2024.10.31 引退ブログ
「不適合者として」(香山達明)
平素より大変お世話になっております。
経済学部経済学科4年の香山達明と申します。
健、紹介ありがとう。
紹介文を読んだところ、「天才児」「老害」「歩くコンプラ」などなど、かなり褒めていただいているので、私も褒め返そうと思います。
私から見た健は、サッカーエリートで容姿端麗、義理人情に厚く、男女問わず人望があるスーパーマンといったところでしょうか。
ちなみに、このスーパーマンというのは一切脚色していません。
本人も「欠点がないところが欠点」とおっしゃっていました。
私も当初はこの自認スーパーマンに戸惑っていましたが、今では虜です。
私が1番好きなのは、「かっこいい!・A型でしょ!!・絶対お兄ちゃんだよね?」の三拍子は言われすぎてもはや辛いと吐露していた渾身のボケです。ボケです、たぶん。
冗談はさておき、健は意外と苦労人です。4年間で誰よりも真剣にサッカーという競技と向き合っていたと思います。
そんな健に、たくさんのものを学び、幾度となく助けられてきました。
先日肩を脱臼してしまって心配していましたが、昨日あたりに「もう1点くらい決めちゃいたいな」とかストライカーみたいなことを言っていたので大丈夫だと思います。
健、まだまだ頼むよ。
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さて、ついに私にも引退ブログを書く番が回ってきてしまいました。
「なにをもってこの4年間を成功とするか」
ここ1年を振り返ると、このようなことをずっと考えていた。
考えて、考えて、考え抜いても答えは出ない。
そうこうしているうちにあっという間に期限が迫ってきているので、とりあえずサッカー人生を振り返り、素直に感じることでも書いていこうと思います。
同期のみんなが必死で避けようとしている自分史チックな引退ブログになってしまいそうでお恥ずかしい限りだが、文章力もユーモアもないので許してほしい。
「サッカー初心者みたいなもんだろ」
生意気な後輩からよくこのような愛のあるツッコミをされてしまっているが、たぶん世間一般の基準では人並にサッカーに触れてきた人生だと思う。
サッカーを始めたのは6歳の頃だった。
兄と姉がサッカーをしていたこと、保育園で1番仲の良い友達がサッカーを始めたことあたりが理由だったと思う。
小2でその友達の転校を機にサッカークラブを辞めるも、流れで小3から小学校のサッカークラブに入った。
このころのサッカーはとても楽しかった。できなかったことがどんどんできるようになり、その度に憧れのコーチや友達から褒められて、うれしかった。
試合には全員が出場するといういわゆるお遊びサッカーだったが、試合に負ける度に号泣する程のめり込んでいた。
中学に上がるとフィジカル練習なども増え、サッカーがただ楽しいものではなくなった。ただそれだけの理由で中学2年生の時にサッカーを辞めた。当時サッカーより好きだったバスケやゲームに熱中した中学生活だった。
高校は慶應義塾志木高等学校に進学し、サッカー部に入った。当初バスケ部に入ろうと考えていたが、「なんか高校からバスケ始めるには強そうだな」という理由でサッカー部を選んだ。
慶應義塾志木高校サッカー部は意外にもレベルが高かったが、バー当てと鳥籠とリフティングに興じる楽しい日々であった。
大学サッカーとは無縁だった私がソッカー部に入部することになるきっかけは高校2年の冬。
新型コロナウイルスの影響で学校も部活も休止となった。
何もない空白の3か月間に私がどう過ごしたか。
塾高出身の入江君は「俺ら、朝7時からサッカーしてたわ、はは」と自慢げに語っていたが、私は自粛を守り、家でゲームをしていた。
時々地元の友人とボールを蹴ったが、それ以外はほとんど家から出ていない。
そんな堕落した生活に体が慣れ切った頃、部活が再開した。
落ちに落ちた体力と技術はそう簡単には戻らなかった。
