2025.10.31 引退ブログ
「アナリストのすゝめ」(永田智也)
平素より大変お世話になっております。
法学部法律学科4年アナリストの永田智也です。
金鶴、紹介ありがとう。
彼は優しい男です。
先日、金鶴から「卒業ブログの紹介、どのくらいいじっていい?」と不安そうな顔で聞かれました。
「好きにして大丈夫だよ。」と答えたのですが、思ったより控えめでした。
やはり彼は優しい男です。
金鶴のブログにもありましたが、彼は総理大臣杯のメンバーから外れました。
それでも唯一、Bチームではなく大臣杯に帯同することになりました。
本人は不本意だったとは思いますが、日頃自分にできることを精一杯やり続けることで積み重ねた監督からの信頼の証だと思います。僕はそんな彼を尊敬しています。
さて、遂に卒業ブログを書く日が来てしまいました。長いようで短かったソッカー部生活もあとわずか。自分の生活からリサーチが消えると考えると、寂しくて仕方がありません。
何を書くか色々と考えましたが、僕は初めて卒部するアナリストとして、未来のアナリストへの備忘録も兼ねて、自分のソッカー部生活を率直に綴ろうと思います。
拙い文章だとは思いますが、時間がある時にでもお読みいただければ幸いです。
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いつからか、楽な道を選ぶようになっていた。
そう気づいたのは大学1年生の4月のことだった。
普通部から慶應に入り、同時にサッカーを始めた。
努力を尽くしたとは言い難いまま、わずか3年で自分の限界を決めつけた。
塾高では心機一転、バドミントン部に入った。しかし、気づけば同じように時間だけが過ぎ去っていた。
部活に限らず、中高大一貫の環境の中で、いつしか私は最低限の努力でほどほどの成果を得る、嫌な力を身につけていた。そして、そんな自分に何の疑問も抱いていなかった。あまつさえ、それを“要領の良さ”と勘違いしていた。
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大学1年生、4月。現同期マネージャーの岡﨑からソッカー部アナリストの話を紹介される。普通部からの付き合いである彼からの誘いは、中高の「何も成し遂げていない自分」を振り返り、進む道を迷っていた私には一筋の光のように見えた。
大学生の4年間をかけて、何かを成し遂げたい。何かこれといった具体的なものがあるわけではなかったが、趣味で分析をしながら観るほどサッカーが好きだったこと、そして新設の役職であるという高いハードルに惹かれ、このアナリストの道を選んだ。
「何者でもない自分が、何者かになるため。」それが私の入部理由だった。
4月末からの仮入部期間は、コロナ禍の中オンラインでの活動。
フェーズ、デカラ、ブラッシング、チャンネル……聞いたこともない専門用語の飛び交うミーティング。仕事の話で通知が止まらないリサーチ班のLINE。鬼さんに使い方を教えてもらったHudl。すべてが新鮮で刺激的だった。
何より、自分が好きでやってきたことをアウトプットできる場があること、それが人のためになることが、ひたすら嬉しかった。
慣れない分析には1試合7時間以上かかることも少なくなかったが、不思議と苦ではなかった。
7月、本入部。
他の部員や先に入っていたアナリストと比べると、仮入部期間は長かった。
それでもサッカー歴わずか3年の人間を迎え入れるには、むしろ短いくらいだっただろう。
当時ソッカー部の一員になることを許可してくださった淺海前監督、学生スタッフの方々の寛容さには感謝してもしきれない。
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黄緑に照らされたピッチ、試合終了の笛、崩れ落ちる選手達、立ち尽くす応援部員、スタンドからは全てが見える。
視線を横にずらすと、歓声を上げて喜ぶ相手の姿。震える息を飲み込み、唇を噛みしめる。
4年間で幾度となく積み重ねたその体験のどれもが、今でも昨日のことのように思い出される。
2022年早慶戦。
1年生の私は、微力ながら分析に携わらせてもらった。
昨年は観客席から見ていた試合を、当事者として迎えることが誇らしかった。
だが結果は0-2。完敗だった。
ベンチに戻る選手達を見ながら、西が丘のあの十数メートルが、果てしなく遠く感じた。私はあまりにも無力だった。
2022年 2部参入プレーオフ決定戦。
相手は亜細亜大学。
プレーオフに向けた合宿や浦安での現地練習、文字通り全てをかけた一戦。
