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2025.11.02 引退ブログ

「命題」(永澤昂大)

平素よりお世話になっております。法学部政治学科4年の永澤昂大と申します。

永田紹介ありがとう。
某サッカーショップのモデルとして活躍する一面を持ちながら、ソッカー部には欠かせないリサーチを司っている永田のブログは、ユーモアに富んでいたに違いありません。他を寄せ付けない圧倒的なビジュアルを持ちながら、滑舌の悪さとナヨナヨさで全てを無に帰してしまう彼は、ハンドルを握ると人格が変わってしまう人種の代表例だとか。
一方で、永田はソッカー部の頭脳として他大学を丸裸にし続けてくれました。一時期不安定な時期はありましたが、それでもチームに貢献し続ける彼の姿勢は尊敬の一言です。あの時はかなり言っちゃったけど、いつもありがとう。残り少し、突っ走ろう。

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慶應への入学が決まった2021年の11月初旬から早4年が経ちました。毎年楽しみにしていた先輩方の引退ブログが自分たちの代となり、遂に自分の番が回ってきました。自分が書くにあたって、過去の先輩や同期のブログを振り返りましたが、かなりレベルの高い佳作が多く、焦燥感に駆られています。ただ、肩に力を入れて書きすぎると、純太がとてつもなく悪い顔でニヤニヤしこちらを見てくるので、適度に力を抜いて書いていこうと思います。拙い文章かと思いますが、最後まで読んでいたけると幸いです。

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「なぜ大学でサッカーをするのか」

大学体育会でサッカーをするなら、もっと言えば慶應でサッカーをするなら、枕詞のように常にまとわりついてくる言葉だ。
プロを目指す者。自身の限界まで挑戦する者。今までの人生で不完全燃焼だった者。100人いれば100の理由があるだろうが、どれも至極真っ当な理由であり、正解も不正解もないと思う。

「サッカーを好きなまま終えたい」
これが自分の主な入部理由である。

とにかく悔しかった高校時代。1年生の頃にはコンバートされ、今まで経験のないCBを任されることになった。未熟な自分は、このコンバートを受け入れきれず、この頃からサッカーがあまり楽しくなくなっていた。1年生ながら選手権に出場させていただいたが、これがまたプレッシャーとなり、自分自身を苦しませていたようにも感じる。3年次には主将を任され、200人を率いる立場となったが、選手としても主将としても全く結果を残せなかった。主将という立場にも関わらず、天才1年生の馬場がスタメンで出場していた。それどころか、某オランダリーガーの後輩には「今年弱いから新チームだけで練習するわ」と言われる始末。チームとしても何の結果も残せず、自分の力不足や情けなさから、いつしかサッカーがコンプレックスになり、「サッカー、好きじゃないな」と思うようになっていた。そんな状況もあり、家族には「高校でサッカー辞めるわ」と伝えていた。

しかし、高校サッカー引退の1週間後にはソッカー部の練習に参加していた。前監督や先輩から声をかけていただいたこともあるが、何よりサッカーを嫌いになれなかった。そこから辞めるタイミングも理由も見つからず、ソッカー部に入部することになった。しかし、フェーズや睡眠時間ほどのミーティングなど、腐っていた当時の自分には到底受け入れられない文化があり、ただただ文句や不満を垂れていた。
以前担当したブログにも記した通り、このような状態でこの状況が好転する訳もなく、ただ6半練をこなし、週末にTOPを応援する。これを1年間繰り返し、本当にもったいない時間を過ごした。

ここから転換点となったのは1年生から2年生の代替わりの時期。ソッカー部は入れ替え戦で屈辱の3部降格を味わい、自身はそれをただ眺めているだけだったが、それでも「このままだと何もせずに4年間終わるな」という感覚だけはふつふつと湧いていた。さらに、後輩が選手権で楽しそうにサッカーをしているのを見ると、自分が義務感でサッカーをしていることに気づいた。楽しいはずのサッカーをやらなければならないものと勝手に位置づけ、勝手に自らを追い込んでいた。ここが転換点となり、自分にベクトルを向け努力できるようになったと感じる。

それでも、道のりは楽ではなかった。
毎週2度のパーソナルに通い、課題のフィジカルの強化を続けたが、約半年間全く成果は出なかった。それどころか、体調不良などで1年次よりも出場時間を減らし、B1でもベンチ外を経験した。元から好きではなくなっていたサッカーが、より一層好きではなくなり、更にコンプレックスとなっていた。好きではないサッカーのために努力することがどれだけ辛いか、希望も先も見えない中で走る山中がどれだけ過酷か、思い出すだけで気分が落ちてしまう。1年の頃からしっかりやっておけば、なんてことも頭によぎるが、ただひたすらにやり続けるしかなかった。

状況が好転したのは、忘れもしない、Iリーグシーズン終了後の練習試合産能戦。見るからに大怪我をした藤井壮さんの代わりに、空いた左SBのポジションに自ら志願した。半年間努力を続け、その努力が自信に変わっていた自分は1アシストと1プレアシスト。これが評価されて、TOPに昇格を果たした。それだけでなく、次の週には2部昇格がかかった大一番で、初スタメン初ゴールと最高の結果を残し、3年ぶりにサッカーを心の底から楽しむことができた。あの日の共栄戦の雰囲気、デビューだからと気を使って大声援を送ってくれた応援団、点を取って自分の事のように喜んでくれる同期を見て、初めてソッカー部に入部してよかったと感じた。

この時、サッカーが好きじゃないのではなく、サッカーを怖がっていただけだと気付いた。CBにコンバートされたあの日から、やりたくない、自分の適正じゃないと変なプライドを持ち、サッカーに向き合っていなかった。それがプレーに出てしまい、みるみる自信を失ってしまった。1年生にレギュラーを奪われ、サッカーがコンプレックスになった。大学では努力もせず、自信だけを失っていった。
このような悪循環から、サッカーをするのを怖がっていたのだ。振り返ると、ずっとサッカーが大好きだったように思える。ただただ自身の努力不足とプライドが邪魔をし、自信を失い、サッカーから離れようとしていただけだった。下手くそで弱い自分を認めたくないだけだった。

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「サッカーを好きなまま終えたい」
結論を言うと、引退が近づいてきた今でもサッカーが大好きだ。あれだけ嫌だったCBも、大下が足を攣った後も自分がやりますと志願した。どんなにシュートを外しても、自分のミスで負けようとも、サッカーが好きなのは一切揺るがない。

3年次の早慶戦。1年以上かけて国立の舞台に向けて準備してきたが、最後の最後でメンバー外になった。今までの自分はなんだったのか、なんでこんなに苦しい思いをしなければならないのか。サッカーをやっていなければこんな思いはしなかったかもしれない。そんな思いが自分の中を駆け巡り、人生で1番泣いたと思う。
それでも、ベクトルは自分に向いていた。以前までの自分なら、自分にベクトルが向かず、そのまま腐っていたと思う。大好きなサッカーが、自分を更に大人に、紳士に、大きくさせてくれた。大学でサッカーをやっていなかったら、どんなに小さくて子供だっただろう。

1年後の今年の早慶戦。
「サッカーを好きなまま終えたい」という目標と、もう1つの大きな目標の早慶戦。
1年前に悔しい思いをしてるからこそ、自信を持って、落ち着いてプレーできた。サッカーが大好きで、義務ではなく楽しむことができたからこそ、それなりのパフォーマンスを出せた。昨年の悔しい姿を見ていた梨帆が、岡﨑が、空閑が、直前にメッセージをくれたからみんなのために戦えた。
結果は4年ぶりの勝利。年に一度の定期戦だけで考えれば、15年ぶりの勝利。
最高に楽しかった。サッカーが好きじゃないわけがなかった。大学サッカーをやっていて、ソッカー部に入部してよかったと心の底から思えた。

ソッカー部に入部していなかったら、どんな人間になっていただろう。
変にプライドだけ高く、素直になれない扱いにくい人間だったかもしれない。逆に、留学や勉強を通して何かに感化され、世界的なイノベーションを起こしていたかもしれない。
森林公園はFライナーの終着駅でしかなかっただろうし、沖縄と山中湖はただの旅行地だったに違いない。ザンビアと聞いて震え上がることもなかったと思う。
ただ、大学生活をもう一度やり直せるとしても、絶対にソッカー部に入部する。結局サッカーが好きだし、サッカーを通じて得られるものがあまりにも多い。弱い自分と向き合う機会なんてそうそうないし、ソッカー部の仲間と出会えていない世界線も想像できない。
大学サッカーを4年間やったら、「なぜ大学でサッカーをやるのか」の答えは見つかるだろうと考えていたが、そんなことはなかった。結局自分にはサッカー以外無かった。しかし、これが自身の未熟さを悟らせ、多少は大人になれたと思う。
「なぜ大学でサッカーをやるのか」を考えることは無駄だとは言い切れないが、考える必要はなかった。ボールを追い続け、自分を高めるために試行錯誤する。その過程でかけがえのない経験と成長ができたから。
自分の好きなことをやって、成長できる。今思うと、この環境こそが「なぜ大学でサッカーをやるのか」の答えだったように感じる。

恐らく、この先どんなことがあってもサッカーが大好きだろう。2025シーズンも苦しいことばかりだったが、それでも変わることはない。アミノ明治戦、早慶戦、後期流経戦の、喜びや達成感、感動は何にも変え難いし、この先の人生で味わう事の出来ないものだと思う。
大学サッカーを通じて、人間として一回りも二回りも成長したと感じる。中町監督もよく仰っているが、「サッカーは人間を磨くためのツール」だと自分も思う。大好きなサッカーが自分を成長させてくれる。こんな素晴らしい環境もあと少し。最後に有終の美を飾り、残り数試合、人間として成長を続けながら大好きなサッカー人生を終える。これでこそ、私の入部理由を達成できる。

残り数試合、チームのため、自分の目標達成のため、魂を削って最後まで走り切る。

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長く拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後に、この場をお借りして今までお世話になった方々への感謝を述べたいと思います。

中町監督
昨年から2年間、大変お世話になりました。怪我ばかりで非常に使いずらい存在だったと思いますが、最後まで信用してくださり本当に感謝しています。サッカーだけでなく、1人の人間として強く逞しくなれた時間でした。ここまで使っていただいた感謝を、残りの時間で表現していきます。

テソンさん
1年生のB1の頃から本当にお世話になりました。当時から生意気で、そのくせ実力は大してない自分を指導してくださりありがとうございました。テソンさんから時より発せられる心に突き刺さる一言が、恐怖と共に自分を奮い立たせてくれました。4年間の成長を、残りの期間で体現します。

刀野さん
2年次のB1の期間が今の自分を形作っていると思います。Bにいる期間は厳しく指導してくださる刀野さんが、TOPに上がると一転、背中を押してくれることで落ち着いてプレーできました。体調不良や怪我で大変ご迷惑をおかけしましたが、確実に一番成長できた2年次でした。刀野チルドレンの誇りと責任を持って、最後まで走り切ります。

友峰さん
実力が無く、大きいことだけ言う生意気な下級生でしたが、苦しい時も声をかけていただきありがとうございました。昇格がかかった大一番に、未出場の自分を起用していただいたことは本当に感謝しています。友峰さんからご教授いただいた守備、規律を最後まで忠実に守り、最後までソッカー部に貢献し続けます。

忰田、彩花さん、石田さん、治療院、パーソナルトレーナーの皆様
怪我ばかりの自分を徹底的にサポートしてくださりありがとうございました。歩くだけで痛みがあった試合も、皆さんのおかげで何とか出場することが出来ました。まだまだご迷惑をおかけすると思いますが、あと少しよろしくお願いします。

同期
俺がここまでサッカーを続けられたのも、ここまで頑張れたのも、ひとえにこの代だから。この代のみんなが同期だったからだと自信を持って言えます。最後の1年は本当に苦しい1年だったけど、最後は笑って終わろう。この代でサッカーができて本当に良かった。ありがとう。

あ、たまにいじりなのかガチなのか絶妙なラインの声が飛んできますが、愛の一部だと思ってるので、これからもよろしく。これからは飲みの誘いは絶対に断らないので、絶対に呼んでください。絶対ね。もう一度言うよ。絶対ね。フリじゃないよ。

蟹、宮地、石田、義仁
めんどくさい先輩に付き合ってくれてありがとう。
後輩の期待度に優劣を付けるつもりはないけど、やっぱり君達には期待せずにはいられません。年末開催します。

馬場、潤紀、梅原、誉道さん、悠馬、盛貴
ソッカー部内の久我山のロイヤリティが年々低くなっていて、責任感を感じると共に非常に不安です。何かあったら連絡してね。頑張れ、益荒男。

馬場
情けないけど、去年、今年と馬場が復帰してくるのが恐怖で仕方なかった。怪我前のパフォーマンスが戻れば間違いなく主力だし、実は熱いのも知ってます。引退後は馬場が試合に出るのを楽しみに下田に行くから頼むよ。また凹んだら飯でも行こう。

新人戦の輝きが忘れられない風間、卵焼きが職人の領域の大雅、バー当て成功しちゃったから名前出さなきゃいけない朔、燻り散らかしてる直希、24歳で沖縄と山中を経験する梅野、俺のシュートをパスと勘違いしてる大次郎、みんなほんとに頑張れ。

塩貝
多分塩貝のことだからこれも読んでると思う。活躍が素直に嬉しいし、本当に一部分だけ尊敬してる。一部分だけ。俺には想像もできないくらいレベルの高い世界だろうけど、このまま世界トップまで突っ走れ。あわよくばアーセナルに加入して。3月にお邪魔します。

トッカーノ、久我山の指導者の皆様
自分にサッカーの厳しさ、楽しさを教えてくださりありがとうございます。未熟な自分が22歳までサッカーを続けられたのは、皆様のお力添え無しでは絶対に不可能でした。最高のサッカー人生でした。

部外で仲良くしてくれてるみんな
こんな俺と仲良くしてくれてありがとう。今まで遊びだったり飲みだったり断り続けてごめん。これからはお酒も飲めるし遊びに行ったりできるから、今までの分取り返すくらい会おう。これからもよろしく。

弟2人
態度がデカく、試合に負けたりすると機嫌が悪くなる兄で申し訳ない。来年からは社会人になって良い兄を演じられると思うから、多少は頼ってくれてもいいかも。

両親
これまで何不自由なくやりたいことをやらせてくれてありがとう。制約の多いご飯、高額な塾やジム、送り迎え。例を出したらキリがなくなるほど、本当に色々やってもらいました。この歳になって、改めて2人の偉大さを実感しています。
大学サッカーを続けた理由に、2人にサッカーでいい所を見せて終わりたかったのも少しあります。少しはサッカーで親孝行できたでしょうか。
来年からは晴れて社会人です。少しづつ恩返ししていこうと思いますが、まだまだ迷惑かけると思います。これからもよろしく。永澤家の長男に生まれて、本当に幸せです。

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さて、次の担当はフリーライダーこと藤平一寿です。

0歳の頃からの知り合いで、今では毎朝一緒にグラウンドに向かう腐れ縁です。本気で僕のことを無料タクシーだと思っている節がありますが、早慶戦のメンバーも一緒に外れ一緒に号泣した仲でもあります。あの車内、多分一生忘れないよ。

ピッチ内では、幼少期にグレーゾーン教育を経て得た圧倒的な体力を武器に、文字通りピッチ内を縦横無尽に駆け回り、味方も予測不能なプレーを繰り出します。ピッチ外でもそのプレースタイルは変わらず、圧倒的な体力と肝臓で周囲を驚嘆させることもしばしば。

そんな彼もどうやら色々悩みながら4年間を過ごしたようです。同期からは「プレー中に何を考えているか分からない」とまで言われた奇想天外な彼が、どんな心境だったのか。どんな想いを綴ってくれるのか。 期待せざるを得ません。見とくよ。

《NEXT GAME》
11月8日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 日本大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

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