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「恩返し」(川野太壱)

2022.11.09

平素より大変お世話になっております。今年度副将を務めました、法学部政治学科4年の川野太壱です。

景紹介ありがとう。京都と笑いに誇りを持つ彼が度々部室に来て、笑いをかっさらっていく姿は非常にかっこ良いです。つい先日も彼のギャグにまんまと笑わされてしまいました。どんなギャグかは言えませんが。

早速本題に入りたいと思います。サッカー人生の終わりが近づき、過去を振り返りながら今思うことを書きたいと思います。少し遡った話から始まりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

「何でサッカーやっているの?」
「プロサッカー選手になりたいから。」

「何でプロサッカー選手になりたいの?」
「恩返し。」

私の人生は常にサッカーと共にあった。4歳頃からサッカーを始め、ジュニアユースに入るまでは父がコーチで私が選手、親子二人三脚で研鑽を続けていた。さすがに家族から「左足を掴んでぶん回して、物心付く前に左足利きに矯正した。」と聞いた時には驚いたが、それだけサッカー愛を注いでくれたからこそ、私もサッカーが大好きになったのだと思う。そんな嘘のような本当の話から始まったサッカー人生。この頃から漠然と、プロサッカー選手になって世界で輝くという夢を抱いていた。

無名チームを1期生として卒団し、J下部組織のジュニアユースに入団した私は、選抜や大会を通して全国トップクラスの選手たちとの圧倒的な差に驚愕した。しかしそんな中、
「プロになって輝くことが1番の恩返しだ。」
ミーティングでコーチが放った言葉に心が揺さぶられた。プロになる。そして今までお世話になった方々に恩返しをする。これが全てのモチベーションになった。自分より上手い選手が自分より努力してたら勝てるわけがない。周りの選手の技を盗み、自主練習で自分の物にする。週末には家の横の公園で父と基礎練習。ユース昇格を告げられた時は心の底から嬉しかった。

ユースになると3学年で30人程度の1チーム。先輩という高い壁を前に試合に出られない日々が続く中、SBへのポジション転向を決断した。転向後は慣れないポジションで周りとの差を埋めるために、1日200分近く試合をこなすこともあった。おかげで新しいポジションでチャンスを掴み取り、高校2年生の頃にはTOPチームへの練習参加までたどり着くことができた。幼少期から目指し続けた「プロサッカー選手」という夢。あと少しで手が届く。期待と興奮で胸が高鳴る。そんな中、忘れられない試合がある。3年秋、TOPチームとの練習試合、実質、プロへの最終セレクション。この試合で私のサイドをぶち破られ2失点、今でも忘れられない最悪のプレーだった。今までの努力が全てこの1試合で消し飛んだ気がする。
「4年後、戻ってこいよ。」
試合後、1人で涙を流す私にコーチが掛けてくれた言葉。この言葉を聞いて、ソッカー部の門を叩くことを決意した。

「1年生から関東リーグで活躍して、プロになる。」
そう意気込んで入部した。今思うと、その頃の自分は何を勘違いしていたのだろう。同じユース出身の先輩たちは1年生から関東リーグに出場していたから、自分も出場できる。なんて思っていた。1年目は夏頃にTOPチーム昇格するも、ベンチ入り1回、出場0分。ボールボーイをしながら、同期で1年生から出場する祐二朗やドロの姿を眺める日々が続く。年末にはBチームに落とされ、サッカーにおいて挫折続きだった1年目。良い思い出と言えば長らくお世話になる高津くん(R3卒)や雄太くん(R4卒)、友己くん(R4卒)、快くん(R4卒)との出会いくらいだろう。それでも心のどこかで「まだ1年、2年目こそは。」と次のシーズンに期待を馳せる自分がいた。