それでもどうにかして周りに食らいつこうと、家に帰ってから夜1人で練習したり、走ったり、サッカーの勉強をしたりと、なかなか真剣にサッカーに取り組んだ。
頭を使って効率的な練習を心掛けていると、どんどんできることが増えていった。
きっとこのタイミングでサッカーに“ハマった”のだと思う。
その後高校サッカーは県大会2回戦であっさりと終わった。
引退後もなおサッカーに”ハマった”ままだった私は、
「俺はどこまでいけるんだろうか」
そんな浅はかな理由でソッカー部の門を叩いた。
大学1年目はCチームからスタート。
初めての人工芝でのサッカー。高校まではトラップミスを土のイレギュラーバウンドのせいにしてきた私は、パスコンでパスを受けるのさえ怖かった。
諸先輩方のため息とつぶやきに怯えながらも、同じく志木高出身の藤井と励まし合いながら頑張っていた。
たぶん1年目は、必死にできないことをできるようにしていただけだったと思う。
その他にもいろいろな苦労や事件があった気がするが、熱中症で意識を失い、グラウンドを跳ね回り、電柱に突っ込んでいって救急車で運ばれたからか、正直あんまり覚えていない。
(この時期、長谷川コーチ(R4卒)にご指導いただき、サッカーのいろはを学ばせていただきました。友己くんが居なければ、ここまで選手として成長することはできませんでした。当時の友己チルドレン(藤井・堀溝・慈英)を代表し、この場をお借りして御礼申し上げます。)
2年目に突入すると、代替わりのタイミングからなんとTOPチーム昇格を果たした。
多分この大学2年が1番サッカーに熱中していたと思う。
練習後やオフの日も自主練に励み、1対1研究ゼミと称して慈英・入江あたりを左腕で引きずり回す日々。練習の成果もあり、ターンオーバーではあるものの関東リーグにも出場させていただいた。
この早い段階で最終目標である関東リーグの強度を知れたことは本当に幸運であった。
ここで体格を生かしたポストプレー・ドリブル・ヘディングの3つを自らの武器にしようと決意したことで、今の実力まで最短距離で成長することができたと思う。
1人だけ2日も多い7泊8日の山中湖合宿も経験した。
この偉業がソッカー部員にしか伝わらないのが本当に悔しくてしょうがない。経験したことがない今の1年生は来年以降の山中で震えあがり、先輩の偉大さを感じてほしい。
3年目。
引き続きTOPチームに所属し、関東リーグ12試合に出場させていただいた。
しかし正直なところ、サッカーの思い出は1つもない。
それ程までに本当に色々あった。
詳細はここではあまり触れないが、同期に多大なる迷惑をかけ、多くの機会を奪ったこと、本当に申し訳ないと思っている。本当にごめんなさい。
個人としては色々あったが、チームは関東大学サッカーリーグ 3部 3位。入れ替え戦に勝利し、2部昇格を果たした。
迎えた4年目。
中町新監督のもとで掲げた目標は「2部優勝・1部昇格」。チームの主力として、慶應の新たな姿をピッチで体現できる非常にやりがいのあるシーズンであった。
現在、残り3試合を残して関東リーグ 2部 1位。2位との勝ち点差6。優勝も昇格もあと一歩で届きそうな絶好の位置にいる。
その他にも関東地区の大会であるアミノバイタルカップ4位。全国大会である総理大臣杯ではベスト16であった。
個人としては立正戦・同志社戦の2試合を除くすべての公式戦に出場させていただいた。関東リーグ7ゴール2アシスト、公式戦通算11ゴール3アシスト、関東リーグ2部 得点ランキング 7位を記録した。
自分であまり言いたくはないが、すごいことだなと思う。
「俺はどこまでいけるんだろうか」と大学サッカーに飛び込んでいった少年が、大学サッカーの上の方まで来てしまった。
高校までの自分が聞いたらびっくりするだろうし、周囲の人からも驚かれることが多い。
周りの人から見れば、私がソッカー部に入部したことは正解で、4年間のソッカー部生活は大成功なのだろう。
だけど、それでも、引退ブログでさえも、そんな綺麗ごとで終わらせたくないと思ってしまう。
人生の大半をサッカーに捧げてきたサッカー好きが集まる慶應義塾体育会ソッカー部。
そんなこの組織においての正しさとはなんだろうか。
試合で結果を出すこと。丁寧に掃除をすること。必死で応援すること。ピッチ外の仕事に励むこと。
多分多くの人がこういったことを思い浮かべると思うが、どれもちゃんとした正解ではないと思う。
「部員・仲間に興味を持ち、それぞれの努力・献身を知り、それに報いようと努力し、その過程で部に対する愛を育む」
これこそが部における正しさだと私は考える。
この正しさの延長線上においては、誰かが頑張れば、その分みんなも頑張る。組織内で正常な「競争と一体感」が醸成され、組織は洗練されていく。
このような清く正しい「慶應らしさ」が、スポーツ推薦のないソッカー部をスポーツ推薦しかいない関東リーグで戦える組織にしているのだろう。
正直ソッカー部は素晴らしい組織だと本音で思う。
ここまで組織構造が完成されていて、本気で取り組めば誰かの本気が返ってくるような組織は社会全体で見てもそうないと思う。
後輩達はこの環境のすばらしさを認識し、様々なことに挑戦していってほしい。
そんな誰もが愛すべき組織、慶應ソッカー部。
そう思っていても、私はソッカー部のすべてを愛することはできなかった。
正しさを醸成するための強引ともいえる施策の数々。見え方の良い努力、見え方の良い振る舞いを突き詰める生活。なかなか出ない結果をピッチ外に求める姿勢。
粗相やサッカーでの挫折などを機に、このぼやっとした違和感にはっきりと向き合った時、私のソッカー部でのサッカーは輝きを失ってしまった。
サッカーやって何になるんだろうか。
そんなことを考えながら蹴るボールからは、楽しさの1つも跳ね返ってこなかった。
ワクワク・楽しいが理由で入部した私が楽しさを失った今、自身に残っているのは義務感のみであった。
OB・スタッフ・部員などたくさんの関係者の献身や犠牲の上でサッカーをしてきた。多くの人が享受したくてもできないものを享受することでサッカー選手としても人としても成長させてもらった。
そんな私にはもはや自分の意志どうこうで決断ができる権利など、随分前から持ち合わせていなかったのだ。
そうと決まれば単純明快。
悩んでいても、やる気がなかなかでなくても、やることは変わらない。
練習前、誰もいなくなった部室で吐くため息に全てを懸ける。
眠い、しんどい、楽しくない、そんな気持ちを全部吐き出し、自分の立場と義務を思い出してグラウンドに向かう。
練習が始まれば目の前の勝負にこだわり、足を動かし、声を出し、体を張って戦う。
そうすることで想像以上の結果も出すことができた。
ゴールを決めてチームを勝利に導く。応援してくれている部員が、観客が、ピッチ内の仲間が自分のゴールに歓喜している。今期だけでも11回はそんな最高の光景を見てきた。
サッカー選手として、ソッカー部員としてこれ以上の喜びはない。
意識的に背負い込んだ義務も果たすことができたかもしれない。
それでも何故かサッカーを心から楽しめない自分がいる。
それでもすんなりと4年間を成功だといいきれない自分がいる。
何故だろうか。
それはたぶん「サッカー」に逃げたというに後ろめたさがあるからだと思う。
ピッチ上で結果を出して部に貢献するという、正しさを持ち合わせていない私にとって1番簡単な「サッカー」という道に。
きっと心のどこかでは分かっていた。
組織の「施策」も「見え方」も「ピッチ外」もすべて正しいのだと。
部員全員に興味を持てない自分に、
他人の本気の努力を疑ってしまう自分に、
意志が弱くすぐ楽なほうに逃げてしまう自分に、
そんな頭では理解している正しさに順応できない自分から、義務という大義名分で目を背けていたのだと。
残り3節。
自分の弱さも責任も、このようなブログを書いてしまった羞恥心も、すべてを力に換えて、全力を尽くす。
卑怯で醜い私の精一杯の献身が、誰かの努力・献身に繋がっていることを願う。
そうすれば私のソッカー部における4年間も少しは成功と言っていいのかもしれない。
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気付けば長く纏まりのない、伝えたいことも特に定まっていないブログになってしまいました。
あまり気分の良い内容ではなかったかもしれませんが、最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。
見た通り激しい4年間であった。その中でも環境への感謝と同期への愛は揺らぐことがなかったように感じる。
ここからは例に乗っ取り、お世話になった皆様への感謝の意を述べさせていただきます。
社会人スタッフの皆様
4年間、本当にお世話になりました。
特に、淺海前監督には大きな期待と厳しい指導をいただき、中町監督からは大きな信頼と配慮をしていただきました。
どうしようもない、使いづらい選手だったかと思いますが、少しでもお気持ちに応えることができていれば幸いです。
お父さんへ
期待した道ではなかったかもしれないけれど、サッカーという道を尊重していただき誠にありがとうございます。今後共お手柔らかにご指導いたただけると嬉しいです。
お母さんへ
いつもありがとう。お母さんがいなければ、勉強もサッカーも早起きもできなかったと思います。毎朝僕より早く起きて、たくさん朝ご飯を作ってくれてありがとう。僕の周りには世界一優しいお母さんとして紹介しています。これからも健康でいてください。
同期へ
4年間ありがとう。
部室でみんなと騒いでいる時間は本当に楽しかったです。部室での矢印が誰に向くか分からない爆弾ゲームのようなひりついた会話をこの先もずっと続けていきたいです。
学生スタッフのみんな、本当にありがとう。学生主体でこのようないいチームを作り上げているのは本当にすごいと思います。みんなの日々の積み重ねがなければ3部降格くらいしていたと思います。特に一葉・紘生・茅野。大きな責任や役割から逃げることなく、自己を変革してでも立ち向かっていく3人の姿は本当に心から尊敬していました。僕の存在が尊敬する3人の献身に少しでも報いることができていたら、僕は幸せです。
他にも名前を挙げたいところですが、堀溝君のブログ以上にみんなのことを面白おかしく、時には度を越えていじれる気がしないので、あえて全員の名前を出すことはしません。仲の良い人たちはきっと僕の棘だらけのコミュニケーションの中にも、確かな愛を感じてくれているはずです。
そういえば起床確認班、焼き肉行きましょう。
雀部、この先もずっと。
その他、日頃から僕を支えてくれている大切な人達へ
部活での義務や責任を忘れ、何も考えずに楽しめるみんなとの時間は、僕にとって本当に貴重なものでした。その時間があるからサッカーを続けてこられたし、その時間があるからサッカーにより打ち込むことができました。本当にありがとう。これからもよろしく。
さて、次のブログは荘司慈英(4年・慶應義塾高)です。
慈英とは1年の頃から多くの月日を共にしてきました。
僕と慈英がどのくらい仲が良いかというと、美容院で仲の良い人を聞かれた慈英が「香山とか」と答えたことを僕に報告してくるくらいには仲が良いです。なんだか気持ち悪いですね。
そんな彼は僕のブログで言えば正しいソッカー部員です。リサーチからハイライトまで様々な役割を担い、たくさんの部員から尊敬されています。
慈英が引退ブログで語るのは普段見せないアツい想いか、はたまたいつも通りの爆弾発言パレードか。期待しています。
《NEXT GAME》
11月3日(日・祝)関東リーグ戦 第20節 vs城西大学 @JOSAI SPORTS FIELD 第1グラウンド 14:00キックオフ