2025.11.07 引退ブログ
「天秤」(相場大知)
平素よりお世話になっております。
経済学部4年の相場大知と申します。
大下、紹介ありがとう。
紹介の通り彼とは前十字仲間で、ソッカー部内で最も格式高い膝会のTOP2に君臨しています。
そんな彼はダンディな青髭、誰もが羨む肉体美、圧倒的コミュ力という、漢の三大モテ要素を引っ提げてサッカーだけでなく夜のエリート街道も本能のままに突き進んできました。
その突き進みぶりは半端じゃなく、強すぎる本能のせいで人権が無くなりかけたことがあるとかないとか。
結婚できなさそうな同期ランキングで圧倒的な1位を誇る彼だが、結婚願望は強く、まさかのブログ婚を狙っているらしい。
さあ、今ブログをお読みの女性方、間違いなく今がチャンスです。
余談が長くなりましたが、ラスト2試合彼がいればクリーンシート間違いなし。頼んだ大下。
さて本題に入ります。
浪人時代、モチベーション維持のために読み漁っていた引退ブログも、とうとう自分に書く順番が回って来てしまいました。
部室で何を書こうか悩んでいると、「怪我した数が多ければ多い程良いブログになるらしいよ」と五十嵐が呟き、「俺、ぶっちぎりで一番じゃん」なんて思いましたが、いざパソコンと向き合うと怪我のし過ぎで書く内容がないことに気付きました。
そのため、4年間を振り返りありのままの自分の素直な気持ちを綴りたいと思います。
拙い文章になってしまうと思いますが、最後まで付き合っていただければ幸いです。
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「俺、もう1回前十字切ったら退部するわ」
1、2年の頃、殆どのキャンパスライフを共にした真之介との日常会話の中で冗談半分に言っていた。
いや、あの頃の自分は本気で思っていたのかもしれない。
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高校2年の冬、初めて前十字靭帯断裂の大怪我を負った。
医師から全治8ヶ月と言われ、あまりの長さに途方に暮れたと同時に、初めての長期離脱にどこか新鮮さを覚えていた。
「怪我は人を強くさせる」という励ましの言葉を文字通り受け止め、明るい未来を描いていたのだろう。
だが、そんな私を待ち受けていたのは、気が狂うほどの地道なリハビリと痛みを感じる度に現れる不安に向き合う日々だった。
自分の足とは思えないような感覚。激痛を伴うリハビリ。1歩進めば0.5歩後退しているような日々に嫌気がさしていた。
つい最近まで一緒にプレーしていた同期は、TOPチームの練習に呼ばれるようになり劣等感は増すばかり。
「自分はまだやれる」「自分はこんなもんじゃない」自分の価値を証明したかった。
8ヶ月間のリハビリを経て復帰。しかし、理想とは程遠いプレーであった。
3試合出場するも、後半ラスト数分のみ。
サッカーへの未練が残るまま、高校でのサッカー生活が幕を閉じた。
殆どがプロサッカー選手を目指し、サッカーを続けることが当たり前の環境に身を置いていたため、サッカーを辞めるという選択肢は一切無かった。
そして、大学でサッカーを続ける目的も明確であった。
「サッカーで自分の価値を証明したい」
空白の8ヶ月を取り戻し、全国から猛者が集まる関東リーグでこれまでの自身の努力を、経験を正解にしたかった。
そんな想いから1年間の浪人期間を経て、ソッカー部の門を叩いた。
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入部前の覚悟とは裏腹に、形だけで中身が無いような1年目であった。
B1でシーズンがスタート。毎朝4時半に起床し、無心で電車に乗りグラウンドまで歩く。火曜は鬼の走り込みで、水曜は対人地獄。木曜すらも追い込んでいた気がする。
必死に喰らいついているように聞こえるかもしれないが、実際はただ毎日をこなしていただけだ。
「1年目でB1にいれば上出来でしょ」などと話しながら、殆ど自主練をせずに学校へ行き帰宅する毎日。TOPに昇格しても、「来年は関東リーガーだな」なんて安易に考えながら、これまで通り練習をこなし続けた。
