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2023.10.23 引退ブログ

「教訓」(小澤星夜)

平素よりお世話になっております。ソヒョンからバトンを預かりました、商学部4年の小澤星夜です。
ソヒョン紹介ありがとう、「頭大きいのに頭が悪い」その言葉、慣れたもんです。小中ではアンパンマン、高校では8号球、大学ではチュッパチャップスなど様々な呼び名と戦いました。ソヒョンのように3ヶ国語喋れるくらい頭良くなりたいなー、頑張ろっと。ソヒョンとの出会いは大学2年の春?いつものように練習後自主練をし、グランドの入り口付近で談笑していると「文学部のキムというものですが、熊澤くんいらっしゃいますか?」と流暢な日本語を喋る韓国人の女の子がいました。熊のファン?遂に彼女か?なんて献と話していた記憶があります。祖国、親元を離れ異国の地で生活し、さらにソッカー部に入り大学生活を送るなんて心の底からリスペクト。いつも天真爛漫、かつ何にでも一生懸命に取り組む彼女の姿に元気をもらっています。僕ら選手を支えてくれてありがとう。マネージャー、スタッフには本当に感謝です。

さて前置きはここまでにして、本題に移ります。宗悟が4年ブログに飽きてきていて、部室で「4年生の4年間の振り返り長くなーい?」なんて不満をもらしていますが、ソッカー部員は毎日サッカーに真っ直ぐ向き合っているからこそ、振り返ると真面目になっちゃうんです。そのような文章は大学生活をサッカーに捧げ、真っ直ぐにサッカーに取り組んだソッカー部員にしか書けないものだとも思います。一人ひとりに様々な物語があり、それぞれの生き様を飾らず言葉にするからこそ、言葉の1つ1つに重みがあって・・・僕は先輩方のブログに学び、心を動かされ、楽しみにしていました。今、書く立場になって、良いブログを書く自信は全くないですが、自分も飾らずに、素直に言葉を綴ろうと思います。最後までお付き合いください。

 

僕が体育会ソッカー部の門を叩いた理由はただ1つ。幼い頃から抱き続けていた、プロサッカー選手になるという夢を掴み取るためのラストチャンスに挑むためです。高校ではプロサッカー選手を目指す人がほとんどいない環境だったので周りには「上のレベルでサッカーやってみたいんだよね」とか言って、本当の気持ちは隠していたように思います。今考えてみれば、友達にすら夢を語れないヤツが夢を追う、叶えるなんてできないし、振り返ればそのような自分が情けなかったとも思いますが、高校サッカーを引退した自分の心の中にも、その夢は残り続けていました。中学でユースに上がれず、大泣きして悔しがった、その悔しさをはらしてやる、プロになって見返してやる、プロになって塾高ソッカー部のレジェンドになってやろう。プロになることが今までお世話になった方々への最高の恩返しだなんて本気で思い、強い気持ちと期待に胸を膨らませながらソッカ―部に入部しました。
そんな夢を持って入部した4年前から、今、引退ブログを書くまでの4年間を振り返ってみると結果は・・・プロになるなんて夢のまた夢。関東リーグにもほとんど出場していませんし、今もその現状は変えられずにいます。公式戦出場時間(Iリーグ、トーナメント含む)はここまで10.2試合1ゴール1アシスト。4年生になるまでは、この半分も出ていません。改めて振り返ると、自分でも引いてしまう程の結果で、客観的に見たら誰から見ても大失敗の4年間でしょう。

