お問い合わせCONTACT
MENU

BLOG

部員ブログ

背景

2021.09.29 引退ブログ

「666」(眞木勇輝)

平素より大変お世話になっております。清水凜太郎からバトンを受け取りました、商学部4年の生粋の慶應ボーイこと眞木勇輝です。メンヘラワ、、、ボーイとは、本当に沢山の時間を過ごしてきました。ここには内容を書く事が出来ない沢山の死闘を闘ってきた戦友です。これからもお互いの体が壊れるまで、「お国のために」戦いましょう。引退してからは毎日のようにリンから電話が掛かって来ると思うので、引退したらすぐブロックしたいと思います。

ついに私にも4年ブログの担当が回ってきてしまいました。小学校からサッカーをしてきた下田グラウンドにもさよならを告げないといけない日が近づいてるのは、ゴーイング・メリー号に別れを告げるルフィのような気持ちであり、下田の事を考えるとあの名シーンがいつも頭から離れません。本当にありがとう下田。

前置きが長くなりました。ソッカー部での最後のブログですが、正直私は後輩にお手本となるような先輩ではありません。むしろ逆の先輩ではありますが、そんな私でもソッカー部の4年間で感じた事について書かせていただきたいと思います。文頭で分かると思いますが、物凄く文を書く事が苦手です。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

【運命の出逢い】

時は大学1年生。大学という場所は、私が高校生の時に想像していたよりも遥かに華やかでした。日吉の並木道に、体育会とサークルの人達が沢山1年生を勧誘する為にチラシを配り、気付けば私の両手には沢山の勧誘のチラシで一杯だった事を今でも思い出します。
そんな私は高校でサッカー選手としての限界を感じ、大学ではサッカーではなく、アメフト部に入部したいと思っていました。しかし、私には小学校から10年間続けてきたサッカーを辞めるという決断が出来ませんでした。ほんの少しの自分への可能性とサッカーを辞めるのが怖かったからです。
そんな感じで当時の私は強い意志を持ってはいませんでしたが、ソッカー部に入部する事になりました。やはり、強い意志を持って入部しなかった大学1年生の私は、大学にある沢山の誘惑に負けてしまい、オールでそのまま練習に行ったり、ほぼ毎日友達と遊んでしまい、全くサッカーに本腰が入っていない状態でした。気付けば、1年間私は何も成長する事なく、あっという間に終わっていました。
そんな私でも2年生になった時にある社会人コーチと出逢い、私は人として、サッカー選手として少しずつ変わる事が出来ました。その社会人コーチとは、テソンさんです。テソンさんには、サッカーの戦術や技術を教えて貰ったのは勿論ですが、それよりも「人」として大切な事を教えてもらいました。それは、

「チームの為に、誰かの為に、自分を犠牲にし、一生懸命頑張る事」

です。

一見これは当たり前と思うかもしれませんが、2年生の時の私からはかけ離れた考え方でした。私は、どんなにチームが大敗しようとも、自分のプレーが良かったか、今日は何人ドリブルで抜けたかとか、いつも自分の事しか考えていませんでした。テソンさんはいつも「皆で大きな1つの船を漕ぐ必要がある。誰1人欠けてはいけない。」とおっしゃっていました。
私はこの時から少しずつチームに対する考え方が変わり始めました。テソンさん、トミヨシ(R2卒)、関さん(R3卒)を中心にチームメイトの為に頑張る、走る、戦うを意識するようになっていきました。本当にありがとうございました。

【Zチームでの1年間】

私は3年生になり、Zチームで活動する事になりました。この1年間は私が大きく人として飛躍出来た年でありました。2年生の時にテソンさんから学んだ「誰かの為に一生懸命頑張る事」を自分にしっかり落とし込めて、体現出来た年でした。

なぜ、今まで自分のプレーさえ良ければ良いという私の考え方がこんなにも大きく変わったのか?

