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2024.10.04 引退ブログ

「南四局、一本場」(川合我空)

平素より大変お世話になっております。今回、ブログを担当する商学部4年の川合我空と申します。

千葉、紹介ありがとう。千葉とは部内で最も多くの時間を共にしたかもしれません。チームのため、人のために身を挺する強さを持つ彼には、日々尊敬の念を抱くばかりです。あと少し頑張ろう。
そういえばいつかの練習中、一度だけ千葉にキレそうになったことがありますが、事情が事情だったので咎めるのを辞めました。残念ながら、事情が事情すぎるため詳細は記載することができません。余談ですが、それ以来飲み会で千葉と茅野が熱く抱擁を交わしている光景を目にする度になぜか涙腺が緩みます。事情が事情なので。どうしても詳細が気になる方は本人達にお問い合わせください。多分、茅野が迫真の演技で忘れたフリをします。

本題に移ります。

思い返すとこの4年間、友人から「てか辞めたくなんないの?」と尋ねられる機会が非常に多かった気がします。毎朝始発に乗って練習に向かうこと、OFF返上での20連勤、12時間ミーティング、Wi-Fiも届かない環境で朝5時半に起床し、山道を爆走する山中湖合宿。字面だけ見たらそれなりに特異な生活を送っていることは確かですが、同時にこれだけの日々を好き好んで(本当に好き好んでいるかは知りません。)送ろうとするだけの動機が、部員たちの胸中には存在しているはずです。

何を書くか迷いましたが、上記の内容に触れつつも、サッカー人生を通して考えてきたことや今想うことをストレートに綴ろうと思います。

示唆に富んだ内容ではないと思います。柄にもなく真面目なことを言っているかもしれません。千葉があれだけソッカー部員たる生き様を示してくれた後には恥ずかしいくらい、エゴイスティックな内容になっていて大変に恐縮です。どこにでもいるアマチュアサッカー選手の競技人生ですが、それでも興味がある方は是非、最後までお読みください。

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18年に及ぶ我がサッカー人生が、遂に終局を迎えようとしている。

曲がりなりにも真摯に、誠実にこの競技と向き合ってきた結果だろうか。振り返ると多くの光景が、その時々に抱いた感情と共に想起される。

サッカーを始めた理由はあまり覚えていない。運動神経は人並み、外遊びが好きな、至って平凡な少年。きっとサッカーは、当時の私にとって鬼ごっこや隠れんぼといった類の、単なる遊びの一つに過ぎなかったはずだ。その”単なる遊び”に魅了され、その後20年弱という年月を支配されることになるのだから人生は面白い。

「ぷろさっかーせんしゅになりたい」

卒園アルバムに記してあった。勿論、当時は明確なビジョンなんて持ち合わせていない。友達も同じことを言っていたから。なんかカッコいいから。当時の心境はおそらくこんな所。暫く経って、幼馴染がJ下部とやらに移籍することを聞いた。どうやら、そこに行けばプロになれるかもしれないらしい。程なくして、よく試合を観に行っていた川崎フロンターレのセレクションが開催されることを知る。

「これだ。」

両親にセレクションの受験を直談判した。後日談だが、両親は完全に記念受験のつもりだったとか。小学校の登校前、父は毎朝、自主練に付き合ってくれた。四六時中、どこへ行く時もサッカーボールと一緒だったと思う。いや、流石に港北区のショッピングモールで通りすがりの客を相手にドリブル練習をしたりはしてないか。なんとか3次セレクションまで辿り着き、数日後に結果が通知された。合格。受験者数百名のうち、事前のスカウトを伴わないルートで合格したのは私を含めて2人だった。改めて奇跡としか言いようがない。川崎フロンターレというクラブに出会い、拾われたことで、大袈裟でもなんでもなく人生が変わった。この縁に、恩義を感じずにはいられない。

生き地獄、入団当初を回想するとこんな言葉が思い浮かぶ。この頃が全盛期と名高い茅野優希を始め、同期が10分そこらで終わらせる練習前のリフティング課題が終わらず、グラウンドの端で一人、2時間リフティングだけして帰らされたこともある。目の前の相手にボールをプレゼントして、数え切れないほど失点を重ねた。その度に「プロだったらお前らはクビだ」と怒鳴られたことが懐かしい。ヘタクソなのにPKストップだけは得意だった。当時太っていたことから「太っているのに飛べる」“紅の豚”といじられたこと自体は結構おいしかったが、よく考えると小学生相手にそのいじりは大分怪しい。コンプラ的に。

