オフィシャルブログ

「醜いアヒル」(田原智司)

2020.12.05

平素は大変お世話になっております。本日の4年ブログを担当させていただく環境情報学部4年の田原智司です。ソッカー部のブログを書かせていただくのはこれで3回目になりますが、未だ慣れないものです。今回も拙い文章になると思いますが最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

先程も申し上げた通り、今回でブログを書くのが3回目となりました。先の2回のブログは1年時の中頃に『「評価」と「価値」』を、3年時の中頃には『進化論』を書かせていただきました。
特に後者の『進化論』のブログでは、私がソッカー部での生活で得ることの出来た考え方、今後社会に出る上でも必要だと感じたことに関して書かせていただきました。
もしお時間がある方はこちらも読んでいただけると嬉しいです。

長い前置き失礼致しました。ここからが今回のブログの本題です。
今回のブログを書くに当たり、何を書こうかなぁ、自分の4年間で得た考え方、感じたことは『進化論』に全て書いたしなぁ、と考えた結果、これも私個人の考えで恐縮ですが、この「ソッカー部がどういう場所であるか」を後輩並びにこれからソッカー部への入部を目指す学生に向けて伝えたいと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、慶應(ソッカー部)にはスポーツ推薦がありません。
AO入試・一般入試・指定校推薦・内部進学etc…これらの方法でしか入塾並びに入部することは出来ません。この狭き門を潜り抜けてソッカー部に入部して来る選手に世代別の選抜に入る様な、所謂サッカーエリートは多くありません。彼等はその経歴を片手に他のスポーツ推薦のある強豪大学に行くことが殆どだからです。
その中でソッカー部は、昨年度関東二部リーグ優勝、今年は(12/3現在 暫定)関東一部リーグ7位と、堂々戦えていると思います。(勿論更に上を目指して努力し続ける必要がありますし、まだ本年度のリーグが終わっていないので、4年として、また副将として最低限この一部の舞台を残す必要があるのも承知しています。)

それは何故か。
一言で言うと皆が大きく成長している、ソッカー部がそれだけ成長出来る場所だからだと思います。

大学1年目のスタートラインでは他の一部大学に所属するサッカーエリートに比べて醜いアヒルでも、ここでの毎日を真剣に取り組み努力をすれば、大学4年になる頃には関東大学一部リーグで対等に戦える程に成長し、勇敢な白鳥になれる。
ソッカー部はそんな逆転劇を起こせる場所だと思います。

後輩の皆は、この逆転劇への歩みをどんどん進めて欲しいと思います。
実際チーム内で言うと、逆転劇の起こし易い組織構造になっていますし、昨年時点では来年の一部リーグを共に闘うとは思っていなかった選手とも、今共に闘っています。
皆の逆転劇への足音が必ずチームを活性化させ、ソッカー部の更なる強化・発展に繋がり、他の強豪大学をも逆転出来ると信じているので、そこへ向けて今を頑張って欲しいと思います。

以上、今回のブログの本題でした。
最後にこの場をお借りして私の4年間のソッカー部活動に当たり、多大なるお力添えをして下さった皆様に謝意を述べさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
4年間お世話になった高橋GKコーチ、2年目はコーチとして、3・4年目は監督としてお世話になった淺海監督、切磋琢磨した同期・後輩の皆、ありがとうございました。特に同期のキーパー陣(ボブ&教官)のお陰で、時に競争し、時に笑いと濃密な4年間を過ごせました。ありがとう。
おっと。絶対に謝意を伝えなければいけない人がまだいました。両親です。高校・大学と寮、一人暮らしで、且つ両方私立の学校で相当金銭的な負担も掛けたと思います。その中で何不自由なくサッカー・学業共ににさせていただき、充実した学生生活を送ることが出来ました。ありがとうございました。これから社会人としてその学生生活で得た経験を生かして頑張ります。
このいつまで経っても照れ臭い親への感謝を述べた所で、このブログの締めとさせていただきます。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。
今後共ソッカー部への変わらぬご支援・ご声援の程宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月12日(土) 関東リーグ戦 第21節 専修大学
11:00キックオフ @非公表

