2024.10.03 引退ブログ
「開拓者」(千葉俊介)
平素よりお世話になっております。
経済学部経済学科4年の千葉俊介と申します。
壮、熱すぎるブログをありがとう。
7年目にもなると流石に深い絆を感じます。
高校のメンバーで誰よりも早くソッカー部に入部することを決め、熱い志でサッカーに取り組み、道を示してくれる壮がいたからこそ、僕たちの代で計6人も志木高出身者がソッカー部に入部したのだと思います。ありがとう。
そういえば昔どこかで「ポエム上手は恋愛上手」という言葉を耳にしました。まさに壮にぴったりの言葉でしたね。含みは特にないです。
あと少し、一緒にもがきましょう。
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現状、所属カテゴリーであるBチームは降格の危機に瀕しています。
個人としても直近の2週間はサッカー選手として様々なことを経験し、大きく価値観が変わる出来事もありました。
そんな状況の中、この伝統ある引退ブログに何を書こうか。とても悩みましたが、自身の4年間を素直に振り返り、感じたことを飾らずに書きます。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
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始めに。
ソッカー部員としての思いを綴らせていただこうと思います。
私は組織愛が強い方だと自負しています。
この組織の好きなところは数えきれないですが、1つ挙げるとするならば、一見サッカーとは関係のないようなものもある様々な伝統と文化を理解し、それらをチームの勝利に繋げていくことのできる柔軟で賢い人たちが集まっているところでしょうか。
また、そうした文化を理解してもらうために、たくさんの人が理解の過程でもがいている人に寄り添う、そんな温かいこの組織の一員であることを誇りに思っています。
そんな視点で組織を見ているとふと思うことがあります。
私はこの素晴らしい組織によって生かされているのだなと。
大好きなサッカーに好きなだけ打ち込み、大切な友人たちに囲まれ、毎日必ず笑顔になることができるのは、体育会ソッカー部があるからなのだと感じます。
もちろん、世の中にはサッカーに本気で打ち込む場所は無数にあるし、友達と過ごす時間も場所も無限にあると思います。
ただ、現時点で私自身が最も幸せを感じられる場所は、この場所以外ないのだと胸を張って言うことができます。
そんな当たり前のことをたまに考えながら、今は1人の部員として、偉大な先輩たちが築いてきた100年に近い伝統があるこの組織を、どうしたらより長く、より強く、より居心地が良く、より愛される組織にしていけるかが、ソッカー部員としての大きなモチベーションになっています。
普段の部活動はもちろん、未来のソッカー部員を育てるKSSも、地域の方々と直接交流ができる社会貢献活動も、上記のようなモチベーションがあったからこそ続けてこられたのだと思っています。
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そんな私も下級生の頃は「組織のため」とか「役割を持つ」等の文化を頭では理解しながらも、ただサッカーに打ち込み、自分の成長だけを大切にする人間だったと思います。
私の中で大きく価値観が変わったきっかけは、2年前の3部降格の瞬間にあります。
降格を決めた笛が鳴った瞬間、私は2年生ながら「3部降格」という事実の重みがよく分からず、応援席の最前列から周りを見渡したのをよく覚えています。
ピッチ内で倒れこむ選手を見守る部員、下を向き落胆の表情を浮かべている部員、泣きながらピッチ内にいる選手に向かって声をかけていた4年生。
多くの人がそれぞれの表情を浮かべる中で、私はなぜか応援席にいる当時3年生の選手が号泣する姿に目を奪われました。
その選手は、TOPチームの選手として多くの関東リーグに関わってきたものの、入れ替え戦には怪我により出場することができませんでした。
そんな背景を聞き彼自身の悔しさは理解しつつも、自分が出ていない試合でチームの敗退という事実に対して涙を流している光景を見て、自分自身にはサッカー選手としてもソッカー部員としても、TOPチームの勝利に対して向き合う覚悟と責任が足りてないことを痛感しました。
この経験を機に私は、サッカー選手としてはもちろん、ソッカー部員としてもより一層チームのことを考えることができる人間になりたいと思うようになりました。
私の中でソッカー選手としての大きな目標となったその選手は翌年、副将としてチームを2部昇格に導きました。憧れて良かったと、今でも心の底から思います。
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こうして改めて振り返っても4年間素晴らしい組織にいたなと思います。
毎日練習の30分以上前から練習の環境を整えてくれている学生スタッフ陣や、試合前には夜中まで準備をしてくれるマネージャ―達、試合を梯子してでも駆けつけてくれるトレーナーの2人等、尊敬という言葉だけでは片付けられないほど献身的な人たちがこの部活には存在します。
そんな人たちを見ていると、自分のことだけ頑張っているのが馬鹿馬鹿しくさえ感じます。
間接的にでも誰かのために頑張ることができる皆さんは憧れでした。ありがとう。
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約17年間のサッカー人生で学んだことは、結局人を突き動かす原動力は”憧れ”なんじゃないかということです。
この人みたいになりたい。とか、この人を超えたい。とか、この舞台に立ちたい。とかとか。
少なくとも、私の原動力はそんなものばかりでした。
この部には、そんな憧れる人物に値する人間が何人もいると思います。
これを読んでいる後輩たちには、この部活で自分ならではの憧れを見つけて、自分だけの4年間を紡いでいって欲しいと思います。
そしてまた、誰かに憧れられる人間を目指してください。
君たちはそれができるとても優秀で生意気な後輩たちだったと思います。(特に瀬戸君とか小野君とか。)
応援しています。頑張って。
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次にサッカー選手として。
少しだけ、4年間を振り返らせていただきます。
僕が体育会ソッカー部の門を叩いた理由は、「村上健を超えるため。」でした。
高校2年生の頃、それまでの人生で周囲に経験者のGKが少なくライバルと呼べる選手がいなかった私は、選手権の全国大会でチームを勝利に導き、会場を駆け回る同年代のGKを見て、「この選手が今の自分のライバルだ」と勝手に決めつけ、その後1年間を村上健を超えるために練習に励みました。
高校サッカー部引退後、尊敬する兄の背中を追いかけアメフト部に入ろうか悩んでいた私は、健がソッカー部に入部することを知り、迷わずソッカー部を選択しました。
入部前に同期LINEグループが作られた際、写真からでもお尻の大きさが分かる川崎フロンターレの練習着を着たアイコンの川合くんと等々力スタジアムで志木高サッカー部を睨みつけた190cmの身長を持つ根津くんがいることも知ってとても驚きましたが、むしろ彼らと戦えることにとてもわくわくしたことを覚えています。
もちろん今は、純粋に関東リーグという舞台への憧れやサッカー人生の集大成として1番になりたいという様々な思いがあり、以前より強い熱意でサッカーに取り組んでいますが、入部の決め手は上記のような思いがありました。
1年目。周囲との実力の差は予想以上に大きく、怪我期間も含めた入部当初の約2か月は女子部の練習への参加でした。「今年の1年生のGKはレベルが高いな」という先輩たちの言葉に自分の存在を感じられず、とにかく必死にライバルたちの背中を追いかけたシーズンでした。
それでも格好いい先輩たちに囲まれて、日々着実に成長していくことを実感するのが何よりも楽しく、幸せな1年間でした。
2年目。この年は、とにかくサッカーに捧げた1年だったと思います。日に日に上がっていくコンディションとは裏腹に、なかなかカテゴリーが変わらない現実に悩んだものの、とにかくいつかの成功を信じて練習に励みました。大好きな学生コーチが率いるチームでシーズン唯一の勝利を掴んだあの時の喜びは、今でも忘れられません。
3年目。チャンスを掴み、チャンスを活かせなかった1年だったと思います。
何度もチャンスを貰ったものの、その度に萎縮し実力を発揮できず、チャンスを活かせませんでした。
挙句の果てに怪我で計4ヶ月ほどの長期離脱を余儀なくされ、自分自身の実力不足と弱さを痛感した1年でした。
