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2025.11.03 引退ブログ

「為」(藤平一寿)

平素より大変お世話になっております。
法学部法律学科4年、藤平一寿と申します。

昂大、紹介ありがとう。無料タクシーだなんて思ったことは一度もないです。毎日毎日、昂大が迎えにきてくれるありがたさを身に染みて感じながら乗車させていただいてます。とか少し過度に感謝を伝えると純太と真之介がうるさいので。毎日ありがとう。去年の早慶戦前夜、車内で止まらない涙を必死に堪えた時間が無言乗車の始まりでした。ただその空間も0歳からの腐れ縁からなのか、全く辛くなかったです。(昂大はストレスに感じていたらしいけど。)
0歳からの仲なのに初めて同じチームでサッカーをして、逆サイドからの野次と文句には毎試合少し傷ついていますが、自分の実力の無さをストレートに伝えてくれるのも同時に昂大です。愛だね。愛の表現は下手だけど。残りの試合には、自分の足でゴールを決めて一番喜ぶ昂大を見られることを願いつつ臨みます。踏ん張ろう。

気が付けば4年が経ち、「俺の名前出ますか?」と聞く立場から「俺の名前はさすがに出るっしょ」と生意気な後輩から言われる立場になってしまいました。書きたいことは大量にあるものの整理しきれず、拙い文章になってしまうと思いますが、最後までお読みいただければ幸いです。

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3歳でサッカーに出逢い19年。何故ここまで続けられたのだろうか。
テニス・水泳・陸上・器械体操・空手・・・などの習い事の中からサッカーに絞った小学1年生の時。幼いながらに、サッカーに絞った理由をしっかりと持ち合わせていたことを覚えている。

「一番上手くいかなくて、一番愉しい。」

個人競技よりもチームスポーツに魅了され始めたのはこの頃だったと思う。

必ず練習内に組み込まれているランをこなし、ひたすらに心肺機能を高めるトレーニングを続けた小学生時代。「全員がタイムに入るまで終わらないラン」を、誰1人入れないタイム設定で提示され走り込む日々。合宿に行けば、練習時間などいくらでも引き伸ばせることをいいことに、1番足の遅い子がギリギリ入れないタイム設定で13:00-18:00で走り続けた。この練習をこなせと言われる小学生の口から出る言葉は容易に想像がつくだろう。ただ、試合に勝てていたからなのか、この6年間でサッカーを辞めたいと思ったことは一度もなく、ただひたすらに”仲間と共に勝つ”その悦びがサッカーをしたいという原動力に繋がっていた。

高校2年生、それまでのサッカー人生で初めてBチームへの降格を経験した。まだ2年生だから。そう言い聞かせて練習に励み、選手権のメンバー入りを勝ち取ったものの、ベンチに入った試合は一度もなかった。その後はBチームの試合にすら出られない時期も続き、この時期から練習中に時計を確認する時間が増えた。いつ練習が終わるのか、早く帰りたい。選手として腐っていき、そこに集まってくる仲間も当然に腐りかけた人間だった。火の消えた状態の人間であり続ける怠惰さ、辞めるという決断すらできない臆病さ、自分の弱さを全て認識した上でそれらの弱さから目を逸らし続けた。

愉しいはずのサッカーが、仲間と楽しむだけの道具に変わっていたのは、間違いなくこの時期からだった。

大学では體育會に入ろうか、そもそもサッカーを続けようか、そんなくだらないことを考えてしまうまでにサッカーに対する愛は薄れていたが、高校からの同期・宗悟が大学の練習にいち早く参加していたこともあり、2月に練習参加をした。監督部屋へ挨拶に行き、淺海前監督からは「桐蔭は宗悟以外にもう1人合格してるって聞いてたけど、なんでお前は早く来ないんだ。お前この期間何してたんだ。」と一喝。「自動車免許を取りに行ってました。」という回答で、淺海前監督の逆鱗に触れかけたが、当時の社会人スタッフだった杉本さんからの「まあ今しかねぇもんな、それは行かなきゃだよな!」という横槍に救われたのは懐かしい思い出である。練習参加初日、もう入部確定だよねという雰囲気。気が付けば4月を迎え、学ランを着て下田に向かっていた。高校の時から何も変わっていない。向上心による入部の決断というよりもサッカーのない人生が考えられず辞める勇気がなかっただけ、と表現するしかない。

