2025.10.24 引退ブログ
「影光」(関梨帆)
平素より大変お世話になっております。
今回、ブログを担当する文学部人文社会学科4年の関梨帆と申します。
ユンテ、紹介ありがとう。ユンテとは3年生の頃に一気に仲が深まった気がします。
ユンテは6人兄弟の長男で、ユンギのお兄ちゃんです。そして私のお兄ちゃん的存在でもあります。
ピッチ内では最高学年としてあるべき姿を、ピッチ外では、インスタの育て方を教えてくれます。
最近学年LINEに送られてきたアンケートの、同期で良かったランキングでは、ユンテを1位に選びました。ユンテは本当に視野が広く、思いやりのある素敵な人です。マネージャーの私のことも気にかけてくれ、ユンテのニコニコしている姿に、ユンテが掛けてくれた言葉にたくさん救われてきました。
練習中、キーパーボトルに水を入れに行くと、どんなに遠くにいても、ハードなメニューの最中でも、必ずありがとう!と叫んでくれます。
そう言ってもらえるのが素直に嬉しくて、実はモチベーションになっていました。
ユンテの人生が懸かった勝負の日の前日、御用達の麻婆麺屋で一緒に勝つための戦略を練ったことも、今では懐かしい思い出です。
サッカーの勝負にも勝ち、恋の勝負にも勝ち、そして将来を懸けた大勝負にも勝ち、見事3連勝を果たし、幸せそうなユンテの姿を見て、私までとても幸せな気持ちになりました。
そんなユンテも人知れず努力を重ねてきた人でもあります。
最高学年として、みんなのお兄ちゃんとしてキーパー陣を引っ張っているユンテの活躍を、心から応援しています。
最初で最後のブログの機会が回ってきました。2週間前から何を書こうか考えていたはずなのに、いざブログ公開日が近づくと、何を書くべきか悩み、今まで書いてきたものを全て消してしまいました。その結果、投稿日前日に数行しか書けていないという事態に陥っています。
私は文学部として4年間文学を極めたはずですが、東洋史学専攻という少し特殊な専攻を選んでしまったためか、文才は全く身につきませんでした。
ソッカー部で過ごした4年間で、自分は何を考え、何を得たのか。この先長い人生を歩んでいく中で、ふと学生時代の経験を振り返りたくなった時に、当時の赤裸々な気持ちを思い返すためのブログにしようと思います。
もし興味を持ってくださる方がいらっしゃいましたら、これから続いていく選手のブログの箸休めとして、どうか温かい目で読んでいただけますと幸いです。
「どんなに苦しい時でも、こんなにも夢中になれたのはなぜだろう。」
いざブログに何を書こうかと、いつもの道を散歩しながら長いようで短かった4年間を振り返っていた時、こんな問いがふと頭に浮かんできた。
4年間のマネージャー生活は楽しいことの方が圧倒的に多かった。マネージャーという役職に就くのは初めてで、毎日が新鮮だった。周りの人から梨帆はいつも笑っているねと言ってもらえる程、本当に毎日が充実していたと思う。
しかし、振り返れば、人と比べては周りとの差を実感し、1人のマネージャーとしての存在意義を失ってしまい、どうしようもない苦しみから抜け出せない時期も確かにあった。
入部して間もない頃、真恋さんから「マネージャーはサッカーの技術関係なしに、選手を等しく見られる唯一のポジション」だと教わった。
そんな特別なポジションであるマネージャーとして4年間を過ごし、選手の努力の過程を誰よりも側で見てきた。
そして、目に見えた一人ひとりの様々な感情や葛藤が、間違いなく自分自身の原動力になっていた。
私がこの組織のマネージャーとして目にした、忘れられない瞬間をありのままに綴っていこうと思う。
そもそもなぜ、ソッカー部のマネージャーになったのか。
正直、みんなのような確固たる理由はなかった。
慶應に合格した後、改めて自分の人生について考えた。