今回ブログを書くにあたって、こんな僕に何が書けるんだろうと悩みました。竹内のようにチャンスを掴み、チームを救うスーパーセーブを連発し、「チャンスはいつ来るか分からない、その時のための最善の準備を。」なんて後輩に伝えられるメッセージなんてないし、ひでのようにBチームのキャプテンとして試合に出続け、引っ張り、大きな背中で語ることもできないし、「自分が何を書いても説得力ないな~」と何度も思いました。サッカーだけじゃなく、この世の中は結果が全ての残酷な世界。そこまでの努力や過程を認めてくれるのは、家族やそばにいてくれる友人たちぐらい。結果で評価され、結果で物事は語られる。毎日のように塩からプロバー外、構想外、永遠のトップサブ、その他無数の表現でいじられ続け、時には嵐のようにすんごい言葉が降ってきて自分の心に突き刺さる。この4年間、結果の大事さを突き付けられ、今では以前よりずっと結果にこだわるようになったと思う。最初はムカつくことが多かったが、最近は塩のイジリが僕を強くしてくれるとも、チョット思う。感謝するぐらいの心を持たないといけませんね。
でも僕は、この4年間が無駄だったとは思いません、無駄じゃなかったと自分を信じこませているかもしれないですが。こんな大失敗な4年間に意味を持たせられるのは自分だけだし。4年間のソッカー部での経験から得たものは沢山あります。思い描いたような結果を出せなかったことに悩み、この結果は必然と自分に言い聞かせて、自分なりの答えを探すことが多かった。4年間で自分が得た教訓を、整理するつもりでここから書いていきたいと思います。

1.「自分の武器を大切にすること」

1年の夏、Sチームに所属していた僕はコロナ自粛明けのTOPチームとの紅白戦で活躍したことをきっかけにTOPチームに昇格する。そこから今まで、ほとんどの時間をTOPチームで過ごしましたが結果は散々で、試合に全く絡めない時間が多かった。
特に2年生の時が一番苦しみ、悩んだ。1年目は試合に出れはしなかったものの先輩方から多くのことを吸収し、TOPチームで経験を積むことができた。「今年こそは試合に出場して結果を残す、プロに向けて勝負の1年。」と意気込んで挑んだ2年目、シーズン前までは試合に使っていただいて、この調子でチームの絶対的ポジションを確立しようと思っていたが、関東リーグ開幕直前に急に試合に出ることができなくなり、そのシーズン、関東リーグの試合には5分しか出場できなかった。平日の練習では高強度の練習を行ったあと、砂浜へ行って走り、違う日には砧公園の周りを走り回った。1番の課題はフィジカルだと感じ、高校の時取り組まなかった筋トレをしにジムへ行き、とにかく自分の苦手分野に向き合い、鍛えて走りに走り回った。しかし、一向に試合にでることはできない、チームが勝てない状況の中で本来ならチャンスが訪れるべきだか、チャンスは訪れない。その理由は簡単。自分のパフォーマンスが上がるどころか落ちていく一方だから。筋トレはやった分だけ結果として現れるから体は大きくなり、走れるようにもなっている(?)はずなのに、自分のパフォーマンスはなかなか上がらなかった。パフォーマンスが上がらない理由は、僕の武器を見失っていたからだ。当時の自分は試合に出ようとするあまり、自分の個性を一回粉々にして作りかえる必要があると考えていた。そして武器を見失った自分は、ボールを持ったらとにかくアバウトにプレーをする。チームの規律を徹底的に自分に叩きこんでプレーした。その試みは失敗で、自分の中でもなにかプレーに違和感があり、空回りし、久しぶりに僕のプレーを見た先輩や後輩からは「なんかせーや下手になったな」なんて言われ、サッカーにおいては技術が正義だと思っていた自分は、その言葉にかなりショックを受けたのを覚えている。他人から言われて初めて気付き、自分を見つめ直した。自分の武器は何か?・・・出した答えは攻撃力。中でもパスにこだわった。そこから徐々に自分のプレーを取り戻せたような気がする。この経験で得た学びは「自分の武器を大切にすること」だ。
他方、チームスポーツである以上、チームの約束事、規律を守れない選手は試合には出れない。チームの規律を守りながら、自分の武器を発揮する・・・これがなかなか難しいんです。チームの規律は、チームごとに色がある。どこのチームに行っても、その規律や色に自分が対応する力は、サッカー選手として生き残っていく上で必要な能力なんだろう。

