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2025.10.22 引退ブログ

「生き様」(村井亮友)

平素より大変お世話になっております。今回、ブログを担当する商学部4年の村井亮友と申します。

朋希、紹介ありがとう。
彼とは1年の頃からピッチ内外で長い時間をともに過ごしてきました。線形代数を手取り足取り教え、完璧だと意気込んで臨んだテストで、終了後に名前を書き忘れたと言われた時は本当に友達を辞めようか迷いましたが、グローバルパーソンを体現する姿勢は尊敬しています。そんな彼の口癖は「テストステロン」で、日々筋トレなど自己研鑽に励んでいます。ただ、冬場にコールドシャワーを強要してくるのは本当にやめてほしいです。風邪ひきます。

とうとう卒業ブログの順番も回ってきて、残りの時間の少なさを実感しています。

関東リーグ優勝を達成したあの瞬間、早慶戦に勝利したあの瞬間、目の前で残留が崩れ落ちたあの瞬間、グラマネを決めたあの瞬間、

4年間を振り返ると、色鮮やかな光景が、当時の喜怒哀楽の感情とともに、昨日のことのように蘇ってきます。
鬼ごっことも、野球とも変わらない、ただ遊びの一種であったサッカーという競技に魅了され、14年間という長い歳月の全てを捧げてきたこと、そしてそんな生活も終幕に近づいていることを思うとなんだか感慨深いです。

人生の歯車が一つ違っていたら、もしあの時別の選択をしていたら、関東リーグでプレーすることも、1万人の前でプレーすることもなかった、なんて14年間の様々な思いも込み上げてきますが、終わりそうにないので、一旦進みたいと思います。私の長い思い出話を聞いてくれる人がいたら言ってください。

何を書こうか迷っているとき、金鶴から「亮友は試合に出ているんだから、バイブル系がいいよ」なんてことを言われましたが、生憎そのような経験は持ち合わせていないので、4年間を振り返り、現在の率直な気持ちを綴りたいと思います。
先輩方のような心に刺さる素晴らしいブログは書けませんが、それでも興味ある方は最後までお読みください。

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高校3年の9月に入部を決めた。早慶戦に憧れました、なんて大層な理由もなく、できるだけ高いレベルでサッカーがやりたいから。スポーツ推薦じゃなくても入部できる大学だから。そんなきっかけだったから、想像とは乖離するようなことも何回もあった。
ただ、4年間を振り返って、ソッカー部を選んで良かったと、心の底から思っている。

1年目
2トップの一角として、B1でIリーグを戦い、ほとんどの試合に出場させていただいた。毎週火曜のランや水曜の対人祭りにくらいつき、大学サッカーの強度に苦戦しながらも、確実に戦えるようになっていた。
字面だけ見れば1年目にしては順調だろうと思うかもしれない。しかし、実態は小さい体で大フリックを必死に収めて、ひたすら前からボールを追うだけ。
勝利を重ね、チャンピオンシップを虎視眈々と狙うチームとは正反対。自分の価値が、武器が、他の人より何が優れているのかが、わからなくなった。高校時代は2時間以上していた自主練も、どうせ意味がないと決めつけ、仕事が終わったらすぐに帰って興味もない授業に出席していた。成長することを放棄していた。同期が次々にTOPの練習に呼ばれる中で、一度も呼ばれない原因をチームに押し付けていた。
今思えば、最悪の1年だった。まだ怪我をしていた方がマシだったかもしれない。プレーしていることだけに満足して、貴重な時間を無駄にしていた。

組織の文化も受け入れたふりをして思考を止め、怒られないように最低限のことをやっていた。全員で応援に行く意味があるのか。全員で合宿に行く意味があるのか。高校時代までプレイヤーとしてサッカーしか求められてこなかった私には、その答えなど出せるはずもなく、そういうものだと言い聞かせて義務感だけで動いていた。

