2025.10.14 引退ブログ
「愚問」(熊谷柊治)
平素よりお世話になっております。
商学部4年の熊谷柊治と申します。
大志、紹介ありがとう。
ひようらの昼飯で自分と嗜好が合うのは大志と清水、あとジャンキーなものを食べた次の日の五十嵐くらいです。
一昨日、相場からの和栗orこころオファーに引き取られそうになった時は焦りました。
あと東横線沿いコーヒー巡り、次回は都立大学駅だけど終着駅は仙台市地下鉄南北線沿いでいい?
もつ煮込みを片手にサッカー談義をできるのもあと残り少し、最後まで一緒に頑張ろう。
15年のサッカー人生が終わろうとしている今、率直な想いをこの場をお借りして文字に書き残したいと思います。
長くまとまりのない文章になっているかと思いますが、暇を持て余した時にでも読んでいただけますと幸いです。
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「プロ志望?」
高3の夏、ソッカー部の練習に参加させてもらった時に何人かの先輩方から聞かれた質問。
自分は何も迷わず「そうです」と答えた。
違和感だった。
プロ志望か否かなんて今まで聞かれたことがなかったから。
プロを目指すことが当たり前の環境で高校までサッカーをしてきたから。
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小学1年生のとき、地域のスクールでサッカーを始めた。
小学校低学年から授業で書く将来の夢には、いつも「プロサッカー選手になりたい」と書いていた。
そして、ベガルタ仙台ジュニアというチームを知った。
県No.1を決める試合で相手を圧倒している。
こんなにうまい小学生がいるのかと心打たれた。
自分もこうなりたい。
まずはこのチームに入ることに目標は決まり、3年の冬にあったセレクションでベガルタ仙台ジュニアの一員になることができた。
名前の通り、Jリーグに所属するベガルタ仙台の下部組織。
将来トップチームに選手を輩出することを目的に、ジュニア、ジュニアユース、そしてユースと、選手を集め・絞りながらピラミッド型の育成をしていく。
将来プロサッカー選手になりたい人が、高いレベルを求めて、サッカーに集中できる環境を求めて、県内・県外から高い志をもってやってくる。
幸いなことに、ジュニアからユースまで昇格させていただけたので、小学4年から高校3年までベガルタ仙台一筋でサッカーをしてきた。
だからチームメイトにはプロを目指す選手しかいなかった。
「プロになりたい。ユアスタの最高の雰囲気の中でプレーしたい」
その想いはベガルタで生活する中でどんどん大きくなっていった。
そのためならどんなことも頑張ろうと思えた。
サッカーはもちろんのこと、プロになる可能性を広げるためには高校卒業後にサッカーをする大学の環境が大事だと考え、中学から勉学にも力を入れた。
学校内の成績が良ければ行きたい大学へ確実に進学できる指定校推薦に目をつけ、その枠が豊富な高校を選び、サッカーと勉学の両方を追い求める生活がスタートした。
学校が終わると急いでグラウンドに直行し、練習が終わって家に帰るのは22時近くの日々。
睡眠時間を確保するためには机で勉強する時間なんてなかったから、移動時間、学校の休み時間、食事、風呂、サッカーをしない時間にとにかく参考書を開いて勉強することを徹底した。
想像以上にそのスケジュールを3年続けるのはきつかったけど、プロになるためなら3年くらい頑張れた。
一方、肝心のサッカーはユースに入ってから2年目の冬までは一度も試合に絡むことができなかった。
中学まで試合に絡めないことなんてなかったから、初めての経験にサッカーを楽しめないこともあった。
それでもプロになりたいという想いだけはそんな簡単に揺らぐものではなかった私は、小学生から磨いてきた技術で違いをみせられる選手になろうと地道に練習を重ねた。
その結果、高3になって技術面が評価されて前年まではイメージできていなかったトップチームへの2種登録をしていただけた。
そして、勉強では第一志望の慶應義塾大学への枠を掴むことができた。
