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2025.10.23 引退ブログ

「責務」(洪潤太)

平素よりお世話になっております。
今回、ブログを担当する法学部政治学科の洪潤太と申します。

亮友、紹介ありがとう。「群馬の貴公子」「前橋が産んだ王子様」「下田のRM」など、地域ごとに数々の異名で知られる彼ですが、その魅力の虜になってしまっている部員も少なくないでしょう。

彼曰く、いつからか僕たちの関係は変わってしまったとのことですが、気付かないうちに関係が変化しているのが恋なんだと思います。恋って、難しいよね。恋の難しさでどうしようもなくなった時は、是非この曲を聴いてください。

wacciで『別の人の彼女になったよ』

話が少し逸れてしまいましたが、亮友が誕生日の時に言っていた「2ゴール2アシスト」、是非早く達成してもらいたいところです。
普段の柔らかい雰囲気と、試合に入った瞬間に見せる頼もしさ。そのギャップに、つい心を奪われてしまうこの頃です。
残りの数試合で亮友がもっと爆発してくれること、期待してます。
あと、これだけは伝えておきます。
いつも大好き。引退後が楽しみ♡

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ついに私にも、引退ブログを書く順番が回ってきました。

昨年、千葉くんのブログを練習後にご飯を食べながら読み、気付けば涙を流していました。
こんなにもお世話になった先輩方が卒業していくことに、強い寂しさを覚えたのを今でも覚えています。

引退ブログのシーズンが来る度に、自分の番が来たらこんなことを書きたいとアイデアが湧き出ていたのですが、いざ書き手の立場になると何も浮かんでこないものです。
朔から「潤太は日本語上手いんでしょ」という煽りも受けましたが、それでも人生の全てをかけたサッカーの幕切れが近づく中で、今の率直な思いをこの場をお借りして残してみようと思います。

この文章がどこまで届くかは分かりません。
ただ、特に高校時代までにお世話になった方々に読んでいただけたら嬉しいです。
多少なりとも「成長したな」と感じていただける、そんな文章にしたいと思います。

少しだけ、お時間をください。

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プロを目指していると言えなくなったのはいつからだろうか。

Iリーグを1勝もできずに終えた1年の終わりだろうか。
試合に出られない悔しさを忘れ、3番手に甘んじていた3年生の頃だろうか。
あるいは、某選手の浦和内定が決まったあの時だろうか。

ソッカー部の門を叩いた時、私を突き動かしていたのは間違いなくプロになるという夢だった。
埼玉スタジアムで声の通らない大観衆の中でプレーをする選手たちに憧れ、「サッカー選手ってかっこいい。この中でプレーするのはどんな気持ちなんだろう。」と想像していたサッカー少年の姿は、今では少し色褪せてしまった。

関東1部で試合に出ていると、以前のチームメイトから「プロを目指さないなんてもったいない」と言われることがある。もちろん、私だってプロになれたらどれほど幸せだろうかと思う。
幼い頃からの夢を叶え、誰しも簡単にはなれない職業に就き、そして誰かの憧れにもなれる。そんな幸せはきっと他には代えがたい。
S級ライセンスの手伝いをした際に、あるコーチから「慶應に行ったらプロを目指さなくなっちゃうよな」と言われた。その時は笑って受け流したが、その一言を否定したい気持ちと、どこか図星を突かれたような痛みがあった。
卒業した先輩方が良い企業に就職し、社会人として活躍している姿を見て、私も次第に憧れの形をそちらに重ねるようになった。

「自分もああなりたい」と思い込むことで、プロになれそうにない現実から目を背けていただけなのかもしれない。

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少しだけこの4年間を振り返ってみます。

1年目
高校時代とは比べものにならないほどサッカーに時間を費やしていたと思います。
2部練は当たり前、時には朝昼夜とグラウンドに立ち3部練もこなすこともありました。日々変わるキーパーコーチのもとで多くを吸収し、充実感に溢れていました。

