2025.11.06 引退ブログ
「終わりの先で、前へ。」(大下崚太)
平素よりお世話になっております。
商学部商学科4年の大下崚太と申します。
しんの、紹介ありがとう。
紹介文にもあった通り、彼とは小学1年生から東京のプレミアリーグこと渋谷区区民大会で激戦を繰り広げてきました。
当時から、持ち前のドリブルと目つきの悪さで嫌ぁ〜なサイドアタッカーだった彼ですが、大学4年間でさらに進化を遂げたと思います。
頼もしい限りです。
大学での急成長はピッチ内に留まらず車内でも発揮されてきました。人の車に乗る時は運転手に気を遣う。イヤホンを刺さない。おっと、これは違う人の話ですね。
じゃないとこうだいが怒りますからね、、、。
余談が多くなりましたが、しんのラスト2試合がんばろうな。必ず残留しよう。頼むマジ点とって。
さて本題に移ります。
歴代の先輩方のようなかっこいいブログを書きたかったのですが、例によって長く、まとまりのない内容になってしまいました。
それでも自分の気持ちに素直に、率直に綴りましたので、お時間のある方はお付き合いいただけますと幸いです。
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「プロサッカー選手になる。」
理由を聞かれても分からない。物心がついた頃にはそう明言していて、「プロを目指してサッカーをする」ということが、自分のアイデンティティになっていた。
そんな夢を追いかけ、次第に夢が目標に変わり、気付けば17年が経っている。
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小学校年代では、恵まれた体格を持ち、都選抜にも選ばれるような、いわゆる地元では有名な選手。
フットブレインで東京ヴェルディのアカデミーを特集していたのをたまたま見た。どうやら、最も多くのプロを輩出するチームらしい。
ここに入ればプロになれる。そんな単純な理由で内定の電話に行きますと即答した。
ジュニアユースでは順風満帆に成長し、選抜にも入ったし、学年を超えて試合に出ることも多かった。このまま順調に、ユースから高卒でプロへ。
そんな思いとは裏腹に、ユースでは試合に出れない日々が続いた。
それまでとは評価軸が変わり、高い技術が求められる戦術を体現できず、高かった身長も微妙なところで止まり、追い越される。
結局、満足には試合に出られず3年間を終えることになる。
周りが順調に試合に出て、代表にも入る選手が多かった中で、全くと言っていい程評価が上がらない日々。誰より練習しても試合で結果を残せない。
試合に出られない理由も明確で、課題解決に取り組む姿勢も練習量も間違ってない。無情にも、実力が足りなかった。
屈辱的とまで思うこの経験と思いを大学4年間で晴らす。4年間でさらに成長し、プロになる。
そんな思いで、ソッカー部の門を叩いた。
開幕戦から試合に出られる。そんな淡い期待を持ち、同期より一足早く練習に参加していたが、思うようにはいかなかった。
大学レベルのフィジカルと、要求される守備戦術に歯が立たない。
それでも練習と授業の合間に、明らかにやりすぎで有名な某トレーニングジムに通い、とにかく体を大きくする。とにかく練習量を担保し一切の妥協を許さない。
文字通り「2時間のための22時間」を過ごす日々も、最長滞在記録の山中合宿も、プロになるため、試合に出るためと考えれば、不思議と乗り越えられた。
結局ラスト5試合くらいは関東に絡むことができた。思った通りとは行かないが、それでも1年目にしては上出来だったと思う。
1年目の悔しさを糧に、今年こそレギュラーに定着する。そう意気込んだ2年目だった。
またしても、思いとは裏腹に試合に出られない日々が続く。
プレシーズン、沖縄合宿前日の練習試合で脳震盪。救急搬送され、入院。
東京に残ったCチームに参加し、鹿島遠征まで帯同。伝説のゴールを決め、ギリギリ関東開幕にはベンチに滑り込んだ。
CBの離脱でチャンスが来た5月ごろ、2週連続で試合前日の脱臼、鼻骨骨折と運の悪い怪我が続き、ことごとくチャンスを潰した。
極め付けに、アミノ1回戦の学習院戦では途中交代5分で得点し、その2分後に純太が水を撒きすぎたところで足を滑らせ、捻挫。
2,3ヶ月の離脱を経てもレギュラーとは到底言えない、微妙な立ち位置をうろうろしていた。この年も関東は5,6試合だろうか。
2部入れ替え戦に向けて準備する11月には、淺海前監督に繰り返してきた亜脱臼の手術を勧められた。
事実上の戦力外通告だ。
結局、2度の手術と3度の入院でシーズンを終える、考えうる最悪のシーズンとなった。
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部内ではピカピカの経歴に見られることも少なくない。
経歴に関して、部内の中央値が左貫だとすれば確かにそうか。ならそう言われるのも悪くないな。
それでも実際はそんなことはなく、高1〜大2までの5年間、今ではすっかり井村の十八番になってしまったチャイニーズバンブーの話なら、根を育てる期間だろうか。とにかくそんな、出口の見えない暗闇を彷徨ってきた。
長い間、諦める理由を探していた。
特にこれといった才能もない有象無象の中の一人が、ここまで必死にプロを目指してきた。慶應に入って、プロを諦め、世間からすれば一流の大企業に就職する。素晴らしい話じゃないか。
もしくは、嘘をついてしまおうか。
プロサッカーなどという茨の道を選ぶ必要はない。安定して収入を得られる、プロよりも魅力的な世界が見えたから就職することにした、と。
こんな私でも人並みの学力があったから、親がうるさいから、そんな理由で中高はヴェルディに通う傍ら、眠い目を擦り、夜な夜な頑張って勉強してきた。文武両道という正義のもと、人生に保険をかけて生きてきた。こんな嘘も、本当になるくらいの努力はしたのではないだろうか。
そんなことを長く考えていたが、どうしても諦めきれない。
頭では理解しているが、心が動かない。うまく言語化できない、諦めきれない気持ちを毎日抱えながら、それでも評価が上がらない、悶々とした日々を、5年間過ごしてきた。
だからこそ、一度つかんだポジションを簡単に手放せるわけがなかった。
3年目、開幕直前に脱臼の手術から復帰した私は、中町監督からチャンスをもらった。
高校時代、ヴェルディで評価される程ではないものの、来る日も来る日もランドの壁と向き合い、“止める蹴る”を繰り返した努力が身を結び、ソッカー部のDF陣では技術がある方になっていた。
右膝の半月板が痛いからという理由で左足ばかり使っていたら、いつのまにか人より両足が使えるようになっていた。
守れないDFと馬鹿にされようとも懸命に食らいつき練習した規律や対人も、少しは自分のものになっていた。
そんな、少しうまくて少し強い、豪君よりは左足が使えるという理由で左SBのポジションを掴んだ。
5年我慢した、このチャンスを誰にも渡さない。
そう誓って試合に臨む。
シーズン開幕時に予想していたよりもチームは順調に勝ち点を重ね、前期が終わる頃には優勝争いに入っていた。
毎試合、タスクを整理し試合に臨む。丁寧に試合を振り返り、多くの課題と成果を書き上げる。明確になった課題を克服するための練習をし、翌週の相手と重ね合わせて、新たなタスクが決まる。
試合を重ねる度に成長を実感し、なにより自信になった。
チームは11年ぶりに出場した総理大臣杯を終え、2部優勝へと、勢いづく。
このままいけば、プロになれる。
都合のいい勘違いかもしれないが、本気でそう思っていた。
9月29日 関東リーグ 立正大学戦
いつも通りの試合。何気ない、なんてことないプレー。
パスを出し切り返す。走り出そうとした瞬間、体の中で爆音が鳴り響く。つま先と膝が逆を向き、膝の中で今まで繋がっていた大きな何かが切れ、骨と骨のぶつかる音がする。
診断前から分かっていた。案の定、前十字靭帯断裂だった。
無謀な夢を描き、17年間地道に、丁寧に、努力を積み重ねてきた。どんなに辛くても、苦しくても、やめることはなかった。なぜこのタイミングで、この怪我なのか。これからだったのに。そう思わざるを得ない。
心が折れるには十分すぎる出来事だった。
しばらくは立ち直れなかったと思う。
それでも、「大下を1部で復帰させる」と中町監督が言ってくださり、大好きな先輩方に励ましてもらい、徐々に前を向くことができた。
大好きな写真がある。
怪我した翌週の関東リーグ拓殖大学戦、雄大のゴールに集まり、共に戦ってきた同期たちがOマークを作っている、そんな一枚だ。
この先のことなんて分からない。復帰がいつになるのかも、復帰して満足にプレーできるのかも、何も分からない。
それでももう一度、関東に出たい。みんなと一緒にプレーしたい。
どんなに辛くてもいい。しんどくてもいい。プロになることが絶望的なことだって、怪我した瞬間から分かっている。それでもここでは終われない。
その写真は、暗闇の中に差した一筋の小さな光となった。
「もう一度、ここに戻りたい。」そう強く思わせてくれた。
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振り返れば、長いようで短いようで長かった、そんな9ヶ月だったと思う。
そう思わせてくれるのは、きっとリハビリを進める過程でここに書くには多すぎるし細かすぎる作業の連続を経験したからだろう。
最初は重く、固い塊のようだった膝が2,3ヶ月かけてゆっくりとほぐれ、徐々にできることが増えていく。
何かができるようになれば、またどこかが痛くなる。そんないたちごっこのような日々を過ごしながら、それでも着実に前に進んでいた。
サッカーができないストレスから、右耳が聞こえなくなったり、血便が出ることもあったが、目的意識を持って懸命に取り組む毎日は、不思議と充実していた。
経験者は分かると思うが、復帰後は自分の恐怖心との戦いだ。
今まででていた足が出なくなる。ボールを奪いにいくにも、キープするにも、ジャンプするにも、どんな動きにでもあの時の音がフラッシュバックし、トラウマとして顔を出す。
そんな自分自身との長い戦いは苦しかったものの、確実に自分を成長させた。
迎えた2025年8月17日、早慶戦。
出場したのは後半ラスト10分。怪我した直後に立てた、「早慶戦にスタメンで出る」という目標は叶わなかったものの、「早稲田に負けたまま終われない」という長いリハビリのモチベーションとなった思いを晴らすことができ、達成感と安堵感で溢れ返った。
何よりスタンドで喜ぶ、去年の大敗を共に経験した先輩方の姿を見て、早慶戦に間に合ったことを自分のことのように喜んでくれる仲間たちを見て、約1年、耐え抜いて良かったと心の底から思った。
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私は、「諦めなければ報われる」という言葉がすごく嫌いだ。
諦めないから味わわなければならなかった屈辱はたくさんあったし、苦しい経験も山ほどした。する必要のなかった怪我もしてしまった。
例えば、長く試合に出られなかった高校生の時。先が見えない暗闇を歩いているようだった大学1,2年生の時。どこかのタイミングで、今とは違うその時々の方向に進み、プロになることを早々に諦めていたとしても、その先にはきっと今とは違う物語があって、それぞれの読了感があったはずだと思う。
しかし、人生が物語とは違い、人生が閉じるわけではない以上、今この瞬間が終わりではない。無情にも、残酷にも、はたまた幸運にも。
どんなに絶望的な状況でも、時間だけは皆平等に過ぎていく。長いリハビリ生活から、そんなことを考えさせられた。
慶應に入れば、プロになることを諦める理由など五万とあるが、この先も人生が続く以上は、やり残してはいけないのだと思う。
ほんの僅かでも「まだやれる」という思いがあるのなら、自ら道を閉じるべきではない。
果たして今の私はどうだろうか。
現在、チームは残留争いの真っ只中。
監督から「失点数を減らす」という最大の任務をいただき、後期リーグ戦からはCBにコンバートをしたものの、チームの結果を変えることはできていない。
挙句の果てには、逆転した直後、後半ATにPKを与え勝ち点をこぼす始末。全くもって情けない。
筑波戦では、ヘディングの着地で懐かしい音が体の中で鳴り響いた。骨がずれた感触があり、「ここまでか」と引退を覚悟したが、前十字は断裂しきらず、2週間程でなんとか復帰している。
しかしながら、長いリハビリを経てようやく打ち負かしたと思った恐怖心は、元通りだ。力士かと思う程分厚く巻いたテーピングでも、ストップ動作の度に膝がぐらつく。状態は、日に日に悪化していく一方。
いつ終わってもおかしくない。
ならば、全てを捧げようじゃないか。
