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2023.12.04 引退ブログ

「生き様」(山本献)

勝負は残酷だ。
必ず勝者がいて、一方敗者がいる。
勝者は笑い、敗者は泣く。

来年2部で闘う者と3部で闘う者を分かつ試合。昨年度も経験した入替戦。
その大事な局面で我々は、2023シーズンの1年間の中で最高のパフォーマンスをした。

試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、私の目には何が映ったか?
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平素よりお世話になっております。
今シーズン主将を務めさせていただきました、山本献です。

笹、紹介ありがとう。
卒業ブログのバトンをしっかり受け取りました。細かい紹介をすると日が暮れるので割愛させてもらいます。支えてくれてありがとう。

最終節前や、入替戦前に過去の想いに耽り、自身をインスパイアすると肩に力が入ってしまい普段通りのプレーが出来なくなりそうだったので、マネージャーにお願いをしてこのタイミングで公表することになりました。
構想段階では伝えたいことや書きたいことが多すぎて、何を言ってるのか伝わらないのも私らしくて良いかなとも思いましたが、短く纏めることにしました。元は箇条書きで13個、合計1万字でしたが、最も大事だと思う1点に絞りました。

それが、恐らくこの4年間の自分の生き様だからです。

私が書くこのブログは、ソッカー部での学びを書き留め、言語化することで、私という人間が「どのような人間で居続けるのか」を思い出すために書こうと思います。
後輩を感涙させることでも、某亮太の様に軍団内での反響を感じるためでもなく、感謝を綴る場所として書くつもりもございません。
(感謝は行動と結果で示すタイプなので、1番恩返しをしたい両親には自身のベストイレブンの賞状を、監督には胴上げを、先輩方と後輩達には2部昇格という結果を感謝の形としてお送りしました。とにかく大好きな同期への感謝は、飲み会の日までお楽しみに。)

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どれだけカッコ悪くてもいい。自分に恥じない生き方をしろ。

主将の役割は何か。
自分の中での定義は、ピッチ上でキャプテンマークを巻き、身体がもげても闘い続けることと仲間が取るべき戦術行動が分かっている臨戦態勢を作ることだと思っている。

この役割を全うすることがこの1年間の存在意義だった。

監督が今シーズン当初、社会人部屋でホワイトボードに船のような絵を描きこう仰った。「この船のキャプテンは献だけだ、お前が折れなければこの船は沈まない」と。
たゆたえども沈まず (​​Fluctuat nec mergitur)という言葉を思い出した。
16世紀からパリ市の紋章に添えられている標語だ。戦争、革命などの荒波に揺さ振られても、決して折れず生き抜いたパリ市民を象徴している。

この船の仲間と共に最高の景色を見るまで、俺だけは絶対に逃げない。
目の前の嵐にも立ち向かい、心中する覚悟をした。

1年間を振り返るとどんなにカッコ悪い主将だっただろうか。歴代の主将でこれほどにも威厳の無い主将が居ただろうか。しっかり者でも無ければ、喋れば喋るほど噛んでしまう。カリスマ性のかけらも無いカッコ悪い主将。

それでも、船を絶対に沈めるわけにはいかない、その想いだけは常に持ち続けてきた。
ピッチに立ったら、誰かがやってくれるわけじゃない。俺がやらないといけないのだから。

 

誰も見ていないならウォーミングアップのスプリントで妥協しても別に構わない。
準備不足で、最大のパフォーマンスが出せない状況であっても構わない。
制服を着崩して、だらしない格好で歩いても構わない。
ランでもう少し頑張れば入りそうだけど、周りにも入れない人が沢山いるからこの1本は入れなくても仕方ない。
全く持ってそれで構わない。逃げたい時に逃げても全然構わない。

でも、覚悟を決めた以上、そのような振る舞いは自分に恥ずかしくて出来なかった。
慶應の伝統を継ぐ者として、覚悟を決めた者として恥ずかしかった。

みんな好きで始めたであろうサッカーも、調子が良い時に楽しいのは当たり前。
逆に上手く行かない時に楽しく感じないのも当たり前。
監督が、シーズン当初「本当に勝ちたいの?それとも楽しくサッカーをしたいのか?」と最上級生の我々に放った問いの意味が今ならよく分かる。

そりゃ苦しいよ、勝つことはそんなに簡単なことじゃない。特に慶應はスポーツ推薦がない中で、強豪を薙ぎ倒そうとする組織なのだから。きついのは当たり前だよ。苦しいのが分かりきっているランの前に弱音だって吐きたくなるわ。

監督の問いに対して、当初の我々は当然のように「勝ちたいに決まっている。」と豪語していた。本当の問いは、「お前達、勝負から逃げない覚悟はあるのか?」であった。

口だけなら何だって出来る。大きな目標、理想の組織の状態を掲げることは出来る。

しかし、それを成し遂げるのは自分しかいない。
そして自分を突き動かすのもまた、自分しかいない。

サッカーを辞めてグラマネとしてチームを勝たせる決断をした同期がいた。
怪我をしていても野太い声で鼓舞してくれる同期がいた。
試合に出られなくて腐りそうになってもチームを想う同期がいた。
グラウンドに大きいパソコンを持ち込み、試合中に分析してくれる同期がいた。
キツくても走りながら前に倒れて吐く同期がいた。
ボード上では完璧なプレーをするクローザーがいた。
カテゴリーを跨いでも必ず2部練でトレバを作ってくれる筋肉がいた。
そして、私が前を向いて成長し続ける限り、信頼して使い続けてくれる監督がいた。

だから、私が最後まで折れて良い訳がなかった。

原動力はなんだっていい。
でも、最後に決断するのはいつだって自分自身だ。

何かを犠牲にする選択をすることは、何かを掴むためには必要だ。
私は、何でもかんでも全てを上手く器用にこなす程のキャパシティを有していない。

しかし、主将として仲間と共に心中する覚悟を決めた瞬間から、
どれだけカッコ悪くてもいいから使命から逃げず、乗り越えようとすることだけは最後までやり遂げた。

それが、自分に恥じない、後悔の無い生き方であったから。

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ここで冒頭の問いに戻りたい。

1年前、2022年12月3日の入替戦の試合終了の合図と共に私の目に映った光景を思い返す。

アディショナルタイムで劇的な逆転負けを喫し、涙する後輩達の姿だった。その光景は、普段感情を表に出すことが少ない私にとって、余りにもショッキングだった。
正直、ブリオベッカ浦安競技場はトラウマになった。ついでにディズニーも。

しかし、これが勝負である。必ず勝者がいて、一方敗者がいる。
歴史に残るのは、いつだって結果だ。その現実から目を背けてはいけない。
どれだけの人が覚えているかは分からないが、敗北後に3年生の同期と2年生以下の下級生を集めて話した。「この光景を絶対に忘れないで欲しい」と。
勝負の残酷さと、苦しさを絶対に忘れてはいけないと思ったからだ。
目から涙を枯らしたその日から、私の脳裏には「絶対に昇格させなければならない」という使命が深く刻まれ、心に炎が灯った。

 

 

2023年12月2日。ソッカー部員として、最上級生として、主将として迎えた最後の試合。
試合終了の瞬間、私の目には何も映すことができなかった。

なぜなら、何よりも先に涙が流れ、グラウンド上で蹲ってしまったからだ。

私には、どれ程悔しくても、試合終了し、挨拶をするまでは涙を流さず、倒れ込まず、礼をするというポリシーがあった。しかし、今回だけは出来得なかった。

先輩方は、最後の1年は本当にあっという間だから後悔の無いように、とよく仰っていた。
たかが1年間、されど1年間。私にはその「最後の1年」は途方もなく長かった。
1年前に刷り込まれた使命が果たされるまで、本当に長かった。途轍も無く苦しかった。昇格できるか常に不安があった。見えない未来を追っているみたいで怖かった。そしてようやく報われた。
本気で頑張り続けて本当に良かった。頼りなくカッコ悪い背中だったかもしれないが、先頭を走り続けて良かった。
想いが、一気に押し寄せて来て、立っていることが出来なかった。出来るわけがなかった。

決起会で、一昨年、昨年と2年連続で4年生の泣き顔を見てきたから最後は笑って終わりたいと言った。しかし、それは最高の形で失敗に終えることができた。

身体を起こし、目線の先には入江の号泣顔があった。すると何故だろうか、不思議と涙は止まり、ようやく笑顔を造形できるようになった。

 

会場に居合わせた人々に問いたい。

何か少しでも、心に来るものが有っただろうか。
悲劇のヒーローから、英雄になれたのだろうか。
慶應に関わる全ての人の心を動かすことが出来ただろうか。
最後の最後までもがき続ける諦めと格好の悪い4年生になれただろうか。

慶應の伝統は生き続ける。これまでも、この先も。
そしてそれを表現するのは、お前達だ。頼んだ。

《NEXT GAME》
12月9日(土)第29回東京都サッカートーナメント学生系の部 予備予選大会 1回戦 vs 亜細亜大学 @亜細亜大学日の出キャンパス多目的競技場 11:00キックオフ

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