2.「1人のサッカー選手として想いを背負い戦うことは義務である」

「4年間で一番印象に残った試合は?」と聞かれたら、僕は間違いなくプレーオフ・亜細亜大学との試合を挙げる。あの瞬間に居合わせたソッカー部員なら一生忘れない試合だろう。悪い意味で衝撃的な経験。今でも鮮明にあの試合の1つ1つのプレーを思い出すことができる。3年目、自分が大事にするべき武器の再確認をすることができたが、このシーズンも変わらず試合に絡めない時間が続き関東リーグ出場は45分。しかしシーズンの最後の最後、大事なプレーオフにおいて先発に抜擢していただいた。リーグ最終節からプレーオフまでの期間を振り返ると、非常に濃い時間の中で1人のサッカー選手として背負って戦うべきものは何かが見えた気がする。チーム皆で合宿を行い、そこでは一人ひとりがチームのために何ができるのかを考え、1つの試合に勝つためにミーティングを何回も重ね、試行錯誤を繰り返し、全部員が1つになって準備した。選手を第1に考え、常に明るくチームを支えて、行動し続けてくれるコーチングスタッフ、マネージャーの姿を見た。試合前には試合に出る選手のために、試合に出れない悔しさを押し殺して、声を枯らしながら応援を繰り返し練習してくれる仲間の姿を見た。どれだけの人の支えがあってサッカー選手として試合を戦うことができているのか、仲間が1試合にどれだけの想いを持って臨んでいるのかということを、そして自分の目の前に広がる、当たり前のように感じてしまう環境が当たり前ではないということを、改めて身に染みて感じた。そのような充実した準備期間を過ごし、このプレーオフの価値はとんでもないものだと感じていた。僕はこの1試合に全てを懸けていた。この試合で今シーズンの全てが決まる。皆が1年間積み重ねてきた努力を正解とするか失敗とするかがこの試合で決まる。自分は試合に出れない人の気持ちが死ぬ程分かる、だからこそ出れなくてスタンドで応援してくれる仲間のために、チームを引っ張り続けたが出たくても怪我で出れない4年生のために。誰よりも想いを背負って戦うことは義務であり意地でも結果を持ち帰ると心に決めた。毎日書き続けているサッカーノートに向かいながら前日の夜はひたすらに試合のイメージトレーニングを行なった。1つのプレー、発する声、感情どれをとっても相手に負けないように、当日風は強いからこんな展開になるかもな、こういう展開になったらこんな声を周りにかけよう。本当は毎試合同じような準備をするべきだけど、あの試合はいつもより何倍もありとあらゆる展開を想定して準備した。とにかくチームのために、全部員が報われるように必死に戦ったつもりだ。しかし、最後の10分で逆転負け。
心の底から勝つ自信しかなく、負けるなんて1ミリも思っていなかった。試合終了の笛がなった時、夢の中にいるかのような不思議な感覚でほんとに頭が真っ白になった。とても失礼な言い方になってしまうのは承知の上だが、何故こんな相手に負けたのか、負けなければならないのかがよく分からなかった。試合後泣き崩れる4年生の姿をみたら涙がとまらなかった。その日、来年2部の舞台にチームを戻すことは決意ではなく義務だと感じた。

3.「成長するには環境を作り出すこと、成長には一定の苦しみが伴うこと」

自分にとって早慶戦は憧れの舞台。早慶戦に出て活躍することが大きな目標でもあった。1年生、高津くん(R3卒)と仲良くチケットもぎり。2年生、橋本健人選手(R4卒)のスーパーゴールをボールボーイとして真後ろの最高の角度から見届ける。3年生、ついにベンチ入りを果たすことができた。迎えた試合終了間際のロスタイム、監督から呼ばれるも急遽交代キャンセル。迎えた4年生、覚悟を持って臨んだラストイヤー。とにかく結果に拘って結果を出そう、今年こそは早慶戦に絶対出ると誓って臨んだ。しかしシーズン前に第五中足骨の骨折。大きな怪我は小学生以来したことがなかったので「このタイミングかよ」と少し落ち込んだが、落ち込む暇なんてなかった。どうしたら怪我する前よりもパワーアップして復帰できるかを考えていた時、淺海監督からヒントをもらった。「環境を自分でつくりだせよ」。この言葉は心に刺った。本田圭佑さんは環境にこだわれとか、小さい頃は今ある環境で最大限の努力を、とか言われるけど2つに共通するものは環境を自分で作り出しているってこと。これが成長の鍵だと信じ、怪我期間は環境をつくりだすべく、色々なことに取り組んだ。怪我をしていたもののかなり充実した3ヶ月だったと、今思う。そしてやっと復帰したのが5月中旬、早慶戦まで1ヶ月半。環境をつくりだして取り組んだことの結果か、復帰後すぐコンスタントに試合にでれるようになった。そして早慶戦まで後1週間。やはり毎年直前になると少し特別なピリッとした空気が下田には流れる。1週間通して自分はスタメン組、ずっと憧れてきた舞台も目の前まできた。しかし迎えた2日前の紅白戦、スタメン組はボロボロにやられ完敗。自分のプレーも良くない。必然と不満はちらほらと聞こえてくる。練習後献と車で帰りながら早慶戦への想いをお互い話していると、涙が溢れ出た。あんなに体が震える程泣いたのは初めての経験だった。とにかく悔しすぎた。自分の実力のなさに腹が立った。でもそれと同時に後悔という感情が湧き起こらなかったのも事実で、自分なりに自信を持って取り組んできたと思えたからかもしれない。全力でやったら反省して次に活かすだけ。あの時はなんか不思議な感覚だった。悔しく、苦しいんだけど、どこかスッキリしている、少し自分が成長している気がした。いつの日かテソンさんから言われた「成長には一定の苦しみが伴う」という言葉が思い浮かぶ。4年間で早慶戦に出ることはついぞ叶わなかったが、その言葉を体感した、大切な一日となった。

4年間を振り返って学んだこと、得た教訓は大きくこの3つですが、小さな学びや細かいことを言えばもっと多くあります。千代のブログにも書いてあったけど、自分の選択を成功させるか失敗させるかはこれからの自分次第、努力でどうにでもできる。僕も「全てを正解にする」考え方は大切にしています。これからの長い人生、ソッカー部での4年間があったから今の自分がある、と胸を張って言えるように、この4年間に色を付け足せられるように、引き続き頑張っていきたいと思います。また、残り1ヶ月後悔のないように最後の試合の笛が鳴るまで選手として上を目指し続け、最後のシゲキが終わるまでアピールし続けて、1分1秒でも多く試合に出てチームの勝利に貢献します。

 

僕はサッカーが大好きです。サッカー人生を振り返ってみると失敗し、負けてばかりのサッカー人生でした。でも心の底から楽しくて、夢中になり、真っ直ぐ全力で向き合える、素晴らしいスポーツでした。22歳でサッカーを辞めてしまうけれど、これからもずっと大好きなスポーツであり続けると思います。
約18年間、生活の中心にサッカーがあり、サッカーを通して多くの人と出会い、多くの経験をして、多くの夢と景色をみさせていただきました。人生の全てを教えていただいたと言っても過言ではありません。最幸のサッカー人生をありがとう。

 

そして最後になりますがこの場をお借りしてソッカー部での4年間、約18年間のサッカー人生を通して出会った、支えて下さったすべての方々に感謝申し上げます。周りに恵まれた幸せなサッカー人生でした。

