2024.11.05 引退ブログ
「存在証明」(勝木耀)
平素よりお世話になっております。
経済学部経済学科4年の勝木耀と申します。
慈英、紹介ありがとう。
慈英とは今年で7年目。
リサーチ部門長としてチームに勝利を手繰り寄せてくれました。新たな慶應の伝統を作り上げる主体性はこの部で1番です。同じ塾高出身として誇りに思います。
慈英のイメージと言えば、マリノスオタク。この前マリノスの試合を観戦しに行きましたが、結果は0-0。「マリノスが失点しても良かったからゴールシーンが見たかった。」などと抜かしたら3倍くらいの暴言が返ってきました。こんな絡みを慈英とできるのがあと10日しかないと考えると非常に寂しいです。また一緒にご飯や遊びも行きたいです。だから呆れないでください。
ランキング付けは、常に更新されているので、もし聞きたい人がいれば、ぜひ一緒に飲みにでもいきましょう。
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話が少し脱線しました。本題に戻ります。
この4年間、ソッカー部で喜びを味わい、時には苦しさに打ち拉がれた。色々な感情で溢れたこの4年間を率直な想いでブログに綴りたいと思います。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
高校3年生
大学でサッカーを続ける選択肢はない。
当時コロナ禍であった為、趣味であったゲームに没頭し過ぎて、気を失って倒れることもありました。
それほど自堕落な生活を送ってしまうほど、サッカー部が再開することは無いのだろうと呑気に過ごしていた。緊急事態宣言も明け、部活動が突如再開。急いでコンディションを戻し、仲間と切磋琢磨した結果、なんとか県ベスト8に進み、中学時代からは考えられないような選手と渡り合っていた。
サッカーでやり残したことは無い。サークルにでも入ってサッカーから解放された生活を送ろう。
当時のその考えを周りに伝えると、
「お前からサッカーを取って何が残るの?」と同期の根津にぶっきらぼうに言われ、ソッカー部を意識し始めました。今考えると、この言葉から「私の存在価値」とはなにか考えさせられ、今では非常に感謝しています。
私には自信がなかった。
CBでありながら身長173cm。1軍で活躍している姿を自分には描くことはできなかった。
そんな中、塾高の同期と駒沢陸上競技場で行われた早慶戦を訪れた。そこでは塾高出身の酒井綜一郎さん(R4卒)が身長なんて諸共せず、奮闘する姿に心を奪われた。私はそこで気づいた。自分が「選手で活躍できない」という傷つかない逃げ道を探しているだけだと。
ここから大学サッカーに挑戦する決意をし、ソッカー部人生が幕を開く。
1年目
今では考えることができない。リスクを完全排除したサッカー。高校より更なる強度が求められた。
最初のメンバー分けではBチームに所属。ソルジャーである凛くん(R4卒)に喝を入れられながらも、必死に喰らい付いた。しかしWBのポジション争いに負け、6月にはC1チームに。
C1チームではたくさんの学びがあった。友己くん(R4卒)には前回のブログに書いた通り、サッカーの向き合い方をご指導いただいた。この経験が今でも自分の価値観を形作っている。
試合での活躍もあり、TOPの練習参加を果たし、新人戦の出場機会を得ることができた。
しかし熱中症で前半45分でK.O. 今考えれば情けなさ過ぎる結末だ。
そこからコンディションも右肩下がりで、今までスタメンだったC1チームでさえも、メンバー外になった。
不幸は重なり、高校2年生から亜脱臼持ちだった自分の肩は限界を迎え、走るだけで外れることも。
「1回サッカーから離れよう…」
そんな負の感情で11月に手術を決意し、1年目を終えた。
2年目
シーズンが開幕するともちろん自分はアンダーカテゴリーへ。今まで戦ってきた同期たちはTOPチームに昇格。
高校時代までアンダーカテゴリーを経験してなかった自分にはこの現状は受け入れることができず、TOPチームの同期と顔を合わせるのは苦痛であった。
そんな中、天皇杯予選のビデオ係の役目を終えた後、塾高から同期であった茅野と帰り道を歩いていた時、
「お前が評価されないの納得いかないけどなあ。何が悪いんだろ。」
本当にそう思っていたかどうか分かりませんが、このポジティブな言葉に救われた。
来シーズンはIリーグで活躍し、TOP昇格を目指す。そう意気込んだ。
術後のリハビリメニューを夏輝くん(R5卒)にご指導受けた。
地味なメニューの連続ではあったが、
「必ずTOPに昇格して、周りの目を見返す。」
私がリハビリを頑張れる理由には十分であった。
3月に無事復帰を果たし、練習試合での活躍と身体測定の結果からTOPチームへの昇格を果たした。
すぐさまスタメン起用を告げられ、監督からはチャンネル対応のカバー動画が送られ、
「求めたいのはこれ、それ以外は全て捨てて良い」
その言葉を受け、関東開幕スタメンというチャンスを掴んだが、結果は0-1で敗北。結果論でしかないが、この試合で引き分けてさえいれば降格はなかったと考えると後悔しかない。
その後、メンバーには入るものの試合の出場機会は3回。初戦勝利を掴めていたらどれほど景色が変わっていただろうか。
応援スタンドから降格の瞬間を眺める。先輩たちや同期が泣き崩れる姿。この光景は今でも忘れられない。
私はTOPチームの勝利に何が貢献できたのだろうか。
希望が絶望に変わる瞬間。そんなシーズンが最悪な形で幕を閉じた。
3年目
去年の屈辱を何としてでも晴らす。厳しい序列競争の中、シーズン当初はTOPのスタメンを獲得した。しかしその時間は刹那に過ぎ、沖縄遠征手前には2番手へと降格し、6月にはBチームに降格。
1年ぶりのIリーガーとして出場機会を得た。
何をしているのか。アイリーグに出場する価値はない。関東の舞台にいち早く立ち、チームを勝たせる存在になると誓ったはずだ。
そんな中TOPの怪我人が相次ぎ、チャンスが舞い降りた。このチャンスを掴んだ中央学院戦はクローザーとしての価値を発揮。
そして続いて同じ状況を迎えた専修戦。自分が出場した瞬間に2失点し、逆転負け。
「お前は1人で守ってる」
と監督から指摘され、自分の不甲斐なさを痛感した。チャンスをまた掴むことができず、再び応援スタンドへと逆戻り。あの時こうすればよかった。などという戯言しか残らなかった。
Bチームに帰還し、Iリーグに出場。アディショナルタイムで3試合連続で同点にされることを経験しながらも2連勝を果たし、残留を果たした。Iリーグに出場する価値はないと思っていたが、1部の舞台を残すという先輩たちの思いを引き継ぐ重要性と試合に勝利を導くことの難しさを経験した。
そして何より4年生が背中で魅せてくれた。選手としての意地と部員としての献身性。この両方を全うする姿はなんて格好良くて、素晴らしいのだろう。当時Bを引っ張って下さった4年生には感謝しかありません。学生トレーナーに挑戦することを決意したきっかけの1つにもなりました。ありがとうございます。
4年目
学生トレーナーとして。選手としてチームを勝たせると決めたラストイヤー。
監督交代という大きな変化があったものの、入部当初掲げた「早慶戦出場」を目指し、胸が高鳴った新シーズン。
しかし最初のカテゴリー振り分けはBチームへ。「自分の実力を示せば、TOPにまた昇格できる。」そんな淡い期待をもちながら、日々の練習を過ごしたが、現実はそう甘くなかった。
TOPにも上がれなければBでもスタメンで出られない。そんな中、学生トレーナーとしてチームサポートに徹さなればならない。選手としての悔しさを押し殺し、チャンスが来る日々を待つ。4年目にして新たな苦悩が芽生えた。
それでもトレーナーとして、チームの怪我人が減ることを願っていたが、自分の取り組みの成果が目に見えないもどかしさはあった。しかし選手たちに感謝をされる日々が幸せで、その人たちを支え、
「慶應を2部リーグ優勝に導く」
これを常に念頭に置きながらチームに貢献した。
それが偽善で自分にとってプラスになるかどうか分からないものでもやらない理由はない。
そう信じ続けた1年間、とうとうリーグ優勝が目の前に。
自分がこの組織で価値を発揮していたか分からない。しかし自分が信じ続け、誇りを持ったこの行動を正解にするためにもあと10日戦う。
たかが1週間、1日で変わることができない奴は1年経っても変わることはできない。
毎日が生きるか死ぬかの戦場で戦ってきた奴と、ただなんとなく1日をやり過ごす奴には雲泥の差が広がる。
歩みを止めてしまったらそれ以上の景色は見えない。常に高みを目指し続け、挑戦してきたものだけが見える景色がそこにはある。
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題名にも書きましたが、果たしてこの部で私の存在価値を証明できたのでしょうか?
