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「慎君とカッキー」(今西裕大)

2021.06.16

平素より大変お世話になっております。今回初めて部員ブログを担当させていただくことになりました、経済学部2年の今西裕大と申します。何について書こうか非常に悩みましたが、今回初めての部員ブログは自分がソッカー部に入るまでの経緯と、この部での2人の先輩との出会いについて綴らせていただきます。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

自分は小山内慎一郎君(4年・青森山田高)に憧れてこの部活に入部した。

中3の時に友達と観に行った選手権の試合が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。市立船橋対京都橘の一戦は迫力満点の最高の試合だった。恐らく高校サッカーのファンだったら誰もが知る名勝負だ。この試合を観て以降、自分もこの大会に3年後、東京代表として出場すると心の中で誓った。

そして翌年の選手権決勝で青森山田と前橋育英がぶつかった。結果は5-0で青森山田の圧勝で大会は幕を閉じた。だが、この時記憶に残っていたのは青森山田の圧倒的な強さではなかった。それよりも2年生ながら、先輩に物怖じせず声を上げ続け、ゴール前で誰よりも身体を張り、ピッチで闘っていた選手がいた。それが小山内慎一郎君だった。自分の目標はそれ以降、彼のような迫力あるディフェンスでチームを支える活躍をして、全国の舞台に立つことになった。

だが、中高でのサッカー生活は選手権とは無縁すぎた。

中高を通して、自分は一回も一番上のチームで試合に出られなかった。その理由はただ一つ、下手くそだから。それは今でも変わらない。中高校生活は全く思うようにはいかなかった。ずっと一番下のチームでたった2週間だけAチームに在籍し、高3の夏前に部活を途中で退部した。中学から定期試験前にしか勉強せず、高3でそれが見事に回ってきた。両親にはサッカーでは未来がないと強く断言され、大好きなサッカーを途中で投げ捨てる形となった。退部を決断した日は数時間、ただただベッドで泣き崩れた。ここで自分の中の選手権は呆気なく終わった。

この時に自分は一生忘れることのない後悔の念に駆られた。だが、ベッドで号泣している最中にあのシーンが蘇った。頭の中で選手権で活躍していた小山内君のことを思い出した。今度はテレビで観た小山内君とプレーすることが自分の中の次の目標に変わった。そして、このことだけをモチベーションに、自分は彼が所属していた慶應義塾大学を受験することになった。結果的に合格をいただき、今ソッカー部に所属しているという現状がある。今でも小山内君と同じピッチに立つという目標が変わることはありません。必ず達成します。

そして、次に紹介するのが入部後、自分が一番影響を受け、感化された先輩、カッキーこと、R2卒柿沼亮祐さんである。柿沼さんは去年の途中まで橋本君(4年・横浜FCユース/希望ヶ丘高)とトップチームでスタメン争いを繰り広げていた天才レフティーで、昨年の途中から自分の所属している一番下のカテゴリーに落ちてきた。トップから落ちてきた初日の練習は本当に衝撃が走った。かなりキツイシュートのようなパスを足元にピタリと止める。針を穴に通すような正確なキック精度。プレスが掛かっていても、何も感じさせないような落ち着きと技術は目を見張るものがあった。

その日の練習以降、自分は柿沼さんに毎日のように頼み込み、自主練習に励んだ。今まで正しいと思っていたパスやドリブル、そもそものサッカー概念が全部打ち壊された。この独特なセンスはピッチ内だけではなく、人としてピッチ外でも学ぶ所が沢山あった。彼がソッカー部の一番下のカテゴリーに残してくれた財産は計り知れないと自分は身に染みて感じた。

以上の2名に留まらず、ソッカー部には本当に尊敬出来る先輩が数多いる。自分も今後は先輩方のような憧れられる存在になり、今季のスローガン、「Be a Hero」、誰かのヒーローになれるような存在になりたい。

最後に感謝の意を示したい方が自分には何人かいる。まず、同期のシオ(2年・暁星高)、高校の卒業式の日に俺の親父の所まで来て、「今西に部活入るように伝えておいて下さい」と言ってくれて本当にありがとう。この言葉のお陰で、クーパー走(ソッカー部の入部テスト)に何度落ちても、最後まで頑張れた。そして、迷惑しか掛けない自分をいつも支えてくれる両親には本当に感謝してもしきれない。

これから厳しい戦いが続いていくと思いますが、今後共、ソッカー部へのご支援とご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
6月20日(日) 関東リーグ戦 第10節vs桐蔭横浜大学
@三ツ沢公園陸上競技場  14:00キックオフ

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