2025.10.15 引退ブログ
「もがき続けること」(本多海聖)
平素より大変お世話になっております。文学部4年の本多海聖と申します。
柊治、紹介ありがとう。柊治は私が知っている限り、音を豪快に立てまるで騒音のようにぎゃんぎゃん泣いていた司に次ぐ、グラウンドで涙をしたランキング第2位の選手です。おめでとう。怪我をした痛み、悔しさなど、感情が込み上げてしまった病院で忰田に背中をさすってもらったのもかわいいね。
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受験生であった高校3年生の頃、ぼんやりと慶應ソッカー部に入ることを志し、モチベーションの維持にと読んでいた引退ブログを読む側から書く側になってしまったことに時の流れの早さを感じます。毎年、先輩方の内に秘めた熱い思い、4年間の様々な葛藤、普段見えない部分を見ることができると楽しみに読んでいた引退ブログですが、ついに自分の番になってしまいました。
明日やろうを繰り返し、結局締切日当日になって慌てて執筆している計画性のなさを岡田や相場、井村、司あたりがいつもの如く「お前の人生表してるやん、だから試験落ちるんだよ」などとディスってくる光景が容易に想像つきます。私自身、自分の将来であったり自分の状況に不安を覚えるべき立場なのですが、ちゃっかり2年遅れている「足元は上手いんだけどフィジカルが弱いんだよなあ」の人、挫折をしたことがなさそうな人など、彼らのことを考えると自分もましなのではと思い、頑張ることができています。ありがとう。
過去の偉大な先輩方が紡いできたこの引退ブログに何を書こうか迷いましたが、格好を付けた質の高い文章は、4年間文学部でその文章力を研磨してきた私でも1日では到底書けそうもないので、決して飾らずありのままに綴らせていただきます。読みにくく、拙い文章かもしれませんが、温かい目で読んでいただけると幸いです。
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「自分ってなんのためにこの組織でサッカーしてるんだろ。」
大学2年生の終わりから3年生になるにかけて、物心ついた時から続けていたサッカーを初めて辞めようと思った。それは、熱中症で頭が逝ってしまい、坂をダッシュで降った後に、目の前のゴールとは別の地点をぐるぐるするという奇行をし、最終的に力果てた熊谷のきついランの瞬間などでは決してなく、この部活でサッカーをする意義を問いただされた時期のことであった。
この組織では、何か物事に対し意義づけをすることが多く、この時期はこの問いについて必然と考えさせられた。「プロになるため」「早慶戦、関東リーグで活躍するため」「自分の選手としての限界に挑戦するため」。周りの同期が確固たる明確な目標がある中、正直自分には慶應のソッカー部で、この組織でじゃないとだめな理由がなかった。高校生の頃からソッカー部に入ることを志してはいたものの、そこには大した理由もなく、ただただ「レベルの高い環境でサッカーをするのが楽しいから」。この程度の理由であったと思う。
もちろん、早慶戦に出て活躍する、関東リーグで活躍するという目標は決して建前の目標などではなかったが、当時はこの組織の、当時感じていた窮屈さ、居心地の悪さを超えるだけの熱量を持ち合わせていなかったように感じる。
全国ならどこへでも行かされる応援。数時間にも及ぶミーティング。隣の人の粗探しをし、ほんの些細なことで同期を詰める。当時はこれらの組織風土、いわゆる慶應らしさをマイナスに感じ、窮屈に縛られ、今だからわかるこの組織の魅力に全く気づくことができなかった。
周りに特に関心がなく、自分は自分。他は他。という考えの私からしたらこの組織を、他人への興味を強制させられる型にはまった組織というようにしか感じることができなかった。
この組織に全てを捧げる者、自分のためではなく組織のために自分を犠牲にする者。このような人が多くいる組織で自分は何のためにこの組織に属し、サッカーをするのだろうか。
自分のためだけにサッカーをする自分。片や自分を犠牲にまでして他人のために動く同期。
このような”誰かのために” “組織のために”をとことん体現する人に申し訳なかった。自分はこのような組織に属するような柄ではない、この組織に向いてない、この時期は本気でそう思い辞めようと思った。
何が辞めることを引き留めたのか。
サッカーに対する未練。日常が変わるのが怖いから。変化が怖いから。もちろんこれらの理由もあった。
しかし、それは綺麗事では決してなく”組織のために”を異常なまでに体現する皆の姿があったからだった。自分は2年間この組織で何をしてきたのだろう、本当に情けなかった。長期離脱を強いられてもきつい顔を見せずに懸命にリハビリに励む者。他カテゴリーの練習に出て練習を鼓舞する者。寝る間を惜しんでまで目の前の1試合のための準備をする者。裏方でチームを支える者。どの姿を取っても自分からしたら格好良く、純粋に尊敬でしかなかった。
