2025.11.10 引退ブログ
「自分軸」(辻野悠河)
平素より大変お世話になっております。
今年度主務を務めました、商学部4年の辻野悠河です。
左貫、紹介ありがとう。
副務決めのスタミでは、冷静に抜け穴を突いてくる前主将とピッチ内と同等のパッションで覚悟を問うてくる前副将をいかに撃退するか、2人で作戦会議を重ねました。無事2回戦で撃退できたことは良い思い出です。
同期の商学部生の中ではあまり手のかからない方だと思っていたのですが、彼にしかできない股下の秘技のおかげだったことを4年目にしてようやく知りました。
そんな彼は最初の学生スタッフとして見違える程の変化を見せ、最後まで学年を先導し続けてくれました。最終節は圧倒的責任感と築き上げた守備原則で、残留に向けてチームを先導する姿に期待しています。
さて、本題へ移ります。
同期からはミステリアスと言われ、最近では社会人スタッフの中でもポーカーフェイスすぎて感情を読めないという話になっているらしいですが、最後のブログでは自身の想いを赤裸々に綴りたいと思います。
最後までお付き合いください。
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『主務になる決断は正解だったのだろうか。』
本州最西端の県から始まったサッカー人生の終焉が刻一刻と近づき、大学4年間を振り返ることが増えたこの頃、度々この問いについて考えている。
2023年12月20日。
学年ミーティングでの投票の末、副務に就任することが決まった。副務決めミーティングが本格的に始まる前から「副務は辻野だろう」という周囲の雰囲気を感じ、ある程度の覚悟は決めていたため、さほど驚きはなかった。
この日を境に、それまで2時間の練習をして帰るだけだった日常は一変した。練習後には、遠征合宿の手配、部の会計管理、早慶戦の準備、体育会やOB会の会議への出席・・・。細かく列挙するとキリがない程の膨大なタスクと責任が身にのしかかった。
-サッカー人生ラストの2年間をどう過ごすか。
「とことんサッカーに時間を費やす」と答える選手がほとんど、いや全員だろう。私もそうするつもりでいた。
大学2年の夏、中断期間明けのリーグ戦で関東リーグデビューを果たし、その後のリーグ戦4試合で先発出場した私は、3年目のシーズンでの更なる飛躍と早慶戦初出場を目標に、敬遠していた筋力トレーニングなどにも励むようになっていた。
私以外にも、チーム練習以外にパーソナルトレーナーの下で筋力アップを図る選手、高地トレーニングで心肺機能向上を目指す選手、整骨院で体をケアし疲労回復に努める選手など、様々であった。
そんな中、チーム練習以外の時間を主務業に使うことは、目標達成から見ると矛盾でしかない。実際に、練習後の業務でトレーニングの時間を確保できなかったり、夜遅くのミーティングや資料作成で睡眠時間が削られたりすることも少なくなかった。
ではなぜ、主務になったのだろうか。
理由は2つあった。
まず、サッカー選手として生み出せる価値に自信がなかったからだ。
入学当初、4-4-2を採用するチームの中でボランチのポジション争いは熾烈だった。
もちろん先輩のレベルも高かったが、何より同期のレベルが高かった。
雄大や惠風、朋希は、サッカー人生で出会ったことがないレベルの選手達だった。高校時代県2部リーグを主戦場としていた私にとって、プレミアやプリンス所属の強豪クラブ、選手権常連校出身の選手たちは雲の上のような存在だった。正直、1年生の時は、「トップチームで試合に出場することなく4年間を終えてしまうのだろう」と思っていた。
そこから紆余曲折を経て、学生スタッフ決めミーティングが始まった頃には運良くトップチームデビューを果たしていた私だったが、学年ミーティングの中でそれぞれの部内における存在価値を問い続ける日々の中で、自分はサッカー選手で生み出す価値だけでは不十分だと思っていた。
そして、同期に対する責任。義務感だ。
3年生になった頃、同期はそれぞれの立場でチームを背負い始めた。
トップチームの中心選手として戦う者、アンダーカテゴリーで下級生を引っ張る者、独自の形でチームを支える者。
誰が欠けても成立しない“同期”が出来上がっていた。
だからこそ、自然と思うようになった。
この仲間が4年目を後悔しないようにしたい。この代を支えられる存在でありたい。それは、自分にしかできない役割なのではないか。
そんな想いが、責任感という言葉に形を変え、義務感という覚悟に転じていった。「自分がやるべきだ」と、気がつけば自然と腹を括っていた。
主務になることは、選手としての自分を犠牲にする選択でも妥協でもなく、同期という存在に対して、自分が示せる最大の敬意であり、覚悟だった。
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4年目を迎えるとき、心に決めたこと。
「選手兼主務として各方面から掛けられる全ての期待に応え続けること」
主務として迎える大学生活最後の1年の覚悟と目標だった。
自分ならできる。自分にしかできない。そう意気込んでシーズンをスタートさせた。
しかし蓋を開けてみると、4年目の今シーズンは上手くいかない日々に葛藤の連続だった。
4年目にして初となる関東リーグ1部では「一部優勝」を掲げ、開幕戦こそ勝利したものの、前期11節を終えてチームは2勝3分6敗。個人としても0ゴール1アシスト。思うような結果を残すことができなかった。共に中盤3枚を形成していた雄大や惠風が圧倒的なクオリティでチームを牽引する一方で、自分は何をしているのだろうか。何度自分に失望したか分からない。
さらにアミノバイタルカップでは初戦で肩を負傷し、チームは全国出場を勝ち取った傍らで45分の出場にとどまった。
選手として結果を残せていないことへの焦りや悔しさ。
後輩の台頭もあり、この時期から徐々にスタメンに名を連ねる機会は少なくなっていった私は「主務」として組織を支えながらも、同時に「選手」としての居場所を探していた。
そしていつしか、成長するために選んだはずの主務という立場が、同期の信頼に応えるためだったはずの主務という立場を「仕方ない」という言い訳の材料にしようとする自分がいた。トレーニングを十分に積めないことも、試合に出られないことも、「主務の仕事があるから仕方ない」と自分に言い聞かせようとしていた。
そんな弱い自分に気づくたびに、「誰かのために」という美しい言葉の裏で、自分自身から逃げているだけなのではないか。ピッチの内と外、どちらも中途半端になってしまうのではないか。そんな焦りが、いつも心のどこかにあった。
「選手としても結果を残す」と、強い思いで臨んだ後期。
明治大学戦ではシーズン初ゴール、続く中央大学戦では同点弾をアシスト。さらに東海大学戦では途中出場後3点差を追いついた。チームの結果こそ満足に付いてこなかったものの、選手としての目に見える結果が現れ始めた。
「ゲームチェンジャー」
後期開幕3試合の活躍で、こう呼ばれるようになった。
皆、活躍を讃えてくれていたのだろうが、内心では「スタメンとして試合に出場し、苦境を打破するピースになってこそ、前期を取り返せる。」と思っていたため、素直には喜べなかった。
そんな中、後期第4節の筑波大学戦でスタメンで起用された。それまでのシーズンを取り返すチャンスはここしかないと、あまり自分らしくない気合いの入り方でその一戦に臨んだ。
しかし、チームは0-3の完敗を喫したうえに、総理大臣杯前に痛めた右足ハムストリングを再び肉離れし、試合後、弥生にチェックしてもらうと全治1ヶ月と言われた。あまりにも情けなかった。苦境を打破するピースになるどころか、より苦境に陥れるピースになってしまう始末。
全治1ヶ月ではインカレが現実的な復帰時期だったこともあり、この時初めて「もうサッカーを辞めたい」と思った。しかし、そんな私を差し置いて、周囲が引いてしまうぐらい弥生が泣いていたため、その時は気丈に振る舞うしかなかった。
その後、トレーナー陣のおかげでテーピングを巻けばプレーできるまで回復したが、第7節の桐蔭横浜大学戦翌日の練習で、左足ハムストリングの肉離れ。
テソンさんに練習から抜けるよう促されたとき、涙が止まらなかった。
前期の結果に責任を感じながら、アミノと総理大臣杯では怪我でピッチの外からチームを眺めることしかできず、後期も怪我でチームに貢献できていない自身の現状。それを挽回しようと、練習で強度を上げれば上げるほど、足が悲鳴をあげる。
再び自分に失望し、悔しくてたまらなかった。
「選手」としての価値に悩む日々の中、「主務」としての価値にも悩んだ。
8月上旬のアウェイでの延世定期戦。マネジメントのミスが相次いだ。
今年の夏のスケジュールは例年以上に逼迫していた。延世定期戦に始まり、神戸定期戦、早慶戦、熊谷合宿、山中合宿、総理大臣杯、東北遠征を全て1ヶ月で消化するスケジュール。
多忙なスケジュールの中、不慣れな海外遠征や先方との意思疎通の難しさなど、外部要因に理由を求めようと思えばいくらでも言い訳を並べることができた。しかし、私の中で最終的に行き着いたのは「もし自分がもっと上手くマネジメントできていれば、問題は起きなかったはずだ」という厳しい内省だった。その日の日記には、反省点と改善方法をひたすら書き連ねた。自分の未熟さを視覚化するように、文字がページを埋め尽くしていった。
左貫からの紹介文にあった通り、この一年間、「仕事を軽々と捌ききる」「キャパシティがある」というイメージが常に私を形容する枕詞として付き纏っていた。それはありがたい評価であり、本来なら励みになるはずの言葉だった。
しかし実際の私はそんなに強くない。
予定や業務が重なるたびに息が詰まりそうになり、判断を誤りそうな瞬間もあった。そうした弱さを誰よりも知っていたのは、私自身だった。
自分の能力と現実との間には埋めがたい乖離があることを実感しつつ、周囲が作り上げる虚像の私に追いつくために背伸びし続けた。
本当の自分と、周りが作り上げる自分。そのズレを抱えながら過ごすこの一年は、静かだが葛藤の連続だった。
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そんな苦しい時期に自分自身を支えてくれたのは、
「選手兼主務として各方面から掛けられる全ての期待に応え続けること」
4年目に自分自身に誓った覚悟。いわば自分のエゴでありプライドだった。
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4年間過ごしていると、ふと自分に「問うこと」が多くなる気がする。
「自分は何のためにやっているのか?」「この選択でよかったのか?」と。
学年が上がるにつれて、部内における自分の役割や存在意義に迷うようになってくる。
ソッカー部にいれば、なおさらその悩みは重くなるだろう。
4年生としてあるべき姿、主務としての理想像・・・。
それらは、時間が経つごとに、まるで自分の内側に根を張るように大きくなっていく。
4年間を通じて、ソッカー部の中の「自分」は状況や立場が変わるたびに何度も形を変えてきた。ソッカー部という組織に属している以上、組織が求める姿に自分を寄せていくこと自体は自然なこと。そしてきっとこの先社会に出れば、会社に求められる理想像や立場に応じた役割に合わせて、自分を変えていくことになるだろう。
振り返れば、学年を重ねるごとに、ソッカー部としての姿が求められ、4年生になると、チームの結果が「4年生の姿」として語られる。
そんな環境の中で、自分軸よりも、チーム軸が、少しづつ自分の中心に引き寄せられていく。自分の中心にある目標が「自分がどうなりたいか」よりも、「チームをどう導きたいか」に変わってくる。
「チームのために」
その言葉は美しく、どこか正義に似た響きを持っている。だからこそ、それに寄りかかるのは簡単で、気づかないうちに自分自身の声を後回しにしてしまう。
本来は、自分が何を望み、どんな選手でありたいのか、どういう4年間を生きたいのか。誰よりも自分に向けていたはずの問いが、次第に薄れていく。
そして、気づいた頃には「チームにとって正しい選択」を優先し過ぎて、自分の感情や本心をどこかに置き去りにしてしまっている。
「自分がどうなりたいか」という核を見失えば、苦境に立たされたときに踏ん張る拠り所さえ見えなくなる。ミスをしたとき、苦しくて前が向けないとき、誰よりも自分自身を奮い立たせてくれるのは、「自分がこうありたい」という原点の思いだろう。
その核が弱くなると、どれだけ周囲の期待に応えようとしても、最後の一歩を踏み出す力が湧いてこない。努力が義務のように感じられ、夢中で取り組んできたはずのサッカーが、いつの間にか“責任の積み重ね”だけになってしまう。
私なりに、これもまた、ソッカー部における一つの正解なのだと思う。
ソッカー部といえば「組織愛」や「チームのために戦う姿」が真っ先に思い浮かぶ。
しかしそれと同じくらい、部員一人ひとりが自己実現のために日々努力し続けられる環境であることも、この組織の大きな魅力だ。アンダーカテゴリーでも腐らないという文化は、紛れもなくソッカー部の誇るべき価値だと思う。
各々が自分の目標に向かって、「自分のため」にもがき続けること。その姿勢がこの組織をさらに強くするし、何より、自分自身を強くする。
後輩たちには、ソッカー部の伝統である「組織愛」を継承してほしい。しかしそれ以上に、この4年間で「自分がどうなりたいか」という思いを何より大切にしてほしい。
その思いが強ければ強いほど、どんな苦境に立っても、自分を踏ん張らせてくれるはずだ。
そして、自分軸が強く根を張ったとき、人は初めて「誰かのために全てを懸ける」という瞬間を迎えるのかもしれない。
私にとって、「この日だけは、自分のためではなく、100%チームのため、人のためだった」と胸を張って言える日がある。2025年8月17日、選手兼主務として歩んだ今シーズンのすべてが凝縮されたような、特別な一日だ。
前年10月から始まった準備。会場確保、トップスポンサーの離脱や新規スポンサーとの関係構築、伸び悩むチケットの売れ行きなど。
この日を迎えるまでに、様々な壁を乗り越えてきたが、その全てが自分一人だけで乗り越えられるものではなかった。
迎えた当日、朝8時に会場入りした。等々力に着くと、LINEの送信時刻を見るに睡眠時間はほぼ0であろう彩夏が疲労感を感じさせない笑みでADを持ってきた。運営本部に行くと、こちらもまた睡眠時間ほぼ0であろう岡﨑がシーバーを付けた自身の姿に酔いしれながら、梨帆はいつも通り楽しそうに「ヤッホー」と言って迎えてくれた。
前日の夜、「今日はもう帰って早く寝てください」「当日は無理のない時間からで大丈夫」と、選手の私を気遣う一方で、自らは睡眠時間を削り運営に身を捧げるマネージャー達の姿を見て、「その努力を勝利という結果で結実させてあげたい」と心の底から思えた。
次第にシーバーで声が飛び交う。運営陣が各担当箇所で調整を進める様子、メンバー外になった選手達が悔しさを押し殺しながら場内外で準備を進める様子、応援部門が弾幕の準備を着々と進める様子・・・。部員それぞれの様々な想いを感じながら彼らをリスペクトし、試合に向けて高ぶる気持ちを抑えながら自らの仕事を遂行した。
昼食を摂ることも仮眠をとることも忘れるぐらい、忙しなく時間は過ぎていき、気付けばKSSで我が子のように可愛がる教え子を両手に男子部戦の選手入場を迎えていた。いつも試合前は緊張で押し潰されそうになるのだが、この時は不思議と緊張しなかった。
子供達がずっと話しかけてくれていたからだろうか。周囲にいたマネージャーを見て当日までの苦労に思いを馳せていたからだろうか。バックスタンドで応援する部員の声援に勇気をもらえたからだろうか。
分からない。ただ、普段感じないようなパワーを感じたのは確かだった。
純太の先制ヘッド。真之介の追加点。湧き上がる慶應側バックスタンド。
ラスト10分間の大下の絶妙なゲームクロージング。勝利後に紳や昂大と抱き合った瞬間。太晟や眞木の涙。司が応援部に掛け声を奪われながら歌った若き血。雄大のカップリフトに中町監督の胴上げ。
その日の全ての光景が美しかった。
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最初の質問に戻ろう。
『主務になる決断は正解だったのだろうか。』
その問いに、今の私はこう答えたい。
あの決断は、私を“変える”決断だった。あの選択がなければ、今の私はいない。
苦しかったけれど、その時間の中でしか得られなかったものが確かにあった。
自身の弱さを知り立ち向かう経験、自分軸の重要性、誰かのために戦う美しさ。
どれも、この立場にならなければ得られなかった。
サッカー人生で最後の1週間。
今、私を支えているものは何だろうか。
自分の覚悟やプライドだろうか。これまで支えてきてくれた人への感謝だろうか。それともどちらもだろうか。
私はここに誓う。
このソッカー部という愛する組織、共に汗を流した部員のために「選手兼主務として各方面から掛けられる全ての期待に応え続けること」で、一部残留に導くことを約束する。
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最後にお世話になった方々への感謝を綴らせていただきます。
中町監督。
延世選手寮の食堂で初めて会ったときから、選手としても主務副務としても常にレベルの高いものを要求し続けてくださりありがとうございました。
「お前だからもう一つ高いレベルを求めたい」
という言葉のおかげで現状維持で満足することなく、より高いレベルの期待に応えるための日々を過ごせたと思います。
今シーズン、期待に応えられない場面が多々あったかと思いますが、今後の人生でさらに精進し、中町監督が認める漢になれるよう励んでまいります。
六役を始めとする三田ソッカー倶楽部の方々。
日頃より我々現役部員の活動に多大なるご支援をいただき誠にありがとうございます。
特に六役の方々には、私がトップチームの選手であることによりご心配やご迷惑をおかけしたかと思います。それでも明治戦後の理事会での温かい祝福など、皆様の支えがあったからこそ、主務としても選手としてもここまで走り切ることができたと考えております。大変お世話になりました。
弥生。
怪我の状態を素直に伝えず常に隠し続けてごめん。
信頼していなかった訳ではなく、心配させたくなかっただけです。
自分の離脱に涙を流してくれたのは、弥生が初めてでした。内心では相当なショックを受け何とか笑顔を保っていた自分も、それを見てもう一度奮い立つことができました。ありがとう。最後の1週間は正直に状態を伝えます。
彩花さん。
一部の巷では冷たいと思われているようですが、毎練習前に欠かさず怪我を抱える選手の状態を直接確認したり、総理大臣杯ではケア中に寝てしまったり、風邪気味でも最後まで残って怪我人のケアをしたりと、常に選手ファーストで多くの時間を部に捧げていただきありがとうございました。最後の1週間はアイシングもケアも受けます。
マネージャー。
面と向かって感謝を伝えるのは小っ恥ずかしいし、個別に書くのは長くなりすぎるので、まとめて二言程度。
みんなのおかげで主務の仕事が成り立っていると思うので、とても感謝しているし、とても尊敬しています。本当にありがとう。
同期。
今でもこの代の実力には自信しかない。
下級生の頃から多くの選手が関東リーグの舞台を経験して、3年目のシーズンではチームの中核として1部昇格に導いた。4年目の今シーズン、この代ならば必ず目標を達成できると信じて疑わなかった。
マネジメントを見ても同様で、遠征や合宿時には「自分は選手に専念しても問題ない」と思わせてくれるほど、全幅の信頼を置ける紳。アンダーカテゴリーを圧倒的な先導力で引っ張る眞木、試合運営においてミスが起きるかもしれないという不安を一ミリも抱かせない左貫、学生トレーナーとして常に新しい挑戦を続け、選手の可能性を広げてくれる相場。
みんなのおかげで、自分一人では決して見ることのできない夢を見ることができたし、体験できない経験をすることができた。
シーズン当初の目標ははるか遠くのものになってしまったけど、最後は絶対この代で1部を残そう。
母親。
これまで数多くの尊敬できる大人に出会ってきましたが、後にも先にも、私が最も尊敬できる大人は母さんです。
就職先が決まったことを伝えたとき、「おめでとう」と嬉しさを見せる反面、「悠河のサッカーしている姿をもう見れなくなるのか。それが一つの楽しみだったから。」と寂しさを滲ませた瞬間は今でも鮮明に覚えています。その瞬間、15歳で母さんの元を離れて以降遠くのようで最も近くで見守ってくれていたのは母さんだったのだと感じました。
母さんの楽しみを一つ奪ってしまうことにはなるけど、今後は違う形で楽しみをプレゼントできるように頑張るので待っていてください。
次の担当は、細川紳です。
正直言って最高のコンビだったのではないでしょうか。
特にこの1年は共に長い時間を過ごし、組織を良くするには、遠征や合宿を滞りなく進めるには、一緒に考え続けました。練習中や試合中に主務業を一切考えず選手に専念できたのは間違いなく紳のおかげです。
たまに「そんなに怒ることか?」と思う程、怒っていることがあり、一部の下級生は怖がっているかもしれませんが、その根底には彼の優しさとソッカー部への愛が隠れています。でも、次回おばあちゃんに会う際に雰囲気が怖くなったと再び言われないようにだけ気をつけて。
誰よりもソッカー部を想い、向き合い、支え続けてきた紳のブログは熱いメッセージで溢れているに違いなく、このブログリレーで最高のMasterpieceになることでしょう。
乞うご期待!
《NEXT GAME》
11月15日(土) 関東リーグ戦 最終節 vs 東京国際大学 @東京国際大学第1グラウンド 14:00キックオフ
