お問い合わせCONTACT
MENU

BLOG

部員ブログ

背景

2025.10.20 引退ブログ

「人生山あり谷あり」(清水皇貴)

平素よりお世話になっております。
経済学部4年の清水皇貴と申します。

五十嵐、紹介ありがとう。
静岡ではいじられることが無かったと豪語する彼ですが、非常に個性豊かで、ソッカー部の中では様々な場面に登場しいじられています。本当に怒った時に口に出す「カッチーン」や、お寿司4万5千円事件、「おれっち」などなど。最近の趣味は?と聞かれた時も、真顔でデジタルデトックスと答えていました。本当におかしな奴です。
この先どんな五十嵐という人物が現れようと、私の中での五十嵐は宥哉で決まりです。

そんな五十嵐は、関東、アミノなど多くの公式戦に出場し、CBとしてチームの勝利に大きく貢献してきました。ところが4年になってからは手の骨折や腰椎分離症と多くの怪我に悩まされており、今もリハビリ中です。お互い怪我仲間として、絶対一緒に試合出ような。

 

とうとう私にもブログを書く時がやってきました。

受験が終わり、これからお世話になるであろう日吉の町を父と一緒に訪れた日。”ひようら”と呼ばれる商店街、下田グラウンド、Keio soccerのベンチコートを身にまとった大学生。田舎から出てきた私にはすべてが輝いて見えた。希望に満ちたあの日から4年が経とうとしています。

いざこの4年間を振り返ると、信じられないくらいの思い出が鮮明に蘇ってきます。長いようで短いようで長かった。そんな気持ちです。これまでのサッカーを中心とした生活がもう終わる、もうここまで真剣にサッカーをやることは無いと思うと非常に感慨深く悲しいものがあります。
粋なことが言えたり、文才溢れるタイプでもないので、4年間を振り返り私の素直な気持ちを飾ることなく綴りたいと思います。拙い文章ではありますが、気軽に最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
_____________________

1年目

浪人生活が終わりソッカー部に入部。
当時慶應ソッカー部に憧れて浪人していた私は、入部の決断に迷うことはなかった。関東リーグというものに出てみたい、早慶戦に出場してみたい。漠然とした目標はあったものの、小学生から続けている大好きなサッカーで自分がどこまで通用するのか知りたいという気持ちが強かった。

B2から始まったソッカー部生活。最初は順風満帆だった。
Iリーグでは初戦からスタメンに選ばれ点を取ることもできた。相方の金鶴とは、1年FWコンビで褒められることも多かった。19年間も体に染み込ませた関西弁も、いじられるたびに消えていった。そこでの評価もあってか、7月にはB1に昇格し、TOPの練習に参加させてもらうこともあった。まだTOPでは通用しないけど徐々に成長している、そんな感覚があった。

そして迎えた、人生初めての早慶戦。4年生の怪我も重なり、まさかの1年生である自分がスタメンに選出された。4年間のうちの1つの目標であった早慶戦出場が、1年生にして、しかもスタメンという形で叶うこととなった。2週間前まではBチームにいた自分が。

早慶サッカー部に入ると1度は憧れる舞台。そこに出場することを目標に入部し、4年間叶わない部員も多くいる。まだ関東リーグすらも経験していない自分が、それらの思いを背負いプレーすることができるのか。不安と緊張に押しつぶされそうにもなったが、4年生の方々の「1年生なんだから何も背負わず思いっきりやってくれ」という言葉に救われ、西が丘の大観衆の中でプレーをするという貴重な経験をさせていただいた。

それから関東リーグ後期には何試合か出場した。ただチームはうまくいかず、最終的にプレーオフに挑むこととなった。負けたらリーグ降格という残酷な試合。そこでも自分はスタメンに選出された。絶対残留させる、選んでいただいた期待に何が何でも応える、強い意気込みで臨んだ。しかし結果はアディショナルタイムに劇的逆転を許し敗北。先輩方がうずくまって泣いていた姿、あの景色は一生忘れられない。