ただこの入部が、4年間が、私にとっては差し伸べられた“救いの手”だったように思う。

入部1年目はB1からのスタートとなった。トップチームから落ちてきた先輩方と肩を並べ、多くのIリーグに臨んだ。ピッチ内外で先輩方から目を掛けていただき、シーズン半ばにはサッカーの愉しさを思い出せていた。高校時代には主将を務め、埼玉県選抜にも選出された同期の左貫とのポジション争いもサッカーへの愛を再燃させるのに足る十分な要因だったが、それ以上に、この組織の特色故に必要だった「組織力」で試合に臨む過程が、これまで個を重視したスタイルの組織しか経験してこなかった私にとっては、サッカーの新しい側面を見ることのできる新鮮な環境だった。夏の山中合宿では、タイムには入っているにも関わらずキツすぎて自然と溢れ出る涙を拭いながら走り抜けた。合宿最終日には前日の雨の影響で滅茶苦茶になった土グラウンドで紅白戦が行われ、走れるからと言う理由で牧野さんを抑え1番手で出場するも、ぬかるんだ地面に勝つことができなかった。合宿後はTOP練に呼ばれる回数も増え始め、早慶戦ではメンバーには入れなかったものの、バックアップメンバーという形で関わることができた。着実に歩みを進められていた。

幾度となくいただいていたチャンスを活かすことができずに2年目もB1の選手として闘った。Iリーグ開幕戦の産業能率大戦、忘れられない一戦。3ストッパーの一角として出場していた私は、自陣ゴール前でのキックフェイントで足を滑らせて試合を壊した。長く感じた失点までの5秒で刀野さんからの信頼を一瞬で崩し、その後2、3試合に出していただいたが、シーズンのほとんどは三級審判員としてIリーグの主審・関東リーグの副審に費やした。メンバーに入る回数より試合を裁く回数の方が多くなり、どれだけ調子がいいと感じていても試合に出られない日々に向き合わなければいけなかった。しかしサッカーへの熱を取り戻したとはいえ、自分の弱さを克服できていなかった。私は、また逃げた。その結果が、皆さんが噂に聞いたことがあるであろう「マックシェイク事件」を引き起こすマインドの形成につながっていた。これを皮切りにTOP練参加の回数も減った。同時期だっただろうか、学生スタッフ決めのミーティングが始まった。そんな中でマックシェイク事件に立て続いて粗相をしてしまった私は、社会人スタッフや同期からの信頼を失い、この組織にいる資格がないと自分自身に幻滅した。組織にいるだけで迷惑になる、私はこの組織にいてはいけない、負の感情が自身の首を苦しめ続けた。今まで私に過度な干渉はせずとも一歩引いて見守り続けてくれた母が、「そんなに辛いなら無理して続ける必要もないからね」と一言吐いたあの日から、【何の“為”に、誰の“為”に】を考えることが多くなった。

3年目のプレシーズン、中町監督が私のことを引き上げてくださった。昇格当初、「身体(能力)あるんだろ、もっと活かせるだろ」と何気なく仰っていただいたあの言葉から、今まで感覚に頼ってサッカーをしてきたことに気付かされた。一つひとつのプレーに対して言語化する力が足りていないが故に、大下からはプレー中に何を考えてるかわからないと毎練習で言われた。私なりに正解を持ってプレーしていたつもりだった。19年も続けてきたのに。自由度が高い競技だからこそ、解が1つではないことを理解してはいたものの、それを言語化して伝え、擦り合わせ積み重ねるという初歩的な部分が足りていなかったのだ。1番サッカーを愉しんでいた時期を振り返れば、自然とその行為が生まれ、チームを形成し、そのような仲間が集まった中で試合に臨んでいた。いつしか消えた熱と共に、サッカーの本質すらわからない状況にまで落ちていたことに気付かされたが、そんな状態の私がリーグ戦全試合にメンバー入りしても、チームを勝たせる役割を発揮することができなかった。

