2025.10.26 引退ブログ
「向き合う決意」(栁瀬文矢)
平素よりお世話になっております。
法学部法律学科4年の栁瀬文矢と申します。
梨帆、紹介ありがとう。
沖縄遠征の話に関しては本当に全く覚えていないのですが、私にとって都合のいい話なのでそのままにしておきたいと思います。眉毛や染髪など、4年間での私の垢抜けに関して、彼女は大きく貢献してくれました。高校時代の写真を人に見せると、変化がすごいと皆に言われます。大其や川名に笑われるのは癪ですが、それだけ変われたということなのでしょう。
梨帆は人生で怒ったことがないらしく、常に笑顔で場を明るくしてくれる同期にとって太陽のような存在です。朝起きてから寝る直前までお喋りをしていないと気が済まないそうで、たまに面倒くさがられていますがそれも含めて愛されている証拠でしょう。
就職活動の原動力が結婚相手探しの梨帆ですが、見る目はあまりないようなので我々同期がしっかり目を配らせておきます。
さて、ついに私にも卒業ブログを書く番が回ってきました。毎年先は長いなと思いながら見ていたものが、いざ回ってきてみると一瞬だったように感じます。
何を書こうかと考えた時、材料は出てくるものの文才が伴わず、これまで全く頭を使ってこなかったことが悔やまれますが、今の自分が思うありのままを綴ろうと思います。
拙い文章とは思いますが、お手隙の際に読んでいただければ幸いです。
この4年間は最高だった。心の底からそう思う。
同期には日頃から気持ち悪がられるほど伝えているが、ソッカー部に入ったことが、私の人生の中で間違いなく一番の正解だった。
高校までは、自分の人生を生きることを放棄していたと思う。ただ目の前の嫌なことから目を背け続けながら生きてきた。
3歳からサッカーを始め、小学生までは本気でプロサッカー選手を目指していた。しかし、中学のジュニアユースセレクションで自分がとても小さい井の中にいたのだと思い知った。
その後は、勉強で兄と比べられることから逃げる手段としてサッカーを用いていた。もちろんサッカー自体が好きなことに間違いはないし、サッカーをしている時間だけは嫌なことを忘れられた、辞める勇気もなかった等の理由もあるとは思う。
しかし、「サッカーをしているから勉強は頑張らなくていいや」というような言い訳をすることで、目の前のやるべきこと全てから逃避していた。
特に高校では、毎日絶対に入れないタイム設定で照明が消えても走らされ続け、へとへとの状態で帰りにお菓子を買って家で食べながら夜更かしをしていた。今振り返ってみても最低だ。時間とお金を浪費して自ら沈んでいた。
当時は大学でサッカーをするつもりなど全くなく、今思えば、雄大や大下に「お前地獄だな」と言われるのも頷ける。
入部理由も部内で1位を狙えるぐらいにしょうもないと思う。
最初のきっかけは高3の受験期、AO受験対策塾(通称アオギ)に通っていた時に若杉さんのスカッドに入っていたからだ。それから宗悟や昂大(、カズ)に誘われて、駒大高校の先輩である豪さんに恐るおそる連絡して、1日参加したらもう逃げられなくなっていた。「入部しなかったら廃人になるだけだしな」と軽い気持ちで入部を決めた。
要は流されて入っただけだ。
しかし、入部後は思いのほか楽しくて驚いた記憶がある。
先輩方は、みな向上心を持って高い強度で練習に取り組んでいる一方、楽しく自主練したり、他愛もない話をして盛り上がったりしていて、私が思う大学サッカーの雰囲気とは真反対だった。初めは緊張で隅っこにいた私も、気さくな先輩方のおかげで馴染むのに時間はかからなかった。
1年目
運が良かったからか廣田さんに似ていたからか、シーズンの初めのうちから「速い廣田」としてトップチームに上げていただいた。一度Bに落ちたが、夏に地獄の山中合宿を乗り切り、今は亡き相棒のネメシスと共に後期には関東リーグにも出させていただいた。
この頃の私は勘違いしていた。運良くTOPチームに上がり、試合に出ているだけの自分に過度な自信を持ち、結果も出していないのに、1年生で試合に出ているという事実のみに酔っていた。調子が悪くても1年生だから先輩がカバーしてくれた。その裏にある4年生の気持ちも推し量れず、応援してくれる仲間や試合を作ってくれる方々の気持ちを背負うこともできてはいなかった。
結果として、チームは3部に降格。
その時にようやく現実に引き戻され、無力感、不甲斐なさを強く感じた。スタンドで涙をこぼす仲間の姿、試合後に悔しさに打ちひしがれる4年生の背中は今でも忘れられない。
大学サッカーの楽しさと厳しさを味わった1年間だった。
2年目
