お問い合わせCONTACT
MENU

BLOG

部員ブログ

背景

2022.10.01 引退ブログ

「想いを背負う」(牧野晋作)

平素より大変お世話になっております。卒業ブログのトップバッターを務めさせていただくことになりました、経済学部4年の牧野晋作です。

初めに、ソッカー部での4年間を通じて、大変貴重な経験を数多くさせていただきました。日頃より温かいご支援、ご声援をくださったOBの方々、社会人スタッフの方々、ソッカー部に関わる全ての方々に心より感謝申し上げます。

さて、とうとう卒業ブログを書く時が来てしまいました。読む側だった僕が書く側にまわり、非常に感慨深いです。どんなことを書こうか色々と思案しましたが、大層なことは書けそうもないので、背伸びせずにありのままの4年間を綴らせていただきます。ぜひ最後までお付き合いください。

「下手くそ」

僕が14年間のサッカー人生でずっと浴びせられてきた言葉である。14年間もサッカーをやってきて、今もなお「下手くそ」である。もはや愛着さえ湧いてくるくらいずっと言われ続けてきた。部員の皆なら知っていると思うし、自分でもそう思う。残念ながら認めざるを得ない。それでも、ありがたいことに今はTOPチームに所属し、慶應の看板を背負って戦うチャンスを掴める状況にある。本当にありがたいことだ。

「下手くそ」な僕がなぜここまで成長することができたのだろうかと4年間を振り返ってみると、人の想いを背負い、人の想いに応えようとがむしゃらにやってきたことが一番成長に繋がったのかなと感じる。

2019年、1年目。
文武両道を志してソッカー部の門を叩いた。1番下のカテゴリーであるDチームに所属し、仕事、練習、授業に忙殺される日々の中で必死にもがいた。授業との兼ね合いで毎日のように4時に起きて始発で練習に向かい、40人近く選手がいる中で激しいレギュラー争いを繰り広げた。シーズン後半になってようやく試合に絡めるようになったが、それも先輩方がカテゴリー昇格を果たし、その空席を埋める形での出場だった。一向に変わらない現状に途方もない無力感を覚え、同期がBチームやCチームで活躍しているのをどこか遠くの世界の話のように思っていたのを覚えている。

2年目。
Sチーム(当時はTOP>Z=S>Iという構成)でグラマネの友己くん(R4卒)に守備力を買われ、試合に出させていただく機会が増えた。大躍進だった。この年の経験は自分の中で大きな礎となったと思う。SチームでIリーグ優勝を経験し、全国まであと少しのところまで行くことができた。

「微差にこだわれ、1つのパス、1対1の局面、1つの声掛け全てにこだわれ。お前なら絶対できる。」

僕の可能性を信じて丁寧に熱い指導をくれた友己くんのおかげで、下手くそなりにもチームに貢献できるようになった。この年の“Sの五か条“は今でも試合中に立ち返る場所として大切にしている。
また、この年はテソンコーチにソッカー部において1番大切なことを教えていただいた。それはIリーグ最終節のこと。その試合前の1週間はかなり調子が良く、それまでもスタメンで出場し続けていたため、絶対にスタメンで試合に出場できると思っていた。しかし、スタメンで試合に出たのは当時の1つ上の先輩のカズくん(R4卒)だった。その先輩はピッチ外でリサーチやスクールコーチを通してチームに貢献し、ピッチ内では誰よりも泥臭く走り、球際で闘い、きつい時にチームを鼓舞できる、まさに慶應らしい選手だった。試合は彼のセットプレーからのゴールもあり見事勝利を収めた。試合後、皆が控え室に戻る中、出場できなかったことに納得いかず不貞腐れていた僕と氏家(4年・慶應義塾高)はテソンコーチに呼んでいただき、このようなお話を伺った。

「実は、今日の試合で2人を出さないことは前から決めていました。なぜだと思う?それは慶應を背負って戦うということがどういうことなのか、ピッチの外から見てもらいたかったから。カズが誰よりも慶應の選手らしく闘っていて、どれだけ悔しさを押し殺してチームのために動いているか、それを2人に知ってもらいたかったから。今後、2人には慶應を代表してTOPチームで活躍してもらいたいし、そうなると信じているからこそ、そういった選手の想いを理解して、背負って、闘える選手になって欲しいと思っています。」