まだ何も成し遂げていないのにも関わらず、自分が通用していると錯覚していた。
ソッカー部にいる意義も見出せなかった。
「伝統」「誰かのため」「利他性」という言葉は、結果が求められる環境で自分のためにサッカーをしてきた私には到底理解できなく、しようとも思わなかった。
Iリーグのハーフタイムにはビデオ係にも関わらず、ゴールへ向けて全力で左足を振り抜いていた私に、規律の欠片も存在せず、この1年間は間違いなくソッカー部員では無かった。
紆余曲折あり、再びB1で迎えた2年目。
何も成し遂げていない現状を把握し、着実に努力を重ねた1年間だった。
パーソナルジムに通い、課題であったフィジカル強化にも取り組んだ。大下と傷を舐め合い、いや高め合いながら、スクワット中に両足が攣る醜態を晒しながらも粘り強く取り組んだ。人生で初めてやる右WBも、TOPへの近道ならと受け入れ、足りない部分を必死に自主練で補った。
確実に前へ進んでいる、そんな感覚が自分の中にはあった。
ただ、自分の弱さを捨てきれていなかった。上手く行かない時期にはベクトルを外へ向け、何をしても変わらないと努力を放棄していた。
(マックシェイク事件がそれを物語っているでしょう)
理解できなかったソッカー部の良さの一部を身をもって体感した年でもあった。
後輩たちにIリーグ1部の舞台を残すため、どんな手を使ってでもゴールを守るたかくん、当て出しが上手すぎる雄大くん、チームを引っ張り続けてくれた秀太くんの背中を見て、4年の意地を見た。
全員が一つになり、2部昇格を達成した試合。試合終了と共に心の底から喜び抱き合った瞬間、全員で若き血を歌った瞬間に組織力で戦う慶應らしさを体感した。
入部して初めて「ソッカー部って魅力的かも」と思った。
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「俺、もう一回前十字切ったら退部するわ」
何気ない日常の中で発した言葉には、この2年間の心境が現れていたのだろう。
サッカーをする楽しさも、ソッカー部にいる意義もわからなかった1年目の自分が、あの苦痛な日々から立ち直れるはずがなかった。
どちらも中途半端に理解し出した2年目も、それを上回るほどのものではなかった。
「サッカーをする楽しさとソッカー部にいる意義」と「怪我がもたらす苦境」を天秤にかけ、確実に後者の方が重いと判断していたのだろう。
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激動の3年目。眞木と紳がサッカーを辞めてグラマネになる決断をしてくれた。
何も成し遂げていない自分に「大知はピッチ内で貢献して欲しい」と言ってくれた。
その日から、その瞬間から、弱い自分を捨てサッカーと向き合う覚悟を決めた。
同期の過半数がTOPに昇格し、Bチームに取り残されても、自分にベクトルを向け続けた。毎日の練習も一切手を抜くことなく、必死にアピールし続けた。筋トレの成果からか、体のキレは今までで一番と言っても良い程だった。
清水、金鶴と3TOPを組み、ほとんどボールを触らずに8点取られた東洋大学戦も、諦めることなく最後までチームを鼓舞しボールを追い続けていた。
Iリーグ開幕戦から活躍し、チームを引っ張る存在になる。今年こそはTOPに昇格し、関東リーグに出場する。自分の価値を証明する、そんな1年間にしよう。
まさにその矢先の出来事だった。
2024年4月24日
毎週やっている対人練習中。今まで何百回と試行してきた、なんてことのない切り返し動作。
伸び切った膝に自分の全体重が乗った。
「ゴリゴリ」という聞き覚えのある音が膝から聞こえた。
悶絶するほどの痛みを感じ、気付けばピッチに倒れ込んでいた。「相場もしかして泣いてる?」と、同類探しに必死な雄大に煽られながら担架で運ばれている最中、「切れてない、切れてない」と自分に言い聞かせていた。
そんなはずがなかった。
左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷
「泣いてもいいんだよ」と忰田に慰められ、思い出す地獄のような4年前。
積み上げたものが、決意が全て崩れ落ちた感覚。なんで今?どうして自分が?
