2024.10.30 引退ブログ
「勝利の笑みを 君たちと」(村上健)
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恐れない人はいない
追いかけてくる震えを
振り解くように
誰もが走っている
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平素より大変お世話になっております。法学部政治学科の村上健です。
だいき、紹介ありがとう。
本題に入ります。
とこのまま書き進めるとヒス構文のLINEが送られてきそうなので、少しだけ。
小学3年生の頃から世話し続け、何でも話し合った唯一無二の存在である彼には、おそらくソッカー部の誰にも知られていないもう1つの人格があります。入江が言うモラルオフサイドはまだまだ甘いかも。ガクミの議題に上がってしまう可能性大大大なので、気になる人は引退するまで待っていてください。
そんな彼がここ数ヶ月、踵に靴擦れ用の絆創膏を1枚貼り、「俺はまだ闘える」と練習で走り続ける成長した姿を見せてくれて勇気をもらえています。
そろそろ、痛みに丈夫すぎる彼の1発でチームを勝たせる試合がくると踏んでいるのは自分だけでしょうか。
ピッチ上でその瞬間に立ち会うのが今のちょっとしたモチベになっていたりいなかったり。
一旦の節目として、私なりの感謝を伝えておきます。
「いつも」頼ってくれてありがとう。
これからもたくさん出かけよう。たくさん馬鹿しよう。
さて、そんな腐れ縁の彼からバトンが回ってきました。私にとっては遥かに長かった4年の歳月が過ぎ、積もりに積もったエピソードの中からどれを抽出して何を伝えるべきなのか、今現在も分かっていません。それだけ紆余曲折の4年間を過ごしました。
全て本心で、一切飾ることのない文章を書きたいと思います。
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残り数十日に迫った今だからこそ言える。恐れ多いが、この場を借りて打ち明けてみようと思う。
私はソッカー部1の臆病者である。
この発言の真偽について、明日の部室で同期・後輩から浴びせられる罵詈雑言のイジりが想像でき、怖くて眠れない。本当は寝返り痛が怖くて眠れない。
入部してからの3年間、奈落の底へと落ちていく暗闇を歩んでいる最中に気付いた。
俺ってコンプレックス人間なんだなと。
そんな私には数々の異名がついた。大先生を除き、片っ端から否定させてもらう。
決して、ナルシストではない。ミステリアスではない。それと、同期内tierはDではない。流石にAだと自負していて、Dは森田と堀溝と川い、、、
失礼いたしました。まだまだいますがこれ以上は控えます。
実は強がって見栄を張り、本音を隠し続けていただけである。まったくもってtierはDである。
常に周りからの評判を恐れ、
下手なことを、GKとして低身長なことを、試合前夜に吐くほど緊張していることを、
TOPチームのレギュラーとして出ることが怖くなっていたことを、
とにかく隠したかった。仲間にバレたくなかった。
そういった無数のコンプレックスが人格形成へと繋がり、仲間の前で虚勢を張るくせして、嫌われることを誰よりも嫌う性格になっていった。香山や慈英からは八方美人だと呆れられることも多々あった。
いつからか、自らの臆病さにひどく嫌悪感を抱き、「キャラ」に逃げるようになっていった。
私にとっては、それだけ苦しく、追い詰められた3年間だった。
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2021年。
第5節vs明大戦にて関東リーグデビュー。「フェーズ、A1,A5、われよさき」が飛び交う「ソッカー」の右も左も分からない自分に将来性を見込み、友峰さんや髙橋さんは起用し続けてくださった。
偉大な先輩方の背中に食らいつき、リーグ初勝利の瞬間も、10年ぶりの早慶戦勝利も、15/22試合の出場も経験させていただいた。
想像すらできなかった、あまりにも出来すぎた初年度になる
はずだった。
10月30日。2部降格。
大好きな22歳の先輩たちが喪神し、号泣する姿が脳裏に焼きつく。
降格こそ実力不足で失点を重ねたキーパーの責任。サッカーにおいて真理となるこの事実に、
以来、私は縛り付けられることになる。
2022年。
1年で「必ず」昇格させる。
オフシーズンは誰よりも声をあげ、とにかくリーグ勝利だけを目標にして走り続けた。
2部なんかで失点してたまるか。そう意気込んでレギュラーを守り抜き、開幕戦から全勝を目指した。
結果、初戦黒星。出場できたリーグ戦は3試合。掴んだ勝ち点は2。1度も勝たせられなかった。
そして11月3日。3部降格。
2年続けてピッチ上で涙の送別会。しかも今度はベンチ選手として。
ただ泣くことしかできない。あまりにも醜い表情であっただろう。誰にも顔向けできなかった。
この日、サッカーが好きじゃなくなった。
2023年。
気付けば、サッカーが目的から手段へと変わっていた。
せめて、せめて責務を果たしてから卒部しよう。
1年越しに再びご指導してくださるようになった髙橋さんに恩返しすることも原動力の1つだった。
あまりにも衝撃的な2年間で染み付いた使命感が途切れることはなかった。今年こそやれる。
しかし、
リーグ開幕の1週間前。試合相手と交差し、膝蓋骨骨折。膝のお皿に真っ二つの亀裂が入った。
それからは「いつまでサボってんすか」と煽ってくる柳瀬や宗悟とリハビリ生活の日々。完治まで7ヶ月を要した。
痛覚を麻痺させるために何十万もかけた荒療治の末、出場できたのは早慶定期戦のみ。しかも敗北。なんとも情けない。
12月2日。2部昇格。
秀太くん、根津が昇格に導いてくれた姿をスタンドから見つめていた。
勿論、嬉しくて仕方がなかった。しかし、自然と溢れた涙に違和感も感じていた。
糞の役にも立たなかった自身の不甲斐なさに対する悔し涙なんじゃないか。
入部後、この部に貢献できたことは何1つない。
上記の時を経て形成された臆病な性格に苦しめられ続けた。
この部における存在価値を完全に見失っていた。
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ここまでの過程で1つ学んだ。
ソッカー部の「選手」である限り、試合に出続けること自体は何の意味も成さない。
ハシケン君や綜一郎君も書いていたが、スポーツ推薦がないソッカー部において、試合に出るハードルは他大より高くない。上に上がるチャンスは必ずやってくる。
そのチャンスを掴み、慶應のエンブレムを背負って関東のプロ内定集団を薙ぎ倒し、勝ち点3を奪いに行く。
いたってシンプルであると同時に残酷なものであるが、
結局は、チームを勝たせられなければ意味がないのだ。
1部にいることで、慶應らしさが継承される。「強い慶應」のイメージがあるからこそ、継続的に有名な選手が門を叩いて入部してくれる。早慶戦で競り勝つからこそ、臙脂より黄色が好きになる。
勝つことで、いつも支えてくれている人たちの頑張りが報われる。
100年続く組織のTOPチームで矢面に立ち、多くの立場を経験したからこそ、この現実を嫌というほど思い知らされた。そんな自分だからこそ、果たすべき義務から逃れることはできなかった。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
私が幼少期に愛した映画スパイダーマンの名セリフであり、最近になってようやく意味が理解できたフレーズである。
チームを背負って戦う能力を身につけた人間だからこそ、仲間を導く責任がある。
私は慶應ソッカー部の選手だ。121名の未来を担っている。
身長、才能、大怪我、出身校、制約。
上手くいかないときにそんな御託を並べている暇はあるのか。
みっともない悩みを抱えている間にも、
一葉と凌万が寝る間を惜しんで練習設営をしてくれている。
友香が冷えた小さな手でキンキンのボトルを渡してくれる。
豪が文句を言うことなく選手と主務を両立してくれている。
勝木が部員のサンドバッグになってくれている。
鬼丸が同期の冷めた視線を気にも留めず笑っている。
茅野が「ユウキ」を押し殺し、121人の先陣をきって闘志を見せ続けてくれている。
紘生がらしさ全開のリーダーシップでこの上ないチーム作りをしてくれている。
俺の存在価値は何だ。
チーム目標を実現するために、俺にしかできないことはないか。
何度も考えては白紙に戻し、遂に一つの解に辿り着いた。
「関東リーグベストイレブンに入る」
同期にユース出身は1人だし、全国選手権リーガーも一握り。入部時は圧倒的に実力がない代だと感じていた。降格さえしなければ上出来とすら思っていた。
そんなメンバーが3年経ち、「2部優勝・1部昇格」を掲げたあの日の胸の高鳴りを今でも覚えている。
この代で成し遂げたい。最後こそ笑って終わりたい。
だからこそ、自分にベクトルを向ける。俺が2部でNO.1キーパーとなり、優勝に導く。
ソッカー部に関わる全ての人のために、全身全霊を懸けてゴールを守る。
どんな状況になっても逃げない、向き合い続ける。
誰よりも結果に貪欲になる。
俺が慶應を勝たせる守護神になる。
臆病者なりに、勇気を持って決断した。
2024年。
とにかく挑戦の連続だった。
中町新体制でビルドアップに磨きをかけ、ここぞという場面のシュートストップでチームを救う。キーパーとしての要求レベルが確実に高くなり、失敗を繰り返しながらも刺激的な日々から成長を感じていた。
試合結果に一喜一憂せず、最終目標から逆算してやるべきことを愚直に取り組み続けた。
関東リーグ開幕戦で拓殖大に3年越しのリベンジ。
