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2023.11.05 引退ブログ

「サッカーはお好きですか?」(菊池春哉)

平素よりお世話になっております。総合政策学部4年菊池春哉です。
雄介、紹介ありがとう。雄介には1年生の頃にドリブルで抜かれまくった記憶があります。その罰ゲームとして多摩川の河川敷を走っていたことが、つい最近のように感じます。引退したら徹底的にゴルフ指導をするので覚悟しておいてください。あとこれからの誕生日も、慶人と一緒に選ぶバスグッズをあげるので楽しみにしておいてください。

ここからはブログの本題に入りたいと思います。

「サッカーはお好きですか?」

私はこの問いに対して自信を持って”はい”と言えない時期があった。

2019年2月に早慶戦出場を目指して、この部活の門を叩いた。入部当初はとにかくTOPに入るために自主練であったり、筋力トレーニングに励んだ。コロナなどの影響もあり、満足に部活動をすることはできなかったが、いつTOPに呼ばれても良いように準備をしていた。そしてTOPではなかったが、TOPとの試合ができるメンバーに選ばれた。この時、私は絶対にTOPを倒してメンバーに入ると意気込んで当日を迎えた。結果は、前十字靭帯断裂、内側側副靱帯損傷、肩鎖関節脱臼という誰がどう見ても惨めな結果だった。怪我をした瞬間。私は叫び、泣き、怒り、絶望、今までに感じたことがないような負の感情を全てさらけ出したと思う。病院に向かい、医師に告げられたのは全治1年。途方もないリハビリを経験したが、支えてくれる方々がいたことでリハビリを行うことができた。しかし、いくらリハビリしても、トレーニングをしても、怪我をする以前の膝の状態に戻らないことに焦りを感じていた。1年が経ち、完全復帰をすることができた。この頃からサッカーをすることに対して恐怖を抱くようになってしまった。もし再発をすればそこでサッカー人生は終わる、という恐怖と隣り合わせでプレーしていく日々がここから始まった。この時にはもう2年生になっており、折り返し地点にいた。膝は相変わらず怪我以前の状態に戻ることはなかった。この時私は騙し騙し、自分に「大丈夫、大丈夫」と言いきかせてプレーをした。

3年生になり1番下のカテゴリーからスタートした。開幕当初は特に問題なくプレーできていたが、やはりどこかに怖さを感じながらプレーをしていた。そして恐れていた事態が起きた。6月の試合で内側側副靱帯の痛みが再発。全治3ヶ月の怪我だった。前回の怪我よりは軽傷だったものの、サッカーに対する恐怖心が増した。もう次はない。そしてなんでいつも自分なんだろう、なんでこんなにもサッカーの神様はサッカーをさせてくれないんだろう、と思うようになってしまった。怪我はなんとか治り、練習に復帰をすることができた。ただ試合に出場できる機会は圧倒的に減少した。コーチ陣からすれば、膝に爆弾を抱えていて、いつ怪我するか分からない選手を起用できないのは当然のことだ。そんなことを薄々理解はしていたものの、そんな自分自身に納得がいかなかった。ただまたピッチに立てば、膝を壊してしまうのではないだろうかという恐怖もあった。その恐怖心を無理にでも消すようにトレーニングをしてひたすら足腰を鍛えた。ある診察で医師の方から、筋力に問題はなく良くやっているというふうにおっしゃっていただき、自信を少しずつではあるが取り戻し始めた。

最終学年になり、1番下のカテゴリーからのスタート。開幕4試合はキャプテンマークを任せていただき、チームの勝利に直接関わる機会もあった。しかし5試合目はベンチ、6試合目に至ってはメンバー外。悔しくて、悔しくて、情けなくて、惨めだった。そしてある日の練習で膝から“ゴキ”という音が鳴った。これで終わりかと思った。怪我をした瞬間は周りには大丈夫、大丈夫だと言っていたが、内心では物凄く怖かった。これで18年間のサッカー人生が終わるのかと思った。あの時は家でずっと右膝を触り、マッサージして、アイシングして、電気治療して、自分が思いつく限りの治療をし尽くした。サッカーができなくなってしまうという恐怖、現実から逃れるために。気持ちが沈んだ中、病院に行くと前十字靭帯の影がぼやけているという風に告げられた。要するに、前十字靭帯断裂の可能性があるということだ。手術をするという選択肢もあった。それでも自分は残り数ヶ月サッカーを続けるという選択をした。サッカーをするのに正直なところ恐怖はあった。しかし、自分の心の奥底にはサッカーが大好きで、自分が掲げてきた夢や目標を絶対に叶えたいという気持ちがあった。そんな中、残り1ヶ月のところで復帰ができ、今も自分が大好きなサッカーをすることができている。