組織に、自分自身に、向き合ってこなかった私にとって、この1年間は何もなさすぎた。

2年目
激動の1年。開幕前から好調を維持し、肉離れはあったものの、開幕スタメンに抜擢していただいた。昨年からは考えられない大躍進だった。実力でもなんでもなく、ただ運が良かった。そこから数試合、関東リーグに出場させていただいたが、決定的に足りないものがあった。「120人の代表としてピッチで戦う覚悟」だ。当然、組織に向き合ってこなかった私には持ち合わせているはずがなかった。
試合に出られずとも、自分の役割の中で必死に踠き、勝利に貢献しようとする先輩方を差し置いて、私が出る理由なんてない。どんなにサッカーが上手くとも、覚悟がなければ関東リーグは戦えない。今なら霧が晴れたみたいにわかる。
関東リーグ後の暗闇で淺海前監督からご指摘をいただいた。

そこからは、ベンチ外も通り越して、出場資格のないBチームに降格した。平日はIリーグの対戦相手の仮想をして、週末は応援をするのみ。かろうじてフットサルの試合があれば、アピールする場をもらえた。
悔しかった。情けなさすぎる。
再びTOPに昇格するチャンスをいただいたものの、入れ替え戦前の大事な練習試合に、TOPの一員であったにも関わらず呼ばれなかった。当然、入れ替え戦もスタンドから仲間の活躍を、勝利を祈ることしかできなかった。

スタッフ決めが始まり、なぜ慶應らしさが必要なのか、必死に考え続けた。3部まで降格したチームの中で、立て直そうと死に物狂いで引っ張り続けてきた4年を見て。際限ないミーティングの中で共通認識を揃え細部に隙をなくそうとする姿勢、嘔吐しながらも走り続ける姿勢、さまざまな姿を見た。
何が求められているのか言葉では、論理では分かった。ただ、本当に正しいのか分からなかった。

そんなときだった。正真正銘、120人の総和で勝った試合。入れ替え戦は、慶應らしさを体現していた。スポーツ推薦がなくとも、能力で劣っていようとも、空間を圧倒するあの感じこそ慶應らしさなのだと、実感すると同時に、なぜ求められ続けてきたのか理解するには十分だった。
ここから、本当の意味でソッカー部が始まった。そんな気がする。

3年目
最も充実した1年。グラマネの2人が選手を辞めてチームに全てを捧げると言ってくれた日。その日から、生活の全てを部に、サッカーに捧げた。とことん自分自身に向き合った。覚悟を決めた。
(結局、指摘され続けた覚悟は、誰かがサッカーをやめるくらい追い込まれないと持てなかった。全くもって情けない。)

アミノの城西戦で3点差を追いつく同点ゴールを決めたとき、観客席から駆け降りてくる雄大や、惠風、真之介、大下、紳、文矢、眞木、みんなのもとに飛び込んだ。やっとチームに貢献できた、初めてそう思えた。2部優勝、1部昇格を達成したとき、2年半前に学年で掲げた目標、そのスタートラインにやっと立てた。早慶戦で大敗したとき、もちろん悔しかった。国立競技場のロッカールームで1人になったあと泣いた。ピッチに立つことすら叶わず、悔しい気持ちを押し殺し、夜遅くまで片付けしてくれた部員を見たとき、来年こそは若き血を歌う、そう誓った。

選手の、マネージャーの、スタッフの、OBの方々の期待を背負い、120人を代表してピッチで戦う瞬間は格別だった。多くの「喜」を、人間としての成長を、実感した1年だった。
やっと憧れていた舞台にたどり着いた。画面の向こうで追いかけ続けた同世代のエリートと同じピッチに立てる。来年は絶対躍動してやる、そう意気込んでいた。

4年目
思い描いたものとはかけ離れたラスト1年。スタメンとして出場した試合は現時点でたった5試合。主力として関東1部優勝に貢献することだけを考え、オフであろうと毎日下田でトレーニングを重ねたシーズンオフからは想像もできない、いや、したくない現状。焦る気持ちとは裏腹に、身体は痛みを増していく。様々なケガを負いながらも、毎日痛み止めを飲み、テーピングで痛みを誤魔化しながら戦い続けた。