それでも4年目は必ず結果を出すと強い気持ちを持ってシーズン終了後の練習にも全力で励んできました。
4年目。慶應のGKとして3年間求められてきたものに加えて、全く新しいものが求められるようになりました。
シーズン当初は新しく求められたものに適応できず、最初の練習試合の序列は下から2番目、17分しか出場できなかったことを強く覚えています。
それでも、最後に笑えるように日々課題と向き合い、必死で練習してきました。
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こうして4年間を振り返ってみても、自分自身の取り組んできたことに大きな後悔はありません。
日々出る課題と向き合い、それらを練習外の時間でも改善に向けて取り組んできたと自信を持って言うことができます。
ですが、今の自分の現状を鑑みると、自身の努力不足が生んだ結果であり、細かいところに甘えがあったのだと感じます。
特に結果と向き合うことに関しては、足りていなかったなと実感しています。
うまくいかないときや結果が出ない時に、どこかで自分の入部時の状況を盾にして、自分は最後に笑えればいいんだと逃げ続けてきたのだと思います。
目の前の悔しい結果に対して「自分は下手だから練習で解決するしかない」と言い聞かせ、常に先ばかりを意識してきてしまいました。
いつしかうまくいかないことに対して慣れを生み、それを前提に勝負に挑むようになってしまったのかもしれません。
もちろん、結果を受け入れ切り替えることは大切ですが、それ以前にサッカー選手として最も大切な結果に対してもっと貪欲になり、向き合うことが足りていなかったと深く後悔しています。
目の前の一つの勝負に対して人生をかけるほどの本気度で挑み、結果に対して大いに一喜一憂し、その上で改善を繰り返せば、今見えている景色も変わっていたのではないだろうかと思います。
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4年間、辛いことの方が多かったと思います。
どれだけ練習しても敵わないんじゃないかと恐怖を抱くことも少なくありませんでした。
4年間、何も残せず終わってしまうのではないかと眠れない日を過ごしたこともありました。
たくさん怒られて、いろいろな人に迷惑を掛けました。
それでも朝グラウンドに出れば、気付けば心の底から楽しくボールを蹴っている自分がいました。
部室でする他愛もない会話が毎日の楽しみでした。
合宿所でチームのために頑張る誰かに会うたびに、勇気を貰いました。
辛いことも多かったけれど、楽しいこともたくさんあった4年間だったと思います。
たくさん悩んで、たくさん笑ったからこそ、ソッカー部で過ごしたその全てが、特別だったと感じます。
関わってくれた皆さん、本当にありがとうございました。
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Bチームの後輩へ。
現状、背中で示せる4年生じゃなくてすみません。
それでも残り2試合は、4年生として全てを懸けます。遺せるものは全て遺します。
左貫も、古金谷も、義仁も、直希も、柊治も、田形も、エドサも、瀬戸も、結果がなかなかでなくても必死にもがいている姿は、いつかきっと報われると思います。(もちろん他のみんなも。)
「今日という日が、ソッカー部での未来に繋がっていると信じて努力し続けること。」
大学3年生、結果がなかなか出ず悩んでいた時期に、淺海前監督がかけてくれた一言です。この言葉に何度も救われてきました。
どうしても辛い時、この言葉を信じて努力し続けてください。
全員で2勝して、みんなでまたバーベキューしよう。
同期のみなさん。
入部当初、TikTokの話題もウイニングイレブンの話題も通じない皆と仲良くできるかとても心配でした。
上級生になって、根津と紘生を中心に少しずつみんなで1つの考えを共有できるようになってきて嬉しいです。
心の友・達明へ。これからもよろしくね。
くりしょう。あの日は本当にありがとう。
凌万と一葉。いつも本当にありがとう。君たち2人がグラマネでよかったです。
慈英、ラストお互いがんばろうね。
全員で優勝しましょう。
鬼丸へ。
4年間、本当にありがとう。
お礼書くのが恥ずかしいくらい長い時間を共にしました。
君がいない寮生活は、もう想像すらできません。
それほどまでに僕の人生にとって大切な存在でした。
これからも変わらず、仲良くしましょう。
あと少し、2人で夢を掴みましょう。
下田寮の後輩へ。
引退したら、あつきの部屋でみんなでゴキブリ退治をすることも、岡田の亡霊を見ることも、成貴vs電柱を見ることも、神志那のメンブレを見ることも無くなるのはとてもさみしいです。
石田と亮友、ずっと応援しています。頑張れ。
そして、下田寮で過ごしたからこそ見ることができる4年間があると思います。
適度に息抜きして頑張って。
GKの後輩たちへ。
ユンテに伝えることはもうありません。来年、関東の舞台で22試合出場することを楽しみにしてます。必ず見に行きます。
みおへ。努力はきっと報われます。それだけを信じて、頑張って。
快とテイラーには、2年間で伝えるべきことは伝えました。強いて言うなら、2人の関係性はとても羨ましいです。これからも仲良く、よきライバルで頑張って。
あと快。桂匠が髪型ミスってるって陰で笑ってたよ。
大次郎へ。君のプライドと信念は心の底から尊敬しています。自分を信じて頑張って。
計盛と桂匠へ。
ブログを執筆することになった際、君たちにだけでも響くものがあればいいなあと思ってこのブログを書きました。たくさん練習して、大いに一喜一憂して、悔いのない4年間を過ごしてください。応援してます。
雄大、惠風、純太、昂大、真之介、文矢辺りへ。
カテゴリーは違えど、君たちに絡むのが毎日の小さな楽しみでもありました。
これからも応援しています。特に田中さん。
大下くん。君と話すのが一番楽しかったです。色んな意味でこれからもチームの中心で在り続けてください。
両親へ。
お礼は直接言わせてください。
2人のような人たちのもとに生まれることができて、心の底から良かったと思っています。
これからもよろしくお願いします。
髙橋さん。
3年間本当にありがとうございました。
髙橋さんがいなければ、土台にすら立つことができなかったと思います。
髙橋さんのおかげで充実した4年間になりました。
残り1か月半、厳しいご指導よろしくお願いします。
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健へ。
入部初日、1番最初に話したのも、1番最初に2人で遊びに行ったのもなんのご縁か健でした。高校の頃思っていた10倍くらい変ないいやつでした。
高い基準を示してくれてありがとう。残り僅かだけど、死ぬ気で追い越します。
根津へ。
悩みを相談するのはいつも根津でした。同じポジションとして、良きライバルであり、良き親友でした。
引退したら一緒にスイス行こうね。
我空へ。
1番練習を共にしました。GKとしての技術はもちろん、練習に臨む姿勢も、試合に臨むマインドも、我空から多くのことを見習いました。4年間頑張ってこられたのは間違いなくガクのおかげです。いろいろとありがとう。
最後、一緒に頑張ろう。
4年間という長い人生をかけて君たちに挑戦することができたことは僕の誇りです。
残り1カ月半、これまでの全てを懸けて挑戦し続けます。
本当にありがとう。
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簡潔な文章で締めるはずが、長くまとまりのない文章になってしまいました。すみません。
もうすぐ引退するかのようなブログを書きましたが、まだまだしません。
1回でも多く、勝利を掴むことができるよう駆け抜けます。
読んでいただきありがとうございました。
明日のブログは、川合我空(4年・川崎フロンターレU-18/慶應義塾高)です。
非の打ちどころのない大人な川合さんですが、ソッカー部を代表する啓蒙思想家・堀溝君によれば、同期ヒエラルキーだとD tierに位置しているそうです。果たしてどうなのでしょうか。
ちなみに僕がガクの好きなところは、褒めるとにやにや嬉しそうにするむっつりさんなところです。
そんな川合さん、大人なブログを書くのか、膝の話をこするのか、はたまた大学生活への未練を綴るのか。
ガクのブログを楽しみにしている同期は多いはず!!皆さま乞うご期待!!!
《NEXT GAME》
10月6日(日)関東リーグ戦 第16節 vs拓殖大学 @拓殖大学八王子国際キャンパスサッカー場 16:30キックオフ