ここまで長々と4年間経験してきたことを書いてきた。何度も自分は恐怖という感情を抱いてきた。別に自分は恐怖に打ち勝ってきた強い人間なんかではない。ただ自分の大好きなサッカーを諦めたくなくて、サッカーにしがみついて生きてきたのだと思う。
最初の問いにもあった「サッカーはお好きですか?」という質問に今は自信を持って

「はい!!!!!!!」

と答えるだろう。
この理由に関しては人それぞれで無数のものが存在する。チームが勝った瞬間の喜び、自分の憧れの人とサッカーができた瞬間、自分が点を決めた瞬間、試合を無失点で終えることができた瞬間。そんな1つ1つの瞬間に自分自身がサッカーが大好きな理由が詰め込まれているのだと思う。
ただ、この理由に関して1つ自分が挙げるのだとすれば

「まだサッカーで何も成し遂げていないから、まだ何かを成し遂げられると信じているから」

私はサッカーで日本代表になることを小さい頃から夢見ていた。しかし、その夢を叶える可能性は0だろう。今の夢は“2部の舞台に返り咲くこと、そしてそのピッチに自分が立つこと”この夢を叶えるチャンスはあと2試合も残されている。自分は最後の最後までこの夢を叶えるために抗う。本来のポジションであるDFからFWに転向もした。これは冗談抜きで自分が関東リーグに出れると信じているから、この転向をした。
もちろん現実は甘くはない。今はFWの中では1番下の序列に位置している。そんな中でも自分が描いた夢を成し遂げるために、最後の最後まで抗う。

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最後に

「皆さんサッカーはお好きですか?」

この問いに対しての答えが“はい”でも“いいえ”でも良いと思う。ただこの慶應ソッカー部という組織に所属して多くの学び、知識、経験を得ることができる。4年間は楽しいことも辛いこともあり、なんなら辛いことの方が多いだろう。自分のように、怪我でほとんどの部活動期間を過ごすかもしれない。でもこの問いに対して最後の最後で“はい”と答えられるようになることを願っています。
こんな怪我ばっかした4年生が“はい”って答えてるんだから。

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後輩へ(特に元C)

最近色々と注意をされることが多いですが、みんなが持っているサッカーのスキル、熱量はTOPに行っても通用するものがあると思います。まぁご飯行きたい人は誘ってください。いくらでも筋トレ教えるんで(川名、宮地)
眞木、沖本は自分と同じような道を辿らないようにしっかりリハビリしてください。老害1歩手前まで2人共来ているので!

同期へ
いつも脳筋、脳筋といじってくれてありがとうございます。(?)今年の初めが相当きつかったのは、今でもすぐに思い出します。2部の舞台に返り咲くために最後の最後までもがこう。4年が背中で示そう。
引退したらまた色々話しましょう。

家族へ
こんな迷惑ばかりかけて申し訳ないです。ただここまで18年間もサッカーをできたのは、間違いなく家族の支えがあったからだと思います。入院をしてた時も1番近くにいて支えてくれていたのは家族でした。実家に戻れば温かくて、美味しいご飯があって、何かあれば悩んでることはないか?と常に気にかけてくれていました。そして僕の大好きなサッカー番組を毎回録画してくれてありがとう(笑)
本気のサッカー人生はこれで終わります。最後の最後に元気でサッカーしている姿を見せれるようにあと少し全力で駆け抜けるので、見守っていてください。

次回のブログは市川慶人(4年・高崎高)です。
この人が、私のことを脳筋と最初に言った人だと思っています。
彼とは1年生の頃から仲が良く、私のプライベートについては彼が良く知っているでしょう。人が言われて嫌なこと、人の弱点を公共の場でいじってきます。とんでもないやつです。本当にとんでもないやつです。ですが、彼は慶應の頭脳であり、心臓です。毎試合的確なリサーチ、理解しやすいプレゼン。慶應が勝てるのは、彼のおかげと言っても過言ではありません。これ以上褒めると彼の調子も狂うと思うのでやめておきます。
そんな色々な意味でとんでもない彼が、どんなブログを書くのか期待しかないです。

《NEXT GAME》
11月11日(土)関東リーグ戦 第21節 vs 共栄大学 @共栄大学サッカーグラウンド 14:00キックオフ

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