2年目

関東リーグに絡んだり、絡まなかったり。中途半端な立ち位置で、時間だけが過ぎていった。試合に出ても全く結果を残せない日々。自分を使ってくれる監督、毎試合応援に駆けつけてくれる仲間の期待に応えることができない。1年生から早慶戦や関東リーグ、プレーオフと大事な場面に出場しているにも関わらず、結果を残すことができない。焦りや悔しさを感じるだけでなく、自分への自信もどんどん無くなっていった。「自分は試合に出ないほうがいいんじゃないか」そう思うことも多々あった。

こんな精神状態ではしっかりサッカーに向き合うことができず、あまり成長できないままシーズンが終了した。

3年目

シーズン初めから第五中足骨の骨折により、長期離脱することとなった。カテゴリーもTOPからBチームへと降格し、学年ミーティングでは組織における存在価値を問われ詰められる日々。
茅野大先輩からは「お前病んでないか?」と心配される始末。なんでサッカーやってるんだろう、本当にそう思う時期もあった。

それでも、Bチームで過ごしていくうちにそんなネガティブな感情は消えていった。
この期間で学べることは多かった。
リサーチという仕事を受け持ち、毎週刀野さん、永田と戦術について話し合った経験。
先輩後輩関係なくバチバチに喧嘩したり、怪我で大泣きしたり、関東運営と選手を両立したりしている同期の熱量。
ボロボロになった膝を抱えながら、最後まで関東リーグを目指し続ける藤井壮さんをはじめとする先輩方の姿勢。

「また1からBチームでやり直そう。入部した頃のようにフレッシュな気持ちでサッカーと向き合い、もっと成長した状態でTOPに戻ってやる」そんな前向きな気持ちで取り組んだ。関東リーグで躍動する同期たちに悔しさを感じることも多々あったが、確実にまた成長できている。来年は絶対TOPチームで活躍する。そんな希望を抱きながらIリーグに全力を注いだ。チームはなかなか勝てず、苦しい思いもたくさんしたが、それでも充実した1年間を過ごすことができた。

4年目

代替わりのタイミングで再びTOPに戻ってくることができた。シーズン初めのラン、沖縄遠征を着実にこなし、練習試合ではスタメンで出場することもあった。中町さんにも少しずつ評価してもらっている、このままいけば関東1部の舞台に立つことができる。そう思った矢先。

忘れもしない、3月9日。東京学芸との練習試合で前十字靭帯断裂の怪我を負った。最短で全治8か月。まだ頭の片隅にもなかった引退が突如訪れた。これまで積み上げてきたものが、一瞬にしてすべて失われた感覚。
早期復帰の方法を必死で探してくれる親、治療院についていろいろ紹介してくれるカズ・宗悟たちを横目に、「こんな形で引退するのか、、どうせ早く復帰できても元の調子には戻らないよな。」などネガティブな気持ちがどんどん湧き出てきた。

しばらくは諦めの気持ちが強かったが、時間が経つにつれその感情も少しずつ無くなっていった。
毎日朝から夜までソッカー部に捧げているグラマネやマネージャー、与えられた立場でチームのために奮闘する同期たち、また試合に出るのを期待してくれている親。頑張らない理由がなかった。全治8か月と言われようと、絶対に早期復帰してまた関東の舞台を目指す。そう強い意志を持ってリハビリに取り組んだ。

長い長いリハビリも悪いものではなかった。
これでもかと色んな接骨院・治療院に行って膝と向き合う日々。最初は他人のものかと思うほど動かなかった右足がだんだん動くようになる感動。毎朝早く練習にきて斡汰、漱介たちと膝について語り合う時間。お互い折れそうになる心を奮い立たせるため、毎日行った大下との熱い抱擁。
全てが新鮮で、楽しいとも思える時間だった。

そして、10月18日。関東後の練習試合で復帰を果たすことができた。手術をしてから約6か月半。
相場と眞木に見守られながらアップをし、みんなに「おめでとう、怪我はするなよ」と背中を押され立つことができた約7か月ぶりのピッチ。これ以上に幸せなことは無かった。
この日は、TOPチームが久しぶりの勝利を挙げた日。今まで溜まっていた鬱憤を晴らす、そんな試合だった。そんな日に復帰することができた嬉しさ、改めて多くの人に支えられていることへの感謝、色んな感情を味わうことができた。
____________________