その瞬間は全てに絶望していた。絶望しすぎて涙も出なかったのだと思う。
しばらくは無気力で、自宅療養期間も天風くんに次いで歴代2番目に長かったであろう。
だが、もう一度前を向けた日を鮮明に覚えている。
(大下の二番煎じと言われるのは癪ですが、どうしても書きたかったので許容します)
4月28日 関東2部リーグ第3節 早稲田大学戦
なんとなく眺めた公式のストーリーで、試合前の集合写真に私の背番号「73」が掲げられていた。
関東で活躍していた訳でも、TOPチームにいたわけでもない私の背番号が、だ。
試合後に送られてきた写真には、手で「A」のマークを作る惠風と昂大。
「相場のために頑張れたわ」と純太からのLINE。
自分の想いを背負って戦ってくれた仲間がいた。自分の復帰を待っていてくれる同期がいた。
この先再び長く、辛い日々が待ち受けていることは分かっていた。
それでも、再びピッチに戻ることを決意するには十分過ぎる出来事だった。
サッカーをする理由が、ソッカー部の魅力が、怪我の苦境を上回った瞬間だった。
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勿論楽なリハビリ生活では無かった。
同じ動作を何百回、何千回と繰り返す日々。少しでも強度をあげれば、次の日にはお皿が見えなくなる程腫れ上がる膝。辛さと喜びの割合は9:1くらいだった。
だが、前回のリハビリ生活よりも濃密な期間になったことは確かだ。
それは、自分と向き合うだけでなく、引いた視点で組織の知らなかった一面に気付けたからだろう。
そこには、
組織のために文字通り全てを献げ続けてくれるグラマネがいた。
寝る間も惜しんでリサーチをするだけでなく、グラウンドでもできることを探し献身的に働いてくれるアナリストがいた。
どんな選手の要望にも対応し、何不自由なくサッカーができる環境を整え続けてくれるマネージャーがいた。
試合に出れば結果を残し、ピッチ外では膨大な量の仕事を当たり前のように捌き続ける主務・副務がいた。
どの部員よりも長い時間グラウンドに滞在し、選手全員のコンディション管理に親身に向き合い続けてくれるトレーナーがいた。
ここには書き切れない程多くの人がそれぞれの立場で組織に貢献していた。その全てが日々の刺激になり、気付けば自分の原動力に変わっていた。
「誰かのため」の「誰か」が指す主体の数が圧倒的に増えていた。
迎えた2025年6月11日
約1年かかったリハビリも最終盤を迎え、「来週末のIリーグには出られます」とタチさんに嬉しそうに伝えていた。やっとピッチに立てる、皆とプレーできると心を踊らせていたが、再びピッチに立つことはなかった。
左膝前十字靭帯再断裂、半月板損傷
あまりに呆気ないサッカー人生の終わり方だった。
診察室でMRIの画像を見ながら、医者に「今何年生だっけ」と聞かれ、「もうサッカーできないんだ」と涙が止まらなかった。どうしたら良いか分からず、過呼吸になりながら母に電話もかけていた。
確かに、それは辛く、受け入れ難い事実ではあった。
しかし、私は今こうして引退ブログを書いている。
プレーすることが不可能になった今もソッカー部の一員であり続けている。
怪我をした瞬間から今日まで、「退部しよう」なんて微塵も思わなかった。
仲間が自分のために戦ってくれたあの日から、サッカーが自分だけでない誰かのためのものへと変化していたから。
だから明日も明後日も、最終節の試合終了の笛が鳴り響くその瞬間まで、自分にできることを全てやり続ける。こなすだけじゃない。全てに意味を見出し、全身全霊をかけてやり遂げる。
それが、あの日希望をくれた同期に、原動力になった部員の努力に報いる唯一の方法だから。
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この組織の文化は独特であり、唯一無二であると思う。
事ある度に開かれる長時間ミーティング。求められる組織への貢献度。耳が痛くなる程聞いた「総和」「利他性」「規律」「伝統」「慶應らしさ」
この文化を窮屈だと感じることも、不必要に思えることもあるだろう。
自分もその1人であったし、なんならその代表者でもあったかもしれない。
だが、今はその文化の魅力に助けられている。ただ4年間をこなし続けていたら、この文化を自分には合わないと遠ざけ続けていたら、魅力に気付くことはなかっただろう。
自カテがオフでも、凍えるような雨の日でも、グラマネと共に全ての練習に出続けた。
太鼓を抱えて電車に乗る桑山と共に、栃木までB1のIリーグを応援しに行った。
大雅のテーピングを巻くために、国士舘TRMにも帯同した。
合宿で毎日ケア日程を組みながら、忰田・大曽根さんの凄さを知った。
怪我をしたから、上級生だから、学生トレーナーだから、当たり前の事かもしれない。