とにかく、必死だった。
全ては、プロになるため。

川崎フロンターレU-15(中学生チーム)に昇格してからは次第に評価を得る。

「骨が折れてもゴールを守れ」

今も大事にするこの言葉を授かった恩師からは一人のGKとして、また一人の人間としてその在り方を学んだ。
中2。一学年上の公式戦に何試合か出場。自分の代から唯一、全国大会にも帯同させて貰った。
中3。チーム事情も関係し、幸運にも川崎フロンターレU-18(高校生チーム)での活動が増える。平日のOFFはU-18で強度の高い練習を。夏の遠征にも参加した。U-15の活動が終わった受験シーズンも、U-18の活動と受験勉強の二足の草鞋を履いた。

刺激的な環境に身を置き、加速度的に成長している確かな実感があった。相変わらずヘタクソだったが、このままいけば本当にプロが見えてくるかもしれない。ここからが勝負だと、自らを奮い立たせる。1点を除き、事はそれなりに順調に進んでいたと今でも思う。

だが、その1点故に、私は夢を公言することを辞めた。

身長が、足りなかった。

以前のブログで言及したので詳細は省くが、とてもプロのGKとして、サッカーで飯を食っていける水準には達してなかった。朧げだった夢が現実的になりかけた矢先、儚くも崩れ去る。現実を受け入れることは難しかったが、それでも受け入れざるを得なかった。もし、将来到達する身長がわかっていたらGKなんて始めていなかっただろうが、そんなことができたら苦労はない。
感情の矛先をどこかに向けようにも、誰が悪い訳ではないことくらい理解していた。

それでも、サッカーを辞めることだけは身体が拒絶した。それ程までにサッカーに、もっと言えば、勝敗を伴う残酷な世界を生き抜くことでしか得られない快感の虜になっていた。自ら選んだ土俵を降り、勝負を放棄することなどできるはずがなかった。
そして、先がないとわかっているサッカーを、敢えて続ける大義を決めた。

「価値の証明」

どんな逆風に曝されたとしても、考え得る最高峰の舞台で自らの価値を示すこと。そのために来たる敵を薙ぎ倒して、最後には勝って競技の舞台から退く。U-18の3年間はそのためだけに過ごした。実力が拮抗したライバルとポジションを争う毎日。周囲の実力者に助けられながらも素晴らしい経験をさせて貰った。文字通りサッカーで飯を食ってきた指導者の方々から受ける指摘は相変わらず厳しいものだったが、それも素直に受け止めて内省を繰り返した。誇れる武器を、誇れるプロセスで身に付けた。3年次にはゲームキャプテンを任せて貰える機会もあった。
フロンターレに入団が決まってから約8年、少しだけエンブレムに恥じない選手になれた気がした。

確かな成功体験を携えて、大学サッカーに挑む。入部して即Aチームに昇格して、開幕スタメンを狙おう。遅くとも後期にはスタメンで関東リーグに出て、大学サッカー界に名を轟かせる。学年なんて関係ない、相手が4年だろうが同期だろうが、出場機会を譲るつもりはない。

勘違いも甚だしいが、本気でこう思っていた。そうして、私の大学サッカー生活が幕を開ける。

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早いもので、ソッカー部の門を叩いてから3年と7ヶ月が経過した。

結果はどうだ。実績を書き記そうにも、成し遂げたことが無さすぎて書くことがない。強いて挙げるなら、おそらくソッカー部史上初めて、練習初日の段階で「ロン毛」を理由に帰宅を命じられたことくらいだ。「髪が長くてすみませんでした」と謝るのは後にも先にもあの日だけであろう。というか、普通にあの日だけにしなければならない。あの時の友峰さんはマジで怖かった。

小休止にしてはエピソードが強すぎる気もするが、話を戻そう。

所属カテゴリーは今、降格の危機に瀕している。関東リーグや早慶戦ではゴールマウスからではなく、応援席で喉を枯らす始末。それもメガホン付きである。
全くもって情けない。それでも、この部に来たことを後悔はしていない。

「他人の見えない努力を想像し、リスペクトを持つこと」
「相応の責任を果たそうとすること」

紛れもなく、この部に来て得たものだ。生涯の財産になると確信している。

心なしか、4年生と同カテゴリーでポジションを争うことが多かった。時に、4年生の席を奪って試合に出場した。試合に出るということは、同時に、誰かの出場機会を奪うということ。引退を間近に控える4年生の貴重な1試合を奪っている、その事実が少しだけ私を成長させた。“彼ら”は引退を迎える度、「もう怪我すんなよ、お前が出たら関東観に行くわ。」、「太鼓係で終わるなよ、期待してる。」と私を激励した。その言葉に、奮い立たずにはいられなかった。
(だいぶヨイショしておいたので、思い当たる先輩方は引退したら飯連れてってください。)

当然、先輩方に限った話ではない。
選手を辞めてまで組織に身を献げる人間が、「チームの勝敗」という重責を背負いながら腕章を巻く人間が、PPTを使いこなして完璧なセットプレー資料を届ける人間が、まるで3年前の自分を見ているかのような、そんな刺激を与えてくれる有望な後輩が、キャリアを壊しかねない大怪我を負いながら、それでも気丈に振る舞う青髭の漢が、責任感を燃やしてピッチを駆け回る、インスタ共通フォロワー460人超えの腐れ縁が。
彼らはほんの一例に過ぎないが、皆がそれぞれの立場で、きっと私たちの見えないところで葛藤し、苦しみながら責務を果たしている。

この部にいると、何かと“学年”や“ピッチ外”が付き纏う。入部当初、理解できない慣習の数々に、少なくない疑念を抱いた。それらが完全に拭えたか、と聞かれたら、今も心の底からYesと答えることができない。

でも多分、それがソッカー部という場所なのだろう。

だとしたら、自らに与えられた責務を果たさなければならないと、強く思う。
試合に出られない立場を肯定しているようで、本当は応援団長なんてやりたくない。
それでも声を張り上げよう。
たとえ骨が折れたとしても、所属カテゴリーを残留させなければならない。

最低限、それくらいは遺さなければ、先人たちに合わせる顔がない。

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終局の時が、刻一刻と迫る。

戦局は大詰め。多少の不運もあった、自らの実力不足で幾多のチャンスを逃してきた。

全て受け入れよう。誰かの言葉を借りるなら、それでも、前を向こう。
まるで前述の大義を捨てたかのような物言いをしてきたが、そんな気は毛頭ない。

麻雀という紳士のスポーツがある。複雑なルールを簡潔に纏めると、「ランダムに手牌を入れ替えながら役を作り、東一局から南四局まで計8回のラウンドで、点数を競い合うゲーム」といった所だろうか。
そのゲーム性故に最終ラウンド、つまり南四局ではより高度な状況判断、そして何より、戦況をひっくり返すだけの豪運が求められる。
たとえどれだけ一着と差が付いていたとしても、一縷の望みに懸けて為すべきことを為す。
稀に、嘘みたいな逆転劇が起こる。

私は、或いは私たちは、今まさにそんな局面に立っている気がしてならない。
現時点では目標とかけ離れている、残された時間も僅か。

上等じゃないか。

もし、今から戦況をひっくり返して誰もが驚く成果を挙げたのなら、こんなに面白いことはない。

嘘みたいな逆転劇は、狙った者にしか起こせない。

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長く纏まりのない駄文でしたが、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。ここからは例によって、関わっていただいた皆様に感謝の意を述べさせていただきます。該当していない部分を読まれるのは恥ずかしいので、適宜飛ばしてください。

ソッカー部社会人スタッフの皆様。
淺海前監督、中町監督始め、関わっていただいた全ての方々に御礼申し上げます。特に髙橋さんには大変お世話になりました。髙橋さんのお陰で、GKとして後悔を残さずにサッカー人生を締め括れそうです。あと少し、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。引退後のGK会が楽しみで仕方ありませんが、ダウンジャケットは取り違えないように注意します。

