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2025.10.13 引退ブログ

「結実」(藤林大志)

河村くん、紹介ありがとう。
3年の秋「~してもうた」のLINEから全てが変わってしまった彼は、下級生の頃からは想像もつかないような数々の伝説をものすごいペースで残してきました。まあ所詮20年ちょいしか生きてない大学生だから失敗は誰にでもあるんだけど、彼の本当にすごいところは、4年になった今でもそれが全部バレちゃうところ。朝5時のなんちゃら交差点で、あのセンセーショナルな瞬間を後輩に激写されるのは、さすがとしか言えません。今後河村の右隣に立つ機会のある人は気を付けてね。
そんな彼のプレーが見られるのもあと少しだと思うと寂しいです。美しすぎる身体を活かしたポストプレーからゴールを狙い続ける姿、期待しています。ラスト、FWらしいゴールで慶應を勝利に導いてください。

 

平素よりお世話になっております。法学部法律学科4年の藤林大志と申します。
大好きだった4年生が書く、熱い引退ブログを読むのがこの時期の楽しみでした。あまりに怪我の多い私に「おう!引退ブログいつだっけ?」と一緒に書かせて引退させようとしてきた先輩方、お元気でしょうか。本当に、自分が書く番がやってきてしまいました。
このブログのために4年間文学部で文学を究め続けてきた和製シェイクスピアこと本多君とは違い、私はそんな文才を持ち合わせていないため、宮地やけいぴさんからの「ブログ期待してます」の連絡には応えられません、ごめんね。「俺がバイブルみたいなの書いてやろ」なんてさっき真之介が豪語していたので、この代の卒業ブログの超大作は彼に任せようと思います。

 

本題に入ります。
この伝統あるブログに何を書こうか色々と考えましたが、今感じている率直な想いを赤裸々に記したいと思います。
拙い文章ではありますが、お手隙の際に読んでいただけたら幸いです。

———

1年目
ソッカー部との出会い
慶應の附属高校に進学が決まった中学3年の時点で、私は大学のソッカー部の存在を知った。SNSなどを見て陰ながら応援しているうちに、遠すぎる存在だと思っていたソッカー部への入部が、いつの間にか目標へと変わっていった。しかし、スポーツ推薦もナイター設備もない、土グラウンドの高校サッカー部から、日本トップレベルの関東一部リーグという舞台で戦うソッカー部に入部することは、ホップ、ステップじゃ足りないくらいの大きすぎるジャンプだった。
2月11日、初めての練習参加を終えた私は、胸のつかえがとれ、清々しささえ感じた。自分の何もかもが通用しなかったあの90分程の練習に見出したのは、全てをサッカーに捧げられる、そして捧げている人たちがいる、私が本当に求めていた環境だった。プレーが通じるとか、ここでやっていける自信など1ミリもなかったから、周りに入部するのかどうか聞かれても、「わからない笑」と今では部室でイジられる法曹志望を、自分さえも騙してしまうのではないかと思うくらい頻繁に口にしていたが、あの時、すでに私の心は決まっていた。
そして、憧れであり目標であったソッカー部の門を叩いた。

人生で一番早かった1年
苦しいことはもちろん想像していたが、それを上回るくらいキツい毎日だった。全4カテゴリー編成のうち、テソンさんと三浦さん率いる上から2つめのB1チームに所属させていただき、私の大学サッカー生活が始まった。練習は毎朝6:30スタートの通称「ろくはん」、4時に起きて始発に乗りグラウンドに向かう。朝練がなかった高校出身の私には、もうこの時点できついのに、練習では鬼の走りと対人で限界まで追い込み、練習後は始発でも仕事集に間に合わない左貫と二人でビブスと米を片付けて、大学に行き授業を受け、家に帰ったらほぼ気絶したまま寝てまた起きる。この繰り返しだった。今まで経験したことのない周りのレベルの高さに毎日圧倒されながらも、必死になってなんとか練習に喰らい付いた。
すると弱すぎる身体はもちろん悲鳴をあげ、高校時代の古傷だった右足中足骨を2カ所疲労骨折し、3ヶ月の離脱。復帰後はあまり試合に絡めず、最後の3試合はB2チーム降格を言い渡されたものの、そこですらも足首の捻挫や踵の怪我で最後は出場できず、公式戦出場はほぼなく終わった。
そんな中迎えたシーズン終盤のある練習試合でたまたまその日の調子が良く、数日だがTOPチームに呼んでいただいた。この時初めて、当時はまだグレーだったTOP着に袖を通し、早慶戦や関東リーグで活躍していた偉大な先輩方とプレーした。まるで別のスポーツではないかと錯覚するくらい、経験したことのない強度とスピード感に圧倒されたあの数日間を、今でも鮮明に覚えている。
実際にプレーしていた時間は多くはなかったものの、テソンさんや三浦さんをはじめ、下谷さん、創太さん、そして先輩方に「大学サッカー」というものを1から叩き込まれ、「全てをサッカーに捧げること」というのはどういうことかを学び、十分すぎる経験をさせていただいた。こうして濃すぎた1年目は、文字通り一瞬にして過ぎ去った。

