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「自分なりの答え」(齊藤滉)

2022.10.31

平素より大変お世話になっております。商学部4年の齊藤滉と申します。

ドロ紹介ありがとう。いや、稜大ありがとう。彼とは学部、部活、ゼミ、バイトとほとんど一緒に居ますが、バイト先では「ドロ」のあだ名で呼ぶ事を禁止させ、稜大と呼ばせる事だけは不快です。彼は常に女の子からの人気が一定数あり羨ましい限りです。彼女が欲しい後輩たち、彼は女の子を落とすLINE、DM構文を熟知しているので是非聞いてみてください!

4年前の2月、町田という都内随一の中心地で育った私が「塾高」のネームTを身にまとったイキった集団(当時の率直な思いです。今はみんな大好きだよ。)に圧倒されながらクーパー走を走った日を今でも鮮明に覚えています。同期が誰かも分からず紘平に敬語で挨拶していたのも、塾高組が仕事集をサボっている愚痴を紘平にこぼしていたのが全部みんなに筒抜けだったのも、クーパー走のタイムに入れず入部できていない真聖に部室を案内してもらった事も、SFCの姉が「弟ソッカー部入るから宜しく!」と声を掛けたという理由だけで荻がペア確になって一緒に取り返しをした事も今となっては良い思い出です。
思い出話はこの辺で、そろそろ本題に入りたいと思います。毎年、先輩方のブログを読んで就活でESを書きまくったから、纏まりのある文章が書けるのかと感嘆していました。しかし、決してそんなことはなく稚拙な文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。自分自身の想いを綴れる最後の場なのでこれまでのサッカー人生で思うこと、素直な想いを述べたいと思います。

振り返ってみると、私は中学生までは「プロサッカー選手になりたい」と強く思った事はなかった。チームメイトが当たり前のようにサッカー選手を目指す流れに飲まれ、意思のない私も周りに合わせるかのように口にしていた程度だった。夢なんて関係なくただ相手に負けたくない、仲間に負けたくない、この思いだけでサッカーを続けてきた。最初のサッカーへの熱量はこの程度だった。
高校時代、その心境は変化する。街クラブだった私は運良くFC町田ゼルビアユースへと入団する。誰もがプロを目指している環境で毎日の練習を死ぬ気で取り組んでいる先輩たちの姿を見て、プロってそんなに凄いところなのか、人生を懸けて挑戦する事なのかと疑問に思いながらも気付けば周りに感化されるように、プロというものを意識するようになった。また、下部組織という事もあって定期的にTOPチームの応援に行く事も増えた。小学生まで1観客だった私は、ユースではあるがゼルビアの中の人間としてスタジアムを見た時、自分にとって夢ができた。「野津田でプレーがしたい、ゼルビアでプロになりたい。」初めてサッカー選手になりたいと強く思った。そこからは毎日が死に物狂いだった。実力で劣っていた私は誰よりも自主練習をした。学校が終わればできる限り早くグランドに行き、練習後もジュニアユースの練習が終わるまで自主練習に取り組んだ。町田市内の進学校に通っていた私はどこか手を抜けば隙ができてしまうと思い、勉強にも手を抜かなかった。今思うとあんなハードスケジュールをこなせるとは思わないが全く苦じゃなかった。夢のためならいくらでも頑張れた。しかし、そんなに現実は甘くなく、ユースからTOPチームに昇格する事はできなかった。この時私はあれだけ努力しても上には上がいるというプロへの道の険しさを知り、自分には無理だと思った。これまで頑張ってきた糸が切れたような気がした。ユースを引退し、慶應への指定校を決めていた私のサッカーへの熱量は消え去り、入学後はサークルでも入ろうかななんて漠然と考えていた。