2年目が始まってすぐにTOPチームに戻るも、1年目と変わらない状況が続く。その頃の私に入部当初の自信なんてない。私がベンチに入っても入らなくても応援しにくる両親は、いつも試合後に「太壱が出ていればね。」なんて声を掛けてくれるが、自信を持って「そうだ。」と答えられない。監督にも「ハシケンがいなくなったらお前がやるしかないんだ。」と励まされるが、「それじゃ4年目からしか出られない」と落ち込む。この頃から、「プロサッカー選手になりたい」と口に出すことに後ろめたさを感じていた。恩返しなんて頭にない。上手くいかない日々に打ちのめされ、自信も出場機会も失った私は自らBチーム(Zチーム)降格を志願した。こんな私を受け入れてくれた当時のZチームには本当に感謝しかない。その後、TOPチームに戻って関東デビューを果たし何試合か出場機会があったが、プロに近付く感覚はなかった。この状況が3年生の秋頃まで続き、挙句の果てに上手くいかないことを周りのせいにしてチーム戦術や練習方針に異議を唱える始末。昨年の2部リーグ降格の瞬間、私はC2+Fとしてフットサル部門のユニフォームを着て体育館で試合をしていた。

3年秋、私たちの就職活動が始まった。就職活動でよく聞かれる質問、あなたが頑張ってきたこと、挫折、嬉しかったこと、将来について、私の答えは全て「サッカー」。企業の人事も「プロサッカー選手にならないの?」と問いかけてくる。「なりたいです。けど、、、。」言葉が続かないことも多々あった。1番聞かれたくない質問だった。過去を振り返ると、自分がプロになるために必死になっていた記憶が蘇る。就職活動をせずにもう1年サッカーに注力するという選択肢がある中、その選択ができない自分が情けない。この3年間で積み上げてきたものが少なすぎる。周りに迷惑を掛けてまで自分勝手な決断をしたり、自分なりに自主練習を工夫したつもりだが、結局レギュラーになれたのは4年生になってから。もっと何かできなかったか。踏ん張れなかったか。就職活動を通してこの大学3年間をひたすらに反省した。そして、ラスト1年何をモチベーションに頑張るのかを考えた。
「恩返し」
プロになることは叶わない。ならば、ラスト1年で最大限の恩返しをしようと心に決めた。プロになるために自分さえ輝けば良いという考えを捨てる。自分の良し悪しではなく、チームが喜ぶ時に自分も喜び、苦しむ時に苦しめるようになろう。チームに多大な迷惑を掛け続けた私にとって、このチームへは計り知れない恩がある。「チームを勝利に導く存在になる」。これがソッカー部にも、仲間たちにも、応援に来てくれる家族にも、お世話になった方々にも今できる精一杯の恩返しになるはずだ。
今シーズンは有り難いことに副将という役職をいただいた。同期のみんな、こんな私を副将に推薦してくれてありがとう。副将として、自分の目標ではなく、チームの目標のために戦おう。「関東1部リーグ昇格」というチーム目標を掲げ、私にとって最後のシーズンを迎える。

今シーズンはチームとして新しいことにチャレンジしてきた。それはフォーメーションを3バックから4バックへと変更しただけでなく、攻守における戦術やセットプレーにおいても学生主体でチャレンジすることが格段に増えた。しかし、パスや動きがずれる。マークがバラバラ。新しいチャレンジは上手くいかないことの方が多い。スタッフや学生コーチが必死に考えてくれた戦術も、選手たちで寝る間を惜しんで考えた戦術も、実行するのはピッチ上の11人。あらゆる問題が起きる中、1歩前進するためにはピッチ上で修正するしかない。だからこそ、その問題を修正し、チームを前へと引っ張るのは私の役目だと考えた。今までだったら、自分のことで精一杯になってチーム戦術が上手くいこうがいかまいが関係ないと思っていた。しかし、今シーズンはチームのために尽くすと覚悟を決めた。私がプレイングコーチのように、ピッチ上の問題を解決に導く。そのためにピッチ上の現象に逐一指摘を行った。「それで良いの?」「この方が良いんじゃない?」実際は、根津が私の指摘に恐怖するくらいなので、こんなに優しくなかったかもしれない。でもこれが、私がチームのためにできる数少ない恩返しだった。

関東2部リーグ開幕。チームは良いスタートを切り、前期終盤まで首位争いをできる程に好調だった。私は自分のプレーに満足いかないことも多々あったが、何よりもチームが勝ち続けていることが幸せだった。入部してから降格争いしか知らない後輩たちを、2部ではあるが優勝争いという楽しい舞台に導けていることが本当に嬉しかった。チームが喜ぶ時に喜べる。なんて気持ちの良いことだろう。そう思える日々が続いていた。

主将の怪我、自分の怪我。前期残り3試合を残して主将が大怪我を負ってチームを離脱した。チームの大黒柱を失った苦しい状況下、副将である私がチームを支えなければならない。しかしそんな中、私の膝も痛みだした。開幕当初から傷んでいた膝が、大事な時に悲鳴をあげる。どう診断されるか怖くて病院には行きたくなかった。でも、早く治療しないと悪化するかもしれない。病院に行くことを何度も考えたが、残り3試合、チームのために戦い切ることを決断した。リーグ戦で主将・副将が同時に不在になることだけは避けたかった。
前期を終えて診察を受けると復帰まで1ヶ月程だと伝えられ、後期開幕には間に合うと意気込んだ。
「痛みがある中、歯を食いしばって頑張ってくれて感謝しています。」
診察後に監督からいただいたこのメッセージだけでも、この選択をして良かったと思えた。これもまた、恩返しなのだと。

後期が開幕してもメンバー表に私の名前はない。治ると思っていた怪我が1ヶ月半経っても治らない。そして、居ても立っても居られなくなり、無理やり復帰しようとして悪化。手術が決まった。パス&コントロール中に膝が動かなくなる。絶望の瞬間だった。サッカー人生の終わりを悟った。今までのサッカー人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。これは今までの罰なのだと思った。でも、考えれば考える程復帰したくなる。まだ恩返しの道半ば、こんな終わり方があってたまるか。絶対に復帰する。なんとかして復帰できるよう先生にお願いするしかできないが、引退後の再手術まで覚悟していた。

宮内先生やテツさん、シマさんのご尽力のおかげで手術後3週間での復帰を果たした。本当にありがとうございました。それでも、後期リーグ戦2試合、合宿、早慶戦には間に合うことができなかった。それに加え、これだけご尽力いただいたのに、合宿を走りたい、早慶戦に出たいなどと我儘ばかり言ってしまった。情けない。またチームのことを考えられない私に戻ってしまった。早慶戦をスタンドで応援しながら、「過去に、4年間どんな形であれ1度も早慶戦のピッチを踏んだことがない副将がいたかな、、、。」と悔やんだが、それ以上に、これは試練だと自分を奮い立たせた。あのまま早慶戦に出ていたら、過去の私と何も変わらなかったのだろう。出たかったが、どこか出なくて良かったと思える自分がいた。そして、チームの連敗が続く中、私が戻ることでチームに何をもたらせるのか。私の声でまたチームを活性化させる。私のプレーで、背中でチームに落ち着きを与える。そして、チームを勝利に導く。そう意気込んだ。だからこそ、みんなからの「太壱がいるとボールがまわる」とか、「復帰してから負けなし継続中」とかいう言葉は素直に嬉しかった。

私は今、キャプテンマークを巻いていない。主将不在の中、2年生にゲームキャプテンという責任を背負わせてしまっている。正直、4年目もまた「こんなはずではなかった」と後悔している。しかし、大学サッカーは4年間の積み重ねが大事。3年間自分勝手にプレーしてきた私には本来、この伝統あるマークを巻く資格はない。4年目にしても垣間見える自分本位な振る舞い。プロを諦めきれず、ドロを見に来たスカウトにアピールするため監督にSB起用をお願いしたり、緊張をほぐすためにスタッフが気を遣っているのに「首位攻防戦、絶対1位になりたい」なんて言ったり、緊張感ある練習試合前に副将である私が1番はしゃいでいたり、数え切れない程副将として不適切な振る舞いをしてしまっている。その度に見捨てず、ご指摘くださるスタッフの方々の優しさに今になって気付けた。3年の最後、TOPチームとして共に降格を味わっていれば変われただろうか。2部残留の瀬戸際を戦う今なら、当時の4年生、スタッフ陣の苦しみが分かる。