前半は概ね想定通りの内容。1-0で折り返した。相手の強度や戦術から、客観的に見て勝てる試合展開だった。
しかし後半、中々追加点が生まれない中、84分、90+3分の失点。
主審が笛を咥えるその瞬間、涙が滲んだ。
試合後、4年生の咽び泣く姿から目を離すことができなかった。
「この景色を忘れてはいけない」と心に刻み、二度と同じ思いはしないと誓った。
2023年 早慶戦。
2年生になった私は、ソッカー部生活にも慣れ、リーグ戦では対戦相手のスカウティングを任せてもらっていた。慶人さん、瑞貴さん、亮汰さん、自分の4人で担当を回す予定だったが、様々な理由が重なり、当初の予定より多くの試合を担当させてもらった。試合の振り返りを主導させてもらうことも少なくなかった。
入部当初は何も定まっていなかったが、徐々に自分の枠を広げ、アナリストの役割を確立していった。
着実に力はつけられていた。それでも、早慶戦を勝利に導くことはできなかった。
メインの担当者ではない中で与えられた役割は全うしたが、もっとできることがあったかもしれない。
電光掲示板の0-1の文字を見ながら、そんな後悔の念が頭の中をぐるぐると回り、支配した。
2024年 早慶戦。
2023シーズン終了後、監督が交代し、全てが変わった。戦術も、アナリストの役割も、何もかも。
シーズン前から新戦術の浸透に力を尽くし、試合の振り返りや対戦相手のスカウティングからミーティングでのプレゼンまで、一連の流れを1人で担わせてもらった。
リサーチ部門の面々の支えがあってこそ成り立ったのは言うまでもないが、確実にアナリストとして成長していた。
早慶戦もメインで分析を担当した。15試合分の早稲田の映像をすべて見た。
早稲田の戦術も、選手個々の特徴も、身長や出身校すらも全て頭に入っていた。
完璧なリサーチをしたという自負があったが、結果は0-4。
試合が終わっても立ち上がることができなかった。どこに焦点を合わせるでもなく、ただ茫然とピッチを見下ろした。
過去2回の早慶戦で生まれた自分の能力に対しての無力感は薄まったが、その先にはまた新たな無力感があった。
どんなに力を尽くしても、最後に闘うのは選手達。勝敗という結果は選手達次第。
頭ではわかっていた、そんな当たり前の現実に直面した。
日大戦、国士舘戦、桐蔭横浜戦……リーグ戦やカップ戦も含めればきりがないほど悔しい思いをしてきた。
サッカーは「ミスのスポーツ」だとよく言われる。
それは、105m×68mの広いピッチ上を22人がそれぞれの意思で動き、しかも精密なコントロールが難しい“足”でボールを扱う競技だからだ。
故に、どんなに相手を調べ、試合展開を想定しても、想定外のことが容易に起こりうる。
たとえ想定通りで良い内容の試合ができたとしても、勝てないことが少なくなかった。
「自分のリサーチに意味はあるのだろうか。」
そんな問いが幾度となく頭の中を駆け巡ってきた。
4年間を終えようとしている今でも、このアナリストとしての、裏方としての無力感から逃れることはできていない。
それでも、リサーチで手を抜いたことは一度もなかった。
1つのシーンを何度も巻き戻し、22人の動きを追い続けた。
400試合以上を分析し、睡眠を削り、カフェインに頼りながら、それでも続けた。
苦しい時、楽な道を選ぶ弱い自分がふと顔を出す。
今でも、完全に克服したとは口が裂けても言えない。
それでも耐えられたのは、入部当初の「何者かになりたい」という想いが、ソッカー部に身を置き、様々な景色に触れる中で、次第に「この組織のため、人のため」という志へと変わっていったからだ。
勝利のため、来る日も来る日も厳しい練習を乗り越え走り続ける選手。
選手ファーストの理念を胸に、多方面と調整しながら動き回るマネージャー。
選手が最高の状態で試合に臨めるよう、ケアやコンディション管理をするトレーナー。
試合が円滑に行われるようミーティングを重ね、隅々まで準備をする学連。
マネジメントの長として、膨大な時間をかけながら陰で組織を動かす主務。
選手を辞めるという選択をしながらも仲間のために組織全体を統括するグラマネ。
アナリストとして裏から見てきたその姿は、どれも美しく感じられた。
このチームが勝つ姿を見たい。
選手や陰で動くみんなが喜ぶ姿を見たい。
そして、自分もその勝利を心の底から喜べる一員でありたい。
そのために、どんなに打ちのめされても前を向き、妥協せずにリサーチを尽くしてきた。
最後にはピッチで戦う選手達が勝利を掴んでくれると信じているから。
