2024.05.23 お知らせ
大日本蹴球協会杯の返還に関しまして
慶應義塾体育会ソッカー部は、各種報道の通り、2024年5月22日に「大日本蹴球協会杯」を公益財団法人日本サッカー協会(JFA)に返還いたしました。
同杯は1935年から戦争による中断前の1940年までの6年間、全日本蹴球選手権大会(現、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)の優勝チームに授与されていたものですが、1940年の優勝以降、当部にて長らく保管され、最近の合宿所陳列棚増設に伴い改めて存在が確認されたものです。
本来同杯は持ち回り式で、優勝チームは翌年大会側へ返還すべきものですが、80年以上が経過しており、当時を知る関係者や経緯を記した資料は見つけられませんでした。戦後の混乱や、中断期を経た同大会の新優勝杯作成などが背後にあることは想像に難くありませんが、例えどのような取り決めがあったにしろ、我が国のサッカー史、引いてはスポーツ史の観点からも、同杯はJFAにて保管されるのがふさわしいと判断し、返還を決定した次第です。
返還式の様子(左:縣恵一・三田ソッカー倶楽部会長 右:宮本恒靖・日本サッカー協会会長)
本件は当部にとって、カップに象徴される当部の歴史はもちろん、戦争とスポーツという問題に我々も大きく関わっていたことを改めて知る契機ともなりました。今後はこれを再び風化させないよう、同杯に限らず自らの歴史に敬意を払い、その経緯や意義を正しく後に伝えていくよう努めてまいります。
慶應義塾体育会ソッカー部
三田ソッカー倶楽部
大日本蹴球協会杯(発見時に撮影)
全日本蹴球選手権大会優勝記念写真(1940年)
(当部合宿所に掲額されていたもの。前列左端の選手が持つのが大日本蹴球協会杯と思われる
「第6回」とあるのは大日本蹴球協会杯が使われ始めた1935年から大会方式が変更されたためか)
【参考】当部における天皇杯優勝の歴史
No | 年 | 当時の大会名 | チーム名* | 優勝杯 | 備考 |
1 | 1932 | 全日本蹴球選手権大会 | 慶應クラブ | FAシルバーカップ | |
2 | 1936 | 慶應BRB | 大日本蹴球協会杯 | 「大日本蹴球協会杯」が使用された6年間で4回の優勝(決勝進出5回)。1940年は戦前最後の大会(1946年に再開) | |
3 | 1937 | 慶應義塾大学 | |||
4 | 1939 | 慶應BRB | |||
5 | 1940 | 慶應BRB | |||
6 | 1951 | 天皇杯(天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会) | 慶應BRB | 天皇杯 | 1951年:初の「天皇杯」授与。
1956年:通算9回目の優勝(現在に到るまで史上最多)。 |
7 | 1952 | 全慶應 | |||
8 | 1954 | 慶應BRB | |||
9 | 1956 | 慶應BRB |
*慶應クラブ/慶應BRB/全慶應は、学生と卒業生による混成チーム。当時、慶應では天皇杯には混成チームで臨むのが通例だったが、1937年は学生チームで参加。
【本件に関するお問合せ先】
三田ソッカー倶楽部
慶應義塾体育会ソッカー部
keio1927@keiosoccer.org
三田ソッカー倶楽部:慶應義塾体育会ソッカー部の卒業生で構成される組織(OBOG会)