社会人スタッフの皆様
4年間を通して、なかなか期待に応えることができなかった僕ですが常に期待し続け、成長を第一に考えて指導して下さり、僕はソッカー部という最高の環境で選手として、人として成長することができました。ありがとうございました。

先輩方へ
常に先輩方の背中を追いかけ学び、導かれていました。憧れの存在でした。憧れた先輩方のような人間になるにはまだまだ時間がかかりそうですが、ソッカー部生活の最後の最後まで頑張りたいと思います。今後共宜しくお願い致します。

後輩へ
雄大や亮友、清水(顔作るの上手いから騙されそうになるが)あたりは同期だと思っているでしょう。宗悟に関しては後輩だと勘違いしています。だけどいつも話しかけに来てくれて、絡みに来てくれて実は嬉しい、いつも仲良くしてくれてありがとう。健、掘はおしゃれ会、引き続き行きましょう。僕からかける言葉なんて特にありません。とにかくサッカーに夢中になって我武者羅に頑張って。塾高勢期待してるよー。ご飯はいつでも連れて行きます(ね惠風)、声かけてね。

同期へ
エビのようなくさーーい人間になっちゃうかもしれないけど一言だけ・・・大好きです。苦しくなった時に周りをみれば、自分より苦しみ、もがき、頑張っている同期がいました。そんな仲間は自分の原動力で、皆がいたから最高の4年間を過ごすことができました。本当にありがとう。千代、P、雄介、健翔は7年間という長い時間を一緒に過ごしました、最高だった。あと4節、皆でなんとかここまで来れた。僕たち選手は、誰よりもチームのために動いてくれている笹や創太、マネージャー陣のためにピッチで結果を出し続けよう、絶対優勝できる、優勝しよう。優勝して馬鹿みたいにお祝いしたいなー。積もる楽しい話は優勝してからたっぷりと。

家族へ
1番感謝しなければいけない存在です。感謝してもしきれません。
父へ。サッカー経験者でもないのに少年団で監督をやってしまう程勉強し、大きい庭とゴール、アジリティのない自分にラダーを買ってくれて、夜真っ暗になってもライトをつけて練習にずっと付き合い、サッカーを教えてくれてありがとう。
母へ。この4年間試合に出る姿をあまり見せることができなくてごめん、どんな時も応援してくれてありがとう。試合後「せいやが出てたらなー」なんてことを言わせてしまってほんとに情けない。残り4試合できる限りの最高の恩返しをします。
ひのへ。俺よりもサッカー詳しい妹で、自分の試合を見に来る度に解説しダメ出ししてるって聞きました。いつもご指導ありがとう。兄ちゃんあと少しひのの分も頑張ります。
めい・・・うん特にない。歩いて間もない小さい頃、強烈シュートを顔面にぶち当てたことだけは改めてここで謝るわ。ごめん。
ポッチ、ペップは車でいっぱい旅に行こう。
ここには書ききれない程感謝があるので全てが終わってから改めて伝えます。

長く真面目な、面白味のない文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次回のブログは渉!あれごめん、間違った。ましゅんこと風間隼(4年・都立駒場高)が担当します。 彼の第一印象はもちろんのこと鈴木福。人を笑わせることが大好きな彼は入部当初、福君に似ていることをネタに大暴れしていた気がします。しかし、そんな一面とは裏腹にマネージャーと選手の二刀流で活躍する数少ないスーパー部員の1人です。今年の春、僕がCチームの鹿島遠征に帯同した際、ましゅんがチームをまとめ、引っ張る姿に脱帽しました。やはり経験がちがうのか2歳年上恐るべし。カテゴリーも違うし、部室にもいなくて喋る機会も多くないから、もっとましゅんとしょうもない話したいなーってのが正直なところです。てことで、そんな頼りになりすぎるましゅんのブログに超期待、超期待。

《NEXT GAME》
10月28日(土)関東リーグ戦 第19節 vs 中央学院大学 @慶應義塾大学下田グラウンド 14:00キックオフ

 

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