紆余曲折ありながらも、「プロになりたい」というモチベーションが背中を押し、思い描いていた通りになった。
大学でもこれまで通り地道に努力すれば目標のプロになれるんじゃないかと期待を抱かしてくれた高校生活だった。
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2022年2月
ソッカー部での生活が始まった。
やっぱり100人を超える組織の中でプロ志望は10人前後しかいなかった。
そして、スポーツ推薦がないのに関東大学リーグ1部で戦う強さがある。
素走りのようなどんなにきつい練習にも、全部員が必死に喰らいついている。
数年後、数ヶ月後には大半の選手がサッカーのスキルなんて何の意味ももたないのに、高校までに出会ってきたプロを目指していた選手よりもサッカーに向き合っているように私は感じた。
プロという目標の存在が今までどんなにきつくても頑張れる理由だった私にとっては、その理由が不思議だった。
「関東リーグに出たい」
「不完全燃焼だから」
「早慶戦に出たい」
など、部員たちの入部している理由を知った。
それまでプロ以外の理由に触れてこなかった自分にとっては新鮮だったし感心した。
ふと思った。
他の大学でも同じような理由をもってサッカー部に入部する人は多いだろうな。
一般的に、大学サッカーでは学年が上がるにつれてうまくいかずに辞めていったり、誘惑に負けて中途半端に4年間を終える人が、特に下のカテゴリーにいくほど多いとよく耳にしていた。
でもソッカー部には、TOPチームから1番下のカテゴリーまで、そして1年生から引退が近づく4年生まで、選手が100人を超える組織の中で、そのような選手が1人もいない。
ソッカー部には選手を支える何かがあるのだろうと思った。
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この4年間の目的は明確だった。
高3の時にベガルタ仙台のプロ選手と練習や試合を経験した中で、自分に明らかに足りなかった「運動量」と「プレー強度」を改善すること。
それが4年後プロになるために必要なことだと考えた。
そのために、この2つを大事にしていたソッカー部を選んだ。
悔いのないようにやるべきことを地道にやろうと決めた。
毎週高地トレーニングを走り、冬の長期オフも河川敷の1kmコースを毎日何回も走った。
疲れにくい身体をつくるために栄養について学び自炊をしたり、身体操作を学びに行き取り入れた。
大学の教授のもとでスピードを上げるためにスポーツ科学を学んでトレーニングに励んだ。
運動量、プレー強度を上げるために、チーム練習に加えてアプローチし続けた。
4年目終盤、私は今Bチームにいる。
4年前の自分が聞いたら信じるだろうか、信じたくないだろう。
でも今の自分はこの状況を受け入れることができている、というか受け入れる必要がある。
それはプロになるために恵まれた環境、チャンスをもらってきたから。
そしてそれを活かすために行動してきた自負があったから。
1,2年目とも1試合ずつだけど下級生のうちから関東リーグに出させてもらった。
3年目はシーズン通してBチームだったけど、途中でBからTOPに上がってスタメンを張り続けた選手がいたくらいチャンスは目の前に転がっていた。
4年目はシーズン前から半年間もTOPチームで毎日アピールするチャンスをもらった。
実力不足だった。
怪我での離脱はあったものの、それも含めてチャンスを活かせなかった。
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現在、プロという目標は過去のものとなった。
つまり、今は「プロ志望」の選手ではない。
ただ、プロ志望ではなくなってからもサッカーに対する熱量が切れたことはない。
今年の夏に過酷な全体合宿があり、その後すぐにBチームへの降格を告げられた私はTOPチームが全国大会に向けて準備する裏で山中湖合宿に向かった。
結果を出せない時期が続いていてBへの降格は心の中で覚悟していたけど、実際この時期での降格はかなり心にくるものがあった。
しかも待っていたのは1年生の頃に経験した人生の中で比にならないくらいきつかった山中湖合宿。