川崎フロンターレ関係者の皆様。
サッカープレイヤーとして、人間として、大事なことは全てフロンターレで学びました。本当に、感謝してもしきれません。私を拾ってくれてありがとうございました。退団以降、もし機会があればセレクションで獲ってくれた理由をお聞きしたいなと思ってました。いつかご飯に行けたら嬉しいです。また先日、クラブユースを観戦しに行った際、ほぼ無名だった私のことを覚えてくださっているサポーターの皆様がいることに少し驚きました。皆様とも、いつかGゾーンでお会いできたら嬉しい限りです。

後輩へ。
このブログを読んで何を感じ取ってくれたかはわかりません。当然、何も成し遂げていない人間から皆に偉そうなことは言えない。でも、もし何かを伝えるとしたら「自らの人生の唯一の当事者として、ソッカー部生活を歩んで欲しい」ということでしょうか。ブログで責任という言葉に触れました。たとえ数年後、君たちのソッカー部生活が望まない結末を迎えたとしても、誰も責任を取ってくれない。だからこそ、後悔しないように。どんな状況下でも内省を繰り返して過ごして欲しいと思っています。ベクトルの向け方は、確か堀溝先輩が詳しかったはず。特にプロ志望勢は心から応援してます。飯でも行きましょう。川名は、、、他の先輩とどうぞ。

潤太、快、テイラー、大次郎、計盛、桂匠へ。
特定の誰かに対するメッセージは残しません。思ったことは日頃から伝えてるつもりです。残り少ない期間でなんとか、残せるものは全て残します。来年誰が関東に出るのか、楽しみです。頑張れ。

同期へ。
部室で過ごす、あまりにも生産性のない時間が結構好きでした。お陰様で、何を言われても動じない精神性を身につけることができました。堀溝くん、村上くん、ありがとう。
引退したら、また横浜のビアガーデンで馬鹿騒ぎでもしましょう。Snapchatで尖り散らかし、日吉の中庭でふん反り返っていた入江は今ではすっかり丸くなってしまいましたが、また人数分のテキーラを奢ってくれるはず。根津は、んー、訳あって来ない方が良さそうなのでまた今度。
4年の意地を見せましょう。

健、千葉、根津へ
最後にポジションを争う同期が3人で良かった。積もる話は引退後、約束の〇〇で。
あと少しだけ、慶應のために身体を張りましょう。

両親へ。
あまり言ったことないと思うけど、2人から貰った我空という名前、めちゃくちゃ気に入ってます。私は、名を付けた当時に2人が思い描いたような人間に育っているでしょうか。
改めて振り返っても出来過ぎな人生だけど、ここまで来ることができたのはひとえに2人の支えがあったからだなあ、と思ったりもします。多くの負担も掛けてきました。
いつも、本当に、ありがとう。
でも、小学生の私を飲み会の締めのラーメンに誘うのだけはやめて下さい。
親孝行には時間をかけます。ひとまず、初任給で食事にでも行きましょう。

その他、学内外の友人の皆様にも助けられました。
地元の人たち、塾高時代からの友人たち、お酒の嗜み方を教えていただいた帰国子女軍団、大学に入ってから出会った体育会他部の方々。特に「マツケンサンバⅡ」を武器にカラオケという戦場で躍動する新百合ヶ丘の怪物には世話になりました。いや、どちらかというと世話をしました。
早慶戦の応援や何気ない労いの言葉など、何かと気にかけてくれるのは嬉しかったです。
引退したら暇になるので、いつでも遊びに誘ってやってください。

さて、次の担当は森田将太朗です。
“熱血漢”という言葉が似合う彼ですが、熱すぎるあまり、練習中には

「おいr亜Ⅰが絵gこfd○△#….!!」

と言って我々を困らせます。普通にはっきり喋って欲しいですが、ブログは文章なので安心ですね。愚直すぎてたまに怖くなりますが、その熱量は素直に凄いと思っています。そんな森田が何を綴るのか、乞うご期待!

《NEXT GAME》
10月6日(日)関東リーグ戦 第16節 vs拓殖大学 @拓殖大学八王子国際キャンパスサッカー場 16:30キックオフ

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