「tomorrow」(木南諒)

2020.12.04

平素は大変お世話になっております。
今回の部員ブログを担当します、経済学部4年木南諒です。
何を書こうかと迷いましたが、私は他の部員とはまた少し違った経験をしたので、その経験について綴らせていただこうと思います。
長く纏まりのない文章になりますが、読んでいただけると幸いです。2016年1月11日、國學院久我山サッカー部は、全国高校サッカー選手権の決勝に駒を進めていました。

私は、埼玉スタジアムに0-5と映し出される電光掲示板を、応援席から眺めていました。
一度もTOPに絡むことなく終えた高校サッカー。
そんな、悔しさを胸に抱えて始まった大学サッカーでした。
詳しくは、私の過去のブログを参照ください。

一般受験にて入部した私は、インターネット上に公開された2016年度慶應義塾体育会ソッカー部入部予定者リストを見て、少しビビりながら最初の練習に行きました。
受験明けの私の身体は、大学サッカーの強度に付いて行けず、最初の1週間がとにかく辛くて、俺にはやっぱ無理じゃんって一瞬だけ本気で退部を考えました。
でも、ここで勝負しなきゃ一生後悔すると思って、覚悟を決めました。

1年次の所属カテゴリーは、C2チーム。
入部後最初の練習試合、1年生は自分含め数人出場機会がありませんでした。
試合後、君達は4年間サッカー部にいても、このままだったらずっと上には行けないから、辞めた方がいいよ。何でここでサッカーをやるのかもう一回考えた方が良いよと言われる始末。
それでも、絶対に這い上がりたかった。
だから、毎週月曜オフはグラウンドで自主練、火曜、水曜、木曜、金曜は、練習だけどグラウンドを満足に使えず、毎日走っていたから、授業後夕方グラウンドに戻ってボールを蹴っていた。
そんなサッカー漬けの日々を送っていると、次第に結果も付いてきて、1年生の間に、C1、Bを経験出来、4年生が抜けた後には、TOPチームの練習にも呼んでもらえました。

2年次は、シーズンインからBチーム。
約半年間、人生最大のスランプに陥り、自分に向かって来るパスに対して、何故私はこのサッカーボールをトラップするのだろうと本気で考える所まで悩みました。
ある程度上手くいっていた1年目に比べると、大きな壁にぶち当たっていた2年目ですが、少しずつ手応えを掴んでいて、来シーズンは、絶対に結果を残すと強い意気込みを持っていました。

そして、良くも悪くも、私の大学サッカーは、この時期から、大きく狂い出します。

2017年11月末日
なんだか少し足が痛いな、、、と感じながらも
12月には新人戦の全国大会もあり、2017シーズンは終わったけれど、もう来年に向けての競争は始まっていた。
大丈夫だ、これ位なら全然やれる。
サッカーに対するコンプレックスに塗れた自分は、何が何でも大学4年間で、目に見える結果を残して、一花咲かせたかった。
そうじゃなきゃ、サッカーを諦めることが出来なかった。

3年次、勝負の年と位置付けて迎えた2018シーズン
Bチームからのスタートだったものの、関東リーグ開幕後、TOPチームが本調子でなかったこともあり、TOPチームに昇格し、3年目にして、4月末に関東リーグで試合に出ることが出来た。
サッカーが漸く自分の思い描いた様に進み始めた一方で、足の痛みは悪化していき、5月末には、これ以上プレーしていてもパフォーマンスが落ちるだけだと判断し、離脱。
勿論、痛みを感じ始めてからは、ずっと病院に通っていましたが、手術するしか痛みを取る方法はないということで、痛みが限界を迎えるまで、プレーを辞める決断は出来ませんでした。
怪我を治す為、手術を受ける決意をした自分は、6月に手術を受けました。
全治は、4〜5ヶ月。
よし、後期の最後には間に合うぞ、そう思っていました。
手術後1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と時だけが経過し、足の痛みは、なくならない。
心は焦る中、時だけが過ぎていき、気が付いたら、夏は終わり、季節は秋になっていました。
そして病院では、痛みの原因が分からないと言われ、一言で言えば、全治不明です。
目の前が真っ暗になりました。
全治〇〇ヶ月で、治ると分かってさえいれば幾らでも頑張れます。
ですが、終わりの見えない怪我との闘い程辛いものはありませんでした。
再びサッカーをする為に、とにかく前に進みたいのに、現実は、色々な病院に行って、身体を診てもらう日々。
何も出来ない自分に絶望する1日、周りと自分を比べ辛さに心が折れる1日、時間の経過がとても遅く感じ、考え込んでしまう1日がありました。