今週末の関東2部リーグ最終節。プロサッカー選手の夢も、1部昇格の目標も叶わない今、2部残留だけは何としても果たしたい。自分の目標とチームの目標が一致している今、これが今できる精一杯の恩返し。そのために、私が言えたことではないが、スタッフの方々含めソッカー部のみんなにはあと少しだけ力を貸してほしい。みんなで残留を掴み取ろう。

「プロサッカー選手」

この夢に何度励まされ、何度心を打ち砕かれたことだろう。
プロサッカー選手になれないと思うと自然と流れる悔し涙、自分への怒り。ここまで目指し続けなければ苦しむこともなかったのかもしれない。
それでも、目指し続けて良かったと思う。
この18年間のサッカー人生は何にも代えがたい大切な宝物になる。サッカーのおかげで素晴らしい出会い、感動を味わえた。そしてソッカー部のみんなに出会えた。
もう本気でプロ目指す程熱くサッカーに打ち込むことはないのかもしれない。サッカーで返せなかった恩を、この先の人生で少しずつ返していきたい。

「恩返し」

まずは最終節。自分の全てを捧げよう。

社会人スタッフの皆様へ
4年間、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。見捨てることなくご指導くださったこと、本当に感謝しております。あと少し、最後まで頑張ります。よろしくお願いいたします。

後輩へ
まずはこんな私含めた4年生についてきてくれてありがとう。このブログでは私の反省や心の変化を多く綴りました。読んでくれていたら分かると思いますが、私から君たちへこうしろ、ああしろという権利はありません。今の君たちのほうが断然立派です。それでも教訓にしてくれるのであれば、「この4年間は積み重ねが大事」だということだけ覚えておいてください。それは、ピッチ内外共に。ピッチ内は日々の練習に全力を注ぎ、大いに悩みながらも前へ前へと進んでください。「現状維持は退化」日々の成長を楽しんで。ピッチ外は自分視点だけでなく、チーム視点も大切に。チームのために行動してきた積み重ねは自信となり、いつか報われると思います。そして、慈英。勝手ながら同じような境遇を味わっているのではないかなと思っています。メンバー発表で外れる度に悔しそうな顔をしていること、それでもセットプレーの資料を必死に作っていること、俺はそんな姿を見る度に頑張ろうと思えている。早慶戦は慈英が出てくれて良かった。その左足でまだまだ切り開ける、頑張れ。今シーズンは譲らないけど。茅野、監督から俺と茅野は一心同体だって言われてるけど、ほとんど俺がメンタルケア係だったよね。来年は俺みたいに自分のことで精一杯にならないように頑張れ。あと少し、慶應の左サイドを輝かせような。塩と雄大と堀溝は頑張れ。

同期へ
4年間本当にありがとう。そして、みんなが推薦してくれたのにキャプテンマークも巻かせてもらえない副将でごめん。色々問題を起こしがちな学年だけど、関東リーグを全力で応援してくれる姿を見ると、本当にみんなが同期で良かったなと思います。あと少し、一緒に頑張ろう。

両親へ
どんな時も私の1番のサポーターであってくれてありがとう。全国どこまでも試合を応援しに来てくれてありがとう。色々なチームを経験しましたが、父の愛情ある指導と家の横の公園が私を1番上手くしてくれたと思っています。ソッカー部で大食いだっていじられることがありますが、それは母の料理が美味しくて日頃からついつい食べすぎてしまうからだと思います。2人のサポートがなければここまで頑張ることはできませんでした。本当にありがとう。クラブワールドカップにも、早慶戦にも招待できなかったことが悔しくてならないです。この恩は人生懸けて返していきます。

長く拙い文章に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
次回のブログはグラウンドマネージャーの下谷秀太(4年・慶應義塾高)です。
私の彼に対する第1印象は、塾高ソッカー部動物園の長。その冷静な思考と的確な判断でここぞという時にみんなを導いてくれます。普段は多くを語らない彼がこのブログで何を語ってくれるのか、乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月12日(土)関東リーグ戦 最終節 vs 日本体育大学 @日本体育大学横浜・健志台キャンパスサッカー場 11:00キックオフ

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