自分はなんでこんな小さな事で足踏みをしているのだろう。何をしているのだろう。自分もやらなくちゃいけない。組織に少しでも貢献しなきゃいけない。本気でそう思えた。そこからはソッカー部を辞めたい、そんな感情は不思議なくらいに湧いてくることはなかった。
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上級生になって初めて、この組織の魅力に気づくことができました。
周りに興味を持とうとせず、責任から逃れ、この組織に向き合うことから逃げていたからこそ、今だから胸を張って言えるこの組織の魅力を窮屈に感じていたのだと思います。
この組織と向き合うことーーー
このことを通して自分のような人間は初めてこの組織の魅力を魅力だと感じることができるのだと思います。
自分と同じような立場の中で、この組織でサッカーをする者に読んでほしい。特に下級生。自分の隣を見てみてください。組織のためを厭わない、チームのことを第一に考えるそんな素晴らしい人たちがたくさんいると思います。そんな姿が毎日をもっと頑張る原動力になるはずです。もっとやらなくちゃいけない、そう思えるはずです。そんなこの組織の魅力に早く気付けば気付くほど、選手としても人間としても成長できると思います。
振り返れば、この組織の魅力に苦しみ、そしてその魅力に救われた、そんな4年間でした。
そのようなこのソッカー部という組織で4年間もがき続けることができて幸せでした。
自分は関東リーグに出場したこともなければ、今年に関してはB1の4年生として、Iリーグでチャンピオンシップに導くこともできませんでした。この組織に与えたことよりも与えてもらったことの方が多い、そんな選手です。しかし、幸いにも引退まで残された時間があります。引退までの残りの期間で組織に、後輩に少しでも何かを残す、強い覚悟で残り駆け抜けます。
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長く読みづらい文章になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。最後に、これまでお世話になった方々に感謝を述べさせていただきたいと思います。
社会人スタッフの皆様
4年間大変お世話になりました。特に刀野さんのおかげで選手としてはもちろん、人間としても大きく成長することができたと思います。2年生の頃、開幕戦を除いてほとんどB1での出場機会がなかった自分は不貞腐れて当時B1のメンバー外常連であった同期と、チームの負けを喜びさえする、そんな幼稚な人間だったと思います。今でも、まだまだ至らないところを挙げたらキリのないような人間ではありますが、大きく成長できたと思います。本当にありがとうございました。
4年目に、今までお世話になった刀野さんや眞木と共にチャンピオンシップに行く。このような目標を達成できなかったことは非常に悔しく、心残りではありますがこのブログが公開されている頃にはIリーグは残り1節、4年生として全てを懸けて戦いたいと思います。
同期
4年間全てをサッカーに捧げてきた皆を純粋に尊敬しています。そんな同期の姿が、自分がもっと頑張らなくてはいけないと頑張る原動力になっていました。本当にありがとう。上手くいかないことの方が多かったシーズンだけど最後目標達成して終わろう。
B1のみんな
4年生がスタメンで出ない、そんな試合も多くその都度悔しさや情けなさを実感する、そんなシーズンでした。助けられてばかりのシーズンだったなと振り返って感じています。今年ならチャンピオンシップにいけると本気で思っていたからこそ、4年生がピッチで活躍し続けることができないことが何より悔しかったです。それでも最後まで、少しでもチャンピオンシップの可能性を信じて戦えたこと、とても楽しかったです。皆のおかげです。ありがとう。
家族
放任と言ったらいいのか。息子に興味がないのか。このブログを読んでいるかは本当に分かりませんが、自分の好きなことをとことんさせてくれてありがとう。大学2年生の終わりに、初めて「サッカー多分辞めるわ」と打ち明けられた時はびっくりしたと思いますが、なんとか4年間もがき続けることができました。好きなことをとことんさせてくれてありがとう。ここから恩返ししていきます。楽しみにしててください。
お待たせしました。
次の担当は、慶應のガキ大将こと井村広太です。彼とは1年生の頃から多くの時間を共にしてきました。「皆が行かなかった国行かね」。そんな逆張りが大好きな彼と相場、あ相場くんらと来年を謳歌するのを密かに楽しみにしています。ニッコニコの笑顔が印象的で、普段は弱みを見せないような彼がどんな言葉を綴るのか。期待しています!
《NEXT GAME》
10月18日(土)関東リーグ戦 第17節 vs 日本体育大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ
