2025.10.10 引退ブログ
「試合終了」(平沼信太郎)
平素よりお世話になっております。法学部法律学科4年の平沼信太郎と申します。
司、熱いブログをありがとう。恥ずかしいことがあるとすぐに顔が赤くなってしまう彼とは、1年生の頃から苦楽を共にしてきました。人より歯が多いのではないかと錯覚させる程の大きな口を持つ彼は、応援団長としてチームの勝利のため応援席の先頭に立ち続けてくれました。残り後少し、いつものゴールパフォーマンスで両人差し指を掲げて、「ふぉ〜」と声高に叫ぶつかちゃんが見れることを期待しています。
ついに卒業ブログを書く時期となりました。
文才だけでなく、計画性もない私は、締切ギリギリになってようやくパソコンの前に座ることができました。拙く読みづらい文章になっていると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
私には生涯忘れることのない日があります。8月17日、等々力陸上競技場での早慶戦です。早慶戦は、慶應湘南藤沢高等部からの内部進学生である私にとって、憧れの舞台であり、ソッカー部に入部する大きな理由の1つでもありました。
前日の8月16日、寮のミーティングルームに全部員が集まり、翌日の早慶サッカー定期戦に向けた決起会、私の名前がメンバーとして呼ばれることはなく、最後の早慶戦は、ピッチの外で迎えることが決まりました。怪我によって目標を満足に目指すこともできないという結果に、どんな顔で早慶戦の試合終了を迎えるのか、自分でも分かっていませんでした。
決起会の最中、私は中町監督の話を聞きながら、走馬灯のようにこれまでの四年間を振り返っていました。それは入部当初、思い描いていた4年間とは、かけ離れたものでした。
1年目
高校3年、弱小校である慶應湘南藤沢高等部サッカー部に所属していた私は、おそらく、いえ、確実に大学の同期の中で最も早く引退を決め、私自身、消化不良のまま高校サッカーを終えました。
入部当初、高校時代何の実績も残していない私は、当然1番下のチームからスタートし、周りのレベルの高さに置いて行かれぬよう、練習に何とかついていこうとする毎日。
突然練習最後の集合前にビブスを洗濯しに行き、冷や汗をかかせてくる河村、練習中のゲームなのにゴールパフォーマンスをする司たちと過ごす毎日は、自分の実力がこの部で1番下であることを毎練習突きつけられているはずなのに、楽しく、充実したものだったように感じます。
2年目
2年目は私にとって1番大きく変化があった1年でした。
同期の多くが沖縄合宿に行く中1番下のチームにいた私は宮川さんの下、鹿島合宿に乗り込み、部屋の隅でラスクを食べ続ける藤井を尻目に、眞木が勝手にサウナに入りコンディションを落とし、大下の伝説のスーパーロングシュートを見届けるところから始まりました。
ただひたすらに自分の課題と向き合う日々を過ごし、シーズン開始直前、初めてBチームに昇格したり、ふいに参加したトップチームの練習試合で結果を残し、偉大な先輩方やよしかぜにビクビクしながらも金沢合宿という少しの間トップチームも経験することができたり、サッカー選手として成長を感じることができた1年でした。
ただがむしゃらに成長を求め、毎日をなんとか意味のあるものにしようとした2年目を終え、来年こそはトップに上がって関東リーグや早慶戦にでるんだと手応えを感じていた。
3年目
B1チームからのスタートでシーズンに入り、すぐにトップに上がってやろうと意気込んでいたものの、試合に絡めない日々が続き、苦しい一年だったように思います。しかし、本当に怪我しているのか疑うほど道玄坂を走り回る相場や、聞けば天気だけは必ず教えてくれる熊谷、やっぱり左頬だけ出てる左貫と切磋琢磨する日々は、やはり楽しく、苦しいだけの1年ではありませんでした。
結局リーグ戦でも1得点、目標としていたトップ昇格を達成することはできず、来年こそはと強く心に誓い、大学ラストシーズンに入りました。
4年目
ラストシーズンは、怪我から始まりました。途中交代で出場した練習試合で相手との接触で左足の内側側副靱帯を損傷。4ヶ月のリハビリが決まった瞬間、私は、「早慶戦には間に合うかもしれない」と思っていました。
