2024.10.11 引退ブログ
「キャリアのコタエ」(栗原祥太)
ウラ、紹介ありがとう。
皆から厳しい指摘をされると回線ラグを引き起こし、行動に不具合が生じ故障してしまうウラですが、麻雀をする時にはみんな、ドラの裏表示牌を見て「ウーラウーラウーラ」とウラのいないとこでニコニコしながら呼んでいます。俺もウラのように事前に紹介文を確認して、「内容薄くね?」と言わなければと心配していましたが、森田と違ってよく考えてくれた内容で安心しました。森田と違って。ただ、仙台遠征中に私がもも裏の肉離れの痛みについて話した際に「ももウラ、ヤマ?」と自虐してきた時は、本気で仙台の近くの海に置いていくか悩みました。
引退したら鍵が壊れていたという日吉の家に、一葉と乗り込むかもしれないので腹を括っておいてください。
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平素より大変お世話になっております。
つい先月、総合政策学部4年生になりました栗原祥太です。
これには事情がありまして、私は現役で早稲田大学に入学し、半年後に早稲田を辞め慶應へ「転校」をした経緯があります。今でも私の名前を調べれば、ゲキサカの特集ページの最新欄には早稲田大学の新入部員内定者の発表リンクが貼られているのではないでしょうか。早稲田大学ア式蹴球部に所属しているはずだった私が、気づけば慶應ソッカー部に。
そんな不届き者の4年間は、まさに「想定外」の出来事だらけでした。
大学を変え、一人暮らしを始めるもストーカー、盗撮の被害に遭い、単位という目先の数字に苦しみ、ワンピースカードで悲願の全国優勝を逃し、サッカーでは幾度となく起きた衝突。盗撮事件が起きた際には、元同期(某)のある1人の顔が浮かんでは身震いしておりましたが、某の愛人である入江から犯人でないことを全力で説得された時は安堵しました。名前は伏せておきます。お察しください。
上記以外の出来事も多々あるのですが、大変恐縮ながら、それら全て記載してしまいますと、コンプライアンス違反に抵触してしまうため、最大限配慮した文面で留める覚悟で書きます。と、それなりに気を遣ったことを言おうと思ったのですが、そんなことをしていたら書くことがなくなるので思ったように書きます。
同期の一部からは「くりは今年1年目だからな」と、辛辣で悪意しかない言葉を吐かれる時も多々ありますが、それに対して決して否定できません。
4年間の中で、選手として本気でプレーしたシーズンが、今年の1年だけだから。
ちょうど1週間前に、部室でみんなと話しながらソッカー部で選手としてプレーした期間が14ヶ月しかないことに気づき、現在の2年生よりも少ないことが判明しました。
決して他の同期と比較しても、充実したソッカー部人生を送ってきたわけではない。
それでも、最初で最後の部員ブログを書く権利があるそうなので、私らしく“誠実に”サッカーに狂わされた22年間の人生について語ってみよう。皆様ご存知の通り、頭は良くないので文量は多いですから、興味ある方だけ読んでください。
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プロサッカー選手になるものだと思っていた。この先もきっと、サッカーの世界で活躍し続ける。それは約束されている。そんな、確固たる自信と大きな期待を幼少期から持ち続けていた。
決して失敗してきたサッカー人生ではなかった。
それどころか、サッカーエリートと胸を張れるキャリアを築いてきた”はず”だった。
地元の小学校のサッカーチームに所属していた私は、12歳でその先のサッカー人生を大きく変える。都大会1回戦で、対戦相手の選手をスカウトしにきていたJクラブや選抜の関係者、多くのサッカー少年たちが、自分のプレーを見にグラウンドに集結する。その1試合から、「国分寺第五の10番」の人生は大きく前進する。気づけば、数々のトレセンや選抜に活躍の場を移すことになる。現在では、Jリーグや大学サッカーを牽引し活躍している選手たちと共に、国内で沢山の人から注目される存在まで駆け上がった。それまで、自分より遥か上の存在だと思っていた全国の選手たちを相手に、誰1人負けることなく圧倒していく。「自分にとってサッカーは特別だ」と、クソガキにして大層自惚れてはいたものの、そう思ってしまうだけの経験をした。当時のことは森田や堀溝らがよく知っています。モヒカンで、ばかでかい男の話をされると思います。
中学ではFC東京に所属する。最初に声がかかったのはFC東京U-15深川だったが、家が近いからという理由でFC東京U-15むさしを選んだ。国際大会、カップ戦の優勝や3年連続リーグ優勝も達成した。国際大会で優秀選手として新聞に載ったこともあれば(俺以外の日本人選手2人はプロになってしまいました)チーム最多得点で関東リーグ優勝も果たした。むさしは個性の塊で、負けることが大嫌いなメンバーが集結していた代であった。練習始めのアップに相当する鳥かごで骨折者が続出する、練習の一つひとつのピリつきが極まっていた。塾高勢お馴染み、夏伊は勿論容疑者側です。人を選ばず何人も吹っ飛ばしていましたが、本人に自覚はありません。
