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2023.11.14 引退ブログ

「ケジメ」(蛯名亮太)

平素より大変お世話になっております。法学部法律学科4年の蛯名亮太です。
しお、紹介ありがとう。大学の練習に参加し始めて数日経ったある日、下田グラウンドになんか見たことある奴いるなーと思ったらしおでした。彼とは小学6年生の時に、少しだけ一緒にプレーをしたことがあり、初対面なのにグイグイ来る印象が強すぎてはっきりと覚えていました。同期に顔見知りがいるのを知って少しだけ嬉しくなったのを覚えています。僕は、彼の悪口に反応して彼を調子に乗らせないように心掛けているので、しおとの話はこれぐらいにしておきます。

「ウッチーとか、長谷部とか、サッカー選手のほうがカッコよくない?」
蛯名家で最も権力を持つ母の一言で、私のサッカー人生は幕を開けた。
父の影響を受け、野球かサッカーどちらかといえば野球派で、北島康介の「何も言えねえ」に魅了されて水泳選手を目指していた私だが、気が付けばサッカーの虜になり、いつしかサッカーに本気で向き合っていた。その日の気分がプレーの良し悪しに影響されるぐらいには。

私がソッカー部の門を叩いたのは、大好きなサッカーで成功を収めたかったからだ。高校までの結果に満足していなかった。というより、周りに助けられてばかりでその結果を自分の手で掴み取った感覚がなかった。プロになる、自分が試合に出続けてタイトルを獲得する、早慶戦のピッチに立ち宿敵早稲田を倒す。そんな、自分が納得できる、成功したと思える結果を、本気で取り組んできたサッカーで、本気で取り組んできたサッカーだから、自分のこの手で掴み取りたかった。この4年で絶対に結果を出す。そう意気込んで大学でのサッカー生活をスタートさせた。

高校までとは違い、自分でマネジメントできる大学生活の1日は、そのほとんどがサッカーから逆算されたものだった。サッカーのためにこれを食べよう、サッカーのために早く寝よう、サッカーの練習時間と被らないこの授業を履修しよう。選択の基準は全てがサッカーで、とにかく結果を出したかった。
しかし、気持ちとは裏腹に結果がなかなか出ない日々が続いた。自分が描いていたビジョンと現実の差に、昨日より良くなっているはずがダメになっている今日のプレーに、焦りを感じた。周りの選手のプレーや活躍を見て、自分はこうだけど、本当はもっとこうした方がいいのかもしれないと迷った。本気だからこそ幾度となく迷ったし、絶対に成功したかったからこそ、臆病になり慎重になった。
結局、大学サッカーの結果は、当初思い描いていたものから考えたら、大失敗と言ってもいい。出場した公式戦は数えられる程だし、4年間早慶戦のピッチに立つことすらできなかったし、プロサッカー選手として生計を立てていくビジョンなんて少しも見えなかった。

4年間を振り返って思う。大切なのは、自分を信じることだ。
自分なら絶対にできる、そう自分に言い聞かせて、自らが選んだ道を正解にするために努力をすること。他人は気にせず、自分のビジョンと努力にのみフォーカスして、根気強く成果が出るのを待つこと。そして、例えそれが失敗に終わったとしても、受け入れる覚悟を持つこと。4年間の努力に後悔はないし、自分とサッカーと向き合い続けてきたと胸を張って言える。でも、自分の可能性を信じ切ることができていなかった。失敗続きだった自分に自信が持てず、自分を見失っていた。

4年間の中で、理想とは程遠い自分の現状に悩むことが必ずあるだろう。しかも、本気であればある程、逃げずに向き合う程、些細なことが大きなダメージになるし、悩むことも多くなる。でも、絶対に成功する方法、絶対に結果が出る方法などこの世に存在しない。それはサッカーも同じだ。結果を出すには、自分の決断に誇りを持ち、自分が決めた道を正解にするために努力するしかない。

 

2022年12月3日、ブリオベッカ浦安競技場での入れ替え戦の光景は、今でも脳裏に焼き付いている。1-0、残り10分の状況でクローザーとして途中出場した。セットプレーのこぼれ球を相手が拾ってクロスを上げる。ボールは自分の頭上を越えてサイドに流れる、はずだった。しかし、そこにはもう1枚アタッカーがいてヘディングを叩き込まれる。1-1。「まだ大丈夫。冷静になろう。もう1点取られなければいいだけだ。」そう気持ちを切り替えた。でももう遅かった。同点ゴールを決めた相手の勢いは増すばかりで、押し込まれる展開が続く。後半48分。相手のCKから失点。1-2。試合終了の笛が鳴る。頭が真っ白になった。自分のせいで負けた。みんなの1年間の努力を、4年生の4年間を、自分が台無しにした。誰がどう見ても自分のせいで負けた。それなのに、優しい4年生が、同期が、励ましてくれた。泣いちゃいけない、自分に泣く資格なんてない、そう思っていたが、涙が止まらなかった。家に帰るまで、誰とも目を合わせることができなかった。
チームを3部に降格させてしまった責任として、必ず2部に上げなおしてソッカー部を去る。そう誓って副将に就任した。その日から自分にとっての成功は3部優勝と2部昇格になった。
でも、自分は弱いし、甘い。
シーズンの途中、監督から「お前、今シーズン何かしたか?怪我して痛くて苦しい時に逃げる。存在感もない。優しいだけで全然戦えない。」とご指摘をいただいた。1番言われたくない言葉だったが、返す言葉がなかった。「選手」の自分が邪魔をして、ピッチ上でチームを勝利に導くことばかりを考え、副将として、どんな状況でも、どこからでもチームを勝利に導かないといけないのに、その責務を全うできていなかった。情けない自分に腹が立った。支えてもらってばかりで、自分は何も貢献できていない。高校までと何も変わらないじゃないか、そう思った。
それからは、どこからでもチームを勝利に導くこと、チームは自分の鏡であること、頭で分かっていることを実行できる強い人間になることを心掛けた。サッカー人生、ソッカー部人生が残り僅かとなった今でもまだまだ完璧ではないが、少しは副将らしく、強く逞しい人間になれたのではないかと思う。

「昇格させてみろよ。」先日、監督が仰っていたこの言葉が強く心に響いている。

幸運なことに、自分の手で成功を掴み取れるチャンスがまだ残されている。最後の最後に、この手で、己の力で、弱い自分と失敗だらけの自分にケリをつけようと思う。
最終節、俺が必ずチームを勝たせてみせる。そして、チームを昇格へと導く。このチームの副将として。俺なら必ずできる。

最後にこの場を借りて、自分を支えてくださった方々に感謝の気持ちを伝えさせていただきます。

社会人スタッフの皆様
4年間大変お世話になりました。常に選手を第一に考え、最高の環境を整え続けてくださいました。また、自分のような半人前の人間と、サッカーを通して本気で接してくださったおかげで、サッカー選手としても、1人の人間としても大きく成長できたと感じています。ありがとうございました。

同期の皆
苦しい時にもう一度立ち上がれたのは、同期の皆がいたからです。本当にありがとう。そしてこれからも一生よろしく。愛は直接伝える派なのでここでは書きません。
最後、必ず勝って終わろう。

お父さん
上達のためのビデオ撮影、自主練に送り迎えと何から何までありがとう。小学生の頃は、指摘にうんざりしていたけど、今ではその有難みが分かるし感謝しています。中学生以降はプレーについて何も言わなくなったけど、見守ってくれたからこそ強くなれたと思います。
たくさん手伝ってもらったのにあまり活躍する姿を見せることができなくてごめん。
最後、勇姿を見に来てください。

お母さん
どんなに朝早くても起きてご飯を作ってくれて見送ってくれて、どんなに遅くてもリビングで帰りを待ってくれてありがとう。毎日栄養を考えたご飯を出してくれてありがとう。背が伸びたのは間違いなくお母さんのおかげです。
2人には感謝してもしきれないので、今後の人生で少しずつ恩を返していきたいと思います。

次回のブログは、井上創太(4年・慶應義塾高)が担当します。
創太は冷静沈着、頭脳明晰、1人で5人分の仕事をこなす超人です。創太の生活を覗いてみると、膨大なタスクを処理する秘訣は、はちみつをかけた食パンしか食べず眠気を防止することと、スタバに遠征することのようですが、あまりに食が細くてとても心配しています。ちゃんとご飯食べてね。
2年の途中から加わってくれましたが、今では欠かせない存在となり、もし創太がいなかったらと考えると恐ろしくなります。
普段は感情を表に出すタイプではないですが、大好きな白金高輪のスタバでどんなブログを書いてくれるのか期待大です。

《NEXT GAME》
11月18日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 東京農業大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

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