今年こそはと意気込んで迎えた新シーズンだったが、幸先悪く、年始のクーパー走で規定の距離を走れず司と一緒に2人だけB1に落ちた。
その後の沖縄遠征でも金鶴と日替わりでTOPとB1を行き来し、シーズン中も週半ばまでTOP参加、週末はIリーグ出場という1週間を永遠にループし続けていた。
一時期はB1の6番手まで序列を落とし、現主将であるあの田中さんに気を遣わせ、帰りの車で一言も喋らせないほど落ち込んだ時もあった。
これだけで、部の人間にはどれだけ辛かったか伝わったと思う。
しかしこの時期があったからこそ、自分の中での自分の評価と、客観的に見た自分の評価の違いを常に俯瞰的に見ることの重要性を学ぶことができた。
また、Iリーグでチーム内得点王になったり、結構いいゴールを決めたのに左貫のゴラッソからのすしざんまいにかき消されたり、苦しくも濃く実りある1年を過ごした。
3年目
ようやくTOPチームには定着したものの、関東リーグの得点数は1。それと人生初の全国大会で、2か月の離脱を代償に決めた釣り合わない1点。2度の怪我を経験し、この結果で、満足いくわけがなかった。
自分が怪我をしている間にも試合は続き、圧倒的な勢いで勝ちを重ねた。自分は怪我でピッチ内での価値がない中で、ピッチ外でも価値を発揮できておらず、指摘を受けることも少なくなかった。
しかしチームは2部で圧倒的な勢いで勝利を重ね続け2部優勝、1部復帰を果たした。
大学最高峰の舞台でプレーできるという高揚感と、1年間怪我なく活躍するという決意を胸の中で抱いていた。
4年目
迎えたラストシーズン、学年ミーティングで「得点王になる」と宣言し、本気で目指した。
筑波戦でも幻の2ゴールを決め、結果を出せる手ごたえと、毎試合成長できている実感を、確かに感じていた。
関東リーグ9節、流通経済大学戦。
今シーズンでも一番調子がよく、慣れないドリブルをした時に、経験のないデススライディングを食らい、鎖骨を骨折。
調子が良かっただけに悔しかったが、切り替えて早慶戦に目標を置いてリハビリに励んだ。予定通り復帰でき、早慶戦に出るために気合を入れて練習に臨んでいた。
8月13日、早慶戦の4日前、練習中の接触で内側靭帯を断裂。
なんで俺ばかりと思ったが、涙は出なかった。
なぜなら、吐く勢いで泣いて謝ってくる伊吹をなだめるので精一杯だったからだ。伊吹、あの後病院まで車で送ろうとしてくれてありがとう。ほんとにいいやつすぎて困ります。
というのは冗談で、もちろん悔しさややるせなさはあった。
1年時は直前まで一緒にプレーしていた清水がスタメン出場、2年時は前日までメンバーの可能性があった、3年時はベンチから見ていることしかできなかった。今年こそはという気持ちはあったし、勝たせる覚悟もあった。
それでも怪我をした。
純太に、「また俺ら最後一緒にできないなんて、本当についてないんだな」と言われ、自分は呪われているのかもしれないとも思った。
それでも、溢れ出てきた負の感情はチームにも、自分にもいい影響はないと思い蓋をしておくことにした。
そして毎日、B練、TOP練、筋トレ、バイト、勉強など1日中を予定で埋めつくし、ゆっくり考える時間をなくした。
現状できることを全部やらないと、すぐにでも弱い自分が戻ってきてしまいそうだった。
そうして、少しでもチームに貢献するために、少しでも自分が前向きになれるように毎日を過ごした。
先日、10月18日の関東リーグ17節日本体育大学戦に勝利し選手が挨拶に回ってきた時、辻野以外にはばれていないと思うが、涙が溢れてきてしまった。それまで負ける度に「悔しくても自分には泣く資格すらない」と思ってこらえていたのだが、この日はどうにも自分で止めることができなかった。
勝利の嬉しさだけではなく、その場に選手として立てていない悔しさや今までピッチの外から見ていたもがく仲間の姿など、いろいろな感情が入り乱れていたと思う。ただ、心の底から嬉しかった。チームの勝利で自分も報われた気がした。客観的に見ればただの関東リーグの1試合で、最下位のチームが久しぶりに勝っただけの1試合が、ここまで嬉しいことが今までにあっただろうか。チームスポーツの、サッカーの、ソッカー部の魅力とはこういうことだと思う。
アンダーカテゴリーに所属する選手、試合を作ってくれる学連、マネージャー、グラマネ、メンバーから漏れてしまったTOPチームの選手、部に所属する全員の多種多様な感情が入り混じった中でも、「勝利」という1つの目標に対して同じ方向を向くことができる。
形だけの応援ではなく、心からの応援ができる。その応援に本気で重みを感じ、ピッチ内で苦しい時に一歩を出せる。そしてその一歩が勝利に繋がる。
様々な立場からチームのために動き、考えることができた時、それはいつの間にか自分のための行動にもなるということを、最も理解できた瞬間だった。そして、私が高校までの自分と決別できていると感じた瞬間だった。
自分の向き合い方ひとつで、事実は大きく変わる。
ピッチ内で成果を出せない原因を自分に探すこと、誰かのために頑張ること、メンバー外になった悔しさと仲間を応援する気持ちを両立させること、怪我をしてピッチ外での価値を見出すこと。
起きた現象よりも、自分がどう捉え、どう行動するかが4年間を大きく左右する。
後輩たちの中にどれだけこの気持ちを理解できる人がいるかわからないし、後輩だった頃の自分も完璧に理解できていなかった。
理解ができていなくても、この文章から少しでも感じることがあれば嬉しい。
そして最後に私自身、この4年間で何一つ成し遂げていないこの状況で、最後に残っている可能性はインカレのみ。
仲間が出場を勝ち取ってくれることを信じ、自分のために1秒でも早く復帰しコンディションを整え、仲間のために少しでも「全国制覇」に貢献できる選手になれるように、最後の1日までもがき続ける。
最後にこの場をお借りして、これまで関わってくださった方々に感謝を述べさせていただきます。
社会人スタッフの皆様
4年間本当に成長させていただきました。
時には何も言わずにどんどん序列を落としていくことも、私が気付けていないことに気付かせるためのものでした。中町監督に「お前を信頼している」と言ってもらえたことは私のサッカー人生における大きな誇りの1つです。
4年間期待に応えられずにここまで来てしまいましたが、この経験を糧に社会では大きな結果を残す人間になります。
両親へ
まず、19年間サッカーを続けさせてくれてほんとにありがとう。2人のおかげで、最高のサッカー人生になりました。
小学生の頃お父さんが毎週一緒にサッカーをしてくれたことは今でも覚えています。
お母さんが毎日栄養バランスを考えた料理を作ってくれて、夜遅く帰ってきても次の日の朝には洗濯しておいてくれて、常に私のことを一番に考えた選択をしてきてくれました。2人の前で活躍する姿を見せられなかったことが一番の心残りですがこれからそれ以上の恩返しをしていくので期待していてください。
同期
日頃から伝えているけど、同期がみんなで本当に良かった。
間違いなく大学でこんなにも成長できたのは皆のおかげで、垢抜けることができたのも皆のおかげです。練習後の何気ない時間や、部室でのエピソードトークを聞く時間、昼ご飯で太楼に行ける時など、全てが幸せでした。
引退後も年に6回ぐらいは集まりましょう。
キュートアグレッションって言えば何してもいいと思ってる紳と、毎日練習後のおにぎりを一緒に食べてる筋肉師匠の眞木には感謝してもしきれません。多くを犠牲にして時間とエネルギーを費やし、常にチームのために動いてくれた2人を尊敬しているし、2人のためにももっと頑張らなきゃいけないと常に自分を奮い立たせていました。
後輩
まだこの部にいることのできる皆が羨ましいです。
自分に本当に必要なことを見極めて、「あと少し、こうしていれば」と後で思うことのないようとことん突き詰めてほしい。
デブの皆、ヒザーズのみんな、勝手に作られた栁瀬軍団の村重と、団員候補者の斡汰師匠、碧意と縦割りの3人あたりは流石にご飯に行きましょう。馬場は背中トレ頑張れよ。空閑は痩せなさい。期待の星小野と山中は頑張れ。
トレーナーの皆さん
弥生、あやかさん、石田さん、勇樹先生、何回送り出しても戻ってきてしまってすみませんでした。みなさんがかけてくれる言葉や懸命にケアしてくれるおかげで、めげずにリハビリを頑張ることができました。
あと少し、正真正銘最後のリハビリ手伝ってください。お願いします。
さて、次の担当は早川太晟です。
彼は入部当初、年上ということに加えて大人っぽい雰囲気であることから、同期の「お父さん」的な存在でした。
しかし、実はそのイメージは間違いであることが徐々に発覚し、今では大下、太晟、宗悟、私の三男達の中で一番女々しいと言われ、いじられています。
彼は争いを好まないタイプで、落ち着いてほしい時に落ち着かず、焦れよと周りが思うタイミングでなぜか落ち着いている今後が心配な人です。1年遅刻組はしっかり見張っておいてください。
さて、普段何を考えているのかあまり読めない太晟が何を綴るのか、非常に楽しみです!
《NEXT GAME》
10月29日(水)関東リーグ戦 第19節 vs 流通経済大学 @RKU フットボールフィールド 18:00キックオフ