高校ではユースと高校サッカーの選択に頭を抱えたが、強化部長曰く、熱烈な“ラブコール”を受けて神奈川最強の桐光学園へ。
1年目からTOPチームで出場機会を経て全国準優勝、日本一を達成したチームの中でプレーした。
特に3年目は、推薦受験を選択したことで試合2日前まで受験対策で練習を休む日も少なくなかった。それでも、選手として信頼してリーグ戦、選手権ともに全試合スタメンで起用してくださった監督である勝さんには感謝しかない。
12歳から18歳まで、リーグやカップ戦を通じて優勝を果たさないシーズンは無く、常に勝ち続ける組織の中でサッカーをしてきた。負けることは数少なく、レベルの高い環境で選手としての価値を高めてきた。
ざっと振り返るだけでも、残した数字や結果を見てしまえば順風満帆のサッカー人生だったのかもしれない。
少なくとも今、プロサッカー選手になっていても不思議ではないくらいには。いや、なっていない現状の方がおかしいくらいだろうか。
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「今から慶應行ったら面白そう」
早稲田の入学式を終えてすぐ頭をよぎったこの発想が、これから起こる奇行の原点だった。
好奇心を持ってからの行動だけは異常に早い。
結果的にこの大博打が倍率40倍の試験で奇跡的に合格という当たりを引いた。
早稲田から慶應に大学を変えた奇行種は、新シーズンの体制になったタイミングでソッカー部に入部する。
最初からTOPチームに所属し、天皇杯に全試合出場する。大好きでしょうがなかった右SBで初めてプレーしたのもこの時期だと記憶している。
ここまでは全て順調だったのだろう。
これで、ソッカー部で何かを成し遂げていれば。
しかしその後、私はそんな期待を裏切ることになってしまう。
ソッカー部という組織の色に、全くと言っていいほど合わせることができなかった。
サッカー以外での長時間のミーティング、ピッチ外に対する取り締まり、戦術、圧倒的な拘束時間。
今まで自分がやってきたサッカーにおける価値観との相違に、合わせることができないことばかりだった。
TOPチームにいることを3度も拒み、真夏の90分の試合後に90分怒られた時もあった。
TOPに戻る前日の練習で重度の肉離れに見舞われた。
3ヶ月のリハビリが進み、TOPに復帰し2日目で明治との新人戦にスタートで出場し開始15分で再発ミートグッバイ。これにてシーズンアウト。
正直、このタイミングで全て狂っていた。ハムストリングを筆頭に、自分の体がサッカーを拒絶しているように感じた。何度も組織の中で抵抗し多大な迷惑をかけた。
これまで積み上げてきた、自分のサッカー人生を、自らの手で崩してしまった。
その間に、これまで一緒に戦ってきたライバルや仲間、後輩がプロの世界や大学サッカー界を牽引していく。その時、取り残された感覚を強く感じた。俺が停滞している間に横にいた、もしくは俺より後ろにいた奴らが瞬く間に先へ進んでいく。
自分にとってのサッカーは、一体何だったのだろうと、苦しくなるほど考えさせられた。
帰ってきた今シーズンも、ついこの前まで優勝が見えていたチームを残留争いにまで巻き込んでいる。正直これこそ想定外で、未だに負けを受け入れられない。挙げ句の果てに、誤魔化し続けてきた両ハムストリングのお陰でシーズン終盤は100%でスプリントもできず、仕舞いには限界を迎える始末。
一瞬にして“絶望”に落ちた。
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絶望といえば、味わったのは何もこの時が初めてではない。
自分のサッカー人生にとって、忘れもしない1日がある。
高校1年夏のインターハイ全国決勝。
プロになるのであれば、たとえ1つ2つ上の相手にも負けられない。負けるはずがない。そう思っていた。
しかし、いざピッチに立ってみれば、何もできない。自分の力が通用しない。試合終了の笛が鳴る前に目から涙がこぼれていたことを思い出す。
結果的にチームの力にもなれず日本一を目の前で逃した。
この瞬間、本当に頭が真っ白になった。
サッカーで負ける自分はどこに価値があるのだろう。
既定路線と思っていた「プロサッカー選手」の未来が描けなくなった。
常に誰よりも上にいたと思っていたからこそ、この絶望は想像以上だった。
試合後ホテルで、朝まで目から血が出るほど泣いた。
重なる失望が、自分自身も周囲の誰もを期待をしなくなり、ここまで非情な人間になってしまったのかもしれない。
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それでもなぜ私は、今もサッカーを辞めていないのか。
