芯を持っていてかつ誰にでも優しく驕らない晋作を高校の時から尊敬しているし頼りにしています。高校で上手くなった晋作の足元が大学で逆戻りしてしまったかのように思えるのが寂しいです。段ボールは言われるまで記憶から抹消されていました。四戸さん、本当に迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。

特に最初に書くことを決めずに、思ったことを書いたのでまとまりのない文章になっていますが、興味があれば読んでいただけると嬉しいです。

4年ブログを書くにあたって、自分でソッカー部員人生を振り返ってみました。入部当初に描いていた早慶戦の出場や関東リーグで大活躍するという夢は夢でしかなく、自分の力不足に情けなく感じるとともに後輩のことを少し羨ましく思いながら書いています。

つい先日、B1のボスである三浦が 「自分が高校の時はなかなか試合に出られず、その後引退した時に不完全燃焼のまま終わってしまったという実感があった。だけど、日々の練習に100%で取り組めていなかったから具体的な事象に後悔するということができなかった。だから皆には目の前のプレーに全力で取り組んで後から後悔できるようになって欲しい(要旨)」 と、毎日の練習後の総括に話していました。
この言葉は自分にとってかなり刺さって、1年目は100%出せた日なんてないんじゃないかと三浦同様の漠然とした後悔をしてしまいました。優秀な後輩たちは大丈夫だと思いますが、限られた4年間を全力で生きて欲しいです。

初っ端から話が逸れてしまいましたが、そんな堕落した1年の時の懺悔から少しは成長できた4年までを少し振り返ります。

1年目、Dチームからのスタート。今思い返すと本当に舐めた部員生活をしていたな、と恥ずかしい思いです。
まず、練習は死ぬ気でやれていなかったです。6:30からの練習に寝ぼけまなこで向かい、1年生が20人ほどいるDチームで皆と仲良しサッカーをしていました。そして自主練もせずに学校へ向かい、空きコマは同期と遊んでいました。さらには高校まで続けていたランニングや体幹トレーニングもいつからかやらなくなってしまいました。そんな生活では成長なんてするわけもなく、むしろ下手になっていく恐怖を味わったのを覚えています。
何よりもちゃんと取り組んでいる同期や先輩に申し訳ないし、メニューを作ってDチームをまとめてくれるタジくん(R3卒)に申し訳ないことをしたなと、それほどにひどい1年生だったと思います。タジくんごめんなさい。

サッカー以外の仕事でも、1年生がやるべき仕事を率先してやらず、基本他人任せ。シビアな雰囲気となった夏の学年ミーティングでコーローに名指しで吊し上げられるくらいには迷惑をかけてしまいました。(今では反省しています。ですが彼は感謝の気持ちが依然足りていないので、今では私から口うるさく指導してあげている次第です。)

きっと当時の自分に総じて言えるのは組織の一員である自覚が足りなかったことだと思います。
私は組織に属する人間は、持つ視座に応じて大まかに3段階に分けられると考えています。まずは組織がどうあるべきかという組織大の視座を持つ人、次に組織の中で自分がどうあるべきかを考えられる人、最後に組織のこと、組織に与える影響を考えられない人です。学生主体を掲げ、自分たち学生で組織を作っていくソッカー部では、最初の組織レベルでの経営者視点を持つべきだと思います。しかしながら当時の私は3つ目の「組織にいらない部類の人間」だったでしょう。

1年春の最初の鹿島遠征の時、私は紘平とともに試合前の集合に遅刻しました。その晩、副務でありDチームのキャプテンである亮平君(R3卒)に呼び出されてこう言われました。
「お前たちが遅刻したことでチーム全体に迷惑かかるんだぞ。この遅刻の報告を監督やスタッフにしたらどう思われるか分かる?新しく入ってきたどこの誰かも分からないような1年生がミスをしたとなると、そいついらねえなって思われるんだよ。俺はお前たちを見捨てたくないから監督にも謝るし、こうやって説教まがいのことをしていて、憎くてやってるわけじゃないんだ。」
これを聞いた時に本当に迷惑をかけてしまっているのだなと、ようやく実感したし、同時に亮平君は同じ学生という立場にも関わらず自分たちより何個も上の視座を持っているのだなと、自分たちの未熟さを痛感した出来事になりました。