「1年から早慶戦、関東リーグ、プレーオフに出場」
こんなにもありがたい経験をさせていただいたにも関わらず、まだはっきりした形でチームに貢献することができていない。本当に不甲斐なく悔しい思いもたくさんしてきた。この思いをぶつけるのは今しかない。いやこれが最後。

好きで始めたサッカーも、気づけば他人の目を気にして、周りからの評価を恐れてプレーするようになってしまっていた。
残り長くても2か月のサッカー人生。ありがたくも、まだ関東の舞台で戦える可能性がある。こんなにも素晴らしい経験をさせてくれた大好きなソッカー部に少しでも貢献できるよう、みんなと少しでも長くサッカーができるよう、全力で楽しんでプレーしたい。
____________________

最後にこの場をお借りして、お世話になった方々へ感謝を述べたいと思います。

社会人スタッフの皆様
4年間本当にお世話になりました。
愛あるご指導のおかげで、ソッカー部員として多くのことを学び成長することができたと思います。この教わったことを胸に、残りの期間全力でソッカー部に向き合いたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

同期
大志もブログで言ってたけど、私には周りに恵まれる力があります。
部室での会話、練習後のひようらでの飯、プライベート。毎日こんなにも楽しいソッカー部生活を過ごせたのは間違いなくみんなのおかげ。心からそう思います。絶対インカレ出て、笑って終わろう。
引退しても飲みはいつでも誘ってね。特に同業者の左貫、健康には気を付けような。

グラマネ
常に怪我を気にかけ、飴と鞭を使い分けながら復帰を喜んでくれる紳。なんとか引退に花を咲かせようと模索してくれる眞木。2人には感謝しかありません。2人がグラマネになってくれて本当に良かった。

後輩
まだソッカー部生活が残されている皆はほんとに羨ましいし、頑張ってほしい。
いつも会うたびに号泣してくれるエドサ、口を開けば「飯行きましょう」の朔と伊吹、足裏マッサージ師の大次郎、ムキムキ坊主の人、綱島筋トレ会のお二人、経済学部の後輩たち。他にも多くの後輩に支えられてきました。
引退しても、またいつでも声かけてください。特に膝に悩みを抱えた怪我人たち。

忰田、彩花さん
「行けるっしょ!」の忰田と、「ほんとに大丈夫?」の彩花さんに支えられました。リハビリメニューを個別で作ってくれたり、毎朝テーピングを巻いてくれたり、毎練習後に声をかけてくれたりと、本当に感謝しています。想定より全然早く復帰できたのは、間違いなく2人のおかげです。

両親
サッカーだけでなく、これまでの人生を何不自由なく過ごさせてくれて本当にありがとう。母の高圧的な「ご飯まだ食べられるでしょ?」や、試合後の父との振り返りの時間が無くなってしまうのは悲しいです。今できる一番の恩返しは、元気にサッカーをしている姿を見せることだと思うので、残りあと少し全力で頑張ります。

_____________________

次の担当は、スカしの天才、岡田朋希です。
常にモテから逆算された行動をとり、顔も整い、ファッションセンスもある彼には、かっこいいの一言です。

趣味は筋トレ。トレ室に行けば必ずや姿を現します。いつもTシャツを肩までまくり上げ、鏡に映る自慢の上腕二頭筋を眺めながら、気持ちよさげに筋トレをしています。そんな朋希と一緒に筋トレをして、小青蓮で「鳥肉の中華味噌炒め定食」を食べるのが私の最近の楽しみです。

サッカーにおいても、持ち合わせたセンスと技術で中盤を支配。今年のアミノバイタルカップでは、今季1といってもいいほどの美しいゴールを決め、チームを勝利に導いてくれました。
普段感情をあまり表に出さない朋希が一体どんなブログを書いてくれるのか、乞うご期待。

《NEXT GAME》
10月25日(土)関東リーグ戦 第18節 vs 桐蔭横浜大学 @桐蔭学園多目的グラウンド 17:00キックオフ

WHAT'S NEW

新着情報