高校までは、全て自分のために頑張ってきた。受験や留学、部活など、とにかく自分がやりたいことを、やりたいようにやってきた。
2年程サッカーを習い、キーパーをやっていたこともあって、幼稚園からの仲である美桜に女子部へ誘ってもらい、選手としてやっていく道も少し考えた。
だが、最後の学生生活となる今この時に、自分のためではなく、誰かのために頑張ることで、新たな感情や学びに出会えるのではないかと考えた。
誰かのために頑張ることなんて、自分のためだけに生きてきた今までの私には到底考えられないことだった。
しかし、なぜかその気持ちは徐々に燃え上がり、気づけば体育会のマネージャーとして本気でその組織に全てを捧げたいと思うようになっていた。
そんな時、たまたまソッカー部のマネージャー募集ページを1番最初に見つけ、迷うことなく応募した。
私が1年生だった初期の頃はまだ外業務が存在しておらず、体験入部でもマネ部屋にこもってパソコンに向き合う日々だった。側から見たらとても地味な仕事かもしれないが、なぜか心の底からワクワクしたのを今でも覚えている。
体験入部中は選手と関わることはほとんどなく、ソッカー部にどんな人がいるのかもよく分からなかった。
それでも、福くんのモノマネを披露して笑わせてくださるましゅんさんや、勝さんや実咲さんにマネージャーの楽しさや奥深さを教えていただき、この組織に捧げたいという想いが次第に強くなっていった。
そして、新しいマネージャーが体験入部をしていると聞きつけたある同期が、是非ソッカー部に入ってほしいと声を掛けてくれ、その言葉でソッカー部への入部を決めた。
ここから私の4年間は始まった。
偶然出会ったソッカー部で、生涯決して忘れることのない様々な感情や景色に出会うことができた。
原点
1年の山中合宿。
マネージャーになって初めての合宿だった。6泊7日のTOP・B1の山中合宿に帯同した。
朝4時に起きて朝練の準備をし、3部練をこなして、夜は早慶戦準備をしてから日付が変わる頃に就寝する、そんな1日の繰り返しだった。70人もの部員のサポートをマネージャー3人で行い、間違いなく今までで1番過酷な合宿だった。
それでも、どんなに疲れていても選手の前では一切それを見せない真恋さんとはなさんの姿を見て、マネージャーの強さを実感したのを今でも鮮明に覚えている。
山中合宿は自分自身との戦いの場であった。
サッカー部を名乗っているにも関わらず、ほとんどボールに触れることはなく、クロカンという山の斜面を駆け上がる地獄のようなランニングに1日の大半の時間を使う。
選手たちは互いに声を掛け合い、助け合いながら、自分の限界を越えるために毎日過酷なトレーニングに励む。
合宿途中でカテゴリー昇格を果たし、クロカンを誰よりも多く走ることになりながらも、必死に喰らいつく昂大やかずを始めとした選手の姿を目の当たりにし、勝負の世界で戦う選手の覚悟と凄さを実感した。
心の底から選手を尊敬した瞬間だった。
そしてもう一つ、山中合宿で学んだことがある。
それは、利他性である。
精神的にも体力的にも限界が近いであろう中、それでも亮友は練習の準備に集合時間よりもずっと早く、誰よりも1番に来て、黙々と作業を行っていた。
一葉さんは、練習道具を誰よりも運び、いつも必ず1番に来て食事の配膳を行っていた。
例えどんなに自分が追い込まれている状況にあったとしても、組織のために動ける人がいる。
組織はこうやって利他的に行動できる人のおかげで成り立っている。
ソッカー部という組織の本質に気づけた瞬間だった。
6泊7日の山中合宿を通して、マネージャーとしてのあるべき姿を学べた。
真恋さんからはマネージャーとしての意識の在り方を、はなさんからはマネージャーとして持つべき視野の広さを教えていただいた。
この合宿は私にとって、マネージャーとしての原点になった。
忘れられない景色
4年の早慶戦。
私はこの日、人生で1番美しい景色を見た。