2年目
急降下
年が明けて新チームになってすぐのことだった。
1月22日の練習試合。ルーズボールに飛び込んだ私は、勢いよく正面からくる相手DFと衝突し脛ごと後ろに弾かれた。その瞬間「ゴリゴリ」と膝が鈍い音をあげ、そのままピッチに倒れ込んだ。それまで膝を怪我したことはなかったが、「ああ、膝の中の何かが切れた」というのが感覚的に分かった。

後十字靭帯断裂。

人生で初めてサッカーを辞めようと思った。

本来なら、ただでさえ下手な自分は、人一倍練習を重ねなければならないのに、全治は8ヶ月前後で、その間サッカーはできない。追い打ちをかけるように、私以外のBチーム以上の選手たちはシーズン開幕に向けて沖縄キャンプへと発っていった。その現実を前に、取り残されるのではないかという焦りと大きな不安に押し潰され、気づけばもうグラウンドを見ることすら辛く、2週間ほど自宅療養期間をいただいた。このまま辞めるのかな。漠然とベッドの上で他人事のようにそう思った。
そんな中、同期や先輩は沢山励ましの連絡をくれた。当の本人達は覚えているか分からないが、私は本当にそれに救われた。そして医師やトレーナーの方々は復帰に向けてリハビリや治療を進めてくださった。多くの人に支えられ、孤独感から解放された私は、もう少し頑張ってみようと、再び下田に戻ってくることができた。
1人で立ち上がる練習から始まった。少し前まで走って切り返して飛んでを繰り返していたのに、歩く練習ってなんだよとか思いながらも、地道で長いリハビリを乗り越え、受傷から約7ヶ月、ついにまたみんなとボールを蹴ることができた。それが何よりも嬉しかった。

3年目
再出発
前年を怪我で棒に振った私にとって、この1年は勝負の1年だった。復帰後は、その日がキツい練習であろうと、次の日が試合だろうと関係なしに自主練や筋トレで身体に鞭を打ち続け、年末のオフ期間も動き続けた。すべては3年目にTOPに上がるため、その一心で取り組んだ。
新シーズンが始動して2週間、オフの日に一葉さんから「たいしは明日からTOPです。」の連絡が入った。ついに来た瞬間だった。この時の高揚と緊張に包まれたなんとも言えないあの感覚は忘れられない。絶対にやってやろうと意気込み、TOPチームでの生活がスタートした。
しかし現実は完全なる実力不足で、練習では週末のための仮想チームを演じ、関東リーグ後の練習試合が主戦場だった。それでも、その環境からは学べることしかなく、微々たる量だったが、昨日できなかったことが今日できるようになって、なら明日はこれを特に意識して上手くなろうと目標を決め、それを達成しまた次へ行く。いいサイクルを回すことができ、確実に自分が成長している感覚にワクワクが止まらず、毎日が楽しかった。
それでも一向に序列は変えられず、半年後に初めて肩の脱臼での離脱を経て、復帰後B1への降格を告げられた。
「すぐに戻りたい。」
「普通に過ごしていれば、いつかチャンスは来るだろ。」
少しだけTOPに「いただけ」で周りと1年分の差があることを忘れて勘違いしていた、何も成し遂げていないやつの最悪な慢心を、サッカーの神様はしっかりと見ていた。
練習中の何気ない接触で、経験したことないほどグニャリと足首が曲がり、靭帯もろとも骨まで折れた。
さらに復帰して数試合目、その週に定期戦を控え、全国も見据えていたIリーグ早慶戦にスタートで起用していただくも、前半20分地面を強く踏み込んだ瞬間に腿裏が吹っ飛び、前半で途中交代。失点にも絡み、チームも敗れた。
復帰後も肉離れは再発を繰り返し、参加メールは怪我参加のままシーズンは終了した。チームにも、そして何より4年生にも迷惑をかけ、学年ミーティングでは「落ちた後なにしてんの」と同期に指摘される始末。
自覚はしていたものの、それを言葉にして言われたことで改めて自分の力不足、未熟さを実感した。また1から積み上げて、来年こそは絶対に結果を残す。そう誓った。