それでも、自分から知ろうとしてやっとその魅力の一端に気付くことができた。
入部前に掲げた「自分がどこまで通用するか試したい」という目的は、清々しい程に達成されなかった。その点では、この4年間は大失敗と言えるだろう。
ただ、サッカーが奪われても尚、組織と向き合い、魅力的に感じられたのだから、
何回人生をやり直しても、ソッカー部の門を叩くと思う。そんな気がする。
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関東も残り2節。
明日はホーム最終節 vs日大
シーズン開始時に掲げた「関東一部優勝」
現在その望みは絶たれ、「一部残留」を目標に掲げている。
当初思い描いていたようなシーズンでは無かったかもしれない。苦しい時の方が多かったかもしれない。
それでも、全員で乗り越えてきた。全員で這い上がってここまで来た。
泣いても笑っても2試合。
これまで、喜怒哀楽全ての感情を共にしてきた下田で、ホーム最終節
全員で「血が騒ぐ、魂が叫ぶ、若き血」を下田に轟かせよう。
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長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
最後になりますが、この場をお借りしてお世話になった方々への感謝を綴りたいと思います。
長くなるので、適宜飛ばして読んでいただければ幸いです。
中町監督
2年間、大変お世話になりました。
怪我をした日、Bチームにいた私に電話をしていただき、「この経験を必ず意味のあるものにしよう」と仰っていただいた事がとても印象に残っております。ご期待に答えられていたかは分かりませんが、学生トレーナーとしてTOPに携わり、監督の背中を近くで見続けられたことは一生の財産です。
テソンさん
B1時代からお世話になりました。1年の頃、金沢遠征でテソンさんの大学時代のお話を聞き衝撃を受けました。一時は途絶えてしまった古き良き習慣を自分たちが復活させ、ピッチ内外で「強い慶應」を取り戻したいと思います。
先日、女子部練中に「アップ何分まで伸ばせる?」と聞かれ、答えた倍以上の時間に伸ばさなければならなかった時は流石に焦りましたが、即興力を鍛えるいい機会になりました。ありがとうございました。
刀野さん
本当に多くの時間を刀野さんの元で過ごしました。試合に出る機会こそ少なかったですが、熱いお言葉も、愛のあるお叱りも受けられなくなる日が近いと思うと寂しくて仕方ありません。引退したら板倉さんを始め、脈々と続いている刀野チルドレンで集まりましょう。
本当にお世話になりました。ありがとうございます。
友峰さん
2年間お世話になりました。人として、ソッカー部員としての基礎を一から叩き込んで頂きました。友峰さんの愛のあるお叱り無くして、今の自分は語れないと思います。
サッカー面では「松本の星」など、光栄なあだ名を付けて頂きましたが、期待に応えることができなく、申し訳ございません。
マックシェイクはまだストロベリー派です。まだまだ未熟者です。
先輩方
ブログを書きながら、先輩方に「しょうもなブログ」と言っていた過去を後悔しました。
本当に多くの尊敬できる先輩方に囲まれた4年間だったと感じています。引退したら連絡が飛んでくると思うので、その際は無視しないでください。
同期
最高の同期でした。この代だから、このメンバーだからここまで走り続けることができました。1人1人の顔を思い浮かべると数々のエピソードと想いが溢れてきますが、個人別感謝は惠風が既に書いたらしいので任せます。引退後もこの4年間に負けない程の濃い思い出を沢山作りたいです。
そして、最後全員で走り抜いて全員で笑顔で終わりましょう。
後輩
まず1,2年生は殆ど自分のプレーを見たことがないと思います。「ゴリゴリ系爆速ウィンガー」とでも言っておきましょう。偉そうに口出ししていることもありますが、残り1週間の辛抱なので流し聞きしてくれれば問題ないです。
心残りがあるとすれば、伊吹、成貴の大コーンバージャンプをもう追い込むことができなさそうなことくらいでしょうか。
いや、もっと心残りなことがありました。どっちが先輩かわからないような絡みをしてくる瀬戸、練習中もニヤニヤしてる馬場、ついにさん付けをやめた野村、あまりの居心地の良さからパラに居座り続ける碧意を変えられなかったことです。
中々手強い後輩だと思いますが、小谷がなんとかしてくれるでしょう。
誉道ガンバレ。
たまにする無茶振りにも二つ返事で対応し、アップを先導してくれたエドサ、綸ありがとう。ボランティアでやってくれた藤木には感謝してもしきれません。本当にありがとう。
膝会の皆、もう膝飯会が開催されないことを祈ります。全員で支え合って頑張れ。
そして、この部に何も残せなかった自分が最後に唯一遺すことができた風間。3年生みんなで守り抜いてください。