自分のためだけにサッカーをしていたら、とっくに気持ちなんて切れていたと思う。

それでも下を向かずに戦えたのは、
寝る間を惜しんで相手の分析をするリサーチが、
覚悟を持ってピッチで戦い続ける同期が、
誰一人漏れることなく勝利を信じ応援してくれる後輩が、
膨大な時間をかけて支えてくれるマネージャーが、
崖っぷちでも声をかけ続け先導しようとしてくれるグラマネがいたから。
たとえ肩が外れようと、両足がグロインペインになろうと、痛みなんて忘れて戦えた。
怪我を理由に1人だけ逃げる方が、何倍も苦しかった。

4年ぶりに早慶戦に勝利したときの光景、ゴールが決まった時の大歓声、等々力に響かせた若き血、雄大のカップリフト、最後にみんなで撮った写真、言葉に表せないくらい最高の瞬間だった。優勝カップが授与されている後ろで、涙ぐんでいる梨帆が見えたとき、岡﨑が、彩夏が、嬉しそうにハイタッチしてきたとき、少しは恩返しできた気がした。

もう一度、あの光景を見たい。
このチームで勝ちたい、優勝したい、グラマネを胴上げしたい、本気でそう思っている。

幸いにもまだチャンスは残っている。まだ戦える。
何も成し遂げられない、誇ることもできない4年間だったけど、最後の1日まで踠いて、走り続けると、4年の意地を見せ続けると、ここに誓う。
終了のホイッスルが鳴るまで、成長できると信じて全てを捧げる。
身体が限界を迎えようと、綺麗事だと笑われようと、そんなの意味ないと諭されようと、最後まで走り続ける。

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後輩へ
毎試合、「ゴール決めてね」とエドサや潤紀あたりが声をかけてくれていましたが、期待に応えられずすみません。残りの試合は決められるように最善を尽くします。いつも偉そうな義仁、かまちょな翔大や真生、大斗、やかましい心太や誉道あたりに、このブログが響いてくれたら本望です。朔や太久人、啓太あたりがニヤニヤしながら話しかけてくることでしょう。

フットサルで一緒にセットを組んだ、川名や隆希は活躍期待しています。来年は暇なので、喜んで関東観に行きます。伊吹、出られる試合がない苦しさはよくわかります。下を向かずに前に進んでください。颯馬や居郷は、もっと守備上手くなってください。朝井はアミノサウルス飲みすぎないように。碧意はちゃんとボールを蹴ってください。吉垣は…、やめておきます。

思いつくままに書いただけで、こんなに後輩の名前が出てきてしまいました。
こんな無様な先輩にも、関わってくれたこと感謝しています。
みんなが応援席からくれる声援だけで、いつもの2倍くらい力が出ました。

最後に一言だけ。
これからの慶應は、お前たちにかかっている。思い通りにいかないことも、結果が出ないこともあるかもしれない。それでも、覚悟を背負い、勇猛果敢に突き進め。大丈夫、こんなにも組織に、自分自身に向き合い続けてきたお前たちならやれる。期待している。

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最後になりますが、この場をお借りしてお世話になった方々への感謝を綴りたいと思います。

中町監督、淺海前監督をはじめとする社会人スタッフの方々
大変お世話になりました。漢としての生き様を学ばせていただきました。淺海前監督から再三ご指摘をいただいた「120人を代表して戦う覚悟」は、4年目にして初めて体現できたと思います。同じ群馬県出身の大先輩として、中町監督の一挙手一投足全て憧れていました。期待に応えられずすみません。大城さんには入学前からお世話になりました。初めて電話をした時はこんな激動の4年間を過ごすとは思いもしませんでした。些細なことでも気にかけてくれる刀野さんに救われました。またシュート練習付き合ってください。宮川さん、あの時期にフットサルを経験して本当に良かったと思っています。

忰田、彩花さん、石田さん、原藤先生をはじめとするメディカルの方々
4年目は本当にお世話になりました。三角靭帯損傷、グロインペイン、肉離れ、亜脱臼、数々の怪我を重ね、その度に迷惑をかけてきました。あと少しですが、また練習後のケアお願いします。