これまでの4年間の極一部に過ぎないが、少なくともこれだけの経験をした。サッカーに対する愛の再認識にかかった時間が非常に長かったが、ソッカー部で出逢った人に救われた。やはり、サッカーは上手くいかない。

サッカーを辞めるか迷うまで、私は自分の”為”だけにサッカーに向き合っていた。
今の私は、両親への感謝を表現する”為”に、選手を辞める決断をした2人に結果で感謝を伝える”為”に、不完全燃焼で終わった高校で記憶を終わらせない自分の”為”に、サッカーをする。この組織に入らなければ得られなかった答えだと確信している。

監督がよく口にする「チャンスは平等ではない」という言葉。入部から2年間で実感したからこそ、昨夏は伝統の大一番に出場できる可能性がその3年間で限りなく高かったからこそ、名前を呼ばれなかったあの時間は地獄だった。今までの積み上げを全て否定されたように感じた瞬間だった。正直、思い出すだけで目が潤む。

監督がよく口にする「血や肉に変えろ」という言葉。昨夏早慶戦当日のバー外練、気持ちに無理矢理でも整理をつけて下田に向かった8月25日、練習後にテソンさんと話した時間。涙ながらに1年後の早慶戦出場を誓った。

監督がよく口にする「壁ができた時に人は成長する」という言葉。今年の早慶戦で開始早々にチャンスが巡ってきて、監督から「去年の悔しさを晴らす舞台がこんな早く来たぞ、楽しんでこい」と言われた前半開始から5分。4年ぶりの勝利に選手として貢献できたあの日の達成感。

一番上手くいかないサッカーを続けられたのは、ひとえに強く在る人間へと成長するその手引きをしてくれる人にソッカー部という組織が出逢わせてくれたから。

先輩方が残してくれた一部の舞台、OBの方々が整えてくださっているサッカーをする環境、組織運営を円滑に回すマネジメント陣、私を信頼して試合に送り出してくれる監督をはじめとした社会人スタッフの方々、どんなところへでも応援に駆けつけてくれるソッカー人達。
残された試合、滾り、最後まで足掻き続ける。

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書きたいことを整理しきれず、長く拙い文章にはなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。この場をお借りして、お世話になった各方面に感謝をお伝えさせていただきます。

中町監督
2年間、大変お世話になりました。中町監督がいらっしゃってから初めてBの練習を見ていただいた際に、名前を呼んでいただいた時には驚きました。何故Bで出てすらいない私の名前を知っているのか、と。2年前に監督の想像した成長曲線とはかけ離れるように、奇想天外プレイヤー、またの名をパルプンテへと成長してしまいました。そんな私を、信じて起用してくださりありがとうございます。19年間のサッカー人生で1番濃い時間を監督の下で過ごせたことが、人生の財産になりました。最後の一瞬まで、感謝をピッチで表現します。

テソンさん
B1時代から大変お世話になりました。私にとって重要なタイミングで、個人的にお話ししていただく機会が何度かありました。その度に踏ん張る力をいただき、好転させるヒントもいただいたことに感謝しています。1年次、藤平は走れる、そう思っていただいていたと認識しております。キツすぎるランを終えた後の真顔の「藤平はキツくないっしょ」の言葉になんて返すのが正解かを悩み続けた1年間も、今後社会に出る人間としての成長に繋がりました。

刀野さん
刀野チルドレン、問題児の一角を担いました。誰よりも愛を持って接していただいた約3年間だったと勝手ながらに感じています。Iリーグ開幕戦・産能大戦は一生忘れられません。上手くいかずどこか自信なさげにプレーする私に、「思い切ってやってこい!」と声をかけてハイタッチする試合前、練習後に談笑する時間、私自身の潤滑油的存在でした。ダイナミックに走り続けます。

友峰さん
1vs1に全員が負けなければその試合は負けないというロジックを持った組織でサッカーをした私は、この組織に入部してから守備の仕方が分からなくなったことを覚えています。しかし、守備の原理原則を一から叩き込んでいただき、ソッカーとはなにかを友峰さんから学び、ピッチ外の重要性を身に染みて感じるきっかけをいただきました。その経験が今の私の土台です。当時の4年生から「マックシェイクはストロベリーじゃなくてバニラだろ」と仰っていたと伺っています。先日バニラを飲む機会がありましたが、おっしゃる通りでした。