この時のことは今でも鮮明に覚えている。この話を聞いて控え室に戻る時の気持ちは今でも忘れられない。出られない選手の悔しさ、それを押し殺し、サブに回ってチームのために動く先輩の器の大きさ、またそれらを理解せずに試合に出ていた自分の浅はかさを知った。慶應を背負って闘うことの重みと責任を知った。そして何より、自分の成長に期待してくれる人がいることを知った。人の想いに応えるために、人の想いを背負って戦うために、もっと頑張らなければいけない、そんなモチベーションが芽生えたとても大切な1日だった。

3年目。
Bチームでスタメンを張り続けた。慶應らしく、ピッチ内外でチームに貢献しながら、誰よりも走り、誰よりも闘い、きつい時にチームを鼓舞し続けることをひたすら意識した。シーズンの初めは勝てない時期が続いたが、後期は無敗という結果で終えることができた。主将が怪我で離脱し、ゲームキャプテンを務めるという貴重な経験もさせていただいた。4年生がいる中で3年生の自分がキャプテンマークを巻くということの重みを噛み締めながら、次第に芽生える上級生としての自覚と共に、日々成長を繰り返した。シーズン中、何度かTOPチームの練習に参加させていただいたが、定着することはなく、Bチームでシーズンを終えた。

そして、4年目。
念願のTOPチーム昇格を果たした。長かった。4年目にしてやっとだった。リサーチで、関東応援で、早慶戦で、3年間外から見ていたピッチに今度は自分が立つ。そのチャンスを手にすることができた。そう考えると感無量だった。そして激しいスタメン争いを経て、関東リーグを迎えた。ありがたいことに前期はかなりの試合に出場させてもらった。前期は勝ち点を順調に積み重ね、首位の期間がしばらく続いた。

しかし、主将と副将の離脱によって状況は急変した。勝てない時期が続いた。自分は代理キャプテンとして、法政大学戦、日本大学戦、東京学芸大学戦、神戸定期戦の4試合でキャプテンマークを巻いた。全敗だった。恥ずかしかったし、不甲斐なかった。もっと実力があれば結果で示すことができるのになぁ、などと思いながら、自分のミスで攻撃が止まる現実にやり切れなさを感じていた。こんなに自分の下手さを呪ったことはない。こんなに同期の”下手くそ“いじりが煩わしく思えたことはない。この時期は自分の得意な守備さえも上手くいかず、試合中の声掛け1つ取っても何が正解か分からなくなっていた。自分の力不足が最悪のチーム状況を招いていることに憤りを感じていた。

そんな中、迎えた早慶戦。当然といった流れだろうか、僕はスタメンを外れた。覚悟もしていたし、心の準備もできていた。ただ、やっぱり悔しかった。死ぬほど悔しかった。慶應らしい選手になるために、ピッチ内外の行動、準備、規律、自分が気を配れるところは常に気を配ってきた。出来るプレー、出来ないプレー、1つずつ整理して武器を磨いてきた。早慶戦当日も悔しさを押し殺し、控えの選手としてできることは最大限にやった。それでも、あの憧れの舞台に立つことは叶わなかった。試合終了のホイッスルがなった時、膝から崩れ落ちて人目も憚らず泣いた。4年として見せるべき姿ではなかったかもしれないが、耐えられなかった。労いの言葉を真っ先に掛けに行くべきだったのかもしれないが、言葉が出なかった。そうして最初で最後の早慶戦は、幕を閉じた。

ただ、僕は早慶戦を経て強くなった自信がある。
それは闘う理由が増えたから。人の想いを背負っていることを実感できたから。

早慶戦当日、1人の後輩がラインをくれた。

「Dチームからコツコツ這い上がって早慶戦のベンチに入る晋作くんの姿はみんなの見本であり、ヒーローです。」

不器用だけど誰よりも熱い心を持っている、そんな彼の想いも背負って後期リーグも戦わなければいけない。この感情は責任や重圧ではなく、もっと切迫した、欲求のようなものだと思う。僕たちはこの「誰かの想いに応えたい」という欲求をピッチ上で表現する必要があるのだ。