もうまとまりない文章ですが、とにかく後輩は慶應ソッカー部を作る一部員であることを自覚して全力で駆け抜けてください。頑張れ。

話は飛んで4年生になった時、何とかTOPチームに所属することができました。所属した当初はなんかもう色々な感情が渦巻いていたように記憶しています。
落ちないように頑張らないと、死ぬほど走ったり死ぬほど怒られたりするのかな、偉大な4年生がいなくなって心配だな、などなど。色々複雑な気持ちでしたが、結局まだ自分本位だったわけです。
しかし、新4年になったばかりの時は自分のことで精一杯だったのですが、次第に余裕が生まれ、段々と見えてくる景色が変わってきました。そこで見えたのはチームのために身を粉にする同期の姿です。特に学生スタッフの仲間がどれだけ日頃チームのため、選手のために行動しているか、それまであまり見えていなかった部分も見られるようになり、勝手に(今更ながら?)重い責任を感じるようになりました。
具体的にどれだけチームのために貢献しているかを書こうと思ったのですが、あまりにも文章量が膨大になりそうなのと、抜け漏れがあった場合にヘイトを買いそうなので割愛します。景が「ブログに書いてあったこと、あれ俺らの仕事のほんの一部ね?」などとボヤきそうなので。
そんな同期の働きを見て感化されないほど薄情な人間ではなかったので、次第に行動が変わっていきました。食事に気を遣う、睡眠時間をしっかり取るといったアタリマエなことから改善され、練習に対しても100%で取り組めるようになりました。
その中でも自分が変わったなと思う出来事は、プレゼン・未来創造部門の立ち上げに関わったことだと思います。
なぜこの部門をやろう、取り組もうと思ったかと言われればチームのために何かしたかった、後世にも生きる何かを残したかったという思いからです。そしてその思いは先述の同期の姿に影響されたのだと思います。ここでようやく3つ目のチームに必要としない人間から一歩成長できたわけです。

多分4年間の収穫はこのマインドセットなんだと思います。ただ、それをウォッシュではなく、本当の意味で持つのが遅かったのが心残りです。1年生からその気持ちで部活に取り組めていればどれだけ成長できたろうか。ピッチ内外で活躍できただろうか。

残り1ヶ月半の現役人生ですが、まだまだ成し遂げられることはたくさんあります。
部門の活動に満足しているわけでもないので来年以降後輩が運営しやすいような環境を整備すること。
B1としてチャンピオンシップに進み、後輩に全国の舞台を味わわせてやりたい。
老害なりにまだまだ関東で活躍したい。
コーローに感謝の心を教えてあげたい。

幼稚園の時に親に連れて行ってもらって始めたサッカー。16年間のサッカー人生を締めくくるため、後悔しないために全力でプレーします。B1のみんな、チャンピオンシップに行こう。三浦を胴上げしよう。

次の担当は伊藤真聖(4年・慶應義塾湘南藤沢高等部)です。部室をとにかくうるさく爆笑の渦に巻き込む彼は令和元年慶應の幹事長。B1を引っ張るキャプテンで、ピッチ内外で頼りがいのある男です。特技は2歳から英才教育を受けて叩き込まれた麻雀。苦手なことは素走り(1644,8816,1025,5秒2往復,7秒3往復,12分3200m etc…)。彼と仲良くなるのはなかなか大変ですが、「麻雀特化ゾーン見ました!」といえば仲良くなれます。ふざけているイメージが強いましろですが、熱い情熱を持った漢なのでめっちゃ良いブログ書いてくれるでしょう。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

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