4年目
最後の挑戦
満を持して迎えた最終学年。最高の滑り出しを決めるため、オフ期間は今までで1番自分と向き合った。少しでも上手くなること、怪我なく最高のコンディションでスタートダッシュを切ることはもちろん、どの自分の長所で勝負し、TOPのどの選手を食って、試合に出て活躍するのかということだけを考えた。
その甲斐があってか、練習が始まってからは身体のキレも悪くなく、過去1番で感覚も良かった。沖縄キャンプの最終日に行われた紅白戦では自らも得点を挙げてTOPに勝利し、その後TOPに再び昇格することができた。半年以上ぶりの紺色のTOP着と共にようやくスタートラインに立ち、今年こその一心で練習に取り組んだ。そして天皇杯直前の練習試合では1本目に絡ませていただいたり、マチさんからもその可能性についてお話をいただいた。
あと少し、4年目までの全ての積み上げを結果にできるかもしれない。でもここで慢心しないこと、全ては試合に出て活躍するために、絶対同じ失敗はしないように。毎日自分に言い聞かせていた。

しかし、天皇杯、関東リーグが開幕してもその出番はやってこなかった。

そしてこれが今の今まででの最高到達点。
言い換えれば、私の限界だった。

幼い頃から負けず嫌いで、勝負事は何事も1番を目指してやってきた。勉強もそうだったかもしれないが、所詮はその義務感でやっているだけで、負けてもそこまで悔しい気持ちはなかった。でも、唯一続いた大好きなサッカーで負けることは、悔しいなんて言葉じゃ足りないくらい悔しい。
この4年間を振り返っても分かるが、半分くらいを怪我人として過ごした。もしかしたら総プレー時間は今の2年生といい勝負かもしれない。恐ろしいくらい軟弱で、そして情けない。
だが幸い、私にはまだ時間があって最後の1日まで足掻くことができる。
綺麗事かもしれないが、かつての4年生が見せてくれたようにその背中をみせ、最後まで走り続ける。

 

後輩へ
こんな先輩にはなりたくないなぁなんて声が、雄大や加固あたりから聞こえそうですが、本当に見本になれるような4年生じゃなくてすみません。それでも残りの期間で4年生として全てを捧げ、遺せるものを遺すと約束します。そしてその姿とこのブログの何かが、悠馬やガッキーあたりに少しでも響いてくれたら本望です。あと馬場。
誰の名前を出すかの話をしていたら、「流石に俺は出るっしょ」なんて言ってきた古金谷(言われるまで出す気はなかったよ)、最近引退を焦らせてくる由祐や最寄りイジリのたかちゃん、復帰が待ち遠しいチョッキ、ちっちゃい4審、特に3年生は来年期待しています。もちろん他のみんなも、関東に出る時は連絡ください。海の上からでも駆けつけます。「あ名前よろしく」と吐き捨てたしげや空閑は許しません。

こうちゃん(廣太郎さん)、一葉さん、壮さん、香山さん、千葉さん、真寛さん、浦くん
偉大な先輩方の背中を追い続けて、ついにここまで来てしまいました。生意気すぎて、沢山ご迷惑をおかけしました。お世話になりすぎて感謝してもしきれません。廣太郎さんが帰ってきたら、是非ご飯会お願いします。