今、チーム状況は少しずつ上向きになってきている。僕はスタメンを外れているが、自分の立場でできることを精一杯やろうと思っている。スタメンを取るために必死でアピールするし、サブに回ったら全力で仮想敵役を演じる。試合に出ればチームのために球際で闘い、きつい時にポジティブな声を出し、アップの一歩ですら手を抜かない。なぜなら、それが慶應らしい選手の姿だと思うから。それが「誰か」の想いに報いるための唯一の方法だから。

後輩達へ。
今どんな想いでサッカーをしていますか?評価されず悶々としている人や、ひたむきに努力し続ける人、怪我に苦しむ人や、やる気に満ち溢れている人、色々な人がいると思います。それでもこれだけは忘れないでください。

どんな立場にいようとも、黄色いユニに袖を通したのなら、誰かの想いに応えるために慶應の選手らしく闘ってください。

どのカテゴリーでも、何番手でも、与えられた立場で最善を尽くして努力し続ける姿が、いつか必ず誰かの目に留まるはずです。そして、その姿が誰かに勇気を与え、その人のモチベーションや喜びに変わります。そうやって慶應の伝統や想いは繋がれていくのだと、僕は思っています。先輩達がそうしてきたように、僕らもそうしていく義務があると思うのです。

想いを背負う覚悟を決めて、走り続けてください。

最後になりますが、この場をお借りして感謝を述べさせていただきます。
ここまでの道のりは決して楽なものではありませんでしたが、多くの方々の支えがあって今の自分があると思っています。

友峰さんにはセンターバックとしての考え方から、1人の大人としての立ち振る舞いまで、多くのことを教えていただきました。テソンコーチには慶應の選手としての心構えを教わりました。伊藤トレーナーにはテーピングと治療で何度もお世話になりました。他にも多くの社会人スタッフの方々にサポートしていただきました。本当にありがとうございました。

後輩へ。
早慶戦で僕らの想いを背負って闘ってくれた後輩達、ありがとう。授業も忙しい中で関東リーグの派遣を手伝ってくれた後輩達、ありがとう。尊敬していますって伝えてくれる後輩、大好きです。下手くそっていじってくる後輩、大好きです。ボケたらツッコんでくれる後輩、大好きです。KSSの後輩達、大好きです。センターバック陣、大好きです。びっくりするくらい適当な挨拶してくる後輩、まぁ嫌いじゃないです。井の頭線ユーザー、大好きです。麻婆炒飯、1番好きです。

同期へ。
苦しんでいる時や悩んでいる時に一緒に悩んでくれたり、全部忘れるくらい笑わせてくれたり、なんだかんだ優しい同期には感謝しています。特に、範馬、テレビマン、一浪一留、ジャンピングゴリラ、ビクト、加藤翔生太、ジンマ、カピパラ、ワンショット、「すりすり」ニキ、コックさん、シーザークラウンら辺にはお世話になりました。こうやって見ると問題児ばかりですね。最後1ヶ月半やり切りましょう。

両親へ。
14年間自由にサッカーをやらせてくれて本当にありがとう。
母さん。サッカーで落ち込んだ時はいつも「生きていてくれればそれで十分。」とよく分からない慰めをしてくれたけど、しぶとく生きているので安心してください。雨の日の送り迎えをしてくれたり、朝練がある度に毎回起きてくれたり、本当にありがとう。
父さん。気にかけてないようでめちゃくちゃ気にかけてくれていて嬉しかったです。ありがとう。

さて、もう引退かのようなブログを書きましたが、あと1ヶ月半弱、8節分の試合が残っています。最後に笑えるように、一歩に拘って悔いなく走り抜けたいと思います。

明日のブログ担当は西川陸斗(4年・東京武蔵野シティFC U-18/慶應義塾高)です。何をさせても周りに天才と言わしめる程の才能を持ち合わせ、誰からも好かれる気さくな性格の持ち主の彼。脛当て代わりにダンボールを使って怒られちゃうようなお茶目な一面も持ち合わせていますが、そんな愛くるしい陸斗にバトンを繋げることができて嬉しいです。最近は何かと忙しそうであまり深い話が出来ていないので、ブログでどんな想いを綴ってくれるのかとても楽しみです。乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月8日(土)関東リーグ戦 第16節vs 青山学院大学 @非公開 11:00キックオフ

WHAT'S NEW

新着情報