数ヶ月後にはサッカーを辞める。
この合宿で走って身につく走力なんて活かす場はどこにもない。
膝の怪我も再発していたし、別に逃げることだってできる。
でも自然と全力でやり抜いている自分がいた。
朝4時30分にストレッチをしながら絶望的な気持ちになりながらも、テーピングを巻いて足を引きずりながらも、1秒でも速くゴールしようと必死に走り続ける自分がいた。
走りのタイムも1年生の時より大幅に上がっていた。
高校までどんなに苦しくても頑張れた理由だった「プロ」という目標がなくなっているのに。
入部当初に私が抱いた疑問があった。
プロを目指していないソッカー部の選手たちがここまで必死にサッカーに向き合えているのはなぜか。
その疑問はこの組織で過ごすにつれて愚問と化した。
ソッカー部では「組織のために」という言葉が常に行動・言動の目的にくる。
それを落とし込むためにピッチ外で多くの規律がある。そして普通のチームでは信じられない量のミーティングが時には終電まであり、本気でぶつかり律し合う。
その中で、組織のために部に身を捧げる仲間がいる。毎年組織のために選手を辞める仲間もいて、自分の時間を犠牲にして朝から夜まで組織のために見えないところで尽くし続けている。
そんな組織にいて、自分1人の都合でサッカーへの熱量を切らすことなんて考えられなかった。
振り返れば、苦しい時はこの力に助けられてきた。
2年目のプレシーズンに腸脛靭帯炎を発症した。
医者からは治癒期間が人によって差があるから安静にして痛みが引くのを待つしかないと言われた。
安静にしていても、注射を打っても、電車で片道1時間かけてリハビリに通っても、一向に痛みが引かない。
プロになるために早く練習しなきゃいけないのに、じっとしているしかない。
結局4ヶ月かかり、その間にどんどんチームメイトは結果を残していった。
3年目のプレシーズン再び発症。
3年目はプロを目指す上でかなり重要なシーズンだと位置付けていたので「またか」とかなり焦った。
幸運にも前回より早く2ヶ月で快方へ向かい、3月には復帰できると意気込んだ。が、復帰直前の雨の日のポゼッションでボールに滑って肘を脱臼。プラス1ヶ月。
こんなに怪我をする自分が情けなくて、人前で泣くなんてしたくなかったのに、涙が止まらなかった。
その復帰後、TOPではなくBからスタート。
1日でも早くIリーグで活躍して関東リーグに戻ろうと前向きに取り組んだ。
シーズン終わるまで怪我なくプレーできたし、さらにギアを上げてチーム練習、自主練習に励んだ。
失敗の言い訳ができないくらいサッカーに集中していた。
けど、TOPに上がることはなかった。それどころかBでメンバー外にもなった。
そして関東リーグを戦うメンバー表には3年という数字が大半を占めていた。
というか同期の2/3はTOPチームにいた。
全然思うようにいかないことばかりで、入部してから序列は追い越されていくばかり。
エドサからIリーグのベンチで「2種登録ニキこんなところで何やってるんすか」と言われて苦笑いする始末。
手を抜いた覚えなんてどこにもないのに、この転落ぶり。
こんなに情けなく、悔しく、苦しいことはなかった。
この折れる寸前の私を支えてくれたのは、プロへの想いという入部当初に予想していたものではなかった。
組織のために身を捧げる仲間がいるのに、必死に喰らいつく仲間がいるのに、自分だけ手を抜くことなんて、気持ちを切らすことなんて考えられなかった。
プロという目標だけだったら、ソッカー部ではなかったら、もう折れていた気がする。
必死に向き合ってこの転落ぶりだったらもう自分には無理だとサッカーを諦めていた気がする。
だからこそソッカー部を選んで良かった。
実際サッカーで結果はまだ出せていない。それは決して目を逸らしてはいけない事実としてある。
でも、大学サッカーを4年間必死に取り組むことを通じて、確実に今後の人生の糧となる沢山の刺激や感情を味わってきた。
その環境をくれたソッカー部に心から感謝している。
スポーツ推薦のないソッカー部が今関東1部の舞台で戦えているのはきっとこの文化が伝統として受け継がれているからだと思う。