2018年11月5日
この日、私は、自分にとって大きな決断をしました。
それは、サッカーをする為に、1年間怪我の治療に専念し、同期が卒業した後に、ラストシーズンを戦うことです。
プロになる訳ではない自分がです。
周りには、その決断凄いなとか、言われたりしましたが、私は、サッカーを諦められなかっただけです。
ただただ、サッカーを諦める勇気がありませんでした。
だから、そこからの時間は、サッカーを諦める為の時間と言っても良いかも知れません。
サッカーを諦める為に、出来ることは全部しました。
次、もし大怪我しても、仕方ないって納得出来る様に。

正直、この決断をするのはとても怖かったです。
(大があの日、背中を押してくれました。あの言葉がなかったら今自分はここにいません。ありがとう)

再び手術を受けて、リハビリをすること約1年、2019年の10月に、待望の復帰。
でも、現実はあまりにも厳しくて、11月10日、フットサルの公式戦で、右膝前十字靭帯損傷、外惻々副靭帯損傷の怪我を負い、またも、長期離脱を余儀なくされました。
ラストシーズンである2020年関東リーグ開幕は絶望、後期開幕すら厳しい、あまりに現実離れした現実を受け入れることが出来ず、自分の過去の選択を疑いました。

あー、サッカーに懸けたこの1年無駄だったのかな、、、そんなことを毎日考えていました。
プロになれないからとソッカー部を辞めていった同期、怪我に苦しみ、サッカーを諦め、新たな道へ進んだ同期、そんな同期の姿を見ていたからこそ、一層、自分の過去の決断は、無駄だったのかも知れないって考えていました。

それでも、再び復帰に向けて頑張ろうと思えたのは、
ライバルの小島くんが、4年早慶戦でキャプテンマーク巻いて、輝いていたから
自分よりも自分の怪我のことを知って落ち込んでいた人がいたから
ずっと憧れていたプロサッカー選手が同じ怪我で同じ病院でリハビリをしていたから
皆の一生懸命な姿に影響を受けて、沢山の人に力を貰いました。
だから、次は、自分がここから復帰して、またサッカー出来たら、誰か苦しい人の力になりたい。
その一心で、復帰まで再び頑張れました。

そして2020年10月24日、最後に関東リーグに出てから約2年半の期間を経て、再び関東リーグのピッチに戻ることが出来ました。
今、この4年間、いや5年間を振り返り、ソッカー部に入部し、1年間同期に遅れながらもサッカーをやり切る選択をしたことに、私は全く後悔していません。

これだけ書いてきて、何だ、そんなことかと思われるかも知れませんが、結局何が言いたいかというと、本気で挑戦しようってことです。

本気で挑戦していたら、誰でも失敗すると思います。
僕等は、弱い生き物なので、失敗を恐れて、何かと理由を付けてやらない理由を探してしまいます。
ですが、本気で挑戦したのならば、そこで経験した失敗には価値があるし、失敗は、その瞬間に歩みを止めて、立ち止まってしまうから失敗なのであって、その失敗を受け入れて、試行錯誤しながら、成功するまで続けてしまえば、その失敗には価値が生まれます。
成功の為に必要だったと。
この大学サッカー生活で、沢山失敗して、挫折しました。
スランプに陥った時も、全治不明って言われた時も、サッカーの為に1年伸ばしたのに、復帰直後に前十字靭帯損傷したり、もはや数え切れません。
思い描いた様な、サッカー人生ではなかったし、怪我をしてからの3年間は、あまりにも苦しくて、側から見たら失敗だったって思われても可笑しくないかも知れないけれど、これらの失敗は、納得してサッカー人生を終わらせる為に、そして幾つかのプライスレスな瞬間の為に間違いなく必要だったと思います。

こんな、ちょっと変わった自分の経験や、考えが今ソッカー部で壁にぶち当たって苦しんでいる人の力に少しでもなれば嬉しいです。

そして最後になりますが、ソッカー部生活を通じて、数え切れない程多くの方に支えていただきました。
心の底から、ありがとうございます。
言葉だけではなく、残りの関東リーグ3試合、自分自身のプレーで感謝を表現したいと思います。

長い文章を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
今後共ソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

「キャプテン」(中島理雄)

2020.12.03

平素よりお世話になっております。商学部4年の中島理雄です。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、多くの方々のご理解とご尽力のお陰で、僕達はリーグ戦を戦うことが出来ています。この場をお借りして感謝申し上げます。

ソッカー部生活最後のブログを書かせていただきます。拙い文章ですが、最後までお読みいただけると嬉しいです。

良いリーダーとはどんな人か。

これは17年間のサッカー人生で最大の問いだ。

5歳でサッカーを始めてから現在まで、僕はずっとリーダーだった。小、中で主将。高校でBチーム主将。大学でカテゴリーの副将、主将、フットサル部門主将。学校でも先生と生徒の間を取り持つポジションだった。前に立って皆を引っ張るのが好きだった。

チームで1番サッカーが上手くて、1番戦えて、指示が出せて、チームを勝利に導く。これが、幼い頃から思い描くリーダー像だ。つまり何でも出来る完璧な選手。このリーダー像をずっと体現して来た。年齢が上がるにつれて自分よりサッカーが上手い人は増えたが、試合で1番戦って声を出して、チームを支えているのは自分だった。自分が試合に出て、それなりに結果が出ていた為、特別思い悩むことはなかった。

大学では、3年でフットサル部門の主将になり、後期からCチームの副将になった。サッカー人生の集大成。所属カテゴリーで結果を残してトップチームを目指す、そう意気込んだ。自信があった。

しかし、その自信は呆気なく消えていった。途端に勝てなくなったのだ。前年全国2位まで登り詰めたフットサルはリーグ5位に終わった。サッカーは前期無敗で1位だったが、後期開幕で躓き1部リーグ昇格を逃した。自分がキャプテンマークを巻くのを待っていたかの様に負けが続いた。

訳が分からなかった。皆のモチベーションを上げる為にプレービデオを作ったり、試合前に相手の特徴を纏めた物をグループラインに流したりした。練習では当たり前にフルで取り組んだ。チームの勝利の為に出来ることをやっていた自負があった。だからこそ、結果が出ないことが辛かったし情けなかった。どんなに万全な準備をしても、本番でそれを表現しないと何の意味もない。次第にプレーが悪くなった。特に強い相手の時は緊張で体がいつも通りに動かない。失点に関わる重大なミスもした。不甲斐なさに苛まれ、試合途中でキャプテンマークを外すことが何度もあった。

実はリーダーに向いてないのではないか。

人生で初めてそう思った。5歳からずっと抱いてきたリーダー像に、この時の自分は何一つ合致しなかった。こんな状態でプレーだけ上手くいくはずがない。明らかにチームの足を引っ張った。フットサルで多摩大学にぼろ負けした試合後、声の震えを必死に隠して、キャプテンを辞めると四戸さんに伝えた。逃げたかった。主将とプレーヤーどちらの役割も果たせない自分が嫌で仕方なかった。チームが勝てていてプレーの調子も良い時にキャプテンぶって、負けが続くとプレッシャーから逃げようとする。それが自分の真の姿だった。

不甲斐ない3年目を過ごした。4年目にはZチームの主将を任せてもらった。正直不安だったがラスト1年やり切ろうと覚悟した。が、自分が試合に出られない時は心の中で不貞腐れた。頭では自分の役職と取るべき行動を理解していても行動に移せない。主将なのにチームの勝利を第一に考えられなかった。更に怪我で長期離脱したことで焦りが生まれ、復帰後も変わらず葛藤が続いた。

そんな時、トップチームにいた崇太朗(4年・名古屋グランパスエイトU18/南山国際高)と大輔(4年・桐蔭学園高)が目に留まった。彼等はメンバーから外されたり、監督に怒られることがあっても必死に食らい付いていた。「自分がチームを勝たせる」その思いで満ちていた。下のチームに落とされても慶應の副将としてやるべきことを全うしていた。勿論2人の心にも葛藤があったと思う。それでもピッチ内外で歯を食い縛って足掻いていた。その姿を見て、2人の為に頑張りたいと素直に思えた。

ーーーーーーこれだ。正にこれだった。17年間懸けて漸く見つけた。良いリーダーとは、この人の為に頑張ろうと思える人だ。「皆んなの頑張る理由であれる人」だ。同期2人の姿を見て気付くことが出来た。

それから先は、Zチームの勝利を第一に考えて行動した。不思議なもので、肩の荷が降りた気がしたし、視野が広がった。全体を見れる様になった。試合に出られなくても、与えられた場所で自分の力を100%勝利の為に使った。勿論試合に出ることを諦めた訳ではない。ボランチには入部当初から(勝手に)ライバルと思って来た2人が、絶対的な存在として君臨していた。悔しかったが、心強かった。その間に割って入る為に足掻いた。その姿を見て皆が奮い立ってくれると信じて。先日のIリーグ拓殖大学戦、2人と一緒に先発出場して勝利出来たこと、ここ最近で1番嬉しかった。

「皆んなの頑張る理由であれる人」
17年懸けて漸く見つけたリーダー像。こんな人がいたらどれだけ力が湧くだろうか。

考えてみて欲しい。辛い時、キツい時、負けてる時、後1歩踏ん張らないといけない時、「○○の為に頑張る」そう思える人がいるか。思ってくれる人がいるか。

2027年にソッカー部は創部100年を迎える。それまでに多くの部員のこの「○○」の部分に「ソッカー部」が入る様になれば、目標である日本一に近付けるのではないかと思う。

僕は皆んなの頑張る理由であれただろうか。

最後に感謝を述べて終わります。

ソッカー部、ありがとうございます。この4年間考えることがありすぎて大変だったけど、恐らく少しだけ成長出来ました。

Zチームの皆んな、今度Z会で言います。

両親、これまで何不自由なく大好きなサッカーをさせてくれて感謝しかないです。母は中学からほぼ毎日おにぎりを持たせてくれました。同期の高津海人(4年・桐蔭学園高)って奴に毎日1個取られました。今度お礼言わせます。父は大事な時に長文LINEをくれる熱い漢です。肩幅広くてありがとう。広い背中をこれからも追い続けます。

最後までお読みいただきありがとうございました。今後共、ソッカー部へのご支援ご声援の程宜しくお願いします。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

「やるしかないって」(朝辻一平)

2020.12.03

平素より大変お世話になっております。商学部4年の朝辻一平です。

さて、最後の部員ブログ何を書こうか大変迷いました。どうせならあまり言ったことのない話を綴ってみようかなと思います。大輔には話したことがありますが、それ以外には同期にも、親にもしたことのない話です。
小学校の頃から作文が苦手なので拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけましたら幸いです。

『最初で最後の本気でサッカーを辞めようとした話』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

これまでのサッカー人生、多くの怪我をしてきた。前十字靭帯断裂2回、半月板、外側靭帯、肉離れ、腰痛、捻挫。パラ参加(怪我人)と参加を繰り返し、大学4年間で万全にサッカーが出来た期間は合計およそ2年。泰輔の10ヶ月に比べればまだマシだが、中々思う様にサッカーが出来ないソッカー部人生であった。怪我や自分のプレーが悪くて、サッカーが嫌いになったこと、練習に行きたくなくなったことは何度もある。辞める勇気がなかっただけかも知れないが、辞めるタイミングも幾らでもあった。ただ、心の底から本気でサッカーを辞めようと思ったことはなかった。たった一度を除いては。

11月17日、Iリーグ最終節、桐蔭横浜大学戦。試合終了のホイッスルがグランドに鳴り響く。結果は敗戦。勿論悔しさ、不甲斐なさは感じていたが、それと同時に充実感も少し感じていた。関東リーガー擁する桐蔭横浜相手に良い試合が出来、チームとして積み上げてきたものが出せたということもこの充実感に繋がっていた。しかし正確には久しぶりに怪我なく半年間戦い続け、チームの力になれたことの実感による充実感と言った方が正しかった。

来年はラストイヤー。残り1年死ぬ気で頑張ろう。

思い返せば、関東リーグ・早慶戦に出ることを目標としてソッカー部に入部した。久我山勢以外に最初に話した人物は修也。朝6時半のグランドで、目をパチパチさせながら「初めまして。宜しく。」と話しかけてくれた。気付けばもう3年目のシーズンが終わろうとしていた。

入部当初からプロになる気もなかったし、社会人でサッカーを続ける気もなかった。高校3年時に前十字靭帯を断裂し不完全燃焼で終わってしまったのを取り返す為、大学で一花咲かす為、もう一度4年間本気でサッカーをする為に上記の目標を掲げ、もがきながら行動してきた。思い描いた様にはなっていなかったが、目標を一度もブラしたことはなかったし、ラストイヤーやってやるぞと意気込んでいた。

ただ、Iリーグ残り2節から腰が痛かった。Iリーグが終った後、痛みがピークに達していたので一回休むことにした。
何となく不安な気はしていたが、病院に行った。
MRIを撮り、医者が口を開く。
診断結果は

『ヘルニア』

「もしかして」の不安が確信に変わり、絶望に変わった。

「またかよ」と思うと同時に「終わった」の文字が頭を過ぎる。
あまりに身勝手な感情だが何も悪くない医者に「ふざけんなよ」と無性にイライラしてしまった。絶望と焦りだった。
帰り道、心はマイナスの気持ちで一杯。気付けば涙が頬を伝っていた。止まらなかった。

それからの数週間、何もかもがつまらなかった。何もやる気が出なかった。練習に行っては端から心の籠っていない「◯◯行こうぜ」や「ナイスプレー」を投げかけた。心ここに在らずとは正にこのこと。世界がモノクロになっていた。

今後を考え抜いた末に出した答えは
「サッカーを辞める」

サッカーを辞めると言っても、部活を辞める訳ではない。プレーヤーを辞めて専属のトレーナーになろうと思った。12月中旬までに8割型気持ちは固まっていた。

まず、高校からの同期・親友である理雄に話そう。
次に、皆んなの為にプレーヤーというかけがえのないものを1つ削ってグラマネをしてくれている関と多治見に謝ろう。この時期にプレーヤーを辞めるという情けない決断をしてしまったことを。
その後はチームを支えてくれるマネージャーとスタッフに話して、
その後は同期に話そう。
友峰さんや三浦さんに話して
最後に親に話そう。

トレーナーになったら、三浦さんや学生トレーナーと協力して選手のコンディションを管理したり、リハビリの手伝いをしよう。
そうだ、各カテゴリーの怪我人を同時間に集めて一緒にリハビリをする仕組みを作ったら如何だろうか。怪我人のモチベーションが上がるかも知れないな。

そこまで考えていた。

 
5ヶ月後

紅白戦のピッチに立っていた。
プレーヤーとして

8割も固めていた気持ちはその後0割になっていた。僕をもう一度プレーヤーとして頑張る気にさせたのは紛れもなく仲間だった。

大輔や崇太朗、たけま、信之介が思うようにいかず壁にぶつかりながらも、もがき続けていたこと。
昔一緒に練習していたしゅんす、大暉、本吉、かつがトップで活躍していたこと。
凜ちゃんが次のカテゴリーの練習が終わる位までずっと自主練をしていたこと。
当時自分よりも大怪我をしていた、きな、誉貴がリハビリに励んでいたこと。
高校からの同期である理雄が自分より何歩も先のステージで戦っていたこと。
はしけんが「一平おじちゃん(1歳しか違わない)、腰早く直してよ」と言ってきたこと。
新居がチームの為に声を荒げて味方を鼓舞していたこと。
泰輔が本当に長いリハビリを乗り超えたこと。
中学時チームメイトであるのぶが活躍してたこと。
亮平、彬がチーム付きで疲れているにも関わらず練習に遅れてきて人一倍声を出し、体を張っていたこと。
秀太や滉、しゅんたが「一平が復帰したら飯連れてって」と言ってきたこと。





まだまだありますがキリがないのでこの辺にしておきます。
精神的にキツかったので、全てがドラマチックに見えていた部分もあるかも知れないが、僕が見た景色は8割の気持ちを6割、4割、0割と変えていった。
「あぁ、ちっぽけだな。逃げているな」と強く感じた。4年間全うする気で入ったソッカー部。もう一度復帰してやり切ろう。「やるしかない」。仲間の存在が、一生懸命な姿が、背中を押してくれた。

「やるしかないって」
これは後輩のリンがよく言う言葉だが、かなりのお気に入りだ。この言葉を何度も自分に言い聞かせたし、僕にやる気を与えてくれた。
気付けば本気でリハビリを始め、何か出来ることはないかと模索していた。リサーチも一段と頑張ろうと思った。
「トレーナーになる」という選択をしていたらどうなっていたかは誰にも分からない。人は1つの選択をした時、皮肉なもので、その他の選択肢の結果を知り得ない。でも、この選択は間違っていなかったと確信している。

テジュンさん、たじ、三浦、蓮ら最高のコーチ陣と
個性溢れる素敵な後輩と
4年間苦楽を共にして来た同期と
かけがえのない時間を過ごすことが出来ている。

この経験で、再確認出来たこと・読んでいる人に伝えたいことは2つ。
夢中になることと自分だけの挑戦を大切にすること。
誰かを支えるつもりがなくても、人の為でなくても夢中になって一生懸命に行動する姿はとても鮮やかで誰かの心を動かし、誰かの為になっています。自分が心を動かされた様に。だから「やるしかないって」精神で、目の前のことに夢中に全力で取り組んでみて下さい。
そして、自分だけの挑戦をどんどんすること。今しか出来ない事は沢山あります。だからこそ欲張って全部やってみるのも大切だなと思います。

それを再確認させてくれたのは、同期であり、後輩であり、自分の周りにいる人達でした。
本当にありがとう。

 
最後に

同期
4年間本当にありがとう。同期には何度も助けられたし、救われました。そんな切磋琢磨した大好きな同期と最後の最後まで心を1つにして戦い抜きたいです。Iリーグ全国を達成しよう、そして必ず関東残留させよう。

後輩の皆
沢山絡んでくれてありがとう。先輩として伝えられることはさっき言った通りです。大学4年間、短い様で案外長かったりします。目の前のことをコツコツ積み上げてみて下さい。その先にあるものは、今はまだぼやけて不確実なものかも知れないけれど、光り輝くものがあるはずです。
そしてラスト、4年を信じて付いて来て欲しいです。

リサーチの皆
一緒に苦楽を共にしてくれてありがとう。後輩の皆は付いて来てくれてありがとう。今年は結果が出ず、思う様に行かないことが多かったけど、ラスト力を合わせて「残留」という目標を必ず達成しよう。

両親
長い間サッカーのサポートをしてくれてありがとう。朝練で4時半に出ていく時も「行ってきます」に反応してくれてありがとう。イライラしている時に敢えて話しかけないでくれてありがとう。・・・この恩は次のステージで必ず返します。

そして、スタッフや社会人の方々、色々と鍛えて下さった三浦さん、支えてくれた全ての人にこの場をお借りして感謝を述べさせて下さい。
本当にありがとうございました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
長い文章を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
今後ともソッカー部へのご支援、ご声援の程、宜しくお願い致します。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

「仮説_ver1.docx」(濱田真)

2020.12.03

平素より大変お世話になっております。今回のブログを担当させていただきます、濱田真です。

さて、いきなりですが私のソッカー部での4年間を振り返ってみることにします。

3年までDチームでプレー。
4年次はBチームでプレー。

私の4年間はこの二文で振り返ることができる。

自分でもびっくりするくらい呆気ない。部での年月はそんなにも短いものだったのかと。

***

この部活に入部する人間は大きく3つに分けることができる。プロを志して入ってくる人間。早慶戦や関東リーグに憧れて入ってくる人間。そして、そのどちらでもないその他の人間。私はこの分類でいう”その他人間”だった。

大学を選ぶ際は良いプログラムがあり、ある程度のレベルでサッカーが出来れば良いと考えていた。慶應への入学が決まると自然な成り行きで、その他人間として「全力でサッカーを楽しめるラストチャンス」との想いを胸に入部した。

ソッカー部ではどの部員も必ず自問することになる問いがある。

–– なぜ慶應義塾体育会ソッカー部でサッカーをしているか––

その他人間の私には非常に難しい問いだった。

他の部員が「早慶戦出場」や「関東リーグ出場」などの目標を掲げる中で、意地っ張りな性格なこともあり、私は一貫して「サッカーを精一杯楽しむ」ことを最大の目的にした。

高校までは(今思うと少し特殊な)街クラブでサッカーをしてきたこともあり、プレーの感覚を大切にしてきた。プレーの調子が良い時は感覚的に頭の中は空っぽで、反対に悪い時はぐちゃぐちゃだ。楽しさを追い求めることで感覚が研ぎ澄まされるものだと信じてきた。

結論から言うと、あまり上手くいかなかった。特に最初の3年間くらいは。

“楽しむ”ことの大した定義もなく、ただ闇雲にサッカーをしていた。感覚の部分にフォーカスするあまり、思考できていなかった。というよりは逃げていたのかもしれない。考えることを怠ると視野が狭くなり、心身ともに悪循環のループに陥った。

長いこと前述の問いへのアプローチを確立することができずにいたが、曖昧だったソッカー部での自分の目的意識を少し具体化すると見えるものが違ってくる。

あの問いには2つのパートがある。一つが「なぜサッカーをしているのか」。もう一つが「なぜ慶應義塾大学なのか」。私の目的は後者を捉えられてなかった。

そこで、ある仮説を持つことで、ゆっくりとだが色々と上向いていった。

「私は新規事業」

自分を一つの事業としてソッカー部という組織の中でプロデュースする。そんな風に考えることで大局を捉え、自分の立ち位置と方向性が見えてくる。

組織として目指す場所がある中で、ソッカー部という環境があって、チーム・仲間がいて、自分がいる。“楽しむ”のような個人の目的があれば、それらの要素を踏まえて自分色に具体化させ、実行することが大事なんだと思う。

“先”の自分を具体的にイメージすることで自ずと“今”の自分が見えてくるのではないか。何をすべきなのか。何がしたいのか、など。

最近ネットで見つけた言葉がある。

“Practice Analytically, Perform Intuitively”

直訳すると練習は論理的思考、プレーは直感。感覚は考えることで研ぎ澄まされる。

こんな新規事業仮説について書いてきたが、私はあまり検証できていない。単純に気付くのが遅かったからだ。最大の後悔である。

4年間は結構長い。これまでの個性的で素晴らしいブログ(映画監督もの真面目度全開ものアーティスティックなもの)を見てもわかるように、誰でも必ず行き詰まることがある。後輩と半同期の(くらいに思っている)3年生に、自分の4年間が一つのデータポイントとして参考程度になれば幸いだ。

最後はこの場を借りて感謝を述べて終わりたい。

まず始めに、コロナ禍のロックダウンからメンターシップのような形でついてくださったOBの大河さん、お忙しい中色々と教えていただきありがとうございました。

両親へ、
読まない可能性はかなり高いですが、これまで自由にサッカーをさせてもらい、色々とサポートしてくれてありがとうございました。

同期へ、
本当にありがとう。これからもよろしくです。

***

自分の4年間を振り返ってみる。

3年までDチームでプレー。
4年次はBチームでプレー。

文にするとそれはとても短く、呆気ない。

しかし、私は掛け替えの無い仲間と掛け替えの無い経験を手にし、一つの仮説を頭に、人生の次のチャプターに挑もうと思う。

拙い文章ではありましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

《NEXT GAME》
12月5日(土) 関東リーグ戦 第20節 早稲田大学
13:00キックオフ @駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場

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