しかし、私はまだサッカーを続けている。

「限界を知りたい。」

熱量が消えていた私がソッカー部の門を叩いた理由だ。これまでのサッカー人生が決して順風満帆だったわけではない。なんなら常に厳しい道のりばかりで幾度となくサッカーを辞めたいと思った事もある。それでも、小中高それぞれの所属したチームで結果的にはレギュラーになり、側から見たら成功している側の人間だった。だからユースでプロサッカー選手になれなかったとしても、自分自身にほんの僅かな可能性を抱いていたし、成長できるのではないかと思い、大学でもサッカーを続ける決意をした。試合に出れなくたって良い、自分が納得できるまで限界に挑戦しサッカーをやり切りたい、その一心だった。入部してからは毎日が必死だった。常に結果を求め続け多分Dチーム、Cチームで誰よりもぎらついていた自信がある。いつチャンスが来るか分からない、狙った獲物を逃さないハンターのようにチャンスを逃すまいと努力を続けた。月曜日のオフもグランドに来て当時TOPチームだったエースの拓海くん(R2卒)とシュート練習をして盗めるものはとことん盗もうと行動した。結果として2年生になるタイミングでTOPチームに昇格する事ができた。あれから2年が経つが、今もなお、あの時の目のぎらつきでサッカーができているだろうか。幸いにも昨年までFW、SDWだった私はSHという新しい挑戦をしている。あり得ないくらい下手でクロスが全然上がらないとFW陣から文句を言われ続けているが、毎日テソンさんと練習をして今日より明日、明日より明後日上手くなりたいと、残り2週間を切っても思い続ける事ができている。限界を知りたい。正直プロサッカー選手という夢を叶えられる可能性は本当にほぼないけど、引退する最後まで限界に向かって挑戦し続けたい。

「責任逃れ」

4年目の今季、常に私の頭の中にあった言葉だ。慶應は新チーム始動と共に来年のチームをどういう方向性にするのかを4年生中心に話し合い、決めていく。学生スポーツである以上、上下関係というのは少なからず存在し、経験のある4年生が下級生に対してピッチ内外に関わらず助けてあげなければならない。私自身も下級生の頃この4年生という存在に何度も助けられてきた。また、その4年の中でも役職持ちの人間が存在する。この組織において役職に就くという事は、多くをこの組織に犠牲にし、行動で示し続けなればならないという相当な覚悟が必要である。昨シーズン途中までではあるがチームの主力として試合に出場していた私は、もしかしたら何かしらの役職につくのではないか、そんな風に思っていた。主将、副将決めをする中で候補者の中で私の名前も上がる。私としても勝手ながら副将になる覚悟を決め、毎週の学年ミーティングに臨んだりもしていた。しかし、最終的には私がそういった役職に就く事はなかった。もしかしたらあの最後の局面で私が副将をやりたいといえばできていたのかもしれない。でもその言葉を口にする事はできなかった。私にはまだ覚悟というものができていなかった。選ばれなかった私は祐二朗や太壱がこのチームのためにこれまで以上に頑張る姿を見て頼もしいと思う一方、何もチームの力になれていない私に毎日辟易していた。この組織のために多くの時間を割いてくれる仲間を横目に、持て余した時間を無駄に過ごしたりもしていた。私はあの役職決めの時からこの組織に対して4年生としての責任から逃げてしまっていたと思う。どうしたら4年生としてこの組織に価値を残せるか、いくら考えても答えが出なかった。祐二朗のように技術でチームを引っ張れるわけでもなく、太壱のように冷静に試合をコントロールする戦術眼もない。他にも多くの同期がそれぞれに全力を注ぐ中で自分は何ができるのか、あまり物事を深く考えない私には非常に難題であり空虚の日々が過ぎ去っていくだけだった。気付けばピッチ内でも全く上手くいかず、左SHを任されながらもチームに対しても何の貢献もできず、悪循環から抜け出す事ができなかった。そんな悩みをふざけながらも口にしていたところ、三浦からふとこんな言葉を掛けられた。「ポジションなんて関係ないよ。SHでもFWでもSDWでもない、ポジション『滉』だから。それを全うする事に価値があるんだ。」三浦からしたらなんて事ない会話だったかもしれない。でもあの時の俺には思いっきりブッ刺さった。三浦ありがとう。俺には俺の残せる価値がある。このチームに対して「齊藤滉」という人間が手を抜かず目の前の相手に向かっていく事が自分にできる最大の存在価値なんだと。それからの自分は何か吹っ切れ、どんな時でも走れるような気がした。どんなにきつくても仲間がきつそうなら足を動かした。私がこの部活に残せる場所はピッチ内での振る舞いだから。何かを残そうとはしない、今を全力で戦う姿が後輩の誰かの記憶に残ってくれれば良いなと。

そんな事を考えながらプレーしているが、現在チーム状況は決して良くはない。残り2試合を残して12チーム中8位。1、2年生が多く試合に出ている中で4年としてチームを引っ張っていけてなくて、本当に申し訳ないと感じている。4年生として10番として目に見える結果を残せていない私に責任がある。でもまだ2試合ある。この2試合に自分のサッカー人生全てを懸けるつもりだ。だからみんな力を貸してほしい。ピッチに立つ選手も、メンバーに入れない部員も、私たちの事をサポートしてくれるスタッフ・マネージャー・学連も、全員で想いを1つに戦い抜きたい。最後、笑顔で終われるように戦い抜こう。