あの日の会場の雰囲気、歓声、みんなの笑顔、全てが眩しくて、忘れられない。
純太と真之介のゴールで会場が揺れた瞬間の熱狂を、今でも昨日のことのように鮮明に思い出せる。
間違いなく、あの瞬間が人生で1番幸せだった。
4年目にして、ようやく目にした勝利の景色だった。
涙が溢れそうになる程の絶景を、必死に目に焼き付けた。
この日のために数え切れない程の時間を捧げてきた。感情がすり減るくらい辛い時があっても、頑張る理由を思い起こし、耐えて踏ん張ってきた。
今までの全てが報われた気がした。
そう感じたのはきっと私だけではないと思う。
初めて、「誰かのために頑張れた」と心から思えた瞬間だった。
閉会式で優勝カップを授与されるみんなの姿は、羨ましい程に輝いていた。
私の目の前に立っていた20人は、間違いなく誰よりも努力を重ねてきた人たちだった。
マネージャーになって初めて気づいたことがある。
どんなに輝いていて、成功者のように見える人でも、誰にも見えないところで、凄まじい努力を積み重ねているということ。
あの日、間違いなく1番輝いていた純太は、怪我に苦しみながらも誰よりもチームのことを想い、一人ひとりに真摯に向き合い続け、チームのために働き続けている人である。
惠風は、誰よりも勝利に拘り、そのための努力をこれでもかという程ストイックに積み重ね、自分にとことん厳しく、一切の妥協を許さない人である。
雄大は、様々な重圧を背負いながらも、誰よりもチームを想い、どんなに苦しい時でもチームを先頭で引っ張っている人である。
崚太は、大怪我で夢を絶たれても、諦めることなく、このピッチに戻ってくるためにたくさんの苦しみを乗り越えてきた人である。
昂大は、どんな悔しさも原動力に変えて、自分だけでなく、仲間のために真っ直ぐに努力を重ね続けている人である。
ここに挙げたのはほんの一部に過ぎない。
4年間、誰よりも近くで、選手一人ひとりの努力をこの目で見てきた。
だからこそ、あの日のみんなの輝きが、どれほどの苦しみや葛藤の上に成り立っていたかを知っている。
どんなに輝いて見える人たちも、乗り越えられないくらいの数々の葛藤や苦しみを経験している。
そんなみんなが最高の形で輝いていている姿を見られたことが、心から嬉しかった。そして何より、誇らしかった。
そしてもう一つ、輝かしい舞台の裏には、泥だらけになりながら必死にもがき続けてきた人がいるということ。
あの日、この舞台に立っているはずだったのに、突然の怪我によりピッチに立つことが叶わず、応援席で誰よりも声を枯らしていた人がいる。
悔しさを押し殺して前を向き、勝利のために全力でサポートに徹していた人がいる。
誰よりも早慶戦を知っていて、ずっと憧れてきたはずなのに、その夢が叶わずとも、チームのために懸命に働き続けてきた人がいる。
さらに、日々チームのために全てを捧げるグラマネがいて、開催のために試行錯誤を重ねて尽力してきたマネージャーがいて、寝る間を惜しんで勝利のために膨大な時間を費やしてきたアナリストがいて、そして、悔しさを抱えながらも全力でチームのために仕事を全うし、心から勝利を願う部員がいる。
どんな眩しい光にも、必ず影がある。
そして、その影こそが光をより美しく輝かせる。
それに初めて気づくことができたマネージャー生活だった。
マネージャーとして4年間やってこれたのは、間違いなく多くの方々の支えがあったからだと思います。
この場をお借りして感謝を綴らせていただきます。
社会人スタッフの皆様
4年間ご指導いただき、本当にありがとうございました。
駒野さんには、マネージャーとしての仕事への向き合い方や組織に対する姿勢など、非常にたくさんのことを教えていただきました。1人ひとりに熱意を持って向き合ってくださり、心から感謝しています。
残りわずかな時間ではありますが、少しでも成長した姿をお見せできるよう、最後まで頑張りたいと思います。
両親
22年間、私がやりたいと思ったことを、好きなだけやらせてくれてありがとう。どんな挑戦も一番近くで応援し、背中を押してくれてありがとう。
母は、私が試合に出場しない身にも関わらず、どんなに遠い会場にも必ず応援に駆けつけてくれました。
父は、今しかできない経験を大切にしなさいと、どんな挑戦もそっと見守ってくれました。
2人が苦労しないようにと用意してくれていた道を選ばず、一か八かの挑戦を選んだ私をそっと応援してくれたからこそ、この組織に出会うことができました。
2人のおかげで生涯忘れることのない貴重な経験をすることができました。本当に感謝しています。
真恋さん、真菜さん、くるみさん
パソコンの使い方もろくに知らず、先輩方には本当にご迷惑をお掛けしたと思います。
それでも丁寧に教えてくださり、向き合ってくださり、本当にありがとうございました。
今ではOB配信を確認して送る立場にまでなってしまいました。マネージャーとして成長できたのは間違いなく先輩方のおかげです。
はなさん、勝さん、実咲さん、麗央さん、ソヒョンさん、ましゅんさん
6人のことが心の底から大好きです。先輩方のような4年生になりたいと必死にもがいてきましたが、追いつくことはできませんでした。
いつまでも憧れの先輩たちです。
私の良いところはいつも笑顔でいることだと伝えてくださって、人に隠している苦しみにも気づいて手を差し伸べてくれる、そんな先輩方の存在に何度も救われました。
2年間、先輩方と仕事ができて本当に幸せでした。ありがとうございました。
友香さん、若さん
3年間ほとんどの時間を一緒に過ごした友香さんが引退してしまってから、辛さを感じることが増えた気がします。それだけ、私にとって友香さんの存在が大きかったのだと思います。
最高学年になり、「4年生」の重圧をこれでもかと経験しました。これをたった1人で乗り越えていた友香さんは本当に尊敬でしかありません。
あのカフェの前を通り過ぎる度に、つい友香さんがいないかなと覗いてしまいます。カナダから帰ってきたら、ご飯に連れて行ってください。
若さんは、マネージャーとして本当にカッコいい先輩でした。1年という短い期間でしたが、マネージャーとしての在り方を若さんから学びました。1,2年縦割りの振り返りミーティングで若さんに褒められることを目標に、頑張っていた1年生の頃が懐かしいです。自分の夢を追い、新しいことに果敢に挑戦する若さんの姿に、いつも勇気をもらっていました。
同期のみんな
もう毎日会うことができなくなると思うと、なんだかとても寂しいです。
みんなのことを心から尊敬しています。
サッカーが本当に大好きで、常に頂点を目指して何事にもストイックに取り組むみんなの姿勢に、確かな原動力をもらっていました。
みんなが出場してる試合を見るのが一番楽しくて、みんなの活躍してる姿を見るのが何よりの喜びでした。
こんな素敵な学年の一員になれてとても嬉しいです。
最後はみんなの笑ってる顔が見たいです。早慶戦の時のあの達成感と喜びを、もう一度全員で味わいたいです。
目標達成のために自分にできることを精一杯やり、最後まで一緒に戦いたいと思います。
弥生
日大戦の帰りに、弥生と初めて話した日のことを今でも鮮明に覚えています。
弥生がいたから、これまで続けてこれたと思っています。弥生の笑顔や明るさに何度も救われてきました。
みんなのために、いつも最大限のサポートをしてくれてありがとう。本当に頭が上がりません。
咲良
咲良がいなくなってから、なんと言葉で表現していいのか分からない感情に襲われ、急に孤独を感じるようになりました。それだけ、咲良の優しさや温かさに救われていたのだと思います。引退したら、4人で2回目の同期会を開こうね。
美桜
3歳の頃から、いつも笑顔で周りを明るくする存在だった美桜と、ソッカー部で再び出会えたことが本当に嬉しかったです。