またこのブログを読んでいる部員はソッカー部におけるあなた自身の存在価値を答えることができますか?
存在価値は自分で決めることができず、他人の評価でしかありません。
人からの評価を得るには並々ならぬ信頼を築くことでしか生まれない。
日々の練習、1日、1秒が常に評価されています。一瞬たりとも隙を与えることは許されません。
私は「選手兼任の学生トレーナー」という役割を与えられたもののどちらも満足に発揮したとは思えません。しかし1年前この選択を取っていなければ、一生後悔していたと思います。
「このチームを支えている豪、一葉、凌万の為に自分にできる最大限を発揮したい。」
高校の時から逃げ腰だった私には決して選ぶことができない選択でした。
学生トレーナーを務め、私なりにこの部で存在価値を最大限に発揮し、チームに貢献してきました。あと10日。リーグ優勝に向けて最後まで私の「存在証明」を果たします。
後輩
可愛らしい後輩しかいません。来年暇な時期があると思うので連絡さえくれれば、必ずご飯連れて行きます。特に純太、柳瀬、昂大、大下、惠風。飛んでいきます。
大志は悪い先輩の影響を受けないように。左貫はピッチ内外ともにソッカー部の伝統を大次郎と引き継いでくれることを願います。
エドサと宮地もフィジカル部門の発展を楽しみにしています。頑張れ。
相場も次期学生トレーナーとして期待しています。私の1年間の反省からしっかりと学び、選手としてもトレーナーとしても慶應を勝たせる存在となって下さい。一寿と真之介。サポートを頼みます。雄大さん、相場を頼みます。
B1
4年がプレーで牽引することができずに残留という最低ノルマの結果を残すことしか出来ずに申し訳ありません。凌万と後輩たちをチャンピオンシップの舞台に立たせるという自分のBの中での目標さえ達成できませんでした。幸いまだ私には残り10日あります。村重、瀬戸、佑紀を扱き、先輩たちから引き継いだ想いを無理矢理にでも伝えていきたいと思います。
また4年の皆、TOPと裏腹に勝利を重ねられない辛い時期が続いたと思います。そんな重圧の中、私がプレーで貢献できずに申し訳ない。藤井は怪我という辛い中、よくチームを引っ張ってくれました。日体戦のゴールは頼もしすぎました。またこの1年間くりのお世話が大変だったという記憶しかありません。引退後は森田に引き継ぎます。
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長く纏まりのない文章になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
最後にここまでお世話になった関係者の方に感謝の意を述べさせていただきます。
社会人スタッフの皆様
淺海前監督
選手としての活躍の機会をいただいたのにも関わらず、結果で恩返しすることができずに申し訳ございません。友峰さんの熱い指導はしっかりと自分の身に刻まれています。
中町監督
この1年、トレーナーとして未熟な私を後押ししてくださり、誠にありがとうございました。私の提案を快諾してくださることがトレーナーとしてのやりがいでありました。
選手として中町さんのもとでプレーできるようにあと10日間死ぬ気で喰らいつきます。
刀野コーチ
2年間ありがとうございました。
日体戦、自分のパスで刀野さんの雄叫びを聞くことができ、一生忘れることはないです。あと10日ご指導の程、よろしくお願いいたします。
井上創太くん(R6卒)
3年のB1の時期にサッカーが楽しいと思えたのは創太君のおかげです。転送されてくるプレー改善動画で自分の課題に幾度となく向き合えました。