別にプロになることを諦めたわけでも、ボロボロの膝に失望し、自暴自棄になっているわけでもない。
実力の伴わない無茶な夢をソッカー部が見させてくれた。
最高の仲間たちが、夢を抱けるフィールドまで連れてきてくれた。
せめてもの恩返しがしたい。チームが残留できるのであれば、この身も、この膝も、全てを捧げよう。
きっとそのくらいはしなければ、何より過去の自分が納得してくれない。
サッカー選手として存在する以上、死力を尽くして勝利に導くことをここに誓う。
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長く拙い文章にお付き合いいただき誠にありがとうございました。
宗悟のように、明確なテーマを表現するかっこいい文章を目指して書き始めましたが、気付けば自分の気持ちだけを書き連ねる、なんともエゴイスティックな文章になってしまいました。
それでも私と似た境遇に在る後輩たちの、ほんの少しの原動力になれば嬉しいです。
お世話になった方々へ、ほんの一部ではありますが、この場を借りて感謝を伝えさせていただきたいと思います。
社会人スタッフの皆様
4年間、愛あるご指導をしていただき、ありがとうございました。
ソッカー部に入部し、皆様にご指導いただけたことが私にとって何よりの財産です。
ソッカー部での経験を大切に、今後共精進して参ります。
同期のみんな
これまでのブログでも同期がみんなで良かったと言っているけど、本当にそう思います。
惠風と愉快な仲間たち体制でここまでやってきましたが、最高に楽しかった。
引退したら南国でぱーちーでもしましょう。
先輩方
生意気な後輩をたくさん可愛がってくださり、ありがとうございました。
たいち君に憧れ、えび君に励まされ、こうせいに導かれ、ついにあのイケおじルーキーも引退するとのことです。時が経つのは早いですね。
これまでたくさんご飯に連れて行ってもらいましたが、今後もより一層お世話になりたいです!!!
後輩
面倒見の悪い先輩だったとは思いますが、みんなの活躍を密かに期待してます。
来年はさくが慶應を先導するそうなので、心配は要らなそうですね。
膝を怪我したら連絡してください。清水とふみやと相場で最高の膝飯開きますね。
かんた、気を強く、頑張れよ。
親愛なる軍団長へ
団長の背中を見て育ち、軍団員が皆大きく成長したかと思います。
何より団長のお姿をジュニアユースから見て育ったことが私の誇りです。
いよいよ寿司も回らなそうとのことですが、そろそろ肉も軽く炙るだけになりそうですね。引退後を楽しみにしております。
大下家の皆様
これまで何一つ不自由なくプレーすることができたのは、間違いなく両親のおかげです。
感謝してもしきれません。ありがとう。今後は少しずつ親孝行できるよう頑張ります。待っててね。
フィールドは違えど、1つのことを極める2人の兄弟をみて育ったことを大変誇らしく思っています。家族の中では颯太が一番私を理解してくれているように思いますが、それがどんなにすごいことか俺には分かるからこそ、感謝してます。これからも仲のいい3兄弟でいようね。
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さて、次のブログは相場大知です。
幻の左サイドアタッカーとしてその名を轟かせ続けた彼ですが、サッカー人生の多くを怪我に悩まされてきました。
なにしろ私と同じ前十字仲間ですが、1回切るだけでも大変なのに、彼は脅威の3回経験者!?宮市亮もびっくりですね。
そんな慶應のりょうくん(雄大の宮市選手への呼称)こと、相場ですが今年はなんと人生2度目の浪人生活だとか。全く、しっかりしてほしいです。
年を重ねるごとにその愚息っぷりが顕になる彼ですが、今年は学生トレーナーとしてチームのメディカルを司っていました。その司りようは半端ではなく、学生スタッフの中で最も権威を持つとか持たないとか。
そんな彼が、サッカー人生、ソッカー部人生の引退に何を語るのか!期待して待ちましょう!
《NEXT GAME》
11月8日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 日本大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ
