2023.10.05 引退ブログ
「勝って泣こうぜ」(菱川天風)
平素よりお世話になっております。総合政策学部4年の菱川天風です。
竹内、紹介ありがとう。彼とは高校3年間クラスが同じ。
当初のイメージは、「角刈り、秀才、ガリガリ、192cmのバレー部」そんなところです。 「バカ、アホ、就浪」と彼に馬鹿にされる度、現代社会のテストで負かした鉄板ネタで返し、 罵りあうと共に、7年間2人でたくさんの笑いをとってきた心の友でもあります。サッカーでは一緒にたくさん自主練もしてきました。高校から知っている僕からすると、あんなにも下手だった竹内が今では慶應のゴールを守り、関東リーグ初の7連勝の立役者の1人になっていることを、自分のことのように嬉しく思います。いつかはやる男だと信じていました。 入部前には、「竹内、健翔、僕の桐蔭3人で絶対に関東リーグに出よう」なんて熱い約束は多分していませんが、初めて3人で出場した中央学院大学戦での勝利は格別でした。頑張ってきて良かったね。
キリがないのでこの辺にしておきます。
卒業ブログを書く番が回ってきたと同時に、18年続けてきたサッカーもいよいよ終わりが見えてきました。
このブログでは自分がどんな人間でどんなサッカー人生を送ってきたのか、ゆるーく振り返ってみました。題名は、僕らの青春であるイナズマイレブンの主題歌「勝って泣こうぜ」を先日笹と熱唱したからこれにしただけです。あまり関係はありません。
泣かせるつもりが、どうやら相場の言う「しょうもなブログ」が出来上がりました。まあ良いか。暇つぶし程度に読んでください。
「サッカーをやっていなければ碌でもない人間になっていた。」
自分のことを客観視するとつくづくそう思う。
堀溝や藤平あたりからは、「サッカーをやってても碌でなしじゃん。」なんて声も聞こえてくるが、紘生や根津あたりからの、「てんち君そんなことないっす。」と浅はかなヨイショに「そうだよな」と気持ち良くなる自分も容易に想像できる。とにかく僕は単純でどんな時も自分の欲に忠実に、自由に生きてきた。法律、校則、部則、家庭のルールなど様々なルールがある中で僕の1番のルールは、サッカーだった。自分が楽しくサッカーをすることが僕のルールだった。そんな自分を変えてくれたのはサッカーであり、ソッカー部なのだと思う。
僕は誰もが知る、かの有名な愛知県尾張旭市で生まれ育ち、理由は覚えていないが4歳でサッカーを始めた。いつしか将来の夢はキリンになることからプロサッカー選手に変わり、そこから僕と父のサッカー人生が始まった。
子供より親が本気になってしまうのはよくある話だが、自分でサッカーチームまで作ってしまう親はなかなかいない。当時は喧嘩ばかりだったが、結局、僕は文句を言いながらも6年間父のチームに在籍し、サッカーの基礎という基礎を叩き込まれた。今では父にとても感謝している。
中学校に上がると、反抗期だろうか、父がくれる全てのアドバイスに嫌気がさした。自由にやりたいと、何かと反抗し、聞く耳さえ持たなかった。
また、サッカーを続ける代わりに、と母には塾に通わされた。でも当時塾は僕のルールにはないので、 友達に出席を出してもらっては、自主練をしたり、友達と遊んだりと、大学生みたいなサボり方をした。成績が落ちていくのを見て不思議そうな母を横目に、何食わね顔で勉強してきた風に帰宅した。中学校では途中で帰宅し練習に行ったりもした。サッカー以外頑張らないのがかっこいい、当時の自分はそんな風に思っていたのかもしれない。全部大切な要素であることも知らずに。しかしサッカーでも全国に出るのが精一杯、思うような結果は得られなかった。このままではプロになれないと、僕のルールであるサッカーに打ちこむため、地元を離れ「全国青覇」を掲げる桐蔭学園の門を叩いた。
高校ではこれまで以上にサッカーに打ち込んだ。一方で、夜中に寮を抜け出し温泉に行き坊主になったり、私服登校をして練習させてもらえず掃除をしたり。行き過ぎた私生活の自由のせいで唯一のルールであったはずのサッカーにも支障をきたし、「全部繋がってるなぁ」と18歳にしてようやく気が付いた。
3年間全てをかけた選手権には、県ベスト4で敗退し、早すぎる道半ばの終わりに涙すら出なかった。高卒プロにもなれない。負けで終わるサッカー人生は嫌だな。
そんなこんなでやるはずもなかった大学サッカーに足を踏み入れた。
2年生、僕のソッカー部人生で、いや人生において最も濃い1年だった。心から四戸さんのもとでプレーし日本一を目指したいと思ったからだ。また、ソッカー部内での 「自由」を求め、(今考えると本当に浅はかな考えである)フットサル部門での活動を選んだ。 サッカーでは、横幕くん(R5卒)と自分たちで一から作り上げ必死に戦い、フットサルでは全国優勝を目指す日々。順調にフットサルでは関東リーグ優勝を果たした。1度も獲ったことのなかった全国優勝をして、来年はサッカーの関東リーグで活躍する、はずだった。全国決勝残り10分、右アキレスが爆発し負傷交代した。3-1で勝っていたはずが残り10秒で逆転され、あと1歩優勝に手が届かなかった。みんなで胴上げするはずだった四戸さんが泣いて謝る姿、泣き喚く今西パイセン。雄大の青髭は相変わらず濃かった。
僕も一生分の涙を流した気がする。何より大きすぎる背中をみせてくれた4年生…あ、それ見せてくれたのは森田でした、物理的に。
結果は残念であったが、とにかく自分で選んだ選択を正解にするためもがき、かけがえのない仲間と過ごした1年は本当に充実したものだった。特に雄介、ありがとう。「得点者:菱川(井上)」、達成しないと終われないよな。
僕の3年目は、アキレス腱の手術から始まった。新シーズンの約1ヶ月半を自宅のベットの上で過ごした。母からは、「やめても良いんだよ」とか言われた気もするが、僕の性格上あまり落ち込むこともなく、すぐ前を向いた、というか向かざるを得なかった。最後に見たみんなの顔が泣き顔で、いや雄大の青髭で終わるわけにはいかなかった。
ようやく松葉杖の許可をもらい下田に戻った。僕はB1チームのカテゴリーに配属され、僕ら同期の”top of ROUGAI”として知られる千代田さんが、怪我人の重鎮として迎え入れてくれた。あまり大きな怪我をしてこなかった僕にとって、ピッチの外からサッカーを見ることはとても新鮮だった。この時ぐらいからだろう。僕にとっての1番のルールがサッカーを楽しくすることではなく、ソッカー部の勝利になったのは。リハビリ当初は、「早くTOPチームに上がろう」「復帰したらどんなプレーをしよう」なんてことしか考えていなかった。しかし下級生がほとんどであったチームを、副キャプテンとして引っ張るひで、ガヤがうるさい祖父江、きつい練習に必死に食らいつく1,2年生、頼もしい4年生を見て、プレーはできないが何かチームに貢献しようと思うようになった。気付いたら必死にみんなを鼓舞していた山中合宿。下級生や同期とIリーグを振り返り、率先して審判もした。B1チームの勝利が心から嬉しかった。自分じゃない誰かのために本気で取り組み、本気で喜ぶ初めての経験をした。
フットサル全国準優勝にB1チームでのリハビリ、この2つの事象が僕の心とお腹を一回りも二回りも成長させくれたことは間違いない。
長かったリハビリを乗り越え、ようやくTOPチームに戻ってくることができた。関東リーグ残り3節、念願の関東デビューと共に厳しい現実が襲いかかった。僕が出場した3節で残した勝ち点はたったの1。チームは入替戦に進んだ。時之栖で全員合宿を行い、総力戦で臨んだ試合、僕もチームを2部に残したい一心で戦ったが敗戦した。試合後、惠風や献が隣でベンチをぶっ叩いて号泣するのを見て、「こいつらはチーム背負って戦ってきたんだな」と思いつつも、シーズンを通してチームに貢献できたわけでもない僕に、涙なんか出るわけもなく、「来年絶対戻そう」なんてあっさいありきたりなことを言った気がする。でもとにかく未来のソッカー部員のためにも絶対に1年で上げる決意だけは固まった。
4年目、「3部優勝」「慶應でみんなと優勝してサッカー人生を締めくくりたい」
この目標を達成するためだけにここまで突っ走ってきた。苦しみながらもようやく現実味を帯びてきたね。サッカー人生最後ぐらい、笑って終わりたい。みんなの悲しい泣き顔ばかり見てきたけど最後、勝って泣こうぜ。
感謝パート行きます。
後輩へ
僕が言えることなんて特にありません。いつも仲良くしてくれてありがとうぐらいです。仕事だけしっかりやってね。
立石だけマジでやばい上級生になりそうなので、みんなでなんとかしてやってください。頼むぜ桐蔭。
同期へ
控えめに言って愛してます。
早くみんなで何も気にせずはしゃぎ散らかしたいのでさっさと優勝しましょう。積もる話はそれからです。
あ、笹が応援歌欲しいらしいです。呑み用の。
両親へ
まず清美
僕がこんな自由人になってしまったのは、間違いなくあなたのせいです。「〇〇行くけど来るー?」じゃないのよ。
3ヶ月に1度くらいのペースで旅行に誘ってくるのだけはやめてください。練習は休めません。 とはいえ、本当に1番感謝しています。いつもどんな選択をしても、肯定してくれて、信じてくれてありがとう。あと手料理だけは世界一美味いっす。マジで。
そしてひろゆき
僕のサッカー人生を語る上で欠かせない人です。良い意味でも悪い意味でもとても尊敬しています。「てんちが試合に出れないといつも泣いてるよ、気持ち悪いからどうにかして」と母から苦情の連絡をいただいています。その節はすみません。でも半分、いや8割方引いています。2割は本当に申し訳ない。あと7試合で最高の恩返し、絶対します。
最後に
残りのソッカー部人生の抱負と今の気持ちを書いて終わりにします。あと少しだけ書かせてください。
チームは7連勝、だけどその多くの試合で僕は今西団長の隣で応援している。もう定位置かのように。
「ゴール&アシストで5ゴール以上」
これは合宿所に張り出してある僕が書いた残り9試合での目標です。だが結果はどうだろう。 直近4試合、出場時間0分。
ケントからは「もう諦めたんすか?」と聞かれる始末である。
全然諦めてないっす。怪我もない。出たらいつでも活躍できる準備も自信もある。だからやり続けるしかない。最後の刺激が終わるまでアピールし続けるしかない。
山中合宿で泣きながら走る和樹(R5卒)。足の裏がずるむけになっても戦うことをやめないなつき(R5卒)。心の病から帰ってきた不死鳥てる(R5卒)。最近めっちゃアナウンサー忙しそうな凜太郎くん(R5卒)。そんなかっこいい先輩の背中を見てきたから。
優勝に向けて自分にできることは全部やる。それが僕の、僕らの1番のルールであるはずだから。頑張ろうな、えび、せいや、ちよ。
笹、「今週はお前だ」といつも期待してくれてありがとう。どんなに辛くてもその言葉に奮い立たされてます。
「まかせろ、今週末は俺の日です」
結局長くなってしまいました。最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます。次回のブログは板倉秀和(4年・桐朋高)です。
彼とはピッチ外で本当に多くの時間を共にしました。毎年のように旅行へ行き、オフの日には早朝から何故か毎週のように温泉に行ったりしました。ここで書けるエピソードはこれぐらいです。先日B練に参加した際、ひでがあり得ないぐらいリーダーシップを発揮していて驚きました。その日から彼がかっこよく見えて仕方がありません。嘘です。
石川→竹内→菱川→板倉。さあ四銃士のラスト、相当うまく締めてくれるんだろうな~。
《NEXT GAME》
10月7日(土)関東リーグ戦 第16節 vs 城西大学 @JOSAI SPORTS FIELD 第1G 14:00キックオフ