最後にこの場をお借りしてこれまでお世話になった方々に対して感謝を伝えさせてください。

これまで指導してくださった方々
皆さんの指導のおかげでここまで本気でサッカーを続ける事ができました。町田小川FC、コンフィアール町田、FC町田ゼルビアユース、それぞれで学んだ事が全て今の自分に生きていると自信を持って周りに言えます。本当にありがとうございました。

ゼルビアユースの同期
みんなの活躍がやる気、勇気を与え続けてくれました。みんなに負けたくない、同期として自慢できる存在になりたいと思い努力し続けてきました。ありがとう。

社会人スタッフの方々
ドロに続きこんなにも下手な選手を起用してくださりありがとうございました。特に昨シーズンはチームに大きな迷惑を掛けた中でも学生の私に真摯に向き合ってくださった事、本当に感謝しています。「罪を憎んで人を憎まず」私の実体験をもって肝に銘じます。ラスト2試合、ソッカー部の誇りを胸に戦い抜きます。

先輩たち
こんなにも生意気な後輩を可愛がってくださりありがとうございました。海徳くん(R2卒)のようなリーダーシップも、関俊(R3卒)のような場を盛り上げる力も、はしけん(R4卒)のような圧倒的な結果と姿勢で示す事もできませんでした。それでも自分なりの自分にしかできない姿も少しは後輩に伝えられたのではないかと思います。引退したらご飯に沢山連れてってください。

後輩たち
基本的にみんな舐めすぎです。未だに礼儀正しいのは浦山くらいだと思います。それも含めてみんな可愛いです。みんなに1つだけ伝えたいと思います。「チャンスは平等に与えられる。それを掴めるかどうかは自分次第だ」という事です。ソッカー部を1年経験したら分かると思うけど、この部活は沢山のチャンスが転がっています。活かすも殺すも自分次第です。4年後自分が後悔しないソッカー部生活を送るためにも今を全力で目の前のチャンスに挑戦し続けてください。特に真之介、1番期待してるよ。ドリブルしながらピッチの外に出ないようにだけ気をつけてな。

同期
入部した時、こんなにみんなの事が好きになるなんて思ってもいませんでした。よくくるちなんかから偽善者と言われるけど、俺は本当に全員の事が好きです。どんなに唇いじりをされても、蕁麻疹いじりをされてもみんなとの会話で沢山救われました。最後、ピッチに立つ者として4年の意地を見せてきます。一緒に戦い抜こう。常に問題を抱えている学年だったけど、それが解決できなかったとしてもいつか何年後、何十年後にはみんなと酒飲みながら笑える日が来ると願ってます。みんなありがとう。

最後に家族のみんな
両親には本当にお世話になりました。お母さんは毎日朝早く起きておにぎりを作ってくれてありがとう。高校1年生の時辞めたいと言ったあの時にお母さんに掛けられた言葉のお陰で今もサッカーを続けられてます、ありがとう。去年の事もあって俺以上にチーム状況を心配してくれた姿勢に感謝してます。お父さんはサッカーをやった事は1度もなくてルールを理解してるかどうか分からないけど、家に帰ったらテレビで関東リーグを振り返っててあのシーンどうだったの?なんて声掛けてくれてありがとう。「やかましいわ」ってずっと思ってたけどそれもなくなると思うと少し寂しさも感じます。何より2人の支援があってここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。どんなに遠くてもどんなに寒くても暑くても応援に来てくれてありがとう。姉、兄。2人はサッカーしかしていない私とは対照的に色んな事に挑戦したり色んな失敗をしていて凄く刺激をもらえてました。なんだかんだで気に掛けてくれて色んな相談に乗ってくれてありがとう。仲の良い3兄弟で居続けようね。

最後に感謝の文を入れてしまうと、あげればキリがないくらい色んな方々に支えられていた事を実感しました。もっと色んな人に対して書きたいけど、読んでる人たちは飽きてくる頃なのでこの辺で締めたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

次のブログは横幕悠(4年・慶應義塾高)です。
彼は普通部コーチをやりながら大学のコーチにも携わってくれるスーパーマンです。オフではゆるーい彼ですが、コーチになると誰よりも熱く選手にスピーチする姿はかっこいいの一言です。私はそのギャップに対し4年間違和感を覚えながら終わってしまいましたが、、そんな彼とは部活外でも多くの経験を共にし、特に2年生の時の思い出は沢山あります。この紹介文のせいでよこまの後輩たちから思われる真面目な印象を壊したくないので気になる後輩は是非聞きにきてください。そんな彼の最後の素直な想いをどんな文章に乗せるのか、乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月6日(日)関東リーグ戦 第21節 vs 東海大学 @非公開 14:00キックオフ

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