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2020.12.14 引退ブログ

「過去は運命、未来は可能性」(内桶峻)

平素よりお世話になっております。慶應義塾大学法学部政治学科4年の内桶峻です。
自分のサッカー人生は前回のブログで割と書いてしまったので、今回は残り一試合となった関東リーグ戦最終節に向けた今の自分の思いを書かせていただこうと思います。

昨年、多くの仲間達が自分より一足先にサッカー人生を終えた。浪人した時に一度は本気で辞めてしまったサッカー。それなのに、同世代の皆よりも長く、本気のサッカーに取り組むことになるとは想像もしていなかった。高校3年時に、「5年後はどんなことをしていたいか」と質問をされた時、「サッカージャーナリストになってオリンピックの取材をしたいです」、なんて漠然と答えていた。でも、気付いたら、毎日の様にグラウンドに通い、23歳のおじさん、なんて周囲にいじられながら、息を切らしてピッチを駆け回っている。4ヶ月後、24歳のおじさんになるりんたろう(3年・暁星高/Dinamo Zagreb Ⅱ)はどうなっちゃうんだろう、と少し心配になる。入部当初は、毎日朝早く起きるのに精一杯だった。荒川も多摩川も越えて、毎日東京を縦断していたって考えると、早朝から大分移動している。今振り返ってみると、よくここまでやってこれたと思う。想像していた未来とは大分違ったが、悪くない。いや、むしろ凄く良い、幸せだ。

大学1年時には新人戦全国大会準優勝、2年時には早慶戦出場、3年時には関東2部リーグ優勝を経験した。そして今年は、関東1部リーグを戦っている。今回、同期のブログを沢山読んできて、自分は大した挫折もなく、大怪我に苦しむこともなく、自分の実力以上に恵まれたサッカー生活を送れていたことを実感する。サッカーがチームスポーツで良かった。1人の人間に出来ることなんて限られている。自分の場合は尚更だ。仲間のお陰で自分の力では見られない景色を何度も見ることが出来た。

結果だけ見れば、順風満帆な大学サッカー生活だ。ただ、精神的には苦しさを感じることも非常に多かった。浪人のブランクに苦しみ、先輩を差し置いて試合に出場しても、何も結果を残せない自分を不甲斐なく思うこともあった。慶應という歴史と伝統を背負うプレッシャーや、試合に出場出来ない多くの仲間を代表して試合に出ることに押し潰されそうな時もあった。

思えば高校時代から、こういった重圧を私は感じやすかった。責任感が強いんじゃない。ただ単に、臆病なだけだ。自分に自信を持てずに縮こまってしまう。周囲の目線が気になってしまう。

サッカーが上手くいかない時、私は広くて真っ暗な宇宙にいる様な気分になることがある。ピッチ上で果てしない孤独を感じる。見渡せば仲間や相手が必死に闘っているのに、自分だけ別世界にいる様な感覚に陥る。自分なりに精一杯頑張って必死にもがいているのに、まるで力は伝わらない。自分の無力さを痛感させられる。どんなに頑張っても報われない努力がある。サッカーの世界は広く、次から次へと上の世界が待っている。その世界の果てしなさを知り、途方に暮れる。

思い出した、こういう重圧から逃げたかったからサッカーから離れようとしたんだ。きっと、どんな重圧があっても、どんな状況でも、サッカーを最後まで楽しむことが出来る選手が上の世界へ行っても活躍出来るんだろうなって思う。

そして今年、サッカー人生ラストイヤーを迎えた。下級生の頃から多くの経験を積ませていただけたお陰で、今シーズンが始まる頃は自分のプレーにも自信が生まれていた。下級生が上級生を差し置いて試合に出るということは、大きな責任が生まれる。それは、自分が最高学年になった時にその経験の成果を発揮しなければならないということだ。今年一年は、同期や後輩の為に、という思いは勿論、卒業していった先輩の為に、という想いも強かった。
しかし、蓋を開けてみると、リーグ開幕戦で自分のミスから失点し、その後もそのミスを引き摺ったプレーをした。チームは勝利出来たが、心の底から情けない気持ちになった。チームを勝たせるどころか、自分のせいでチームが負けてしまわない様にすることで精一杯だった。公式戦出場経験のなかった同期や後輩達が活躍する一方で、私は自分を責め続た。自信を失いながらサッカーをしても、良いプレーが出来るはずがない。臆病な自分が邪魔をする。プレーが悪い原因が分かっていても改善する方法が分からなかった。自分に出来ることは、必死に頑張ること、それだけだった。頑張ることなんて誰にでも出来る。自分が試合に出てる意味はないんじゃないかと何度も思った。

人生は迷路の様だと誰かが言う。ゴールが見えないまま、訳も分からずスタートした。上り坂や下り坂がある。分かれ道に出くわす度に選択を迫られる。でこぼこ道の先に行き止まりがあるかも知れない。先の見えない現実に不安になる。それでも、自分の足で前へ前へと進んで行かなければならない。

そういった意味では、ソッカー部での4年間は、私が迷路を歩いて行く上で多くの力やヒントを与えてくれた。ソッカー部には様々な目標、意志を持った仲間達がいる。自分より険しい道のりを歩いている仲間達がいる。それぞれの道を歩き、困難な道のりと闘っている仲間達を見ていると心が動かされる。

上り坂に遭遇するのは自分自身が試されているから。無駄に思える道のりは自分自身を強くしてくれる。でこぼこ道で転んでしまっても、またすぐに立ち上がればいい。行き止まりにぶつかってしまっても、時間をかければ壁をよじ登ることだって出来る。正しい道なんてその時には誰にも分からない。常に正しい道を選ぼうとする必要もない。大切なのは、自分の選んだ道を後悔しないこと、自分の選んだ道を言い訳しないことだ。

迷いながら入部したソッカー部。サッカーから逃げ出したくなることは何度もあった。それでも、この道を選んで良かった。他の道を選ばなくて良かった。一つひとつの経験が今の自分を作っている。一つひとつの選択が今、この場所に繋がっている。

弱気な自分で自分を守ろうとしていることが馬鹿らしく思えてくる。今の自分は自分に言い訳をしている。試合中に弱いメンタルを持ち込んでしまっている。宇宙を想像している場合ではない。自分に同情するな。逃げるな。自分を変えられるのは自分だけだ。

今年1年間、とても恵まれた環境でサッカーをさせていただいた。チームの為に自分を犠牲にしている仲間がいる。怪我や社会情勢によって理不尽にも希望を奪われた仲間がいる。自分を支えてくれる人がいる。多くの人の思いがピッチ上には溢れている。その思いを背負って試合に出られることに喜びを感じ、それを自分の力に変えていかなければならない。

あと1試合しかない。

いや、まだあと1試合ある。

誇りと感謝の気持ちを持ち、最終節に全てを出し切る。最終節、勝って残留しよう。

今の自分の前に存在しているのは一本の道だけだ。

最後に、これまで私を支えてくれた方々に感謝の気持ちを述べさせていただきます。届いてくれると良いです。

道に迷った時、大抵の場合、サッカーが私の歩くべき道を案内してくれた。
サッカーを通じて出会った仲間が、困難な道を一緒に歩いてくれた。サッカーがチームスポーツで良かった。こんなにも大切な仲間が周りには沢山いる。
多くの指導者の方が、私が道を踏み外さない様にアドバイスをしてくれた。一つひとつの熱いご指導が今の私になっています。ありがとうございます。
父は常に私の歩く道を先導してくれていた。私の父は高校で教師をしており、サッカー部の顧問だ。私のサッカーの基盤には父の存在がある。
母は常に私の歩く道を後ろから支えてくれていた。母はいつも私の成功を願ってくれている。そんな母の喜ぶ姿は私の原動力だ。

本当に多くの方に支えてもらった道のりだ。

そして、サッカーは私に多くの感情を教えてくれ、多くの経験を与えてくれた。
これからもこの経験を活かして自分の道を歩いて行こうと思う。

今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表

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