2020.12.17 引退ブログ
「絆創膏」(関俊太朗)
平素より大変お世話になっております。今回ブログを担当させていただきます、商学部4年グラウンドマネージャーの関俊太朗と申します。
まずこの未曾有の事態の中での関東リーグ開催を始め、ラストイヤーに思い切りサッカーが出来る環境を整えて下さった関係者の皆様に、この場をお借りして御礼を述べさせていただきたいと思います。
“拙い文章ですが”の前置きの後、本当に拙い文章を書く人は中々いません。本当に”拙過ぎる文章ですが”最後まで読んでいただけますと幸いです。
また、一つ前のブログで横田が「この4年間を振り返るようなしみったれたブログを書いている場合ではない」と記してくれているものの、せっかくなので過去最高にしみったれた、しみったれきったブログを書かせていただこうと思います。
過去を振り返ると、私は高校3年時に慶應義塾高等学校サッカー部創部史上初となるインターハイ出場を果たすことが出来た。その頃運良くスタメンだった私は”大学でもスタメンを勝ち取り、慶早戦に出て勝利する”という大き過ぎる夢をぶら下げ、塾ソッカー部の門を叩いた。初めは驚く程トントン拍子で進んでいく。サッカー強豪校の出身でもなく、そもそもサッカーが全く上手くない自分がまさかのBチームスタート。1年の春にしてトップチームのグレージャージに手が届きそうな場所だった。高揚した。その頃は”必ずや内部進学からの大学スタメンを勝ち取ってやる”と鼻息を荒げていたのをよく覚えている。
しかし安物のメッキはすぐに剥がれる。徐々にBチームでの出場機会は減り、Cチームに降格。Bチーム落ちの自分はその立ち位置に胡座をかき、立場に甘んじてしまった。結果Cチームでもメンバー外の盛り上げ役、2年の秋にはDチーム降格を言い渡されてしまった。
私にとってこの経験が人生初めての挫折であり、一旦完全に腐ってしまったと言い切れる。勿論サッカーが大好きだし、毎日・毎練習自分なりの全力をぶつけていた。しかし”ここからのし上がってやる”という情熱は日に日に薄まっていき、今までの自分を繋いでいた”本気のサッカー”という糸がプツッと切れてしまった。
そんな時ぼーっとグラウンドを眺めていると、そこには自分より遥かに高いレベルでサッカーをしている塾高の同期や、既に関東リーグ出場を果たし、チームにとって欠かせない地位を確立している瑠夢がいた。
彼らは自分にとって”良い刺激になる”なんてそんな小綺麗なものではなく、地べたを這いつくばっている私の心臓を生々しく握りつぶしてくるようだった。
そんな光景を見た時に強く思った。
「このままじゃいけない」
自分は何の為にサッカーをしているのだろう。何故この塾ソッカー部に所属しているのだろう。そう考えた時、入部当初自分の中でこっそりと掲げた大学サッカー人生のテーマを思い出した。
“慶應に恩返しをする”
“関俊太朗という存在を慶應に刻む”
前者は幼稚舎時代からお世話になったこの塾に対して、自分が誇り高き荒鷲エンブレムのユニフォームに袖を通し、チームを勝利に導く。その貢献と勝利を持って塾に恩返しをする、というものだ。
後者は当時18歳の自分が調子に乗って決めたテーマである。関俊太朗という存在をこの部に、この塾に刻み込む。代えの効かない唯一無二な存在になる。今思うと多少キザなテーマだったと思う。
入部して1年半、いや、2年が経とうとしていたあの冬、私はこの2つのテーマを残りの大学サッカー人生で達成すべく、人生最大の決断を下すことになる。
サッカーを辞める。
今想うとあの頃そう決断出来た自分の勢いと空っぽの自信を今でもとても誇らしく思う。私は大学2年の冬にサッカーを辞めた。自らプレイヤーを退く決断をし、この代のグラウンドマネージャーとして残りの大学サッカー人生全てを捧げ、塾に最大の恩返しをする。そして関俊太朗という存在をこの地に刻む事を決意した。
今でも忘れない。同期にこの決意を伝えるミーティングの行き路。冬の寒い日だった。1人で歩く下田への夜道、何故だか涙が止まらなかった。拭いても拭いても涙は溢れてきた。同期のたわいもない笑い声が磨りガラス越しに聞こえる部室前、バレたくなくて既に涙でびしょ濡れのYシャツで目を擦り、作り笑顔で部室に入ったのを鮮明に覚えている。
なぜ涙は溢れてきたのだろうか。自分でサッカーを辞めると決断したのに何故だろうか。覚悟が出来ていないから?サッカーに未練があるから?その問いの答えは今でもわからない。
あれからもう丸2年が経った。
決して早くはなかったし、あっという間でもなかった。辛いことも山程あったし、嬉しくてしょうがない瞬間も沢山あった。
そんな今、私は恩返しが出来ているのだろうか。
私は自分という存在をこの地に刻めているのだろうか。
今胸を張って「自分なりの精一杯は出し切った」と言うことが出来るが、同期や後輩はどう思っているのだろうか。このちっぽけなテーマが少しでも達成出来ていることを願うばかりである。
ここまで回りくどい自分史をつらつらと記させてもらったが、後輩達に一つだけ知ってほしい漢字の意味がある。
“創”
創造、創る等馴染みのある漢字だが、この漢字には ソウ・つくる 以外に別の読み方がある。
“きず”
“創(ソウ・つくる)”は「物事の始まり」という意味であるが、真の創造が為される時、その裏に、その根本には必ず何らかの”創(きず)”がある。逆に人は”創(きず)”を負った時、新たなものを”創造”していく生き物である。
深い深い”創(きず)”を負ってから、悶え苦しみ、足掻き、藻掻いた先に生まれる新たな芽は、平坦な地から生まれた芽よりも根を強く、深く張り巡らせ、遥かに逞しく成長し、大きな花を咲かすだろう。
今このブログを読んでくれている後輩へ
日々1日1日に全力を尽くして生きたとしても必ず全員が壁にぶつかります。
その壁から逃げずに向き合い続け、その試行錯誤すら楽しんで下さい。
負った”創(きず)”を、自らの手で、脚で”創(つくる)”に変えていって下さい。
自分に残された期間はあと4日間という短い時間ですが、自分に託された役割を全力で全うし、最後は潔く散りたいと思います。
あの日の涙を勝って皆んなで喜び合う時の嬉し涙に変える為に。
今後共、ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。
《NEXT GAME》
12月19日(土) 関東リーグ戦 最終節 駒澤大学
13:30キックオフ @非公表