それは、「自分を犠牲にしても、頑張りたいと思う人達」に出逢えたからです。

Zチームは、主に4年、3年で構成されているチームだった事もあり、「老害チーム」と言われる事もあった。私は、その話を聞く度に自分が批判される以上にムカついた。それは、特に私の先輩であったZチームの4年生がサッカーの技術でも人としても素晴らしい人達である事を私は誰よりも知っていたからです。
それからは、「老害チーム」とは周りに二度と言わせない為に、とにかく全ての試合でZチームを勝たせる事だけを考えてプレーしていた。その時から、私は自分のプレーよりもチームの勝敗を気にするようになっていた。自分の好きなドリブルで相手を何人抜けたとかそんな事はどうでも良かった。とにかくチームを勝たせる為にひたすら走って、闘った。とにかく、Zチームの価値を証明する為に結果が必要でした。
この頃から、私はZチームの副将を任せられるようになりました。これは明らかに、私がソッカー部に入って人として、少しは変われたという証明でもあったと思います。
Zチームは、「全国制覇」という目標を掲げ、毎日努力していた。しかし、全国制覇という目標には届きませんでした。副将として導く事が出来ず、本当に悔しかった。2020年12月16日の事をこの先、私は忘れる事はないだろう。試合が終わった後の空気感は言葉には表す事が出来ないが、あの感覚を今も凄く鮮明に覚えている。チームのムードメイカーでもあった鶴君(R3卒)がグラウンドに倒れていたあの光景は忘れられない。副将になったにも関わらず、特に何も出来なかったし、勝たせられなくて本当に悔しかった。すみませんでした。僕にとってZチームで活動した1年間は、掛け替えのない時間でした。本当にありがとうございました。

【最後に】

ここまで、長々と書いてきましたが、いったい何を皆に伝えたいかというと、

「誰かの為に一緒懸命頑張る事が、実はサッカー選手としても人としても大きく成長する事が出来る。」という事です。

この「誰か」は人それぞれ違くていいのです。ある人は家族の為かもしれないし、友達の為、同期の為、先輩の為、後輩の為、指導者の為。とにかく自分が1番頑張れる人の為に一生懸命頑張れば良いのです。
私は今年TOPチームで活動していて、特にTOPの4年とは毎日一緒に練習しているからこそ、彼らのストイックな姿を私は沢山見てきました。そんな姿に私自身、沢山刺激を受けました。毎日本当に練習はきついし、絶対乗り越えられないと思う困難も皆が横に居たから、頑張れたのだと思います。そして、現在関東リーグでチームは苦しい状況にありますが、残り1ヶ月「同期の為」に、今まで沢山私を助けてくれた「同期の為」に僕の出来る限りの力を発揮してチームの勝利に貢献したいと思います。4年皆で、「最後に笑えるように。」、そして必ず関東1部という素晴らしい舞台を後輩達に残しましょう。

皆も自分の為ではなく、誰かの為に頑張ってみるのはいかがでしょうか?

【感謝】
そして本当に最後にこの場を借りて感謝の言葉を伝えさせて下さい。ここからは読まなくても大丈夫です。

まず、秋葉(4年・慶應義塾高)、リン(4年・Sockers FC Chicago Academy/William Fremd High Schoo)、ケンタ(4年・慶應義塾高)の3人には特に感謝したいです。私のソッカー部での4年間を語るのに、彼らなしでは語る事が出来ない程の時間を一緒に過ごしてきました。過ごしすぎて、今更感謝を直接本人達に伝えるのはとても恥ずかしいので、この場を借りて感謝を伝えたいと思います。ここからは堅苦しい書き方は辞めたいと思います。絶対照れるなよ?笑

ミッチャンこと秋葉とは高校のサッカー部で出逢った。最初の印象は、「あのロシア人誰?」という印象で、恐る恐る話しかけてみると、めちゃくちゃ日本語喋るから、日本語上手い外人だと思った笑。秋葉は高校の時は下ネタを話すのがNGだったけど、今では率先して自ら話してくる。一緒に楽しく話してくれて、嬉しいです。そんなムッツリな秋葉だけど、物凄く頭が良くて、どんな状況でも俯瞰して物事を冷静に判断する事が出来るから、頭の悪い僕をいつも助けてくれたね。ケンタとリンも比較的頭が悪い方だから秋葉の存在は俺にとっても、ケンタ、リンにとっても欠かす事は出来ない存在です。いつもありがとう。後、流石に白過ぎるから引退したら日焼けサロンに通ってね。

リンはアメリカから来たクレイジーボーイ。リンの最初の印象は、めちゃくちゃ塾高と桐蔭に媚び売ってくるな、という感じだった笑。とにかく、入部したてのリンのサッカー中の口癖は、「ナイス〜、グ〜」この2つだった。この2つ以外で試合中に喋る事は本当になかったよな笑。そんなリンの並大抵の人間では出てこない発想やクレイジーさには本当に沢山笑わせてもらいました。でも、本当は全部根が真面目でチキンなのを隠すフェイクなの知ってるよ笑。いつもありがとう。だけど、いくらメンヘラでも、連絡を5分無視しただけで、出るまで電話を掛けて来るのはもう辞めてね笑。

最後にケンタ。ケンタとは中学のクラブチームで出逢った。ケンタと対面パスをした時に俺が「足どっち利き?」って聞いたら「俺両利き。」って言ってきた時のあのドヤ顔が忘れられない笑。そんなケンタとも今年で10年目の付き合いになる。ケンタとはソッカー部の部員の中で1番多くの時間を過ごしたと思う。ケンタとはほぼカテゴリーもずっと同じで、家も物凄く近いから毎日順番に車を出しあって、練習や試合に行ったね。いつからかケンタとの移動中のトークは俺にとって掛け替えのないものになっていました。そして、ケンタは、私が思う1番上手いサッカー選手だ。波はあるけど笑。中学の時から本当にサッカーが上手かった。ケンタの活躍は自分のことのように嬉しいけど、1番悔しいと思う瞬間でもある。俺にとってケンタはライバルのような存在なのかもしれない。勝手に俺が意識してるだけだけど笑。今後サッカーでもそれ以外でも一生ライバルと言える関係でいれたらと思います。本当にありがとう。

ありがとう。
どんな辛い日々でも、楽しいと想えるのは、3人のお陰でした。これから先、何年、何十年と変わらずに馬鹿な事をし続けましょう。

先輩・同期・後輩へ
こんなに個性豊かな人達はいないだろうと思うくらい、個性豊かな同期に囲まれました。こんな自分と遊んでくれた後輩達ありがとう。来年もサッカー頑張ってね。そして引退してからも遊んでくれる先輩達。あなた達から学んだ事は数えきれないです。本当に皆さんありがとうございました。皆の今後の人生が素晴らしいものになる事を願うばかりです。

小学校から大学までで出逢った人達へ
この文を読んでくれてるか分からないけど、皆の活躍を聞く度に、誇りに思えたし、自分ももっと頑張らないといけないと思った。そして特に高校サッカー部のマイメン達よ。こんな僕と今でも変わらず、ずっと付き合ってくれてありがとう。皆と居る時間は、嫌な事も全て忘れられるくらい最高の時間だった。これからも、大人になっても、よろしく。

両親へ
お金がとても掛かり、真面目で良い息子ではありませんが、サッカーをしている私にだけは、期待してくれているような気がします。だからこそ、最後サッカーで活躍した姿を見せられればなと思います。

そして、4年間ご指導して下さったコーチングスタッフの方々、日頃ご支援いただいてるOBの皆様、ソッカー部を応援して下さる関係者の皆様、本当にありがとうございました。

本当にまとまりがなく、拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後共、ソッカー部へのご声援の程宜しくお願い致します。

そろそろ日本酒愛好会の会長である山田維新に次のバトンを渡したいと思います。維新とは高校のサッカー部からの仲です。維新と会う時は、大抵維新がおかしい状態の時に会うので、まともな話をした事がありません。そんな彼が何を最後書くのか楽しみで仕方がありません。

《NEXT GAME》
10月2日(土)関東リーグ戦 第18節vs明治大学
@非公開  11:00キックオフ

WHAT'S NEW

新着情報