2024.10.02 引退ブログ
「それでも、前を向け」(藤井壮)
平素よりお世話になっております。卒業ブログのトップバッターを務めさせていただくことになりました、法学部政治学科4年の藤井壮です。
とうとう卒業ブログを書く時が来てしまいました。もう4時に起きることも、Fライナーの時刻表を頭に入れておくことも、関東リーグ全試合の得点シーンを追っかけることも無くなると思うと、何だか寂しいものです。ましてや、物心ついた頃には日常にあったサッカーが生活の中心でなくなるなんて想像もつかず、実感がわきません。
涙脆い私は毎年かっこいい先輩達の紡ぐ言葉に涙腺を潤わせながらこの卒業ブログを読んでいました。いざ自分が書くとなるとなかなか手が進みませんが、宗悟に「長い」と言われない程度に自分らしく熱く赤裸々に語らせていただきたいと思います。
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いざ4年間を振り返ってみて、大小様々楽しいことも辛かったことも喜びも悲しみも、自分の喜怒哀楽の感情全てを曝け出した濃密な4年間だった。
誰よりも私の4年間は、浮き沈みの激しいジェットコースターのような日々で、まさしく「激動」の一言に尽きるような時間だった。
1年目、C1チームでIリーグを戦った。当時のグラマネの友己さんとの出会いは特別だった。友己さんとの1年目が無ければ今の自分はいない。入江と共に当時C1チームの監督も兼任してくださっていた高橋さんに、厳しく丁寧に指導をいただき、
「慶應のCBにとって必要不可欠なもの」を学び続けた。
毎週火曜日の二部練、二部練目の砧公園での13kmラン、毎日跳び続けたヘディング自主練。この1年が一番成長を実感した年だった。
Iリーグ全試合、新人戦数試合に出させてもらい、11月の代替わりのタイミングでTOPチームに昇格することができた。
12月の天皇杯でTOPチームデビューを果たし3試合にスタメンで出た。
求められる強度、技術、戦術理解のレベルが格段に上がり、毎日が競争だった。
痺れる日々だった。求めていた環境だった。楽しかった。
シーズン開幕前、50m走測定で肉離れⅡ度という意味不明な怪我はあったものの、関東リーグ、アミノバイタルカップ、早慶戦と全ての公式戦を経験させてもらった。
早慶戦のあの景色と雰囲気は格別だった。一生忘れることのない高揚感。早慶の部員がわずか4回のチャンスに人生を懸けて目指す意義があると断言できる、そんな90分だった。
この年出た関東2部6試合、全ての試合で実力不足を痛感した。
プレーオフの90分をベンチでアップする事しか出来なかった悔しさは今でも忘れない。
胸に誓った、学年の前でも公言した。
3年目は「関東全試合出場、2部昇格に貢献する」と。
迎えた3年目。思い返したくもない1年間。
出だしは順調だった。開幕直前で森田の石頭に鼻を折られるというぶん殴りたくなる事はあったものの、沖縄遠征からスタメンに定着し、6月末までスタメンで出続けていた。俺がチームを勝たせるCBになる、ブレイクしてやると日々の練習に全身全霊を注ぎ込んでいた。
忘れもしない6月23日。アミノ2回戦日大戦。チームは大敗し、自身も前半限りで交代。チームの全国大会出場も消え、早慶戦1週間前にスタメン落ち。1年越しのリベンジを期して目標としていた二度目の早慶戦への切符は直前で掴み損ねた。守り続けてきた地位が一瞬にして消え去った。そこからは地獄だった。
TOPサブもベンチ外も通り越し、Iリーグ出場資格が無いにもかかわらずBチームに落とされた。出られる試合が無く、週末は応援するのみ。アピールの場すらなく序列だけが下がっていった。
目標が、夢が、遠のいていった。
練習の行き帰りの電車はバックに顔をうずめて泣いていた。というより涙を堪えることができなかった。嗚咽しながら部活に向かい、毎練習後送られてくる「明日のTOPメンバー」という写真付きのLINEを見て絶望する毎日だった。家の前で涙を拭ってからドアを開ける日々はまさに地獄だった。
食べても食べても体重は5㎏減り、ベッドに入っても寝れない日々。
「あー俺病んでいるのかもしれない」と本気で思った日もある。
それでも、やり続けるしかなかった。前を向くしかなかった。
プロサッカー選手になる。もう一度関東で活躍する。昇格に貢献する。
一歩を踏み出す原動力は1つではなかったが、サッカーこそ私の人生そのものだと言い切れるくらいの熱量と時間を費やしてきた中で、「こんな終わり方でいいのか、俺のサッカー人生」という反骨心が一番強かった。見返してやるというリバウンドメンタリティが前を向かせた。
何度面を作ったか分からない。何度みぞおちにシュートを食らったか分からない。何度ヘディングしたか、何度クリア練したか。しがみついた。跳ね返し続けた。
2か月後にTOPチームに戻ることができた。それでも試合には出られなかった。挙句の果てには11月の練習試合で左肘靭帯断裂。シーズンは怪我人のまま終了した。
ラストシーズン。サッカー人生ラストチャンス。「全てを捧げる」と大旗に書いた。
結果はこのざまである。
3月、新・下田グラウンドに帰ってくる1日前、練習中の接触で激痛が走った。
その日の練習はやり切れたが、次の日歩けなかった。
右膝後十字靭帯部分断裂。
加えて、半月板が関節外にはみ出て膝がぐらつく状態。
手術をして9月に復帰するか、しないである程度の回復を待つか。
後者を選びリハビリを続けた。この右膝に何万賭けたか分からない。何時間費やしたか分からない。何とか6月末に復帰することができた。
復帰ができただけで、スプリントは満足にできず、靭帯が1本無いという膝の不安定感は拭えず、もとより下手なことで、B1ですら試合に出続けられない日々。久しく紺のTOP着には腕を通していない。
1,2年目は山を登っていた。3年目の夏以降転げ落ちた。
1mmたりとも想像していなかった。この時期をこの立ち位置で迎えることを。
情けない、不甲斐ない、悔しい、死ぬほど悔しい。
それでも、俺は前を向いて最後の1日まで足掻き続けることを誓う。
1人の選手として最後まで成長できると信じて練習に全てを捧げる。
この組織の4年として後輩たちに何かを残す。経験を還元する。
1人の漢として胸を張れる生き方をする。
たとえ結果がついてこなかろうと、綺麗事だと言われようと、膝が悲鳴を上げようとも、残り40日ちょっと、泥臭く身体を張り続け最後まで走り続ける。
後輩たちには伝えたい。
4年間はあっという間だ。長いようで短い。
一日たりとも惰性で過ごすな。今を全力で生きろ。
皆は頭が良いから、打算的に目標から逆算して、この時この立ち位置にまでいれてれば順調だと、頭の中で理由づけて整理してしまうかもしれない。
でも、誰も明日自分の身に何が起こるかなんて分からない。明日全治8か月の怪我を負うかもしれない。走れなくなるかもしれない。サッカーができなくなるかもしれない。今がベストコンディションかもしれない。人生何が起きるか分からない。
この4年間順風満帆にいく人の方が珍しい。どん底だと思う時が必ず来ると思う。何をやっても好転しない時さえ来るかもしれない。出口のない暗闇を彷徨ってるように感じるかもしれない。
たとえすぐに立ち直れなかったとしても、それでも、前を向いてほしい。
反骨心をもって、歯を食いしばってほしい。
その挫折が、苦しみが、自分を突き動かすエネルギーに変わるときがきっと来る。
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最後になりますが、この場をお借りして感謝を述べさせていただきたいと思います。
中町監督、淺海前監督をはじめとする社会人スタッフの方々、大変お世話になりました。選手として、人として多くの事を学ばせていただきました。ありがとうございました。
友峰さんから学んだ「CBとして、5番として、漢として必要な事」はこれからも一生忘れることはありません。
ハムストリング、右膝で大変お世話になりましたメディカルの方々、この場をお借りして感謝の意を伝えさせてください。
宮内先生、徹さん、つじ整骨院、順天堂医院、ゆうき先生、みずきさん、吉田接骨院、渉、弥生。ありがとうございました。
同期。
鉄人cap、パッション全振り主務、セットオタク、STier溝、Mリーガー栗、長考かわい、石頭、トレバ、子供部屋おじ、キャンパス界裏の首領、毒舌垢抜けGM、埼玉トークしか弾まない同胞、留年PRADA、世の中常にギブアンドテイクだという事さえ伝えられていれば本望です法政組(闘将、王子、飛鷹征矢、巨人)。特に192cm。
「奇跡の世代」の志木高組。一葉は相変わらずかっこよくて、香山は相変わらず紙一重で天才で、千葉は紙一重で優等生で、まひろはダイエット必須で、こうたろうは7年かけても生態を掴めませんでした。7年間ありがとう。
何度も同期に救われました。罵り茶化し合っているようで何だかんだ優しく仲間想いな同期に巡り逢えて良かった。あと1カ月半持ってる全てを出し尽くそう。
家族へ。
これまで16年間自由に満足にサッカーをやらせてくれて本当にありがとう。
母さん、毎朝自分と同じ時間で起きてくれてありがとう。何度も病院まで送迎してくれてありがとう。週末の楽しみをもっと増やしてあげたかった。
父さん、いつも気にかけてくれてありがとう。自分が試合に出た日の夕飯、父さんの口数がいつもより多いことが何より嬉しかった。
弟、兄貴がウイイレに出てくることはありません。引退します。それでもまた一緒にボール蹴ろう。
怪我しても絶望しても前を向けた原動力は紛れもなく「両親に1試合でも多く活躍してる姿を見せること」でした。この1年半良い報告は出来ていませんが、ラスト1カ月半最後までもがいて努力し続けたいと思います。ラストよろしく。
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さて、次のブログは千葉俊介(4年・慶應義塾志木高)です。
彼ほど下田に居た時間が長い人は他にいないのではないでしょうか。
下田に住み着き、毎日の二部練、自主練を欠かさず、皆が嫌がる仕事も雑務も率先して行い、部門活動にも尽力する彼はまさにソッカー部員の鑑。たまに出る問題発言や勝木との言い争いの時の目のパキり具合だけはいつも見ていて冷や冷やしています。
高校時代からずっと一緒にやってきた彼が、この最後のブログで何を語るのか非常に楽しみです。千葉、熱いブログ期待しています。
《NEXT GAME》
10月6日(日)関東リーグ戦 第16節 vs 拓殖大学 @拓殖大学八王子国際キャンパスサッカー場 16:30キックオフ