2025.11.12 引退ブログ
「灯火」(西野純太)
平素より大変お世話になっております。
今回、ブログを担当させていただく総合政策学部4年の西野純太と申します。
紳、紹介ありがとう。
多くのご飯を食べていたのは食欲に負けていたのではなく、少しでも相手を吹き飛ばす力をつけたいと思っていたからです。 あと、セットプレーで培った分析力をもとにした見解として、最終節は「あさくま」のソフトクリームとワッフルが勝利の鍵になると思います。
紳、グラマネになる決断をしてくれて本当にありがとう。
紳は誰よりもソッカー部を想い、支え続けてくれた最高のグラマネです。
アウェイの流通経済大学戦では試合前に部車で神社を訪れ必勝祈願をし、みんなが勝利の余韻に浸っていた前節の日本大学戦後には、その後に控えていた練習試合の準備が遅い選手たちの兜の緒を締める。
ソッカー部のため、仲間のためを想い、勝利に必要な行動を考え、実行に移してきた人です。
人として、漢として尊敬しています。改めて本当にありがとう。
今週末、必ず勝って、坂戸の空に「若き血」を轟かせよう。
ーーーーーー
本題に入ります。
学年LINEに引退ブログの日程が送られ、自分の締め切りまで2ヶ月程度あることが分かりましたが、CBとしてリスク管理を徹底し、ギリギリにならないようにと1ヶ月以上前から準備を始め、合計3万字程の文章を書きました。しかし、同期のブログが次々と公開されていく中で、基準の高さを痛感し、締め切り当日まで苦闘しました。
結果として長く拙い文章になってしまいましたが、それでも、等身大の自分を綴った文章です。お手隙の際に、是非ご覧いただければと思います。
ーーーーーー
「チームの勝利に対して責任を持つ姿勢を、ピッチに立つ者だけでなく、組織に属する全ての人に求めたい」
シーズン終盤、中町監督がチームにかけた言葉だ。
度重なる脳震盪との長く苦しい戦いが、支えてくれた仲間の存在が、この言葉の本当の意味を教えてくれたのだと思う。
ーーーーーー
昨年の9月6日総理大臣杯早稲田大学との一戦。相手選手が蹴り上げたボールが顔面に直撃。目の焦点が合わず、意識が朦朧とした。これが現在まで続く脳震盪との戦いの始まりだった。
試合終了直後から頭と首に痛みが出てきたため、2週間ほど練習を休んだ。しかし、総理大臣杯後、すぐに「2部優勝・1部昇格」をかけたリーグ後半戦が再開。痛みが残っていながらも、復帰する決断をした。
その後の練習では、ヘディング直後に身体の力が抜け、跪く機会も多かった。痛み止めなしではプレーができなくなっていった。でも、グラマネや主務をはじめ多くの人の献身を見てきたからこそ、その想いに報いる唯一の方法はピッチ上で勝利に貢献することだと信じて疑わなかった。だから、痛みを我慢して試合に出ることも当たり前だと思っていた。
そして、チームはリーグ優勝を達成し、悲願であった1部昇格を成し遂げた。勝利の瞬間、喜び以上に先輩たちが残してくれた1部の舞台で「自らがチームを牽引していく」。来シーズンへの強い決意を固めた。
リーグ戦後、新チームの主将・副将決めミーティングが始まり、副将に就任。「『一部優勝・全国制覇』に導くため、個人としては関東1部リーグでベストイレブンに入り、チームとしては1試合1失点以下を達成する」自らの口でそう誓った。
ーーーーーー
しかし、無情にも副将就任直後の昨年12月20日天皇杯予選。悲劇はまたも早稲田大学との一戦で訪れた。
高く蹴り上げられたボールをへディングをした際に相手FWの頭が顔面に衝突し、地面に叩きつけられた。衝撃の直後から、頭から首にかけて電流のように走る激しい痛み。相場が慌てて早稲田のトレーナーを呼んでくれていたらしいが、周囲の声が微かに聞こえる程度で、目の焦点も合わず、激痛で首を動かすことができなかった私には何が起きているのか全く分からなかった。そして、そのまま救急車に運ばれ病院へ向かった。
その後1ヶ月のオフがあり、様々な治療を行ったが、効果が出ることはなかった。寝ている時だけが唯一の救いで、私生活がままならない痛みが続いた。この痛みとの戦いは、想像以上にしんどく、選手復帰が難しいと感じ「もうピッチに立つことはできない」と1人家で泣いていた。
その後、弥生やOBの方々のサポートで、脳震盪を専門とする先生に診てもらうことができた。1ヶ月以上変化することのない激痛からドクターストップを覚悟していたが、何とか回避し、もう一度ピッチに立って闘える希望が見えた。それだけで心の底から嬉しかった。
しかし、可能性が見えただけで、症状がすぐに治るわけではなく、プレーできない日々が続いた。
そうこうしているうちに、リーグ戦開幕。そして毎試合のように続く複数失点。試合終了のホイッスルと同時に、チーム全員がピッチに跪く姿。応援席から聞こえる溜め息。それを応援席で見守ることしかできない自分。
これほどまでに自分自身を恨み、ピッチに立てない自分への無力感を嘆いたことはないかもしれない。それでも毎週続くリーグ戦の中で、行き場のない憤りに溺れそうになりながら、精神安定剤のように6種類の薬を毎日飲み、チームの前では気丈に振る舞い、声を出し続けた。
ーーーーーー
受傷してから半年後の今年6月20日。アミノバイタルカップ拓殖大学戦でやっとピッチに戻ることができた。
初戦に勝利し、次の流通経済大学戦では負けたものの、立教大学との試合を劇的な勝利で終えた。荒鷲のエンブレムを身に纏ってプレーすることに、試合に勝利し、応援に駆けつけてくれた仲間達と若き血を歌えることに、これ以上ない喜びを感じていた。
しかし、「脳震盪を回避する方法はヘディングの機会を減らす以外ない」。そのように医者に言われて復帰した私の身体は、5日で3試合の連戦を終えた時、明らかに異変を起こしていた。頭と首は限界を迎え、全国大会出場を賭けた明治大学との代表決定戦前日には、軽いヘディングで頭から首にかけて「ピキーン」と激痛が走り、練習を離脱した。天皇杯の時に感じた痛みと同じだった。その状態でプレーするべきでないことは理解していた。それでも負けたら終わりのトーナメント、「全国制覇」を掲げるチームの副将として、欠場する訳にはいかなかった。当日の朝、監督に「問題ないです。出場させてください」そう電話で伝えた。
惠風のスーパーゴールで勝利し、2年連続の全国大会出場が決まったこの試合。頭と首に異常を感じていた私は、試合中恐怖に飲み込まれそうになっていた。交代しようか迷った。でも、交代してしまったらまた無力感に襲われる日々に戻ってしまう。だから、ホイッスルが鳴る最後までピッチに立ち続けた。
ーーーーーー
選手としての終わりは突然訪れた。
今年の8月3日に韓国で行われた延世大学との定期戦。ゆるいクロスボールが頭に当たっただけで脳震盪を発症したことに違和感を感じたが、いつもの脳震盪だからしばらく休めばまたプレーできる。そう思っていた。
しかし、帰国後に病院を受診した際、医者からは「もうプレーするべきではない」と告げられた。引退勧告だった。これまで、チーム状況や自身の選手としての気持ちを理解し、プレーを継続するための最善を尽くしてくれた医者からの言葉。もう選手としてプレーできないという厳しい現実。
涙は出なかった。 代わりに込み上げてきたのは、想像もしていなかった感情だった。
「もうプレーしなくていい」
1年前に脳震盪を初めて発症して以降、医者から明確なストップがない限りプレーするという選択肢しか選べなかった苦しい日々が終わる。「選手である以上プレーしなければ価値がない」という考えが、精神的にも、身体的にも、もう一歩も進めないところまで自分自身を追い込んでいた。
ーーーーーー
2週間後の8月17日。
等々力陸上競技場で行われた早慶サッカー定期戦に出場していた。
なぜプレーできないことに安堵していた私がピッチに立てたのか。
昨年度の早慶戦での大敗を、2度も脳震盪を受傷した悔しさを抱えたままでは終われなかった。
なにより、試合直前まで首のケアをしてくれるトレーナー。
試合前日の忙しい中で自分のために動画を作ってくれるマネージャー。
アップでピッチに立った時、試合に出れない悔しさを押し殺して最高の応援をしてくれる仲間。
チームの勝利を願い最高の後押しをしてくれる仲間の姿が、一度潰えた選手としての心にもう一度火を灯してくれた。
「死に物狂い」だった。
もうこれ以上荒鷲のエンブレムを背負ってピッチに立つことはできない。だからこそ、最後の最後まで慶應を代表する副将として、18年間のサッカー人生の全てを出し切り、90分間を捧げた。
シュートが身体のどこに当たったとしてもゴールを守る覚悟だった。相手選手と衝突するリスクがあろうと、身体ごと相手のゴールに突っ込む覚悟だった。
そして、先制点、4年ぶりの勝利。MVPをいただくこともできた。
ーーーーーー
試合後、涙を流しながら喜ぶ選手、マネージャー、トレーナー、アナリストの姿があった。チームを支える決断をした同期が、2人でトロフィーを掲げていた。
人生で1番の光景だった。
そして、仲間が自分のために作ってくれた横断幕を掲げ、自分のチャントを歌ってくれた時、改めて実感した。
私はずっと「ピッチに立てない自分は無力だ」と思っていた。
「選手である以上プレーしなければ価値がない」と信じていた。
でも、違った。
同期がグラマネとしてチームを支えてくれた日々。トレーナーが痛みに寄り添ってくれた時間。アナリストが映像分析を重ねてくれた夜。マネージャーが準備してくれた一つひとつ。悔しさを押し殺し、全力で応援してくれた全ての人の声。
彼らは、ピッチに立っていなかった。でも、チームの勝利のために全力を尽くしていた。そして、彼らの存在があったからこそ、私はもう一度ピッチに立つことができた。1人では、ピッチに立つことも、得点を奪うことも、身体を張って守ることもできなかった。自分のためだけに戦っていたら、この景色は見られなかった。
組織のため、仲間のために取った行動の一つひとつが、この勝利に繋がっている。誰一人として例外なく、組織に関わる全ての人が支え合っている。その相互作用こそが、ソッカー部の強さなのだと強く実感した。
ーーーーーー
選手を引退した後、中町監督が語った。
「チームの勝利に対して責任を持つ姿勢を、ピッチに立つ者だけでなく、組織に属する全ての人に求めたい」
この言葉を聞いた時、早慶戦で気付いたこと全てが、繋がった。
もし副将に就任したばかりの自分がこの言葉を聞いていたら、頭では理解できても、心の底からは受け止められなかっただろう。
「結局、試合に出ないと意味がない」そう思っていたはずだ。
でも今は、違う。
長い時間をかけて、苦しみながら、もがきながら、仲間に支えられながら、辿り着いたこの場所で、私はやっと、この言葉の本当の意味を理解できた。
ピッチに立てなくても、選手ではなくても、チームに本気で向き合い、自らに出来る最善を尽くすこと。
それが、チームの勝利への責任なんだと。
ーーーーーー
それ以降、私が取るべき行動は明確になった。
チームが苦しい時に選手を鼓舞することが、試合の流れを引き寄せるかもしれない。
たった1つの声かけが、仲間の背中を押すきっかけになるかもしれない。
相手の想定を凌駕するセットプレーの準備が、勝利を手繰り寄せるかもしれない。
どれも決して大きくはないかもしれない。それでもこうした行動の積み重ねがチームを勝利に導く一助になると知っている。
なぜなら、私自身がそうした一つひとつの行動に生かされてきたから。
ーーーーーー
3日後、リーグ最終節の東京国際大学戦。
ここまで決して楽な道ではなかった。
シーズン当初に掲げていた目標を変更せざるを得なくなった。
それでも、勝てば残留というシチュエーションまで、全員の力で這い上がってきた。
約束してほしい。
それぞれの部員が、それぞれの立場で、チームの結果に責任を持ち、貢献すること。
ピッチに立つ選手は、自らの力を最大限発揮し、チームの勝利のために全力を尽くす。
ピッチ外で支える者は、選手が最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作り、チームの勝利のために全力を尽くす。
一人ひとりが、自らにできることを、全うする。
その時、必ず結果はついてくる。
ーーーーーー
長く拙い文章ではありましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これまでお世話になった方々へ伝えるべき感謝は数え切れないほどありますが、全員に書くとあまりにも長くなってしまうため、僅かではありますが、この場で感謝の言葉を綴らせていただきます。
社会人スタッフの皆様
4年間、愛ある指導をしていただきありがとうございました。
皆様は、言葉だけでなく、背中で教えてくださいました。言うなれば、自分自身との向き合い方を。組織のあり方を。漢としての生き様を。
学ばせていただいたすべてを自らの血や肉にして、これからの人生を、歩んでいきたいと思います。
三田ソッカー倶楽部の皆様
日頃よりソッカー部の活動に多大なるご支援を賜り、誠にありがとうございます。
個人的にも、脳震盪で苦しんでいた際に病院を紹介してくださったこと、体育会総会で皆様から熱い激励をいただいたこと、皆様の温かいご支援があったからこそ、より一層頑張ることができました。
大変お世話になりました。
先輩方
先輩方が築いてくださった生き様が、今の慶應を形作っています。
一挙手一投足、チームのために何をすべきかを常に体現していた先輩方の姿を、今でも鮮明に覚えています。
4年生になり、その偉大さを強く実感しています。
感謝と尊敬の気持ちを胸に、必ず1部の舞台を後輩へ残します。
紘生
去年、紘生の横で戦った経験が、選手としての自分を大きく成長させてくれました。慶應のCBとしてのDNAは、間違いなく後輩たちに受け継がれていきます。
シーズンが終わったら大下と共に暴飲暴食のお誘い待ってます。
同期のみんな
みんなと出会えたことが、共にサッカーした時間が、一緒にご飯を食べた記憶が自分の人生にとってかけがえのない最高の財産です。
ここまで決して楽な道のりではなかったけど、最後みんなで笑って終わろう。
社会人になったら定期的に同期会を開催したいと思うので、大下とそうちゃんは別荘の、清水と左貫はお酒の、真之介は昂大を誘う準備をしておいてください。
後輩のみんな
宮地、石田、直希、朔、心太、大其、大斗、ユンギ、斡汰、シゲ、朝井、馬場、加固、陽翔、英一。挙げたらキリがないですね。
みんなの活躍を心の底から楽しみにしています。頑張れ。
03世代のおじさん3人。満身創痍ではあると思いますが、くれぐれも大怪我には気をつけて、チームを牽引していってください。
大雅
「純太くんが宿ってるんで」後輩でありながらそんなことを言ってくれる大雅の存在が、体調が優れない時でも、どんな立場でも、共に戦い続けたいと強く思わせてくれました。
苦しい状況でも自分に矢印を向けて日々成長を続ける大雅の姿が誇らしかったです。
大学No.1CB目指して頑張れ。
大雅の活躍を来年も楽しみにしてます。
弥生
初めて脳震盪をした日から、病院探し、病院への同行、ケア等、感謝してもしきれないほどお世話になりました。本当にありがとう。
チーム付きをした際に教えてくれたボトルにスムーズに氷を入れるコツ、是非後輩たちにも伝授してほしいと思います。
彩花さん
1年間本当にお世話になりました。沖縄遠征から始まり、選手を引退した現在まで、お忙しい中時間を作ってケアをしてくださり、会うたびに声をかけてくださり、本当にありがとうございました。
最後の1日までよろしくお願いいたします。
あらゆる面で真摯にサポートをしてくださったお二人の前で、早慶戦のピッチに立ち、MVPを獲得できたことが何よりも嬉しかったです。
勇樹先生
昨年の拓殖大学戦でわざわざ現地まで足を運び、テーピングを巻いてくださったりと、手厚くサポートをしていただき、本当にありがとうございました。
シーズン最後まで戦い抜くことができたのは間違いなく勇樹先生のおかげです。
整骨院であるにも関わらずふみやと共に爆睡し、長居し過ぎてしまったこと、お詫び申し上げます。
立石家の皆様
わざわざ自分のことを気にかけてくださり、本当にありがとうございました。
電話に出た時、宗悟ではなくお母様の声が聞こえ、その後お兄様が登場された際には驚きましたが、将来に不安を感じていた私にとって、大きな希望になりました。
今後共お世話になると思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。
家族
全国のどこにいても必ず電話をかけて試合の感想をくれる父さん。自分が全く出ていない今年の新人戦にも応援しに来てくれる母さん。早慶戦で「純太の兄です」と応援席に入っていき、後輩たちに話しかけ一緒に応援する亮太。そんな西野家に生まれることができて、心の底から幸せです。
多くの心配と迷惑をかけてきたけれど、それでも何不自由なくプレーすることを支えてくれた家族への感謝は、一人前の社会人になることで返していきたいと思います。
これからの成長を温かく見守っていてください。
じっちゃん、ばあば
4年間本当にお世話になりました。
最高の住環境を用意してくれて、健康に気を遣った料理を作ってくれて、時には両親のように相談に乗ってくれて、ありがとうございました。
くれぐれも身体に気をつけて、カラオケバーやNumber_iのライブなど、たくさん楽しんでください。
ーーーーーー
さて、次のブログはみなさんお待ちかね、湘南の海沿いに行けば必ず会える男こと角田惠風です。
「人生でスパイク以外の買い物をしたことがない」そんな噂が流れるほどの、筋金入りのサッカー小僧。
正直、サッカー以外に何を書けばいいのか迷っていたところ、本人から「リアルの恋愛をする機会がなく、最近恋愛リアリティショーにハマっていること」を書いてほしいと言われました。
わざわざこの話題を出してきたのも、もしかしたら 「元プロサッカー選手として恋愛リアリティショーに出てみたい」。 大下のようなストイックなサッカー人生の裏に隠された、青春への憧れがあるのかもしれないと思いましたが、惠風に限ってそんなわけがないですね。
惠風には、謝らなければならないことがあります。
彼が全日本大学選抜としてイタリア遠征に行き、私が韓国で延世大学との定期戦を控えていた時、連絡を取っていました。「怪我には気をつけてね」そう言ってくれた数日後、再受傷をし、引退の二文字を抱えて帰ることになってしまったこと、その後ピッチに立って共に戦えなくなってしまったこと、本当に申し訳なく思っています。
そんな彼は私が説明するまでもなく、全てがハイクオリティな慶應の絶対的エースです。(1シーズンでフリーキックから左右の足で2点ずつ決める選手なんて、世界中どこを探してもいません)
鋭いドリブル、圧倒的な対人能力、爆発的な走力、両足から放たれる高精度のキック。そして、圧倒的な勝負強さ。それらの能力を飽くなき探究心と努力で高め続けてきました。
1年時から背中でチームを引っ張り続け、どんな場面でも結果で示してきた彼なら、引退ブログでもきっと「基準の高さ」を見せてくれることでしょう。
惠風!期待しています!!
《NEXT GAME》
11月15日(土) 関東リーグ戦 最終節 vs 東京国際大学 @東京国際大学第1グラウンド 14:00キックオフ