主務と両立しながらも、新たなポジションに挑み、苦しい表情を見せることなく前を向き続けるその姿に、何度も勇気をもらいました。
残り2節、美桜が笑顔でサッカー人生を終えられよう、応援しています。
彩花、いとみう、高見
私にとって3人は、絶対に追いつけない偉大すぎる人たちでした。同期として一番近くで一緒に仕事をしてきて、その凄さを何度も思い知らされました。
同じ気持ちを分かち合える仲間に出会えるなんて思ってもいなかったので、本当に幸せでした。
そんな3人と同期として、4回の早慶戦を一緒に創り上げることができたことも、かけがえのない思い出です。
後輩のみんな
あまり自分から話しかけるタイプではなかったと思いますが、みんなと話す時間が楽しかったです。
特に今年の夏にBチームの遠征に帯同した際には、雄大や太久人、悠馬を始めとした1年生たちと少し仲良くなれた気がして嬉しかったです。若いみんなの会話に混ぜてくれてありがとうございました。3年後、チームを引っ張っているみんなの姿を必ず見に行きたいと思っています。
エドちゃんが「梨帆さん、誕プレまだですか?現金でいいですよ」と話しかけてくれ、たわいもない会話をすることが好きでした。引退したらお誕生日プレゼントを渡したいと思います。
大雅、石田、由祐、じなの4人は、背負うものが今まで以上に大きくなって、様々なプレッシャーと戦う日々が続くと思うけど、自分らしく頑張ってほしいと願っています。
優れた発想力と先導力を持つ響が、来年どんな舞台を創り上げてくれるのか今から楽しみです。
実は伊吹のことを密かに一番応援していました。辛いこともあると思うけど、笑顔を忘れず、伊吹らしく強く前へ進んでください。来年、その勇姿を見に下田へ行きたいと思います。
みんなの成功を心から祈っています。
最後に、マネージャーの後輩たちと絢英へ
マネージャーには、マネージャーにしか分からない苦しみがあります。
そして、学連の絢英にしか分からない苦しみもあると思います。
私もそんな言葉では言い表せないような苦しみを経験しました。
でも、そんな時、いつもみんなの存在に支えられていました。
しんどくなった時はいつでも呼んでください。みんなのためなら、どこからでも駆けつけます。
1人ひとりへのメッセージは納会の時に伝えたいと思います。
みんなが苦しむことなく残りのマネージャー生活を終えられるよう、心から願っています。
次回の担当は、下田のフミくんこと柳瀬文矢です。
文矢はとにかく心優しく、先輩後輩問わず、誰からも愛されるムードメーカーです。
気づけば周りに人が集まっている、そんな不思議な魅力を持った人です。
2年の春、沖縄遠征の帰りの飛行機で、たまたま席が隣になった時のこと。
寒さに震えながら眠っていた私が、着陸直前に目を覚ますと、私の膝に文矢のジャージがかけられていました。
そして、何事もなかったかのようにサッとそれを羽織る姿を、実は寝たふりをしながらしっかり見ていました。
文矢はそんなスマートなこともできてしまうカッコいい人です。
眉毛を整えてから人生が変わり、今ではプライベートも充実した幸せな日々を送っているようです。
最近は筋トレに励み、「優しいフミくん」のイメージから、「頼れる漢」へと進化を遂げています。
そんな文矢は、早慶戦の直前に突然の大怪我に見舞われてしまい、出場の夢は叶いませんでした。
あの時は私もとてもショックを受け、胸が締め付けられる想いでした。
それでも今、チームのために自分ができることを探し、勝利のために全力で励んでいます。
数えきれない程の葛藤と向き合ってきたであろう文矢がどんな想いを綴るのか、乞うご期待です。
《NEXT GAME》
10月25日(土) 関東リーグ戦 第18節 vs 桐蔭横浜大学 @桐蔭学園多目的グラウンド 17:00キックオフ