群馬県民の方々
中町監督が就任されてからは、部内の群馬県出身の地位が上がった気がします。真之介あたりからのパスポートいじりが減りました。石田さんと地元ネタを話すことがなくなると思うと寂しいです。ハラダのラスクでも持って遊びに行きます。

同期
この4年間を振り返ると苦しいことの方が多かったです。
それでも一度たりとも下を向くことなく戦い続けてこられたのは、間違いなく同期のみんなのおかげでした。一人ひとりに感謝を書いてみましたが、エピソードの差があまりにも大きく、多方面から文句を言われそうなので入れるのはやめておきます。何よりも真剣にサッカーに取り組み、サッカーを愛していたこの代の一員となれて恵まれていたと、心の底からそう思っています。最後に必ずインカレに出場して、もう一度トロフィーを掲げましょう。

寮の先輩方
こうろう、慶人くん、蛯ちゃん、今西くん、鬼丸、千葉、凌万くん、お世話になりました。
誰かを罵りながら笑い合い、一緒にご飯を食べて、お風呂に入る、あの時が最高に楽しかったです。また年末寮生会お願いします。

左貫、プロIリーガーを脱却し、関東リーグスタメンになった時は感動しました。学連として、学生スタッフとして常にチームのことを考え続けてきた姿勢、尊敬しています。左貫が最初の学生スタッフで良かったと心から思っています。また十八番聞かせてね。

寮の後輩
石田、一番長い時間を共にした後輩として期待しています。早慶戦の悔しさを糧に頑張れ。寮長は任せた。成貴、俺がいなくなって寂しいと思うけど淳希と仲良くやってください。淳希、TOPチームで関東リーグを戦っている姿が見たいです。マインドさえ変わったら多分いけます。由祐、選手として、学連として、大変だと思うけど頑張れ。関東に出たら連絡ください、同部屋として誰よりも早く駆けつけます。神志那、最高傑作の辻野の後を継ぐのは大変だと思うけど、自分らしくチームを支えてください。誕生日プレゼントも大切に使ってね。空閑、リサーチは何も心配していません。食べるスピード早すぎる方が心配です。健康にも気を遣って。山中、顔だけでなくプレーも慶應を代表する選手になってください。主将期待しています。ケリー、慶應のエースとして覚醒することを期待しています。持ち前の明るさでプロの道を切り拓いていってください。
いつも寮食を一緒に食べていたみんな、特に金井、がんばれ。

家族へ
小学6年の時に「ザスパのセレクション受けてみれば?」と言われなければ、今の自分はありません。
仕事後に急いで帰宅して練習場まで送迎し、誰よりも早く起きて弁当を作ってくれていた母親。毎試合必ず観戦し、帰りの車で試合の感想を愚痴る父親。
苦しいとき、怪我をして心が折れそうなとき、最初に頭に浮かぶのは両親でした。2人に恩返しをするためにこの4年間走り続けてきました。
14年間支え続けてくれて本当にありがとう。親孝行はもう少し待ってください。

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お待たせしました。次のブログは、洪潤太です。
慶應の守護神として、今シーズン幾つものピンチを防ぎチームを救ってきました。入部当初は、高校時代から受け継いだ天真爛漫さを存分に発揮し、ヒヤヒヤするような発言をいくつもしていた彼ですが、真剣な眼差しで後輩を指導している現在の姿を見ると成長を感じます。
そんな彼とは、いつからか歪な関係になってしまいました。振り返ると、周りに仕組まれてか、部の活動のほとんどを同じ班で過ごした気がします。彼の思いに応えるのは、引退後に取っておきたいと思います。
小学生からJリーグの下部組織に所属し、現日本代表の守護神を君呼びするほどに、エリート街道を歩んできた彼が、この4年間をどのように過ごし、どのような思いを抱いてきたのか、彼が綴る4年間の想いに、乞うご期待ください。

《NEXT GAME》
10月25日(土) 関東リーグ戦 第18節 vs 桐蔭横浜大学 @桐蔭学園多目的グラウンド 17:00キックオフ

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