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2019.10.17 引退ブログ

「ソッカー部物語 石井翔編」(石井翔)

石井平素より大変お世話になっております。経済学部の石井翔です。

時間とは早いものでつい4日前、13日に誕生日を迎え22歳となりました。当日に言ってくれた人、言いそびれたけど今ブログを見て心の中でおめでとうと思ってくれたそこの貴方、どうもありがとう。プレゼントにいいねやリツイート、お願いしますね。勿論、ジュースなんかも大歓迎です。

根は真面目なチャラ男こと、斎木健将からバトンを引き継ぎました。そんな彼からは、大人な一面を紹介してくれなかったので、この場を借りて一つ。2年前に書いたソッカー部で初となるブログ。当時、“拙い”が読めずコピペしていましたが、今ではきちんと“つたない”と読めるようになりました。意味も理解しています。今日もまた一つ、大人の階段を登ります。

それでは、最後のブログを始めます。
今回のブログでは、自分の想いをぶつけました。少し長めなので時間を頂くかも知れません。自信を持って書いたESでさえ、OBの方に添削して貰えばボロクソに訂正される程“拙い”文章力ですが、頑張って書きました。最後まで諦めないで下さい。

2016年3月22日。
この日、僕は受験勉強を経てソッカー部の門を叩いた。
大きな夢とワクワクする気持ちを持って僕のソッカー部での物語が始まった。
夢は、トップチーム昇格。早慶戦出場。プロになること。





2019年10月17日。
引退まで残り2ヶ月を切った。
Bチーム所属。
夢は叶えられていない。

これが、あれから約3年半が経った今の僕の現状です。
『ソッカー部物語 石井翔編』という僕だけの物語の1ページ目と終盤。

僕が過ごした4年間が詰まった物語。部員一人ひとりが持っています。
それでは、ここで僕の4年間を簡単に紹介します。

1,2年。
寝坊や仕事のミスなどの粗相だけは絶対に、絶対にしてはいけない、とビクビクしていました。そして、朝練→授業→自主練→筋トレ、体幹の日々。下手くそな自分が上に行くには、上の選手と同じ練習量じゃ足りないと思っていた僕は疲労なんて考えずに、他の人が練習しない様な雨が降る日にこそ練習をしていました。
3年。
相手を見て常に考えながらサッカーをする、そんな当たり前なことすら出来ていなかった僕は、戸田さんから多くのことを学びます。
戸田さんからサッカーを教わったことは、最高の幸運であり、僕の一生の宝物です。ゾノさんと一緒に練習したことも含めて、将来、子供に自慢するつもりです。リアリティーを求めて練習すること、休むこと、オーガナイズやポジショニング、守備の仕方まで、この1年はとても濃く大変な1年だったけれど、その分、一番成長出来ました。何度言われても同じことを繰り返してしまう僕に、根気強く指導して下さった戸田さんには感謝しかありません。
毎年開催されるIリーグ。
僕が所属するチームは残留争いばかり。勝てない試合が続き、3年ではとうとうIリーグ2部降格を経験します。個人的にも、残留決定戦でのプレーは最悪。残留しなきゃいけない、という責任と緊張で全く力を出し切れず敗戦。本当に情けなかったです。

特に面白くも何ともないですね、僕もそう思います。
ただ、今思えば、この3年間は最後の最後に待っている最高のフィナーレへの伏線だったのかも知れません。勝手にそう思うことにします。少なくとも、この3年間がなければ今の僕はいませんでした。

そして迎えた、最終学年。
3年間の成果を発揮する様にチームは勝ち星を重ねました。難しい試合が何度もありましたが、チーム一丸となって戦いBチームは大躍進を遂げます。僕もBチームの一員としてほんの少しは貢献出来たのかなと思います。まだまだ足りていないし、もっとやれたので決して満足はしてませんが。
この1年で僕の中で一つ変化が起こりました。これまでいつになっても目標を達成出来ない悔しさと情けなさと嫌悪感で一杯だった僕の心の中で、いつしかBチームに対して誇りを感じる様になりました。
その時位から、叶えることが出来なかった早慶戦出場やプロになるという夢に代わる新たな夢を持ちます。

“家族に全国の舞台でサッカーする姿を見せること”
これが僕の新たな夢です。

そう思う様になった一番のきっかけは母です。僕の母は病気の治療により体調が優れず、見ていてとても辛そうな時がありました。家族皆で乗り越えよう、と僕も坊主にしました。上のプロフィール画像が丁度その時くらいです。
今でも通院を繰り返しながら治療していますが、元気に過ごすことが出来ています。
だけど、優しい人だから心配を掛けまいと元気に振舞っているのでは?ついつい、そんなことを考えてしまい、「試合観に来てね」と中々言い出せませんでした。
だからこそ、最後にIリーグ全国という最高の舞台でサッカーする姿を、母に、いつも応援してくれる家族の皆に見せたい、そう思う様になりました。

幸運なことにBチームはIリーグを首位で終え、全国大会進出を賭けたチャンピオンシップにまで駒を進めることが出来ました。ここからは、負けられない戦いが続きますが何としても全国への切符を勝ち取りにいきます。
それが、これまでサッカーを続けさせてくれた家族への感謝の形だから。
それが、今の僕に出来る最大の親孝行だから。

ここまで僕の決意を綴ってきました。
ここでガラリと話は変わります。少し就活の話をさせて下さい。
先述した様に、ESは書いてはダメだし、書いてはダメだしの繰り返しでした。添削をお願いしてお世話になったOBの方には本当に感謝しています。
お陰様でESは通りました、ESは。しかし、その後の面接では持ち前の口下手を遺憾なく発揮し、お祈りメールの連続。集団面接では、右を向けば、何かしらのサークル副代表、あるいは代表。左を向けば、バイトリーダー。何人副代表いるんだよハハハ、なんて愚痴を溢したりもしました。
5月と6月は特に、不安、不安、不安の連続で毎日がとても辛かったのを覚えています。
自分達の常識や前提が全く通じない相手に、どう伝えれば良いか悩む内に、緊張しっぱなしの面接では笑顔を忘れ、お祈りされるという悪循環でした。個人的には、やればやる分だけ結果に現れる受験勉強の方が楽だと思っていました。

そんな僕を救ってくれたのがソッカー部です。毎朝憂鬱な気持ちで練習に向かっていたはずが、練習が終わる頃には、軽やかな気持ちになってるんです。自分でもびっくりしました。
サッカーが僕の中でどれ程大きなものなのかと。
また、同期の皆にも助けられました。この時期に一緒にプレーをしていたBチーム、Cチームの皆には感謝しています。一杯笑わせてくれてありがとう。
そして、こじ。直接言うのは恥ずかしいし、本人も調子に乗るのでここで感謝の気持ちを伝えておきます。

僕が最終面接を控えた前日のこと。彼は夜、神社へ内定祈願のお参りに行ってくれました。僕の為に。外は雨なのに。正直、バカなのかと思いました。でも、嬉しかったよ、ありがとう。なので、内定の連絡を貰った時はすぐ報告しました。家族の次位に。
こじだけじゃなく、C2チームの時からずっと一緒にサッカーしてきた弱者4年の皆一人ひとりが僕は大好きです。こんなにも一緒に笑い合える、ふざけ合える、そんな皆に出会えてほんとに良かった。
他にも色々思うことはありますが、ここまでにしておきましょう。明日、会うのが恥ずかしくなるので。

ダラダラと綴ってきましたが、結局、何を言いたいのか。
それは、引退する最後の日まで諦めることなく、全力を尽くし続けよう、ということ。
あと僅かとなってしまったソッカー部生活を思いっきり楽しもう、ということ。
笑いの絶えない部室での会話も含めてソッカー部で過ごす全ての時間が僕にとって掛け替えのないものだから。

最後に、Bチームの皆へ。
僕の新たな夢の為、最高の仲間達と少しでも長くサッカーをする為、絶対に勝とう。全国へ行こう。最後に夢の一つ位叶えたい。まだまだ皆とサッカーしたい。4年生のほとんどが最後のサッカー人生になるのだから、サッカー人生最後の1ページは最高の仲間と最高の思い出を紡ぎたい。
だから、後輩の皆には、あと少しだけ力を貸して欲しい。自分達の為に、それにプラスして少しで良いから、こんな頼りない僕たち4年の為にも戦って欲しい。
ソッカー部での最後の僕のわがままです。

そして、僕は最初に書いた物語の続きにこう綴ります。

2019年11月末。
Bチームは史上初となるIリーグ全国大会へ出場。
家族が観戦する中、僕は自身でも初となる全国のピッチで駆け回る。
ソッカー部最高。

次回のブログは多嶋田雅司です。
僕はいつも先にいる雅司の背中を追いかけて来ました。彼がいないと、慶應の守備は成り立たないでしょう。チームの為にピッチ内外で体を張ってくれています。僕は同期でありながら、とても尊敬しています。
そんな雅司にも、雅司なりの苦労があったと思います。
どんなブログを書いてくれるのか、楽しみです。

長いお時間を頂き、ありがとうございました。

《NEXT GAME》
10月20日(日) 関東リーグ戦 第17節 vs青山学院大学
@日本体育大学グラウンド 14:00キックオフ

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