けれども今振り返ると、ソッカー部の本質を理解することもなく、ただサッカーだけをする毎日でした。周りと比べればリフティングが得意で、ボール回しでも回す側が多かったことから、自分の現在地を冷静に見極めることもなく、プロになるための具体的なプロセスも描けないまま、ただ日々を過ごすだけでした。
Iリーグで0–6と大敗しても、小森さんに「ユンテのおかげで6失点で済んだ」と声をかけられれば満足し、 止めたシュートばかりを数え、失点には悔しさも感じていない。負けて当たり前だとすら思っていた気がします。だから学年ミーティングで明治に勝てるわけがないなどと言えてしまったのだと思います。(@彩夏 もし議事録に残っていたら消してください。)

 

2年目
慶應義塾体育会ソッカー部という組織への理解が少し深まった年でした。
膝のケガからシーズンを始め、みんなが沖縄合宿に行く傍ら、居残り組と一緒に雰囲気だけでもと渋谷で沖縄料理を食らうなど、スタートが出遅れる時期もありました。しかし前年とは違いB1のIリーグに出させてもらい、9月9日の日体戦で大学での初勝利を経験し、その時に味わった勝利の喜びは今も忘れられません。高校生の頃から、自分が出場した試合で勝利を収めることはなく、最後に勝った試合を思い出せないほどでした。その意味で、この一勝は自分にとって大きな転機でした。

1年生の頃は、この組織の規律を重んじる部分や、高校までとは異なる空気に息苦しさを感じていました。けれども120人を超える部員が勝利という共通の目標に向かって進む中、その輪に自分も加わることで、多くの支えの上に成り立っていること、そしてその支えがあって初めて勝利を掴めることに気づきました。組織のために尽力する先輩方やスタッフの存在を知ったからこそ、ソッカー部が細部まで規律を重んじる理由を少し体感できたんだと思います。
そういった風土を4年生たちがピッチ外から作りながら、試合になればコーナーゲッターというポジションの雄大くんに鉄人隆くん、そして大黒柱の板倉主将がチームを引っ張ってくれる。改めて4年生ってかっこいいなと感じたシーズンでした。

 

3年目
チームに貢献できない現状から目を背け、次のシーズンの準備をすることで誤魔化していた、そんな1年だったと思います。
グラマネ決めをしていた際、今年からチームを勝たせる選手になると言っていたのにも関わらず、リーグ戦に出場することはなく、アミノの1試合に出させてもらう程度でした。
当初に掲げた目標と試合に出られない現状との乖離に気づかないふりをして、茅野兄には決まって「頑張ってね」と、どこか他人事のような声をかけ、「お前も準備しろよ」とツッコミを待ち、試合に出られずとも来年のための準備期間だという風に捉え、直近の試合からの逆算もせずにひたすらに筋トレをする、今の小野みたいなマインドだったと思います。

けれども、当時の4年生たちからは本当にたくさんのことを学び、お世話になりすぎました。試合に出られない悔しさを忘れたのも、心の底から4年生が勝たせてくれると信じていたからだと思います。

ただ、試合に出られずとも来年を見据えたからにはと、間違いなく1番練習した1年間だったのではないかと思います。

 

4年目
天皇杯予選から始まったシーズン当初は、1年の準備期間が意味あったなとも思っていましたが、3年目にそのような心意気で過ごした者が上手くいく訳もなく、試合に出るもチームに貢献できないまま、田中さんや惠風に助けられ、勝利を味わう。そんなこれまででした。

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振り返ってみたら、足りないところはたくさんあったとはいえ、それでも真剣に誠実にサッカーに向き合っていた気がします。
ただ、自分の弱さは間違いなく現状に満足してしまう点に限ると思います。常に目標を届きそうなところに設定し、届かなそうならその目標も下方修正する、その繰り返しでした。

冒頭の「いつプロを目指していると言えなくなったか」という問いにも、明確な時期はわかりませんでしたが、この過程で少しずつ夢が薄れていったのだと思います。

最近、同期の引退ブログを読む中で、改めて自分の弱さを痛感しました。
リーグ戦再開後には、大下と傷を舐め合い、ため息を吐き合い。ハイタッチをしてスイッチを入れようとしても入らずに、チームの足を引っ張り、貢献することもできていませんでした。
「誰か勝たせてくれないかな」と他人任せになっていた自分がいました。

それでも今シーズン、慶應のゴールを守らせてもらっています。

大多数の部員たちが早慶戦やトップチームの試合を経験することなく引退していく中で、周りに恵まれ、タイミングに恵まれ、運にも恵まれ、慶應に関わる全ての支えによって自分がここに立てていると感じています。

グラマネがいて、主務がいて、マネージャーがいて、試合に出れなくとも心から勝利を願って応援してくれる仲間がいて。
この組織のために動いてくれる人がいる限り、ピッチに立つ者には責任と義務があると思います。その想いを忘れていた自分がいました。

今シーズンにピッチから味わった、応援団の声援、若き血を歌う瞬間、そして慶應の120人の代表として戦う感情。
喜びを分かち合う瞬間のために、その高揚感を知った者として、私にはソッカー部に果たすべき責務があると思います。

試合後の挨拶では、できるだけ先頭に立って誰よりも早く移動するようにしてます。
それは勝利をいち早くみんなと分かち合いたいからであり、例え負けてもその悔しさをみんなと共有することこそ、この組織でサッカーをする意味だと思うからです。

居心地の良い環境にいては成長できないと言われます。
それでも私は、ずっとこの環境にいたいと思ってしまいます。
共に切磋琢磨し、指摘し合い、誰かの成功を心から願う。そんな組織が他にあるでしょうか。
もちろん落胆や妬み、あるかもしれない。けれどもその感情を押し殺し、ソッカー部とは何かを体現する。そんな先輩方の姿をたくさん見てきたからこそ、自分もそうでありたいと強く思います。

この組織にいる人たちの入部の入り口は様々ですが、最終的に行き着く終着点は同じだと思います。組織のために動き、組織のために努力をする。自分のために始めたサッカーが誰かのためになる。自分自身がその過程を踏めたことも、周りのそういった姿を見ることができたことも、これを経験できたことがソッカー部人生の何よりの財産です。

その組織のために動いてくれる人がいる限り、試合に出るものとしての責務があるし、この責任と義務はソッカー部にいる以上誰しもがそれぞれの場所で持っているはずです。
私も残りの期間、その責務を必ず体現して見せます。

最後くらいケリーや晟那に4年生らしい姿を見せたいところです。

今となってはリーグ優勝は遠のいてしまいましたが、最下位で折り返した前期リーグ戦後も、京都産業に大敗した総理大臣杯後も、目指していたのは関東1部優勝でしたし、全国制覇でした。

残りの勝ち取れるものは、みんなで全部勝ち取りましょう。

長くまとまりのない文章になってしまいましたが、心太が解説してくれる気がするので、このありのままを綴った文章で終わろうと思います。

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最後に、これまでお世話になった皆様にこの場をお借りして感謝の気持ちをお伝えいたします。

社会人スタッフの皆様
4年間本当にお世話になりました。中町さんがいらっしゃってからのサッカーは本当に楽しく、元々足先の技術だけは自信があったので、キーパーとは思えないくらいボールも取られましたが、充実した日々でした。あるOBがソッカー部では男が惚れる漢に出会える。そんな風に教えてくださいました。まさしくその通りだったと思います。

テソンさんからの鋭いご指摘にハッとさせられ、刀野さんの「Iリーグ思い出せ」が日体戦の伏線だとは思いませんでした。2年前のIリーグと同様、これからまた勝ちを積み上げられるように頑張ります。

そして髙橋さん。まずは自分を信じてくれてありがとうございます。まだ0で抑えた試合がないのは実力不足に限りますが、3年間たくさんのことを教わることができました。残りの5節、何としてもキーパーで勝ったなと思わせるパフォーマンスを見せます。

その他にもたくさんの社会人スタッフの方々に支えられる、そんな4年間でした。
本当にありがとうございます。

 

これまでお世話になった指導者の皆様
指導者に恵まれる才能だけはあったなとつくづく感じます。
工藤さんに人としての強さを育てていただき、杉さんには自分がどんなGKにもなれるような確かな土台を築いていただきました。そしてタカさんに自分のGK像を形づくる上で、たくさんの選択肢とアイデアをいただきました。
組織愛の源泉は、間違いなく浦和レッズや三菱養和といった、これまで所属してきたクラブでの経験から育まれたものだと感じます。愛あるクラブで育ち、素晴らしい環境でサッカーができたことは本当に幸せだったと思います。
ここに書ききれないほどたくさんの方々に支えていただき、感謝の気持ちは尽きません。本当にありがとうございました。

 

先輩方
生意気な後輩だったかもしれませんが、特にGKの先輩方には大変お世話になりました。たくさん甘えて、たくさん迷惑もかけましたが、それ以上に優しくて多くのことを教えていただきました。
今年の目標は堀溝先輩のようなかっこいい4年生になることでした。数々の活躍する先輩方を見てきたので、目指すべき先輩に間違いはないはずです。
今後共、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願いいたします。

 

後輩たち
できた後輩たちでかっこいい先輩にはなれなかったと思います。

特にGK陣にはずっと支えられ続けた1年弱でした。思うような結果が出なかった前期を乗り越えられたのは、間違いなくキーパーチームのおかげです。本当にありがとう。
同期がいるのはやっぱり羨ましいなと思います。快とテイラーの関係は妬けるくらいです。快は怒られすぎないように上手くやってほしいし、テイラーはもっと熱くがむしゃらにやれると思います。バチバチに競い合ってください。
計盛はその貪欲さで、桂匠はその賢さで、大次郎はもう少し肩の力を抜いて。これまで以上の怪我も、1日で15失点することも、もうないはずです。3人でこれからのキーパーチームを支えてください。
大地と健翔はいつもグラウンドに長くいることも、真面目に取り組んでる姿も周りには伝わってると思います。お互いの良いところを合わせながら、いつかピッチで輝く姿を見るのを楽しみにしています。

来年は川名のチームになっていると思うし、頼もしい後輩たちなので、今年の失点数を超えることはさすがにないと思います。ただ仮に苦しい状況が来ても、練習だと上手い石田と、パルクールを失敗して左腕を怪我してしまっている直希が復帰して、チームを救ってくれると信じています。
みんなのこと、応援しています。

 

両親
何不自由なくやりたいことを全部やらせてくれてありがとう。兄弟の中で間違いなく1番負担だったと思います。自覚はあります。
サッカー人生の中で試合に出ることも、勝ち試合を見せることもあまりできなかったけど、残りの時間で少しでもたくさん見せられるように頑張ります。
社会人になって実家に戻ってくるケースはあまりないかもしれないけど、今は帰るのがすごい楽しみではやく戻りたいです。あと数年居候します。
少しずつになると思うけど、これからはたくさん親孝行させてください。

 

最後に同期へ
本当にありがとう。相場の人生にとって忘れられない日に立ち会えたこと、そしてここには書ききれないほどの思い出があって、濃い4年間になったのは間違いなくみんなのおかげです。純太のことは、これからも自分が責任をもって風化させません。
練習前に井村とニヤニヤすることも、金鶴の「チュ〜ブ」を聞くことも、宗悟のストレッチ姿で笑うことも。そんな何気ない日常があと少しで終わってしまうと思うと寂しさがあります。それでも、グラマネになってくれた紳と眞木のために、学年の目標のためにも、最後までみんなで頑張ろう。

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次回の担当は、二代目中目黒のお嬢様こと関梨帆です。

初代にも引けを取らないくらい、お嬢様感が満載ですが、優しさはそれ以上です。

いつも笑っている梨帆がマネ部屋からいなくなると、だいぶ寂しくなってしまうのではないかとも考えてしまいますが、貝田がいるから大丈夫でしょう。

おそらく試合のうち85分以上はカメラ越しにピッチを見守り続け、たくさんのドラマを切り取ってきた彼女のハイライトが、どう綴られるのか非常に楽しみです。

裏表のないように見える梨帆ですが、果たして本当にそうなのか。それとも、まだ見ぬ一面が隠されているのか。期待しています!

《NEXT GAME》
10月25日(土) 関東リーグ戦 第18節 vs 桐蔭横浜大学 @桐蔭学園多目的グラウンド 17:00キックオフ

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