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2021.09.26 引退ブログ

「人を慶ばせる」(大薗慶悟)

平素より大変お世話になっております。4年の大薗慶悟です。
さて、とうとう私の番が回ってきたようです。僕がどんな文章を書くのかとワクワクして夜も眠れない後輩達や同期、先輩方が沢山いたことでしょう。毎年先輩達が卒業ブログを書く時期が来ると同時に、先輩達との別れを感じ、どこか寂しい気持ちになっていたのを思い出しました。しかし、後輩達からは「まだ一緒にいたい」という気持ちが伝わってきません。。。うん、きっと気のせいだよね。。。
既に素晴らしいブログを書き終えている同期達がいて「ここで俺か」と思ってはいますが、誰かのためになるブログになればそれだけで幸せです。
私からは「挑戦」、「鬱との闘い」、「父の教え」についてお話したいと思います。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

第1章 「挑戦」 尾崎豊の教え
私は宮崎県というど田舎で中学までの15年間を過ごした。中学3年時、よりレベルの高い環境に身を置き、夢である「選手権の舞台に立ちたい」という一心で周りの方々、そして両親の意見を押し切り15歳の時に上京を決め、桐蔭学園高校に入学した。入学式の日、誰一人として友達のいなかった&標準語が話せなかった僕は人生で初めて「孤独感」と「焦り」を覚えた。廊下からサッカー部の同期達が僕のことを見て何か話しているのを見て、怖すぎて寝たふりをしていたのが今では懐かしい(その集団に同期の吉田剛君(4年・桐蔭学園高)もいました。)。高校から一緒の吉田君は私の宮崎弁を聞いて「何を言っているんだ、こいつは。」と思っていたことでしょう。そんな何もかも分からないところからスタートした高校生活だったが、サッカーや私生活においてもかなり苦戦した。私生活においては、友達作りと標準語をマスターすることに苦労した。入学式の時、自己紹介した際に皆に笑われたり、バカにされたりと、とても悔しかった。それからは毎日クラスの人に話しかけ、標準語を勉強しながらも友達になって下さいとお願いしていた。またサッカーに関しては特に苦労した。関東と九州ではサッカースタイルが全く異なるからだ。しかし同期の人達や先輩に分からないことを聞いて回った。(実は井上さん(R3卒)とかなるさん(R3卒)が自主練の際によくパスをしていたのだが、トラップやパスの際の足の当てどころやコツを、観て学んでいました。感謝。)
私が思うに、人間というものは窮地に立たされた時こそ積極的に動き、自分の立ち位置や成功を手に入れようとする力を発揮すると思う。
何かに挑戦したいけれどその環境に身を置くことが怖い、挑戦したいけれど自分には無理だ、挑戦しても成功出来るか分かんない、と言い、挑戦を恐れている人が多いと思う。しかしその挑戦した環境においても掛け替えのない仲間、大切な人達、新しい経験、成功を手に入れることが出来る。またその数と比例して自分自身の幸せも大きくなっていくと思う。
僕の子供の頃から好きな歌手に尾崎豊という歌手がいます。彼がライブで言った言葉で、「何となく暮らしやすくなった、みたいに思うかもしれない。だけど、そういう暮らしやすさに妥協して、本当に大切なもの、失くしちゃいけないものを、失っていく怖さみたいなものを、僕はいつも感じてる。」という言葉と「弱い犬ほどよく吠えるって言うけど 何もしないよりはマシなんだぜ!」という言葉がある。15歳の私にはこの言葉がぐさっと刺さった。自信がない時は尾崎豊の曲を聴けば自分に自信が持てると思います。上から言っているみたいで申し訳無いのですが、皆挑戦して成功を掴み取りましょう。

第二章 「鬱との闘い」
卒業ブログでなんなんだ、この重い話は。そう思った人もいるでしょう。しかしどうしてもこの経験を聞いて欲しいため、書くことにする。私はある日突然、「何もしたくない。誰にも会いたくない。」という気持ちになった。それからは部活にも行かなくなり、ご飯も喉を通らない状況に陥り、終いには体重が10キロも減ってしまった。そう、鬱である。私は何故鬱になってしまったのか、毎日毎日考え、その悩んでいることに更に悩まされ負の連鎖に陥った。私を知っている人は分かると思うが、常に明るく元気な人間ではあったが、そんな私が鬱になり自分でもビックリした。そんな僕を救ってくれたのが仲間である。私のことを心配した仲間達は当時の私にとても優しく寄り添ってくれたり、優しい言葉を掛けてくれたりした。一見普通のことだと思うかもしれないが、その時の自分にとってはあり得ないくらい大きな力になった。高校からお世話になっていて、私の中では神に近い存在でもある鶴田さん(R3卒)は「何か買って家に届けてあげるよ」と声をかけてくれ、相談にもたくさん乗ってくれたりした。同期の北澤(4年・國學院大學久我山高)や小山内(4年・青森山田高)は電話をくれて僕に元気をくれたり、家に来て励ましてくれたりもした。僕の元カノは毎日電話をくれたり、笑わせてくれたりした(ブログは見てないであろうが本当に感謝している。)。そして監督。私のことを合宿所に呼び、説教されると思ったが、「自分のペースでいいから、サッカーが好きなら、したくなったら、いつでもグラウンドに来い」と言って下さった。正直もう辞めた方がいいと言われると思っていた私はそのお言葉をいただき、「またサッカーがしたい」という気持ちが強くなった。他にも多くの仲間が私に寄り添ってくれた。仲間のお陰で今もこうして大好きなサッカーを続けられています。本当に本当にありがとう。鬱というものは言葉では表せられないくらいしんどく、苦しいものだ。もしかしたらなってしまう部員もいるかもしれない。そうなった時には私の周りの仲間のように、優しく寄り添い、相談に乗ってあげて欲しい。それがその人の救いになるから。

第3章 「父の教え」
私の父親は「人を慶ばせる」ということの大事さを幼い頃からずっと言い続けられてきた。私の名前にもその意味を込めて「慶」を入れたらしい。幼い頃の私はあまりそのことを理解出来ずにいたが、あることをきっかけにその言葉の大事さに気づいた。それは「祖母の存在」である。私の母型の祖母は脳の腫瘍で倒れ、東京の病院で手術をした後、宮崎県の介護施設で暮らすこととなった。当時小学生だった私は学校帰りに毎日、祖母のいる施設に行き介護をしていた。アルツハイマーも持っていた祖母は「誰でしょう?」って聞いても「分からない」とか、ご飯を食べたばかりなのに「ご飯はまだ?」と聞いてくる程だった。しかし、祖母が日に日に体調が悪くなっていくのを目の当たりにした私は、このままだと絶対後悔すると感じた。それからは絶対に祖母を笑わせて帰るという目標を立て毎日施設に向かった。たまに苦笑いもあった気がするが、名前も覚えてない自分のことを笑ってくれた。とっても嬉しかったし幸せだった。
亡くなる瞬間、祖母がとても幸せそうな顔をしているように私は見えた。言い渡されていた寿命から4年も長く生きてくれた。私が必死に慶ばせていたことも少しは祖母の活力になっていたかもしれない。この経験で初めて父の言っていた「人を慶ばせる」という言葉の意味をはっきり理解出来た。
この「人を慶ばせる」という教えは大学においても引き継いでいる。私はよく部室でふざけたり、ラップをしたりしているのだが、何もただふざけているわけではない。「一人でも笑わせて帰ろう」ということを1年時に決めてから今まで継続できている。(たまにしけますが。。。)今では僕のモノマネを後輩達(特にマシロ(3年・慶應義塾湘南藤沢高等部))が真似をしてくれ、正直とっても嬉しい。これを観た後輩達も是非周りの人達を慶ばせて欲しい。試合で勝利に貢献して皆を慶ばせること、両親に感謝の気持ちを伝えること、部室で笑わせること、生活していれば色んなところに慶ばせるチャンスが転がっています。是非チャレンジしてみて下さい。

最後に今まで指導して下さったスタッフの方々、監督、OBの皆様、ともき(4年・慶應義塾高)、あべしん(4年・多摩大学目黒高)には感謝してもしきれません。本当に4年間ありがとうございました。
そして両親。15歳で東京に行くことを許してくれてありがとう。生活を支援してくれてありがとう。こんなに尊敬の出来る両親の元に産まれて幸せです。来年からは僕も社会に出ます。絶対に成功してありがた迷惑なくらいの恩返しをしてみせます。

拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
引退まで残り約1ヶ月となりましたが、同期共々走り切ります。
今後共、ソッカー部への温かいご支援ご声援の程、宜しくお願いいたします。

さて、次の担当はプルシェンコこと秋葉満喜です。生まれ持った肌のきめ細やかさと端正な顔立ちからは想像出来ない程ゴリゴリ系なプレーヤーです。部室ではいつも僕にデレデレしており、恐らく私のことが好きだと思います。そんな彼ですがフィジカル部門としても選手としても常に全力でかなり熱い男です。頭もかなり良いのでどんな文章を書くのかとても楽しみです。では秋葉君いってらっしゃい!!

《NEXT GAME》
10月2日(土)関東リーグ戦 第18節vs明治大学
@非公開  11:00キックオフ

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