2018.10.03 引退ブログ
応援する人される人(赤間士朗)
平素は大変お世話になっております。パントキックとインスタグラムでの自己アピールを得意分野とするGK藤川からブログのバトンを引き継ぎました、法学部政治学科4年の赤間士朗です。普段はふざけてばかりの私ですが、ブログを書くことも最後となりそうなので、自分が今思う事を少し真面目に、そして素直に綴りたいと思います。
私のソッカー部生活は、川原さん(当時のグラウンドマネージャー/H29卒)に毎日限界まで走らされる所から始まりました。ソッカー部員としての存在意義を問われては、走らされ、また問われては走らされと、それはそれはきつい毎日でした。
その様な限界状態に追い込まれた中で、私は「サッカーで結果の出ていない人間程、ピッチ外で部に貢献し、存在意義を見出さなくてはならない」と考える様になりました。そして、周囲にもそれを求められている様に感じていました。
その考えの元、ピッチ内での努力は当たり前にしながら、ピッチ外に役割を探そうと、応援、道具係、ミーティングでの発言等、様々な事に真剣に取り組みました。
その姿勢を評価されてか、もしくはただ単に歌が上手いからか、応援に関しては有難いことに応援隊長を任されるまでになりました。先日の早慶戦でも観客の中心に立つ貴重な経験をさせて頂きました。18,000人近い観客が飛び跳ねながら応援をする。鳥肌が立つ様な熱量を感じ、その熱量を更に大きくしようと私が声を張り上げると、観客がそれに応え、一体感が増していく。他では味わえない一生モノの経験でした。ピッチ外で部に貢献し、存在意義を見出さなくてはならないと思っていた当時の自分にとっては成功体験とも言えるでしょう。
しかし、今になって思うのは、「そんなものは成功ではない」ということです。勿論、応援隊長になったことを後悔している訳ではありません。立場上そこだけは強調させてください。しかしなぜそう思うのか。そして何が間違っていたのか。それは、当時、川原さんに走らされる日々の中で辿り着いた考え方そのものであると思います。
「サッカーで結果の出ていない人間程、ピッチ外で部に貢献し、存在意義を見出さなくてはならない」これです。当時の自分に言いたいです。「違います。サッカーで結果の出ていない人程、ピッチ外での努力は当たり前にしながら、ピッチ内で最も存在意義を示さないといけないよ」と。
勿論、ピッチ外での努力や貢献の意識は重要であり、それを大きく評価してくれる人も多く存在します。しかし、それらは自分の部に対する存在意義になってはならないのです。
応援する人として存在意義を見出してしまっては、応援される側には回れないのです。
だからこそ、後輩達にはピッチ内での存在意義について何よりも考えて欲しいです。そして、応援される側に立って欲しいです。特に、応援を一緒に引っ張ってくれている関、下谷、新居、平方にはそうなって欲しいと心から願っています。
と、こんな切ない遺言の様な締めくくりでは余りにも悲しいので、ここからは自分が思う理想のチームについて記したいと思います。
「ピッチ外の事は皆が当たり前に行えるチーム」がそれです。
先程も述べた様に、ピッチ外での努力は重要であると思います。しかし、ピッチ外に存在意義を見出せてしまう人がいる事は素晴らしいことではないと思います。なぜなら、ピッチ外での存在意義は、誰にでも出来るピッチ外での努力を怠る人がいるからこそ見出しうるものだからです。
例えば、応援隊長に存在意義が生じるのは、応援を全力で行わない部員がいるからであり、挨拶をしっかりするだけで好印象を持たれるのは、挨拶をしっかり行わない部員がいるからなのです。これらの誰にでも出来ることを皆が当たり前に出来て初めて、誰の目線もピッチ外に向かない、つまり全員の目線がピッチ内に向かっていくのだと思います。また、「応援がダメだからチームが負けた」「挨拶もちゃんと出来ねーのか」なんて余計な苛立ちもなく、互いを信頼し合えるチームになると思います。
最後に、自分のブログが少しでも後輩達にとってチームのことを考えるきっかけになれば嬉しいです。そして現役生活も残り短いですが、少しでもこの理想に近づける様に、ピッチ内外で努力を続けていきたいと思います。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
次にブログを書くのは、朝イチで髭を剃っても、昼前にはまた髭が濃く生えてきてしまうという若者らしからぬ悩みを抱える、鈴木夏海です。
《NEXT GAME》
10月6日(土) 関東リーグ戦 第15節 vs中央大学
@中央大学グラウンド 14:00キックオフ