忰田
長い間本当にお世話になりました。リハビリからトレーナー業務まで計り知れない迷惑をかけてきたと思います。忰田の存在無くして今のチームは語れないくらい、多くの時間を献げて選手に向き合っている姿に感動していました。
あの時、病院で寄り添ってくれたから心が折れ切らなかったのかもと今でも思います。
もう会えなくなると思うと寂しく感じますが、あと1週間よろしく。
大曽根さん
1年間お世話になりました。沖縄では女子部と男子部をハシゴしてまで選手のケアをしていただき、本当にありがとうございました。復帰した姿は見せることができませんでしたが、些細な気遣いが心の支えになっていました。ありがとうございました。
石田さん
鍼が苦手であまりケアを受ける機会はありませんでしたが、会うたびに「膝調子どう?」などと気にかけて頂き、本当にありがとうございました。
眞木、紳
本当に2人がいたからここまで来れたと思う。
ピッチ内外で苦楽を共にした眞木。どんどん大きくなる背中がとても頼もしかったです。
実は優しい紳。普段はほぼパワハラでも、たまに見せてくれる優しさに救われていました。
雄大、惠風、純太
言うまでもないが、ピッチ内でチームを牽引してくれてありがとう。
残りもいつも通りお願いします。純太、早くラーメン連れてって。
左貫
学年を引っ張ってくれてありがとう。
(紹介もあるので短めで)
辻野
タイミーさん。いつも通り試合に出て、点に絡んで帰るだけでいいので、残りもお願いします。
沖本、優羽
毎朝だる絡みができなくなると思うと少し寂しいです。
いつでも飲みに行けるので連絡してください。
神志那、岡田
仕事は大変だと思うけど、2人とも関東で活躍している姿が見たいです。
由祐へのイジリは、期待の裏返しだからね
永田、空閑
寝る間も惜しんでチームのためにリサーチをしてくれてありがとう。
空閑、残り2回しかないけど、アジリティから勝たせよう
隆希
確実に今年よりも大変になると思う。でも宣言した時の熱量と持ち前の真面目さがあれば大丈夫。1人で抱えないで色んな人を頼って。
勿論だけど、選手としてもチームを勝利に導いて。
朔、大地、凉
縦割り飯を開催できていないのは朔が原因です。日程調整をしようとしない朔以外で開催しましょう。
そして、期待しています。全員が関東で戦える素質を持っていると思います。努力を辞めないで。
最後に家族へ
父
父さんの影響で始めたサッカー。サッカーを通じてこれだけの素晴らしい景色と仲間たちに出会う事ができました。普段はあまり口にしないけど、私のプレーを一番見たがっていた事を母から聞きました。最後にその姿を1度でも見せたかったです。ピッチで恩返しすることはできなかったけど、これからの人生で少しずつしていきます。本当にありがとうございます。
母
常に私の決断を尊重し、本当に何不自由なくサポートしてくれたことに感謝しかありません。辛い時には松本から駆けつけてくれるところも、手作り料理をわざわざ送ってくれるところも、全てに愛情を感じていました。入部前には「体育会で4年間やり遂げることは相当なことだよ」と脅されていましたが、そんな生活もあと1週間で終わろうとしています。
最後までやり切りたいと思います。本当にありがとうございます。
兄
何でもクールに、要領よくこなす兄を尊敬しています。
そして、たまに来る「頑張れ」LINEが何気に嬉しかったです。
引退したら家族で旅行でも行こうね。
ここには書き切れないほど沢山の人の人の支えがあって、ここまで来れたと思います。
折に触れて、直接感謝の気持ちをお伝えできればと思います。
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お待たせしました。次のブログは左貫龍之介です。
先日、グラウンドで学生スタッフ内のブログの順番について話す機会がありました。雄大は「権威のある順でしょ」なんて馬鹿げたことを言っていましたが、最初の学生スタッフとして学年を牽引し続けてきた左貫が2番目なはずがありません。逆ですよね、ぬき。
そんな彼の牽引する力は、プライベートにまで現れているらしいです。何せデートの第一候補が食べ歩きデートですから。まったく、牽引欲は部内で留めて欲しいですね。
今ではTOP着に身を纏い、声とプレーで圧倒的な存在感を放つ彼ですが、ここに辿り着くまでの道のりは決して平坦では無かったようです。
選手として、運営担当として、どちらのロマンも追い続けた彼が最後に何を語るのか。
乞うご期待です。
《NEXT GAME》
11月8日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 日本大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ