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運がいいことに、選手達のおかげで私は自分の努力が報われる瞬間を4年間で何度も味合わせてもらった。
2023年 2部参入プレーオフ決定戦。
前年のプレーオフと同じ浦安の舞台だったために何度も悪い記憶が蘇った。
1年間の全てが無駄になってしまうのではないかと何度も嫌な想像をしてしまった。
それでも、そんな私の不安をよそに、選手達は2部昇格を勝ち取ってくれた。
鳴り止まぬ歓声のなか、慶人さんと抱き合って泣き崩れた。
2024年 関東リーグ第20節城西大学戦、最終節日本体育大学戦。
城西大学戦、勝利を収めて昇格が決まった。若き血を歌いながら自然と涙が溢れた。
日本体育大学戦、優勝が決まった。自分がどれだけこの優勝という結果に貢献できたのかはわからない。
それでも、選手達と同じ熱量で喜べたことが、何より誇らしかった。
この1年間、自分にできることをすべて注ぎ込んだからこそ味わえた瞬間だった。
2025年 早慶戦。
過去3年間の雪辱を果たすことのできる最後の舞台。
1%でも勝率を上げるために徹底的に分析した。
惠風のCK、雄大のクロス、純太のヘディング、宗悟のプレスバック、真之介のシュート、同期の活躍で生まれた2ゴールに心が震えた。
リサーチして想定していた形とは似ても似つかなかったし、試合内容もあまり良いとはいえなかった。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
2-1で迎えた後半アディショナルタイム、過去最大音圧の『歌い飛び跳ねろ』を聞き、鳥肌を立てながらただひたすら祈った。
笛が鳴った瞬間、ずっと滲んでいた涙が頬を伝ってこぼれた。
ピッチで喜び合う選手達を見ながら、自分が勝たせることができなかった先輩達の顔が思い浮かび、さらに涙が溢れた。
勝手に無念を背負い、少しだけそれを晴らした気分だった。
仲間と手のひらを打ち鳴らして喜び合った。
ただただ、幸せだった。
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ソッカー部のアナリストとして過ごした4年間を経て、私は確信している。
この役職は、胸を張って人に薦められるものだ。
アナリストの仕事は、本気でやりきれば誰でも挑戦できるものだと思う。
選手のような特別な能力がなくても、大学サッカーというアマチュアトップの舞台で、成果を成し遂げる一員になれる。
時には陰で動く中で報われず、評価されず虚しさを覚えることもあるかもしれない。
それでも、手を抜かず尽くすほど、喜怒哀楽を仲間と共に味わえる。
勝利の瞬間には、選手と同じ熱量で心から喜べる。
これこそ、アナリストとしての最大のやりがいだ。
ソッカー部で味わった感情の一つひとつを、私はきっと一生、忘れない。
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お読みいただきありがとうございました。
常日頃から思っていたことですが、こうして4年間を振り返ると、改めて僕は本当に周りの人に恵まれていたと気づかされます。
選手達を支える立場ながら、数えきれないほど多くの人に支えられてきました。
本当は口で伝えるべきかもしれませんが、気恥ずかしい部分もあるので、この場を借りて感謝を伝えさせてください。
中町監督
2年間、自分の仕事を信頼して多くのことを任せてくださり、ありがとうございました。
中町さんのプロ経験からくる絶対的な戦術は、選手達はもちろん、僕にとってもうまくいかない時に立ち返ることのできる場所でした。
サッカー面でも、人間面でも、その言葉の一つ一つの説得力に、一体どんな経験をしてきたらこんなにも言葉に重みが出るのだろうと、畏怖すら覚えています。
将来、少しでも中町さんのような男に近づけるよう、精進したいと思います。
淺海前監督
友峰さんがアナリストを募集しようと思ってくださったおかげで、かけがえのない経験をする事ができました。
自分の知る友峰さんと選手達から聞く友峰さんは180度違うので、きっと気を遣いながら接してくださったんだと思います。アナリストが1人になり、孤独感に苛まれていた時、気にかけてくださった優しさは一生忘れません。
2年間友峰さんの下で培った、どんな些細なことでも徹底的に準備する姿勢、隅々まで把握する分析力、サッカーへの知見等々、全てが監督交代後も活き続けています。
最初に友峰さんの下で経験を積めて本当に良かったです。ありがとうございました。
テソンさん
リサーチを気にかけてくださる言葉がいつも励みになりました。
試合に勝った時、優勝が決まった時、テソンさんが自分の努力を認めてくださったおかげで、ここまでやってくることができました。
僕の大きなやりがいの一つでした。ありがとうございました。
刀野さん
色んな選手や大学を見られてきた刀野さんの情報と自分のスカウティング情報が合致していると、自分のリサーチに確かな自信を持つことができました。
何度もご馳走になったご飯のおかげでリサーチを頑張る事ができました。ありがとうございました。
髙橋さん
ソッカー部に長く関わる髙橋さんの視点は、自分のリサーチやMTGを見直すきっかけや気付きを与えてくださいました。
キーパー目線の視点を知り、リサーチする際の考慮の一つとして取り込めたのは髙橋さんのおかげです。ありがとうございました。
縣さん、中田さんをはじめとしたOB会の方々
僕が新しい分析ソフトを導入したいと相談した時、資金面等のハードルをどう乗り越えるべきか、快く親身になって、教えてくださいました。グラウンドで会うたび、「永田の玩具はどうだ?」とにこやかに話しかけてくださることが嬉しかったです。
岩田さんや峰松さんとも、よく観客席や合宿所の2階で共に試合を見て、喜びを分かち合ってきました。本当に皆様お世話になりました。
笹さん、創太さん
パッションとロジックを体現する双璧として、チームの原動力となり、膨大な時間をかけながらも完璧に仕事をこなしていたお二人には、今でも追いつけていない気がします。
2年生の時、お二人の優しさに甘えすぎてしまったことが多くあったと思います。
それでもあの時、見守り、期待し続けてくださったおかげで、今の自分があります。
一葉さん、凌万さん
元リサーチのお二人が、自分の業務を理解してくださることが本当に支えになっていました。至らない所が数えきれないほどあったとは思いますが、僕はお二人と時間を共にできて幸せでした。愛があるのかないのか分からないスタッフ部屋でのいじりが恋しいです。
お世話になったリサーチ部門の皆さん
先輩方も、同期も、後輩達も、チームのために文句も言わず献身的に取り組むリサーチ部門の全員に憧れ、尊敬し、感謝しています。
慶人さん、選手の立場でありながら、リサーチ部門長としてアナリストと同じ立場に立ってリサーチの道を切り拓いてくださったこと、本当に感謝しています。入れ替え戦に勝利し、喜び合ったあの日は人生で最高の日の一つです。慶人さんに教わったリサーチとしての誇りを胸に4年間やり切ることができました。
瑞貴さん、持病に苦しみながらも、陰でリサーチをし続けていた瑞貴さんを本当に尊敬しています。3年生の時、1年間やり切る事ができたのは間違いなく瑞貴さんの献身的なリサーチがあったおかげです。
慈英さん、1年生の時、zoomで淡々とセットプレーを説明している人が2年生だと知った時、衝撃でした。資料作成のこだわりは全て慈英さんから学びました。
亮汰さん、欲を言えば最後まで一緒にやりたかったです。それでも、先に入っていた亮汰さんがいたから僕はソッカー部に馴染めたし、僕になかった物事を変えようとする姿勢を亮汰さんの仕事を見て身につける事ができました。
森田さん、鬼さん、お二人とも最後まで一緒にリサーチ部門の活動を共にしたかった気持ちはあったけれど、最初に入った相手チーム班で、急に入ってきた僕の話を真剣に聞いてくださったこと、感謝しています。
隆さん、源さん、自チーム班の仕事を色々と自由にさせてもらってありがとうございました。自分の手が回らない時に頼れる先輩方がいたこと、幸せ者だったと思います。
太晟、皇貴、五十嵐(、左貫)、セットプレー班にはほとんど関わっていないし、自チーム班にも手が回らないことが少なくなかったけど、頼もしい同期がいたおかげで、リサーチ部門が成り立っていたと思います。ありがとう。
小倉(、神志那)、隆希、漱介、淳希、川名、快、テイラー、特に相手チーム班のみんなにはとても助けられました。毎週毎週仕事が現れるリサーチの業務は大変だと思うけど、今3年生のみんなは来年からリサーチ部門を作っていく立場になると思います。現状に満足してルーティン化した業務をこなすだけではなく、リサーチ部門の幅を広げ、よりTOPチームの勝利に貢献してほしい。みんながリサーチ部門を今よりもっとソッカー部において欠かせない存在にしてくれることを願っています。
空閑、空閑が入部していなければ相手チーム班は破綻していたかもしれません。そのくらい助けられたし、リサーチ部門において、ソッカー部において欠かせない存在になっていると思います。これからも持ち前のバイタリティと視座の高さをフル活用して、空閑にしかできないアナリスト像を作り上げていってください。期待しています。
村重、山内、瀬戸、矢島、渚音、有山、相手チーム班の業務は選手と兼任でやるには、大変で、重いものだと思います。それでも、ただこなすだけでなく、TOPチームの試合に当事者意識を持ちながらやり続けてほしい。細部にまでこだわってやり続けた先に、心の底からの喜びや、何か得られるものがある。みんなならそれを掴み取れると信じています。
先輩方へ
自分の仕事を信頼して、何度も頼ってくださってありがとうございました。
先輩方からの信頼を感じるたび、もっと頑張ろうと強く思えました。
僕の大きな原動力でした。
ビルドアップ部隊で献さんや祖父江さんと交わした議論も、紘生さんや豪さんに教えてもらった守備原則も、茅野さんに尻を叩かれながら始めた監督議事録も、先輩方から頂いた経験の全てが、今の僕の力になっています。
指導していただいた全ての先輩方に、本当に感謝しています。
後輩達へ
選手達には、輝かしい選手経歴がひとつもない自分の話を素直に聞いてくれて感謝しています。
何かわからない事があった時、自分を頼ってくれた人たちには大きなやりがいを感じさせてもらいました。ありがとう。
マネージャー達には、いつもマネ部屋の温かい雰囲気やみんなの優しさに元気をもらってきました。ありがとう。
少しだけ、みんなの明るい未来を願って、講釈を垂れさせてください。
各々、部門活動をはじめとしてソッカー部での役割がある中で、自信を持ってTOPチームの勝利に貢献できていると言える人は多くないかもしれません。
それでも、たとえ直接的に結果に結び付かなくても、一見意味がないように見えても、難しいことは考えず、目の前のことに自分の最大限を尽くしてほしいと思います。
4年間で僕が学んだこと。
それは、最後に心の底から笑えるのは、自分がやれることを全てやったと思える人だけだということ。
そして、その最大限の努力の一つひとつが、少しでも組織をより良いものにし、チームを勝利に導く力になるということ。
ソッカー部の強みは何よりその総和で生まれた力だということです。
これからの未来を担うみんなに、利他性というソッカー部の文化を一人一人が紡いでいってほしいと思います。
同期のみんなへ
僕が4年間頑張ってこれたのは、100%の努力に120%で返してくれるみんながいたからでした。
サッカーに本気で向き合ってる姿を見て、何度も力をもらいました。
自分の力不足で迷惑をかけたことが数えきれないほどあったと思います。
沖縄合宿からの2ヶ月間は特にみんなを失望させてしまいました。
それでも、見捨てず指摘し続けてくれる人、頼ってくれる人、力を貸してくれる人、心配してくれる人がいたおかげで、こうして卒業ブログを迎えることができました。
この代で良かったと心の底から思います。
4年間、本当にありがとう。
家族へ
夜顔を合わせた時と全く同じ景色を朝見せる事が何度もあったと思います。
幾度となく心配をかけてしまいました。
温かい言葉が身に染みて、常に支えになってくれました。
どんなに辛い時でも、家に帰れば安心できる空間があって、いつも助けられました。
22年間、何不自由ない、贅沢なほどの環境で育ててくれてありがとう。
そしてこの4年間、自分のソッカー部アナリストになるという決断を応援し続けてくれてありがとう。
関東も残すところあと3試合。
お世話になった方々に恩返しをするためにも、選手が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、最後まで、自分にできる最大限のリサーチを尽くそうと思います。
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次の担当は永澤昂大です。
類まれなサッカーセンスを持つ昂大は、今年の慶應のサッカーを成り立たせている立役者といっても過言ではありません。SBを務め始めた当初は守備面での不安が拭いきれませんでしたが、いつしか関東1部のどんなドリブラーも完封する力をつけていました。
普段は冷静な感じで一歩引いた雰囲気を醸し出していますが、味方のゴールには誰よりも激しい喜びを見せ、よく得点者以上に目立ってしまうほどの熱い想いを持っています。
そんな彼がどんな想いを綴るのか。読むのが待ちきれません。
《NEXT GAME》
11月1日(土) 関東リーグ戦 第20節 vs 東洋大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ
