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2024.10.23 引退ブログ

「閃光」(中村友香)

平素より大変お世話になっております。
文学部4年マネージャーの中村友香と申します。

根津、紹介ありがとう。10年の付き合いである根津とは、中学生の頃はF館でコーラスやギターをやり、一緒に苗場ビレッジでの合宿に行き、高3の夏休みには「大学では体育会ソッカー部に入る」と言われ「すごいね〜〜」と答えた記憶があります。それがどうしたことでしょうか。今では同じ部活に入っています。不思議なものです。根津には本当に助けられてきましたが、岡﨑のパッションが移っただけは本当に違います。まだまだわかってないですね。そろそろ根津と千葉でまた麻婆麺でも行きたいところです。あと第二の麻婆麺でも探しにいきましょう。あと本当に遅くなってごめん、2人には文化浴泉のサウナハットをプレゼントします。もちろん利子付きで。

根津の紹介はこのぐらいにして本題に入りたいと思います。
実は本当に書く手が進まず、いつものモチベーションビデオや画像作成の如く、非常にギリギリになってしまいました。そんなことを言ってると、慈英から「だから早くやれって言ったのに」とか豪から「いいから早く書けよ」と小言を言われそうです。ギリギリなのでミスがないか不安です。
それでも、一応4年間マネージャーをやってきて、ブログの添削は嫌という程してきました。後輩マネージャーの添削を飛ばして公開しています。どうか少しのミスには目を瞑ってください。よっぽど大ミスをしていたら連絡してください。こっそり直します。

学年で唯一のマネージャーということで、他の選手とは全く違うブログになるかと思います。普段自分のことはほとんど話さないので、大変難しかったですが赤裸々にこの4年間を振り返ってみたいと思います。部内でも事務連絡しかしたことがない人の方が多い気がしています。名前を覚えられているのかすら少し不安ですが、気休め程度に読み流してもらえたらと思います。

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「ソッカー部のマネージャーとして入部した選択は正しかったのか」

それに自信が持てなくなったのは2023シーズンが始まってからでした。

思えば2023シーズンが始まるまでの2年間、本当にたったの一度もこの選択を疑ったことがありませんでした。毎日が新鮮で、尊敬できる先輩に囲まれながら、マネ部屋でMacBookと向き合う日々は成長の連続であり、刺激に満ちていました。とにかく毎日が楽しくて、早慶戦や遠征前の大変な時期であっても、この部に入部することを決めた自分を誇りに思う程、この選択に自信を持っていました。
高校3年生の自分は、直感的に「ここしかない」と思い、茶色だった髪の毛を衝動で黒染めして下田に向かったはずなのに、それが気付けば自分の入部理由を見失い、なぜこの部でマネージャーをすることを選んだのだろうと疑問が浮かび始めるようになりました。

「なんでソッカー部のマネージャーになろうと思ったの?」

これまで幾度となく聞かれた質問に私は一貫して、「仕事が好きで、仕事がやりたかったから」と答えてきました。いわゆるマネージャーとして想像される「頑張っている人を支えたい」とか「選手が喜んでいる瞬間を近くで見たい」とかそういった理由で入部したわけではありません。だからか、1人だけ異質な考えを持つ自分はどこか別の世界にいるようで、自分が間違っているように感じていました。考えれば考える程、悪循環に陥り、どんどん自分を見失っていきました。
2年の終わりに唯一の同期が辞めたことも大きかったのかもしれません。こんなことを書くと、彼が責任を感じてしまいそうなのであまり書きたくはありませんが、想像以上に1人のマネ部屋はしんどく、苦しいものでした。ただ、彼が夢を追いかけることができていることで、この選択を一度も否定しなかった自分は正しかったんだと思うことができました。

4年生になってからは、さらに自分自身を見失い始めました。
マネ部屋に自分より上がいないこと、同期がいないこと、イレギュラーな出来事ばかり起こること、この1年間常に何かの恐怖と隣り合わせでした。一つのミスが生み出す、大きすぎる代償をこの3年間肌で感じすぎてしまったからかもしれません。どこかでミスが起こるかもしれないとどんな時でも頭の片隅にはその思いが離れず、重圧や1人で背負わなければいけない責任の重さに耐えかねて何度も逃げようとしました。あの時一緒に辞めていれば、と何度思ったことか。

あの頃の私には、苦しみを超えた先に光があると信じて進み続けても、超えた先には別の苦しみが待っているように感じられていました。正解が分からず、突き進むことも、立ち止まることも、振り返ることもできない日々を過ごしていました。

気付けば大好きだった仕事は義務感へと変わっていました。そういう立場だからやらなければいけない。と義務感が先行し、入部当初から言い続けてきた「仕事が好きだからこの部に入った」という発言に自信が持てなくなりました。
誰にも弱音を吐かずに淡々としている私に、多くの人は強いと言ってくれました。本当は自分の感情を表現する術を知らないだけで、常に自分の弱さを感じ続けた4年間だったと思います。

 

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そんな感情を抱えながら迎えた早慶戦期間。

開催に至るまでに途方もない時間のミーティング、意見のぶつかり合い、初めての挑戦、本当にあの大舞台を成功させられるのかという不安等々、感情はすり減っていくばかりでした。
寝ていたはずなのに途中でどうしようもなく不安になって起きてしまうような日々。
しまいには思わず「もう下田でやろうよ」と弱音を溢してしまう程でした。

早慶戦の2日前、メンバーが発表される下田ミーティングルームでの決起会をはじめに、私は多くの姿を目にしました。
選ばれた選手の覚悟が決まった表情。
決起会が終わると涙する選手の姿。

朝から、開催するために必死に国立を駆け回るマネージャーやスタッフ。
チームのため、同期のために選手を辞め、早慶戦に出場することが叶わなかったグラマネが選手を支える姿。
前日深夜3時まで合宿所で封入作業を手伝ってくれた下田住みの部員たち。
不満を言わずに、持ち場で自分の役割を全うする選手たち。
悔しさを押し殺して、サポートに徹するチーム付き。
国立競技場のライトを浴び、ピッチに立っている選手たち。

早慶戦が終わり、朝4時に下田に戻るとそこには積み下ろしで夜中まで合宿所で待機していた部員が大勢ストレッチマットやソファの上で力尽きて寝ている姿。

私の目に映ったものなんて、ほんの一抹だったのかもしれない。それでも、どの立場であっても、チームのため、ピッチに出ている選手のため、出ることが叶わなかった選手のため、それぞれの想いが一つに集約していた早慶戦という舞台で、私は思わず涙が出そうな程にはっきりと、「心が動かされる瞬間」を見たのです。

それこそが、私の、苦しくても辛くても、この部に居続けたい理由でした。

仕事が好きで、仕事をすることが結果的に誰かを支えることになっていると思っていたのに、気付けば周りの人たちの姿に、自分が支えられていました。

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ここで最初の問いに戻ります。

 

「ソッカー部のマネージャーとして入部した選択は正しかったのか」

 

私はこの問いに対して「はい」と答えます。

 

上記でも述べたように、この4年間は苦しいことの方が多かったように感じられます。それでも、周りの人のおかげで、苦しかったこと全てを忘れてしまう程の美しい瞬間に、何者でもない私は立ち会うことができたのです。

毎回律儀にハイライトの文面を送り、サッカーもリサーチも拘りを持って向き合う慈英に、
組織と向き合い、組織を愛し、自分以外の誰かのために行動する千葉に、
早慶戦のメンバーが外れたことがわかっていた前日練で誰より声を出す入江に、
3部降格が決まったプレーオフで想像もできない感情を抱えていた根津が握手しに来てくれた姿に、
苦しい時期を乗り越え、関東の舞台に戻ってきた壮に、
東北遠征の翌日自分のカテゴリーがオフでも、TOPチームのために練習に参加する勝木に、
悩みながらも選手として、運営担当として、役割を全うする鬼丸に、
きっと多くの悩みや苦悩を抱きながらも、それを隠してチームを支える凌万に、
多くの責任を背負いながら誰よりもチームを愛す一葉の姿勢に、
誰よりも熱く、誰よりもピッチを駆け回る茅野の姿に、
部員全員の先頭を走りながら、誰かを側で支える紘生の背中に、
数々の葛藤や苦悩を抱えながらも、ピッチで慶應を背負って戦っている豪を誰より誇りに思っているのは間違いなく私だと思う。

ここで名前を挙げた人はほんの一部ですが、そのどれもが私にとっては「心が動かされた瞬間」であり、私はそんな姿に支えられてきました。

 

部活に入ることが大多数の高校を経て、人生で一番遊べると言われる大学の時期に、プロでもない人たちが、生活の全てを懸け、多くのものを犠牲にし、苦しさや葛藤を味わいながらも、結果を追い求め続け、生き様を示すこと。それこそが学生スポーツの醍醐味だと思っています。
学生スポーツは終わりを自分で選択できず、決められた終わりがある。はたまた命運に委ねる終わりがある。
このチームでの終わりがあるからこそ、残りの期間や限られた時間が尊く感じるのだと思います。

だから、私はこの時間の尊さを形にして残していきたい。
残りの期間私にできることなんて、ほんの微々たることなのかもしれませんが、この瞬間を1人でも多くの人に伝えること。広報という力を借りて、みんなのあと少しの生き様を残し続けること。
残りの期間で、私にできることはそれぐらいなのかもしれませんが、フォントの1ミリのズレにも拘る私にしかできないことかもしれません。残りの期間、私にしかできない拘りを追求し続けます。

 

何者でもなかった私が、1人では決して見ることのできなかった景色を見させてもらえたのは、この場所で得ることのできた何にも代えられない財産だったと自信を持って断言することが、今ならできます。

 

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長くまとまりがない文章で大変恐縮ですが、ここで感謝を伝えたい人に書かせてください。私は口下手ですし、思っていることを口に出せないタイプです。直接は決して伝えられないのでこの場限りとさせてください。

社会人スタッフの皆様
多々ご迷惑をおかけした4年間だったと思いますが、それでもこの4年間多くのご指導をいただき本当にありがとうございました。
特に、駒野さんには4年間を通して、多くのご迷惑をおかけし、その中で何度もご指導をいただいたと思っております。マネージャーとしての在り方、仕事への向き合い方、その他にも本当に多くのことを学ばせていただきました。仕事に誇りを持って取り組む駒野さんは常に指標でした。あと残り少ない期間、そして残り少ない定例もよろしくお願いいたします。

早稲田のマネジメント陣へ
公平くんをはじめ、みんなには本当にお世話になりました。たくさん迷惑もかけたし、色々あったと思うけど、みんなと頑張れたあの期間は、この先の人生にとっても最高の経験になりました。警察消防までLUUPに乗って移動した日が懐かしいです。豪は練習より汗かいてたけど。積もる話は、28日にでもたくさんしましょう。本当に信頼していました。ありがとう。

先輩方へ
何もできなかった私でも4年生になることができたのは、本当に全て先輩方のおかげです。緊張しすぎて最初はマネ部屋で3口ぐらいしか発さなかった私とたくさん話してくれて、応援してくださって本当にありがとうございました。尊敬できる大好きな先輩方に囲まれながら仕事ができた最高の後輩人生だったと思います。引退したらご飯連れてってください。

マネ部屋のみんなへ
本当にここまで支えてくれてありがとう。みんなのおかげで無事マネージャー生活が終われそうです。ゆうかさん遠征も蹴球祭も来てくれるんだよね??って言ってくる子ばっかりだけど、ごめんなさい。みんななら余裕だと思うので、ぜひ頑張ってください。ご飯はいつでも行きます、辛くなったら連絡してきてね。
辻野は、会社員3名の中で1人残ると思いますが、新たな社員と一緒に頑張ってください。つじはもうこの1年間でどう考えても奢りすぎてるので、ご飯は連れていきません。