忰田・彩花さん・石田さん
ケアにはほとんど行かず、ギリギリまで粘り続けて、痛い痛い言う割には怪我をしない変な人だったと思います。たまに行くケアで最大限の治療をしていただけたのが、結局怪我をせずにいられた要因です。後少しですが、本当に危なかったらケアお願いします。

同期
この代の一員でよかったと切に思います。沖縄も山中も、それ以外の苦しいタイミングも、このメンバーだったからこそ乗り越えられたものだと確信してます。ありがとう。そして最高学年として闘う今、必ず最後も乗り越えられると信じています。楽も愉も教えてくれた代で、ソッカー部の未来を造るためにも、最後まで闘おう。

後輩達
伊吹、「俺背中タッチされてるわ、Bに落ちるやつのムーブしてる」そう言ってきた時は笑ってたけど、全然笑い事じゃない目をしてたの知ってます。勝手な思い違いだったらごめん。ただ、俺とは違って、1人で道を踏み外さず踏ん張れる人間だと思ってます。絶対大丈夫。
朔、調子いい時と悪い時との落差が酷い部分が似てて、自信のない時の消極的な感じも似てるように感じてます。持ってるものが良いだけに、もう一皮剥けたら俺は朔と対人したくありません。応援してます。
しんた、温泉行こうね。
渚音、垣、りょう、やすよし、桐蔭魂。

これ以上は書ききれませんでした。

母さん
私の進む道を全て私に決断させ、「お金を出すだけだから自分で決めなさい」と言い続けてくれたことに感謝しきれません。放任のように見えて、愛を感じる家庭で育ちました。教育熱心な母さんが、胸を張って「これが私の息子」と言えるまでには成長して親孝行できたらと思ってます。羞恥心が勝ってしまい、直接言うことは叶いそうもないので、行動で、結果で示します。

父さん
決断は私自身がするものの、母さんとは対照的に過干渉なまでに私のことを考え、愛してくれているのを常に感じています。その父さんの愛情深さが、愛を感じる家庭を築いています。息子溺愛で親バカとも捉えられそうな父さんですが、その姿が一番かっこよく憧れる存在です。チャレンジングな性格は父さんに似たのでしょうか。最大限の親孝行を待っててください。

一那
下田での試合に欠かさずに応援に来る姿。親に連れられてくるのではなく、行きたいから来る。いつからそんなにサッカーが好きになったのでしょうか。ソッカー部員の私より部員ブログを熟知しており、ソッカー愛を感じます。うるさい兄貴だったとは思いますが、これからもよろしく。いつも応援ありがとう。よくできた兄貴ではないけど、頼ってくれる瞬間が嬉しいです。最高の妹です。

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さて、次は7年目の仲の立石宗悟です。
俺の紹介文何書いた?と連絡が入っていましたが、すみません、その時はまだ書いてなかったので無視しました。宗悟の走力、キープ力、決定力の無さにはいつも感動しています。こんな素晴らしい選手が同期にいる、それだけで心強い存在です。chatGPTとここ1、2年で相当仲良くなった彼が、部室で「chatに書かせようかな。」と呟いていたので、直前まで本当にchatGPTの紹介をここでしようかと悩んでいました。
宗悟が高校2年次に選手権に出場し神奈川制覇を決めた試合、私はバックアップメンバーとしてボールボーイとしてピッチの横からただ眺めることしかできませんでした。大学1年次にも全く同じ構図で早慶戦を迎え、7年目にしてようやく、同じピッチで勝利を喜び合うことができました。プレイヤーとして、相手に宗悟みたいな選手がいたら試合を投げ出したくなりますが、チームメイトで良かったと心から思います。そんなが丘の狂犬は普段、何も考えてないように振る舞い、バカを演じ、誰とでも友人関係を構築していく天才です。ここでは文才を十分に発揮してくれるでしょう。

《NEXT GAME》
11月8日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 日本大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

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