それはサッカーが、自分の価値を、未来を作ってきてくれたから。
サッカーをすれば周りが評価してくれて、多くの人が期待をして必要としてくれた。栗原祥太=サッカーは言葉通りで、いつしかやることは周囲の期待に応えるための義務になっていた。
しかし、こうやって振り返えると、自分のサッカー人生は大きなことを成し遂げているように見えて、結局自分が求めた最終地点に届いていない、敗北者であると強く感じている。
結果が全てだと思って生きてきた。負けて学ぶものがあるとか、その先の未来のために、とかそんな青くさい正義みたいなもので哀れな結果を美談にしたくはない。目の前の勝負に全てを賭けれないのなら、勝ち続けることはできない。だから、プロになれていない今の自分も、人生で10年ぶりにシーズンで優勝を逃したことも、全て敗北なのである。何も正当化はできない。全て自分が負けた結果なのだから。
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ソッカー部にいて学んだこと、を書くほどサッカーはしてないし、筋合いもないかもしれない。けれど、これだけは分かったことがある。サッカーで1番大事なこと、それは「大好き」であり続ける心にある。
「プロになれるかどうかは上手いかどうかではない。誰よりもサッカーを好きでいられるか。俺より上手かった奴らはみんな大学の頃には辞めていった。何があってもサッカーと一生生きていくだけの思いがあるか。それがプロになれる者となれない者の違い」
20年Jリーガーで活躍していた、私の指導者が放った言葉である。この言葉を聞いたのは15歳の頃だったが、この言葉は歳を重ねることに実感していった。
名実ともに注目されていた高校の先輩がサッカーをせず辞める。一方で、それまで全く活躍していなかった選手が高校、大学、プロの世界で活躍している。こんなことが、1つや2つではなく数多く起きている。
決して結果が伴わなくても、折れずにサッカーを好きでいること。これだけが、終局を迎えても大逆転できる者の才能なのだろう
振り返れば、私にはその才能だけはなかった。常に1番遅くグラウンドに来て、1番早く帰るし、食事や睡眠管理なんて全く意識してこなかった。持っている才能に胡座をかいて、その力こそ全てだと思い込んでいた。きっとどこかで、光を浴びない時期を過ごしたのなら、今日までこのスポーツに囚われることもなかった。
けどきっと、そんな現実に甘えていたのかもしれない。だから、挫折をしても尚、本気でサッカーを好きになれなかったのかもしれない。
沢山の舞台で、勝利も敗北も経験し続けてきた学生サッカー。
頂点も地獄も経験してきた俺だから、全て知ることができた。
サッカーと出会った5歳の時から、自分の人生は大きく変わった。そんな22年間だったと思う。
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堅っ苦しいのはこの辺にして、少し話を変えましょう。
周知されている方も少なくないでしょうが、私は麻雀が大好きです。先に言っておきますが、賭け事ではありません。紳士のスポーツです。まさか、この引退ブログで1人の先生が麻雀に触れた時には、居ても立っても居られず、友達との予定を切り上げ慌てて雀荘に行き、我に帰った時には牌に触れていました。
麻雀、これはサッカーに良く似ていると私は思う。麻雀には実力に加えて運が求められる。対局する雀士、座っている席、配牌、ツモ、風。全てが勝敗に直結する。サッカーでも同様に、実力を発揮するだけの、理屈ではない強運が人生を変える。その1試合で、プロになるかならないかまで決めてしまうのだから。
私が麻雀で1番堪らない瞬間は上手くいっていない、つまりラス目(ビリ)の着順に立っている時の振る舞いである。求められるものは、全てをひっくり返すドラマのような一発の上がり。思考の深さ、腹を括る覚悟。全てが問われる。
まさに今、チームは似たような状況ではないだろうか。少し前まで優勝が射程圏内であったチームが、ここまで苦しい状況になるとは誰も想像もしていなかったはず。
それでも「どんな状況でも、自分が最強であると思わなければならない。」尊敬する雀士が言っていました。
私は試合前に、麻雀を見るルーティーンがあります。これは実に気合が入ります。
私のお勧めは、Mリーグ2020レギュラーシーズン85日目第2試合南四局一本場。フェニックス近藤誠一の、沈没寸前のチームを救い出した伝説の瞬間です。
1つの勝利がチームの人生を変えた一局、涙せずにはいられませんでした。
実に単純な話で、明日の最終節も、首位の相手に勝てばいいだけです。難しいことではない。全てのストーリーが最後勝つためにあるとすれば、例え勝木がビルドアップで相手のFWにパスしようと、藤井先生の右手と膝がもげようと、川合先生が長考しようと、全て大したことではない。限定マスコットマナト君がぶち抜かれるのは予定通りです。最後は皆に託します。