ピッチ外をどの組織よりも大切にして時間をかけることが、一見遠回りに見えるけどいつか最大の投資となってピッチ内に還ってくる。
一部優勝は消えたけど、地に足つけていけば全国優勝の可能性はまだ残っている。
まずはいち早く怪我から復帰し、たとえ自分がどんな立ち位置であろうが、組織のために最後まで全力でサッカーと向き合いたい。
それがこの組織の強みであり、総和となって勝利を手繰り寄せる力になると思うから。
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最後に、この場をお借りして今まで関わってくださった方々に感謝の言葉を述べさせていただきます。
YMCAサッカースクールの皆様
サッカーの楽しさを教えてもらった原点です。
特に翔リーダーには本当にお世話になりました。翔リーダーが担当じゃなかったら今サッカーをしていないかもしれないと本気で思っています。来年会うのが楽しみです。
クーバーサッカースクールの皆様
技術を磨いた原点です。
特に松尾コーチと佐藤コーチにはお世話になりました。初蹴りでお会いできるのを楽しみしています。
ベガルタ仙台アカデミースタッフの皆様
9年間本当にお世話になりました。
ジュニアからユースまで他のチームでは得られない貴重な経験を沢山させていただきました。書ききれないくらい多くの方にお世話になったので宛名は割愛させていただきますが、何かしらの形でベガルタ仙台に恩を返したいと思っています。
社会人スタッフの皆様
4年間本当にお世話になりました。
たくさんのチャンスを与えてくださったこと、組織の大切さを教えてくださったこと、心から感謝しています。ソッカー部員らしく最後まで全力を尽くします。
今後共ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。
リハビリに携わっていただいた皆様
怪我で悩んでいるときに、寄り添って治療をしてくださりありがとうございました。
怪我の相談ができる存在は大きな支えでした。
同期
こんなにたくさんの尊敬できる同期に囲まれたのは人生で初めてです。
4年間刺激をくれてありがとう。
後輩
辛いことがあってもこの組織ならきっと乗り越えられると思います。
和唐率いるスンスン部屋、誕プレくれる沖縄部屋、誉道がうるさい縦割りは特に応援しています。
俺のこと大好きな伊吹、所々似た点を感じる直希、よく頼ってくれる堀江、今苦しいと思うけどこれから期待しています。もちろん蟹も。一応淳希も。
タ組の3人
要望されたので笑
競技は違うし、なぜか学年も今違うけど、部のSNSをお互いチェックして応援しあえる仲間が同じクラスにいたこと、とても励みでした。ありがとう。
熊谷家
熊谷家に生まれて心から良かったと歳を重ねるにつれてより一層感じています。
自分とお兄ちゃんにこれ以上ない恵まれた環境を用意してくれて本当にありがとう。
帰省でみんなと会えるのが最高のご褒美でした。
熊谷家の存在はこれまでもこれからも一生自分の原動力です。
プロになってユアスタで試合している姿をみんなにみせるという自分の中で掲げていた目標を達成できなかったことは心から悔しく、申し訳なく思うけど、来年からは近くで恩を返していきます。
これからもよろしく。
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次の担当は、同期からは「初志貫徹」で知られる本多海聖です。
実際にソッカー部の活動と並行して入部当初から会計士資格取得を目指して忙しい日々を送る彼。
下級生の頃から常にランを先頭で引っ張り続ける頼もしい彼。
でも、つい最近の遠征で豚汁食べたいと言って夕食前に松屋で豚汁セットを食べ終えた30分後に、夕食メニューの選択肢が複数あった中で豚汁定食を選ぶ貫きっぷりにはさすがに驚きました。
ピッチでは無尽蔵のスタミナで駆け回り、Bチームのまとめ役も担う彼の4年間の想いに、乞うご期待ください。
《NEXT GAME》
10月18日(土)関東リーグ戦 第17節 vs 日本体育大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ
