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2023.11.08 引退ブログ

「4年前の答え合わせ」(今西裕大)

平素よりお世話になっております。経済学部4年の今西裕大です。

慶人、紹介ありがとう。どうも、この部活で最もうるさい応援団長を務める今西です。
1年生の時から同じ釜の飯を食べ、同じ屋根の下で暮らし、暖簾を1つ潜れば、徒歩1秒のところに住んでいる同部屋の友、市川慶人。男子校育ち、進学校出身、wakattetv視聴者、学歴厨の彼とは、会った時から「こいつとは仲良くされそうだ」そのような予感はしていた。日頃から使い方のおかしい日本語の文法を直してもらい、人生から恋愛相談まで乗ってもらい、いつも支えてもらっています。代わりに、残りの期間は何かしらの方法で楽しませます。そんな彼も来年の春からは立派な商社マン。父親目線みたいなコメントをさせていただくと、入部当初と比べてかなり逞しくなったと思う。とりあえずラスト2週間か1ヶ月か分からないけど、走り切ろうな!

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さて、卒業ブログを書く時期が遂にやってきました。この間まで、先輩方のブログを読んでいた自分が書く側になるとは、時間の経過の早さを身に染みて感じ、本当に感慨深いです。どんなことを書こうか非常に悩みましたが、現時点でのソッカー部生活の振り返りと自分が感じている率直な想いを綴らせていただきます。大変、拙い文章ですが、良ければ最後まで目を通していただけると嬉しいです。

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1年目

憧れの小山内慎一郎さん(R4卒)と早慶戦出場の夢を追いかけて慶應義塾大学を受験した。2/25に約1年に及ぶ辛い受験勉強の幕が閉じた。

「経済学部受かったよ」

先に同じ大学に進学することが決まっていた高校の同期の塩貝に一報を入れ、ソッカー部の入部テストを受けたい旨を伝え、5回に及ぶクーパーテストを経て7月に正式入部を果たした。同期の千代田からは「お前まだいたのか」と存在を忘れられ始まったソッカー部生活。

そして初めて、体感する“体育会”の環境は想像以上に恵まれていた。
「練習でふざける奴が1人もいない」「1番下のカテゴリーでもしっかりコーチが付く」
中堅高校の3軍を主戦場としていた私が初めて受けた印象は確かこんな感じだった。
受験期に運動不足を解消するためか忘れたが、極真空手をやっていた私は、先輩への返答を全部「押忍」で返し、横田さん(R3卒)を始め多くの先輩からご指導を受けたのも鮮明に覚えている。
高校の時はいくらでも、自分がTOPチームに上がれなかったことを環境のせいにできた部分はあるけど、ソッカー部は違った。カテゴリー問わず、学生コーチや先輩からのご指導も手厚く、練習環境も大変整備されており、あとは自分が成長して上にのし上がるだけだった。

1年目は練習に食らいついていくのに必死だった。高校の時からスタミナがなかったのに加え、受験期で激太りした身体を大学レベルの強度に持っていくのには、かなり苦労した。
TOPチームとの圧倒的な差を埋めるため、自主練習の量をもっと増やさなければいけないと考え、両親に懇願し、何とかグラウンドから徒歩1分のところにある下田学生寮に入れていただいた。そして、朝練が終わった後も、次のカテゴリーの練習が終わるまでボールを蹴り、夜も体力と時間に余裕があれば練習していた。実力的には4軍の中でも、かなり下の方にはいたが、必死に声を出し、頑張る姿勢が評価され、Iリーグの出場機会にかなり恵まれた。シーズンが終了するまで4軍にはいたものの、一選手として成長し、多くのことを特に当時の4年生からは学ばせていただいた。

2年目

今シーズンこそは、最低でも2軍には上がると意気込んだシーズンだった。シーズン当初は、C1(3軍)に配属されたが、将来TOPチームで活躍するという長期的な視点に立った時、圧倒的に足りていなかった対人能力を磨く場と更なる出場機会を求めて、サッカーとフットサルの場が提供されるC2(4軍)への異動をお願いした。当時のC2にはTOPやBに所属していた選手がフットサルでの全国優勝の夢を追いかけ、自身のカテゴリーを離れてでも異動する選手が何名かいた。しかし、レベルの高い彼らと日々一緒にプレーすることでどこか自分の中で勝手に上手くなれると勘違いしていた。自分への期待値が高かったのか、物事は全く思うように進まなかった。ピッチ内で実力不足は顕著に現れ、DFなのにも関わらずイージーミスを連発し、失点に直結するミスを毎日のように繰り返す。ピッチ外にもその悪循環が派生し、試合当日に体調を壊す、遅刻しかける等といった馬鹿げたミスを連発した。前期のIリーグは殆どの試合に出場したが、後期は途中交代で僅か10分間、1試合のみの出場にとどまった。唯一出場したIリーグ後期明治学院大学戦、自分が投入されてから2失点し、2-2に追いつかれた。先輩からは「今西のせいで引き分けた」と言われ、C2担当コーチの横幕さん(R5卒)を泣かせる始末。その試合以降、所属カテゴリーでの出場機会は激減した。そして、C1との紅白戦中に自身のミスで失点をしたことをチーム全員と横幕さんから𠮟責を受け、練習中に泣き出しピッチを後にした。確か、雄介だけキレている中、練習後に友己さん(R4卒)や天風に慰めてもらった記憶がある。だが、その日の夜に蛯名と話したことが非常に印象に残っている。当時蛯名が所属していたBチームは負けが続いていた。試合を観ても、「絶対にお前のせいじゃないだろう」という他人のミスまでを自分にベクトルを向け続ける謙虚な姿勢に感銘を受けた覚えがある。ここで、辛い時期にこそ、「矢印を己に向ける」ことの大切さを学んだ。

3年目

シーズン当初は昨年と同じくB2(3軍)に配属される。さすがに、上級生になったから、今年は試合にはチームの核として、出場できるだろうと思っていた。だが、勿論そんなに甘いわけがなかった。自分より力のある後輩が着実に結果を残し、コーチ陣からの信頼を獲得していた。そして、上のチームからのDF玉突き事故が発生し、全体グループのLINEには、
TOP→B1 大下
B1→B2 五十嵐
B2→C 今西
とカテゴリー降格の通知が流れてきた。また1番下のカテゴリーからやり直しか。俺は早慶戦の舞台に選手として立ちたいのに、一体何をやっているのだ?と思いながらも切り替えて前向きに捉えようとした。
だが、ここでも全くと言っていい程、試合には出場できなかった。Iリーグ2試合だけ出場し、残りの試合は4軍のベンチを温め、ベンチから声出しを行う公式戦。絶対に俺の方が上手い、実力があると思っていたし、先輩方もそう言ってくれていた。だが、1番大切なことを忘れていた。“必要とされる選手”ではなかった。どのチームに行っても、恐らくこれは一緒だろう。監督、コーチの掲げた戦術に堅実に従い、泥臭くプレーできて、頑張れる選手が試合に出場する。当然のことだ。だが、その当然なことから自分は目を背けていた。またまた1番下のカテゴリーでシーズンを終えた。

4年目

3ヶ月の離脱を伴う、大怪我から始まった今シーズンは激動の1年だった。1番下のカテゴリーで今年も始めるのかと思っていた矢先、代替わりのタイミングで自分の名前がTOPチームのボードにあった。監督からは“怪我人という立場でありながら、チームを鼓舞する姿勢が素晴らしい”と認められて、実力ではなく、「声」だけでTOPチームに昇格した。だが、怪我から復帰して、今年こそはTOPチームで活躍すると意気込んだものの、実力差は想像以上に大きかった。特に惠風と雄大と初めて対峙した時は敵わないと思った。というか、絶望した。2人共、思ったところにボールを止めて、蹴れる。ゲームを思うように操れる。後ろに目が付いているのではないかと感じさせるくらい視野が広い。残り1年でこいつらには絶対勝てないと思っていた矢先、Bチームに落ちた。そして、彼らに追いつくためには、もっと練習しないといけないと思い、Bチームに落ちてからは更に練習量を増やした。身体がキツイ中でも、いつTOPチームに呼ばれてもいいように準備はしておこうと思い、筋トレと2部練は絶対に怠らなかった。だが、それと同時に身体が悲鳴を上げ始め、結果的に夢の早慶戦の1ヶ月前に右足を疲労骨折した。

「本当に終わった。」

担当の医師にどうにか直す方法がないか質問しお願いしたが、激痛の状態で練習をしても、また怪我をするだけだから完治するまで絶対にボールを蹴らないでくれとドクターストップが掛かった。そこで選手として早慶戦に入ることは諦め、本気で声出し枠としてベンチに入ることに切り替えた。

怪我の翌日からBチームの朝練で喉が潰れそうになるまで吠えまくり、みんなを鼓舞し、指示を出し、練習をとにかく盛り上げた。すると、2日後、怪我人としてまたTOPに呼ばれた。

そして、絶対に忘れもしない7月6日、迎えた早慶戦前日のメンバー発表。監督から多くの同期の名前が呼ばれていく、“…雄介、千代田、祖父江、宗悟、熊、亮太、健人。以上の20名がメンバーになります。”

1年生の時に1番下のカテゴリーで自分と一緒にプレーしていた竹内、千代田、祖父江の名前は呼ばれた。だが当然、自分の名前が呼ばれることはなかった。怪我人という立場であっても、自分では声出し枠でも、モチベーター枠でも良いから早慶戦のメンバーには入りたかった。この瞬間、自分の夢と希望が完全に途絶えた。選手として、目標としていた早慶戦の舞台には届かなかった。もうサッカーをする理由は自分にとってなくなった。今まで暑く燃えていた心の炎が一瞬にして殆ど消えた。一体何のために、高校3年生の夏にサッカー部を退部して、予備校で毎日死ぬ程苦しい思いをして10時間近く勉強してきたのだろう。何のために、この3年半、大学生という貴重な時間を自主練習の時間を捧げてきたのだろう。何のために、高い部費を自分で賄うために、バイトをしてきたのだろう。すべてが早慶戦に出場するためだった。だからこそ、自分のやってきたことが馬鹿馬鹿しいように思えた。

メンバー発表が終わり、メンバーから外れた茅野が半泣きになりながら、悔しさをシュート練習にぶつけていたのが本当に印象的だった。こんなに実力があって、努力している選手でもメンバー外になるのであれば、尚更俺がメンバーに入る理由なんてない。

そして、心の炎が付いているのか、付いていないか分からないまま、早慶戦、山中合宿も終了し、Cチームに降格し、4ヶ月弱の時を経て、先日の東京経済大学戦の試合後MTGを迎えた。

「アンダーカテゴリーの選手(2軍以下)の中には、選手としての責任から逃げている奴らがいる。どこかで健人が決めてくれる、どこかで紘生が守ってくれると心のどこかで思っている人が多い。仮に自分が試合に出て負けたとしても、後輩からお前のせいで負けたと言われるのを恐れて逃げている選手が多い。」

先週の土曜日、東京経済大学に逆転負けを喫し、関東3部リーグ優勝の夢が途絶えた後のMTGで塩貝から投げ掛けられた言葉だった。この選手とはまさに、自分の事だった。バットで殴られたぐらいの強い衝撃が自分の中に走った。

 

「今年の早慶戦が終わってから俺はずっと逃げていた。」

 

自分が試合に出られなくても、別の選手が出た方がチームの勝利に近付く。少なからずそう感じていた部分は自分の中にあった。私は一選手としての責任から完全に逃げていた。というか、諦めていたのかもしれない。口ではみんなにTOPに上がりたい、諦めていないと言っていたが、心の奥底から出てくる言葉ではなかった。“自分のサッカー人生は最後試合に出場できないまま終わるのかぁ。”とあの言葉を聞くまではそう思っていた。だが、部活で1番の親友の彼に熱いまなざしで掛けられたあの言葉を受けて「今からでも変わろう、変わりたい」と思えた。MTG後、就寝前に今年の早慶戦の映像をもう1度見て、自分の心の炎が激しく燃えていることに気が付けた。そして、残りの期間は自分のためではなく、誰かのために頑張りたいと思う。

 

1つ目が、両親のためだ。

早慶戦のハーフタイム、久々に会う両親に挨拶しに行こうとしたら、父親が涙目になっている様子が遠くから見えて、挨拶しに行くのを断念した。毎年どこかで俺が早慶戦に出場できるのではないかという微かな可能性に掛けて観戦しに来てくれていたが、試合に出場できず、ラストイヤーの早慶戦は応援団長という立場でチームをサポートしていた。中学の時から、所属していたチームの1軍で試合に出たことがない自分は、学生スポーツの集大成ぐらいはピッチの中TOPチームとして、奮闘している姿を両親のためにみせたい。

2つ目が、笹のためだ。

俺らの代の最高に誇れる“グラマネ”だ。
このブログを読んでいる人の中には“グラマネ”の意味が分からない人がいると思うので、ちょっとした説明を入れておきたい。慶應のソッカー部には毎年3年生に上がり、代替わりするタイミングで選手の中から1名又は2名、ピッチ内外を統括するグラウンドマネージャーを輩出する制度がある。その選手は“グラマネ”になるタイミングで選手活動を引退する。

グラマネになる決断をする前日、笹の心情を聞きに蛯名と一緒に二子玉川の公園に会いに行ったことは今でも覚えている。感情が大きく揺れ動き、ろくに飯も喉に通らなかった真っ白な笹を見て、俺がもらい泣きしてしまった。

その翌日、8時頃に起床すると、朝2時に笹から1件のLINEが届いていた。

「俺は組織のために、チームのために決断をしようと思う。全ての気持ちに折り合いをつけて、新たな挑戦をしようと思う。」

笹がグラマネになる決断を下した。

こいつのためなら、何が何でもサッカーを頑張らないといけない。心底そう思わせてくれた。
だから、どんなに精神的に折れそうな時も、こいつの顔を思い出せば辛いことは全部吹っ飛んだ。残り短いけど、残りの期間はこいつのために俺は頑張る。

3つ目が、今苦しんでいる後輩たちのためだ。

このソッカー部生活を通して、楽しいことよりも苦しいことの方が100倍ぐらいあった。

周りよりも練習をしている、パフォーマンスも良いはずなのに、スタメンで出られない人の気持ち。スタメンを外れ、ベンチで必死に声を出す人の気持ち。尋常じゃないぐらいの悔しさを押し殺して、スタンドで応援するメンバー外の人の気持ち。怪我人という立場からチームをサポートする人の気持ち。“走りのタイムに入れよ”と周りから脅され、全身全霊で走るもタイムに入れず、怒られる人の気持ち。この4年間、殆どの時間をこっち側で過ごしてきた人間だからこそ、何か伝えられることが俺には絶対ある。

本当にサッカーを辞めたい、逃げ出したい、投げ出したい、サボりたい、練習に行きたくない、理不尽なことには耐えられない。そう思った時は俺の背中を見てくれ。

ソッカー部の中でもかなり下手な方かもしれないけど、誰よりも身体は張ります、闘います、そして間違いなくチームのために誰よりも声は枯らします。苦しい時は僕の背中を見て、何かを感じ取ってください。

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長くなりましたが、最後に

同期へ、
この代だから多くの困難なことから逃げず、向き合えたと思っています。山中合宿の時は肉離れをし、足がいつもげてもおかしくない状況でも、皆の背中があったからこそ、何とかランは走り切れました。本当にありがとう。後輩たちのためにも必ず昇格し、献を漢にしよう!