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ソッカー部社会人スタッフの方々
まずは、この私を最後までソッカー部員として残していただいたことに御礼申し上げます。社会人スタッフの方々には多大なご迷惑をお掛けしました。この3年間、自分の持っている力をソッカー部に貢献できなかったと反省しております。特に刀野コーチには、最後まで信頼してくださったにも関わらず、最後に結果がついて来なかったことは、自身の責任を感じざるを得ません。最後、私の分まで同期が勝たせてくれることを信じています。
これまで関わってくださったサッカー関係者の方々
国分寺第五SC、FC東京ファミリー、桐光学園、そして他にも、これまで私を応援してくれていた全ての方々に改めて感謝申し上げます。皆さんが期待されていたような結果を成し遂げられておらず、申し訳なく思っております。
指導者の方々には、チーム1わがままでエゴな選手を、本当に大事に育てていただいたなと強く感じております。
「祥太の課題はサッカーに必要な技術でも体力でもなく、メンタルだ」と、昔から常々言われ続けてきましたが、全くもってご指摘の通りです。きっとサッカーをやっていなければ、自分の弱さと向き合うことはなかったと思います。慶太と俊真と江ノ島で北さんに遭遇した時は、一瞬変な汗をかきましたが、良い報告ができるよう頑張ります。
同期へ
最後の年にソッカー部でサッカーをやることを受け入れてくれた同期に感謝しています。
特に今シーズン、多くの時間一緒に過ごしてくれたメンバーは、こんなに自由奔放に好き勝手やる俺と仲良くしてくれて本当にありがとう。
みんながいなかったら、超気分屋な俺がこの組織でやることはできなかった。これを読んでいるオニは明日の試合でも相変わらず端正な顔立ちで開始1分でガッツポーズをされると思いますが、森田の荒々しい鼻息がここまで聞こえてきて気持ちが悪いので、この辺にしておきます。それと、この組織に残れたのは、ばーちーのおかげです。本当にありがとう。早く麻雀しようネ!
ひちゃま(勝木)は私のことを最後まで子供扱いし、面倒を見るのが大変だと嘆いていましたが、実は私がひちゃまの面倒を見ていたことに最後まで気づかなかったようです。引退旅行は、3人で202号室で。リベンジさせてあげる、ボコボコにするけど。
私が後輩に対して言えること、四六時中考えましたがこればかりは言える筋合いがないです。唯一心配しているのは、雀士人口の激減で左貫先生が孤立することでしょうか。1年生に有望な選手が隠れているようなので、育成をお願いします。あとはそうね、ふじば先輩にエド、残留決めたら飲み行こうな。神戸のゴリラに会いに行こう。もう少々私はキャンパスにいるので、響をはじめSFCの方々は温かい目で見守ってください。意地でも卒業します。
家族へ
完全防備のマンションに車まで与えてもらい、大学生として何不自由ない環境で生活させてくれたことに感謝しています。最近になってバリちゃん(父)がエリートなことを知りましたが、仕事と同時にゴルフの成果も上げられるように頑張ってください。バリちゃんに厳しく言われなければ、今の自分はいないと思います。めーちゃん(母)は何を言っても忘れ、何を言っているのか分からないことが多々ありますが、キャリアのどこかでMリーガーを目指す時が来るかも知れないと伝えておきます。俺よりも何倍も頭がおかしいお兄ちゃんは、そのあまりに枠から外れた行動で家族を苦しめてきました。国際大会の授賞式で、大衆がいる中スタンドから大声で叫んでいる姿を見た時は、さすがに同じ血の通う人だと思われないように振る舞うので精一杯でした。年末恒例の家族麻雀は、お兄ちゃんの家の全自動卓囲んで打ちましょう。卒寿が近いメーママ(祖母)がワインを片手に乗り込みます。言うまでもなく、沢山迷惑をかけてきました。
自分なりに少しでも親孝行できるように頑張ります。
次回のブログは、小池真寛(4年・慶應義塾志木高)です。
未だに覚えいています。私が初めてB練に出た後、部室で「くりとは仲良くできそう!!」とニコニコして言ってきた日のことを。何を感じ取ってそれを言ってくれたのかは本人しか知りませんが、以降、練習の行き帰りから遊ぶ時まで一緒の仲の良い同期の1人です。今シーズンは膝の大怪我の影響で彼のサッカーを見れておりませんが、治療に励み、家ではFIFAをやってコンディション調整に努めています。一方で、家に遊びに来るときにはお菓子を大量に持ってきてはバクバク吸収してお腹に溜め込んでいます。気づいたら随分可愛くなって昨年の私のような体型になってしまいました。彼曰く、これはパンプアップ中です。そんな栄養を沢山蓄えた何を綴るのか。乞うご期待!!
《NEXT GAME》
10月13日(日)関東リーグ戦 第17節 vs立教大学 @立教大学富士見総合グラウンド 14:00キックオフ