第3節vs早稲田戦でキーパーキャリア初ゴール。
関東4位で11年ぶりの全国大会出場。
プロの練習参加。
曲がりなりにも、着々と目標達成に近づいている実感があった。
このまま突き進む。大好きな仲間達ともっと若き血を轟かせたい。
あと少しだ。
2週間前の第18節。法政戦。
割れんばかりの歓声とともに、左肩に激痛が走った。
慈英と二人三脚で対策し、今季3本目のPKで2度目のストップをした瞬間、人生初の脱臼を負った。
大量のアドレナリンと「熱く燃えろよ」チャントの力に支えられ、強引に肩を入れ直しプレー続行。最後までゴールを死守し勝利を掴み切ることができた。
10月30日現在、勝ち点38で首位。遂に自力優勝が見えてきた。
仲間の応援に何度も救われ、ここまで闘い続けてこられた。
ここにきてまた一つ試練がやってきたが、今リタイアする気はさらさらない。
全治時期なんてどうだっていい。必ず復帰して闘う。
たとえまた肩が外れようと、自らの手でチームを救い、歓喜の瞬間を皆で分かち合う。
それが、ソッカー部1の臆病者がようやく見つけた自分の価値だから。
あと3週間、未来を担う後輩達のために全てを尽くそう。
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途中から珍しく熱くなってしまい長々と自分史を展開してしまったので、
伝えたいことを最後に少しだけ。
冒頭の言葉はBack numberの「ベルベットの詩」から抜粋したフレーズである。2年次の山中湖合宿で4時台に起床して鹿の糞拾いから始まり、3部にわたって何十キロも走らされ精神がボロボロになった際に、同じく音痴仲間のチノ君と見つけてリピートしまくった曲だった。
結局、4年目も臆病さを払拭することはできなかった。今でもビルドアップミスからループを打たれる心配を、期待外れのパフォーマンスをしてしまう不安を、試合に負ける恐怖を抱えながらプレーしている。
でも、それでいいと思う。
己の弱さを認め、次々と降り掛かってくる試練や恐怖に押しつぶされないよう万全の準備をする。
時には仲間を頼り、救いの手を差し伸べてもらう。
たとえ、
4年のミスで失点したとしても、惠風や雄大が文句を言いながらゴラッソを決めてくれる。
自分が怪我したとしても、根津とユンテが最高のパフォーマンスでチームを勝たせてくれる。
足が止まる時間帯がきたとしても、応援部員が枯れ果てた声援で後押しをしてくれる。
宗悟や純太がPKを与えたときには、俺が意地で止めてみせる。
互いに高め合い、生み出される総和でここまで登り詰めてきた。最高の環境がここにはある。
それぞれが、あるがままの姿で、自分にしかできない役割を全うする。
その過程で、追いかけてくる震えを振り解くために、最後の最後まで突き詰めた努力をして天命を待つ。
そんな犠牲心に富んだ集団の一員として挑戦できる喜びを感じながら、4年間走り続けてほしい。
さあ、歴史の1ページに刻む優勝劇を皆で創りあげよう。
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例にも、ここからは感謝パートです。
伝えたい人があまりにも多く、なっっっっっがくなってしまったので、飛ばしてください。
社会人スタッフの皆様。
中町監督。最終年に選手として復活を遂げることができたのはひとえにマチさんのご指導のおかげでした。
テソンさん。寡黙なテソンさんに褒めていただいた時はかなり嬉しかったです。
刀さん。不調で苦しい時にも声をかけ続けてくれて何度も救われました。後輩たちを頼みます。
浅海前監督。3年間お力になれず、本当にすみませんでした。蓄積した後悔を糧に、誰よりも成果に貪欲に闘えています。
髙橋さん
「1部に戻して卒部できるように。」
3年前のこの言葉が自分自身に鞭を打ち続けてくれました。今や「もう一本お願いします」が無意識に出てしまい、何度もコーンバーを飛び越え、シュートに喰らいつくことができました。間違いなくサッカー人生で1番成長できた4年間でした。感謝してもしきれません。
実は入部前、田原さんがベストイレブンに選出されたことを嬉しそうに話してくれた時から、4年間で1度は選ばれて恩返ししたいと考えていました。
かなり長い月日を要しましたが、どちらも手の届く距離までは辿り着けました。最後の最後までご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。
久我山、FC東京、バディSC江東関係者の皆様
卒団してからも常に動向を気にかけてくださり、ありがとうございました。
選手権に出た時、早慶戦で点を決めた時には想像以上の方々から祝福の連絡をいただき、繋がりを感じながら励みの活力をもらっていました。
私にとっては、いつまで経っても「強く、愛されるチーム」です。
私にできることがあれば何でもさせてください。引き続き、よろしくお願いいたします。
先輩ゴレマツへ。
荒くん、瑠架くん、新里くん、川村くん
そうごくん、こばしょう
秀太くん
airbnbの誓いから3年。
伝統を脈々と受け継ぎ、指導してくれた大好きな先輩方のおかげでここまでこられました。
みんなの想いを背負って最後まで守り切ります。あと少しだけ、力をください。
後輩ゴレマツへ。
まだグランドで個別に伝えられるから、ここではみんな宛に。
4年前、生意気な1年坊主だった自分にも、適度に舐めながらも慕ってくれる後輩ができて本当に幸せでした。
今振り返れば、4年の圧倒的な怪我率が君たちに迷惑をかけてました。ガクが何でも奢ってくれるから許してね。
髙橋さんの鬼フィジ練で冬を越し、関東や早慶戦で慶應を救える守護神になってくれ。ずっと応援してる。
後輩へ。
伝えたいことはこれだけ。
「この部で、人生におけるサクセスストーリーを1つ以上創り上げてほしい」
選手のみんなには、成果に拘り続けてほしい。
それこそが、毎日君たちを支えてくれているグラマネ、マネージャーの頑張りが報われる方法だから。
特に昂大、朋希、よしきには期待してる。あとに続く後輩達の憧れの存在になってくれ。
健人の活躍は皆チェックしてるから、これからもゴラッソばっか決め続けてくれ。
大下の復帰戦は必ず観に行く。
真之介や亮介、大雅辺りは寂しいだろうが涙を拭いてチームを引っ張っていってほしい。
3年生はもう一皮、もう二皮剥ける成長を遂げ、最終学年を飛躍の年にしてほしい。
悩んだときはいつでも連絡してね。暇なので。
根津、千葉、我空へ。
こんな個性的で優しい同期と競い合えて、本当に恵まれていたなってつくづく思います。
最後までゴールを守り、1部の舞台を後輩に託そう。
感謝は行動と結果で示します。まずは次のゴレ会で。これからもよろしく。
同期へ。
本心で気持ちを伝えたことはなかったので、最初で最後のお礼を伝えます。
クロカンも、砂浜練も、2度の降格も、
どん底で地獄のような辛い状況を乗り越えてきたこの学年を本当に誇りに思ってます。
「出身地」「出身校」「受験方式」「歴代彼女」などなど、毎日議題を変えながらプライドをかけてぶつかり合う部室が大好きでした。
若干名の前時代的な選民思想を矯正できなかったのは唯一の心残りですが、幸いにも自分にはその時間が有り余ってますのでいつでも誘ってください。
君たちと過ごせた4年間が人生の財産です。
最後に最高の景色を見よう。
あ、「キャラ」を貫き通した紘生紹介も頼まれてたんだった。
高校3年間ずっと前後の席順、誕生日も一緒の私が知っている紘生は
むっつり、バーソロミューくま、釈迦さん。久我山で死ぬほど弄られてました。学校内外問わず、愛されキャラでした。
茅野と堀溝ごめん、そんなネガキャンできることなかった。
紘生と7年間サッカー人生を共にできて本当に良かった。ありがとう。
最後まで守り切ろう。
家族へ。
お礼は全てを達成した後に直接言わせてください。でも1つだけ。
関東全試合観にきてくれてありがとう。
結局17年間かけてもルールを理解できなかった母が父に懇願し、自分がいないIリーグ最終節に2人で行ったと聞いた時、この部に入って良かったと心の底から感じました。
愚息の初親孝行にはまだ時間を要します。ご容赦ください。
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タイトルについて。
ブログを書きながら過去を回顧するうちに、世代を跨いでたくさんの顔が浮かんできました。それだけ多くの人に支えられ、救われてきた証拠ですね。
ヒリヒリするような大勝負に競り勝ち、君たちと笑い合いたい。
その一心で、残り18日間、全てを捧げます。
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次のブログはソッカー部が誇る天才児、香山です。
歩くコンプラの堀溝・香山ペアに挟まれ既に限界なので、リアル紹介は慈英に託します。
1年時はおそらく2言くらいしか話さなかった彼とは、今となっては老害ペアとして多くのケア時間を共有するようになりました。合宿で遅くまで語り明かすのは秘密の恒例行事になったね(そういえば、語りメンの友香、惠風、弥生にはご報告しそびれてることが1つだけあるので、引退してから伝えます)。
ピッチ外で何度も自爆し、その度に想像を超える成長を遂げて帰ってくる彼の復活に、今シーズン何度救われたことでしょう。
健人が抜けた後も得点源としてチームを引っ張る頼もしいエース。
香山らしく独創的かつ斬新なブログで皆の心を震わすか、はたまた自爆するか。
乞うご期待!
《NEXT GAME》
11月3日(日・祝)関東リーグ戦 第20節 vs城西大学 @JOSAI SPORTS FIELD 第1グラウンド 14:00キックオフ