長谷川友己くん
1年のC1の時期は非常にお世話になりました。関東出場を果たせたのも友己くんの多大なるご指導のおかげです。
メディカル陣
石田さん
約2年間選手としてもメディカルとしても私を支えて下さり、誠にありがとうございました。またこちらの不手際でかなりのご負担をかけてしまい、申し訳ございません。石田さんの恩情にはいつも助けられました。今後も慶應ソッカー部をよろしくお願いします。
荒木、忰田
2人とも1年間ありがとう。今の2人がいなかったら慶應のメディカルは回っていません。サッカーの現場経験をリターンとするには大きすぎるほどの貢献をしてくれました。感謝しきれません。2人の今後の活躍を願っています。
同期
喜怒哀楽を共にした4年間、ありがとうございました。私が「学生トレーナーに挑戦したい」という想いを後押ししてくれてありがとうございます。その想いに報いる一心で組織に身を捧げましたが、皆様が思い描いていた学生トレーナーになることができたでしょうか。自分ができる最大限を発揮するために努力はしましたが、私には分かりません。
その答えを正解にするためにもあと10日間役割を全うします。
また部室で共に過ごした時間は忘れられないです。堀溝が私に、早く帰りたそうにしていると言っていましたがそんなことはありません。村上健くんの自慢話をいつも楽しく聞いているつもりです。
村上大先生、茅野・恋愛マスター・ユウキのおかげでSNSの使い方が磨かれました。そして川合我空くん。陰ながら応援しています(笑)
塾高組
6人で関東リーグに出場することが夢でもありました。様々なことがありましたが、去年根津が塾高飯をしたいと言ってくれたことが1番の衝撃でした。また開催したいです。
学生スタッフ陣
特に一葉、紘生、茅野。チームを最前線で引っ張りながら私に手を差し伸べてくれてありがとう。この3人がいなければ、チームが回らないことは勿論、私も道筋を失っていました。
同期に関してまだ個人名を出したい人がたくさんいましたが、香山のようにユーモアに書けず、一線を超えてしまい、また友香に迷惑をかけてしまう未来が見えたので止めておきます。
両親
父
毎日の送迎、本当にありがとう。新作のサッカースパイクを誰よりも早く察知して、何も言わずに購入してくれてありがとう。小学校から大学にかけて、お父さんに「サッカーで活躍して恩返ししたい」という想いで日々の試合を頑張りました。今後の人生も手段が変わっていきますが、その想いは変わりません。
母
毎日おいしいご飯を作ってくれて本当にありがとう。合宿中のLINEから元気をもらいました。今後の人生からはその恩を返すために精進します。
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さて次のブログは鬼丸瞳斗(4年・春日部高)です。
鬼丸とはBチームでIリーグを戦ってきました。持ち前の熱いハートから湧き出るプレーで幾度となく私たちを救ってくれました。最近は部室によく出現し、人一倍笑っている鬼丸が大好きですが、練習後何故か一定の距離を置きたくなります。
またチームの裏方を支えてくれている運営担当を務めながら、選手として活躍する姿は多くの部員から尊敬されていることでしょう。
そんな彼でも4年間多くの苦難を乗り越えてきました。ブログで何を綴るのか。非常に楽しみです。
《NEXT GAME》
11月10日(日)関東リーグ戦 第21節 vs神奈川大学 @神奈川大学中山キャンパストラック内フィールド 14:00キックオフ