同期へ
だいぶ前ですが、惠風から「ゆうかさんって言わないけど同期のこと好きだよね」と言われました。一葉は「こいつは普通に感情がないだけ」と言い捨ててスタッフ部屋に消えていきましたが、そんなことありません。正直、マネージャーが1人というのは本当に寂しかったし、特に全体合宿なんかではそれをすごく痛感していました。けど、個性が強すぎる同期のおかげでそんな気持ちはどこかへいきました。あたりが強い人も多ければ、そろそろ埋めるぞと言ってくる人もいれば、俺の名前ブログ出せよという人もいれば(同じ人な気がしてきました)、本当に多種多様ですが、みんなと同期で幸せでした。引退しても、たまには会えたら嬉しいかも。先着4名(+指導要員何名か)で、雀荘へも招待します。26強化合宿でも是非。

一葉、凌万へ
本当にありがとうとしか言いようがありません。きっと2人にやらせなくていいことまで、やらせてしまったと思っています。私1人ではきっとこの1年間乗り越えることはできなくて、本当に2人が助けてくれたから乗り越えられたと思ってます。ありがとう。4人ではま寿司8,000円オーバーはもうこの先ない気がしています。また無駄なものまで頼むはま寿司行こうね。2人が全ての責任を下ろすことができる日まで、残り私にできることを尽力します。

豪へ
あまりに感謝していることが多すぎて、何から書いたらいいかわかりません。とにかく本当にありがとう。豪がいなければ何も楽しくなかったし、豪がいなければきっともっと早く壊れていたと思います。実はずっと豪に対して申し訳なく思っていました。豪にここまで負担をかけてしまっているのは、間違いなく私のせいで、豪の負担を軽くするためなら何でもするつもりでした。結果的には全く負担を軽くすることなんてできていなかったと思うけど、残りの期間は私の持っているもの全てを使って豪を支えていくつもりです。

早慶戦の日、私が一番心を動かされたのは、豪が選手入場で国立のピッチに歩いていく姿です。試合も始まっていない、試合にも勝っていないあの瞬間に、開催へ至るまでの全てが報われたように感じてしまいました。目があって変顔してきたのだけは残念です。
これ以上言うとウザいとか、きしょいとか言われそうなので、辞めておきます。続きはピスカで。
副務になった日から、主務としての最後の日までずっと豪のことが誇りです。

両親へ
「そういえばソッカー部に入部した」とたった一言、事後報告で終わらせてしまいすみません。正直、この4年間家族と過ごす時間は本当に少ししかありませんでした。それもあってか、私がマネージャーをやることをあまり良く思ってなかったのも分かっています。あと少しだけやらせてください。知らないかもしれませんが実はもうすぐ引退します。
それでも結局は、適度に放任で自由に色んなことをやらせてもらえたことに感謝しています。16年前、慶應に入れてくれて本当にありがとうございました。本当に最高の学生生活だったと思います。いつか何かの形で返していきます。

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最後になりますが、OB・OGの皆様、保護者の皆様、日頃よりソッカー部に多大なるご支援ご声援を寄せてくださる全ての皆様に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
今シーズンは「2部優勝・1部昇格」という目標を掲げ、残すところあと4試合となり、選手・スタッフ共々必死に戦っております。
どうか、その勇姿を皆様の目に焼き付けていただきたく思っております。
是非、今週末ホーム最終節に下田までお越しいただき、直で部員の熱量を感じていただけますと幸いです。
いつも皆様の応援が心から力になっております。
今後とも、変わらぬご支援の程よろしくお願いいたします。

 

次のブログは、入江修平(4年・慶應義塾高)です。
なんだか入江とはこの4年間一緒に過ごす時間は長かったような気がします。
準備が遅いだの、早く着替えろだの、電話をかけて怒ってきますがそんな生活ももうあと少しです。
昨日、紹介文が思いつかないと本人に文句を言うと、「ネタがない人みたいに言うなバカ娘」と罵倒されました。明日からちゃんとヨイショして機嫌を取ろうと思います。
そんな入江ですが、なぜかジャッキーに行くと深い話をしてしまうもので、将来の話なんかをした記憶があります。実は何かと入江には助けられてきた4年間で、困ったことがあったら連絡してお世話してもらっていました。
今年、入江にとって難しい1年だったと思いますし、人より濃いソッカー部人生を過ごしていたのではないでしょうか。彼がそんな4年間をどう綴るのか、楽しみです。

《NEXT GAME》
10月27日(日)関東リーグ戦 第19節 vs早稲田大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

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