先輩方へ、
いつも先輩方の背中を見て、色んなことを学んできました。早慶戦のメンバーから漏れ泣き崩れる先輩、キーパーなのに引退試合でアシストを記録する先輩、特殊な恋愛観を熱弁する先輩等、いろんな先輩の顔を見て僕は育ってきました。本当に憧れの存在でした。先輩方のようにまだ立派ではありませんが、ソッカー部の残りの最後の生活は全力で頑張ります。今後共、よろしくお願いします。

社会人スタッフの皆様、
僕は大学入学時、ソッカー部という組織を選んで本当に良かったと思っています。選手にとって最高の環境を日頃から作っていただき、一選手及び人間としての成長を痛感しております。時には優しく、時には厳しく、愛情を持って4年間ご指導していただき本当にありがとうございました。

寮生へ、
大輔君、カツ君、啓太君、タジ君、雄太君には本当にお世話になりました。いつもしょうもない話を聞いてくださり、ありがとうございました。

そして寮の後輩たち、みんなには本当に毎日楽しませてもらいました。同期の人は退寮する時に、感謝の言葉を直接伝えます。
千葉、LINEの登録名いい加減変えてくれ
菊田、彼女できたら1番初めに俺に言えよ
鬼丸、彼女できないから報告しなくていいよ
村井、自撮りを送ってくるのは辞めてください。嘘です、いつでも待ってます。
石田、部屋で待ってるから、渾身の一発芸いつでも持って来い
コーロー、辛くなったらいつでも帰って来いよ。

後輩たちへ、

左の写真は、高校の引退試合のスタメン、右は今年の早慶戦のスタメンだ。

毎朝練習に行く前、この2つの写真を必ず見ていく。何故ならこの時にした「想い」を絶対に忘れたくないからだ。特に、今年の早慶戦の試合終了のホイッスルと同時にチームが負けた悔しさと、自分がピッチに立てなかった悔しさ、スタンドで泣き崩れた時の気持ちを絶対に忘れたくないから見ている。

これが今の俺の心の炎を燃やす「原動力」だ。みんなにも絶対あるはずだ。
モチベーションが落ちた時、上手くいかない時はみんなにも自身の「原動力」を思い出して欲しい。現状に納得してないのも、何故評価されないのか分からない時も、努力を諦めてしまいそうになるかもしれないけど、絶対に早慶戦や関東リーグで活躍してやるんだという気持ちを持ち続けて、自分を信じて欲しい。君の行動を必ず見てくれている人がいる。その君の行動に感化される人がいる。そしてチャンスは必ず来る。必ずだ。そのチャンスを掴み取れるかどうかだ。だから皆、チャンスを掴み取るための心と体の準備だけは止めないで欲しい。

長くまとまりのない、拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
さてと、次回のブログは、塩貝亮太(4年・暁星高)!
今年は副将としてチームをまとめ、後輩からの支持率が高い、圧倒的な人気者です。部室に行けば、相場や清水など、必ず誰かしらに絡まれている印象がある。そんな彼とは中学の時から一緒で、10年目の仲になります。中1、初めての授業の自己紹介タイムで「塩貝です。目が細すぎて、コンタクトが入りません。どうぞよろしくお願いします。」と真顔で言い、クラスから一人笑いを取った。中々個性の強そうな奴がクラスにいるなぁとは思っていたけど、当時はこんなに仲良くなるとは1ミリも思っていませんでした。本当に来年から社会に出るのか心配になるような行動も部室では散見されますが、商社マンとして世界へ羽ばたいてください。てことで、マイメンのブログに期待です!

《NEXT GAME》
11月11日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 共栄大学 @共栄大学サッカーグラウンド 14:00キックオフ

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