復帰してすぐ、Iリーグにも出場し、ここからトップに絡むにはどうしたらいいか考えながら練習に取り組む日々を送っていると、今度は腰に痛みを感じ、腰椎分離症でした。腰の骨を2箇所、疲労骨折した状態で、活躍することができる訳もなく、決起会の直前には、練習中に離脱する始末でした。
それでもなお、なんとかチームの勝利のためピッチの外から声を出すことに、この部にいる意味を求めました。
そして迎えた最後の早慶戦。
当日、結果は、2対1。四年ぶりの勝利だった。純太の魂のヘディングと真之介のゴールに、応援席でもみくちゃになり、汗だくになりながら声を張り上げていた。その瞬間、ピッチに立つ仲間と、応援席との境界なんてものはなく、勝利を掴んだのは、間違いなく“チーム全員”でした。
ピッチの中に立つ権利を得た20人のメンバーが掴んでくれた勝利をただ純粋に喜ぶことができた。ピッチに立っていなくとも、「どうだ俺の仲間はすごいだろう」と胸を張ることができる自分がいました。
試合終了の笛がなった時、隣で応援していた梅野と抱き合い、涙とうれしさでくしゃくしゃな私の顔を笑う斡汰を横目に、私はこの日を生涯忘れることはないだろうと確信していました。
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引退まで最後の1ヶ月となった今、私は、幸いにもピッチに戻ってくることができました。「沼くんと関東出たいっすよー」と言ってくれる隆希との握手も日に日に強まるばかりです。
現状、今シーズン、私自身出場した試合は公式戦は1試合、練習試合を合わせても3試合とサッカー選手としての価値を全く発揮することなく、ここまできてしまいました。またチームとしても、どのカテゴリーのチームもここまで順調とは言えない苦しいシーズンを戦ってきたと思います。
どこかの先輩が言っていました。
この黄色のユニフォームを身に纏っている限り、闘い、走り、目の前の相手に決して負けてはいけない、と。
もがきましょう。試合終了の笛が鳴る、その時まで。
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最後にこの場を借りて感謝を述べさせていただきたいと思います。
社会人スタッフの皆様。
こんなにも幼稚な私をご指導いただきありがとうございました。人としても、サッカー選手としても少しは成長できたのは、皆様のおかげです。まだまだ至らないところも多くあると思いますが、残りの1ヶ月、最後までもがき戦い続けます。よろしくお願いします。
同期のみんな。
このブログの中では書ききれない量の経験を共に過ごすことができて、光栄に思います。ピッチの中でも、外でも、苦しい時間を乗り越え、楽しむことができたのは、間違いなくみんなのおかげです。
笑って終われるように、残り後少しの時間、がんばりましょう。
後輩。
とても面倒臭い先輩だったと思います。すみません。
まだこのソッカー部で過ごす時間が残されているみんなを少し羨ましく思います。後悔なくというのは難しいと思いますが、全力でサッカーと向き合ってください。楽しみにしています。
彩花さん、忰田。
今年、たくさんご迷惑をおかけしました。ピッチに戻ってくることができたのは、確実に2人のお陰です。サポートしていただき、本当にありがとうございました。後少し、よろしくお願いします。
最後に家族。
恥ずかしくて、直接伝えたことはありませんが、とても感謝しています。基本的に放任主義な我が家ですが、試合結果などいつも気にかけてくれていたことなどもわかっているつもりです。
今シーズンは怪我も多く、心配をかけたと思いますが、最後の1ヶ月、このまま見守っていただけると幸いです。
次の担当は、私たちの代、随一のイケメンであり、類まれなる忍耐強さで知られる河村凌介です。普段、部室では物静かで、私にいじられるのを待っている彼は、その強靭なメンタルでピッチ外を、強靭なフィジカルでピッチ内を制圧してきました。逸話を残し続けてきた彼の紹介文がこのような感じで終わってしまったこと悔しく思いますが、エピソードトークについては大志に任せたいと思います。
普段多くを語らない彼が、卒業ブログで何を書き残すのか、乞うご期待です!
《NEXT GAME》
10月11日(土)関東リーグ戦 第16節 vs 国士舘大学 @国士舘大学楓の杜キャンパスサッカー場 14:00キックオフ