同期
本当は1人ひとりにメッセージを書きたいけど、あまりにも恥ずかしく、長くなってしまうので直接言わせてください。サッカーが大好きで、上手くて、面白くて、ちょっとひねくれてそうにみえるけどいい奴しかいない、この代の一員になれて良かったと、心の底からそう思います。苦楽を共にしてきたみんなと1日でも長くまた部室で罵り合いたいから、最後インカレ行って日本一長い冬にしよう。そして大好きなこのメンバーで、目標を達成して終わりたい。

中町監督、淺海前監督、テソンさん、刀野さん、髙橋さん、宮川さんをはじめとした社会人スタッフの方々
こんなにも使い勝手が悪く、未熟な自分をご指導いただきありがとうございました。
高校の頃からでは考えられない貴重な経験をさせていただき、サッカー選手としても、1人の漢としても大きく成長することができました。残りの期間、ソッカー人として最後まで精進いたします。あと少しの間ですが、引き続きご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。

家族
感謝は直接伝えます。でも何より、
サッカーを続けさせてくれてありがとう。
これから恩返しさせてください。

忰田、彩花さん、荒木さん、瑞紀さん
今こうやってサッカーができているのは、トレーナーである皆さんのおかげです。復帰してもすぐ怪我人に逆戻りなんてざらでした。それでも嫌な顔ひとつせず、丁寧にケアやリハビリをしてくださり、その度に強くなってピッチに帰ってくることができました。本当にありがとうございました。

マネジメントの皆さん
自分だけが特別じゃないのは分かっていますが、それでもやっぱり眞木と紳には特別な想いがあります。あの時難しい決断をした二人には尊敬しかありません。ここまでソッカー部を引っ張ってきてくれてありがとう。
締め切りを大幅にオーバーし、最後の最後までご迷惑をおかけして申し訳ございません。竹島が絶対に感謝しろってわざわざ連絡してきたので、感謝します。いつもはアイシングのラップを探してるだけで、遊びに行ってるわけじゃないからね。

高校や中学の友人
ずっと私の挑戦を応援し続けてくれてありがとう。予定立てる時はいつも迷惑をかけました。進んだ道は違っても、それぞれのステージで頑張るみんなの姿にいつも刺激をもらっていました。忙しい中でも時間を作って会ってくれるみんなのおかげで、毎度元気をチャージできました。あと苦手だったサウナが好きになりました。引退したらさすがになんかするので、楽しみにしておいてください。

 

こんな大失敗な4年間、ほとんどが辛いことでした。それでも最後まで来られたのは、ひとえにみんなのおかげです。怪我してサッカーができなかった時、プレーが思うようにいかなかった時、序列が落ちた時、もうダメだと思うことなんて今まで何度もありました。
でもそんな時にはいつも、誰かが気付いて、支えてくれました。
なんの取り柄もない私ですが、唯一自慢できることがあります。
それは、周りに恵まれる力です。
私の周りには、胸を張って自慢できるほど素晴らしい人たちしかいないと断言できます。こんなことをいうと「ぎぜんしゃ~」なんて声がどっかの2階から聞こえてきそうですが、本当です。

もう一度みんなに出会えて、同じ時間を過ごせるなら、たとえ結果が変わらなくても、この人生を選びたい。

サッカーを通して関われた全ての人に、心から感謝します。

ありがとうございました。

———

お待たせしました。次回のブログは、宮城のプリンスこと熊谷柊治です。振り返れば、4年間彼とは多くの時間を共にしました。一緒にTOPチームに昇格したり、逆に降格したり。どうすればもっと上手く、強くなれるだろうと、自主練、ウェイトトレーニング、身体の使い方や栄養など、2人で死ぬほどしたサッカー談義。高い熱量でサッカーに向き合い続ける彼に良い刺激をもらいつつ、自信も高めていける、そんな空間がどこか居心地が良かったです。
練習後は決まって一緒にモツを喰らい、ピッチ内よりイキイキしていたよく分かんない仙台トークに付き合わされました。思い出は沢山なので、一旦東横線コーヒー制覇してから色々語ろうか。
小学生からJリーグの下部組織育ち、高校時代にはトップチームに2種登録という華々しすぎる経歴を持つ彼が、この4年間をどんな想いで駆け抜けたのか、熱いブログ期待してます。

《NEXT GAME》
10月18日(土)関東リーグ戦 第17節 vs 日本体育大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

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