オフィシャルブログ

「今まで と これから」(榊枝英将)

2019.11.05

榊枝平素より大変お世話になっております。江本優貴からバトンを引き継ぎました、商学部4年の榊枝英将です。紹介にあった様に確かにトレーニングルームで数々の風船を膨らましてきました。後輩からよく指摘があるので弁明しておきますが、決してふざけていた訳ではございません。トレーニングです。
またここだけの話ですが、私が日々の練習で昔の大宮アルディ-ジャの服を着て(お気に入りなのに皆には昭和の選手かと言われます)、えもに対して申し訳なさを感じているのはここだけの秘密です。

最後のブログを書くにあたって、この4年間を振り返ると本当に様々なことがありました。読んで下さる方がいたら本当に嬉しい限りですが、自分への戒めも込めて、このブログを書きたいと思います。話がまとまりきらず、何が言いたいのか分からない所があると思うので、始めにこのブログで一番言いたいこと(実は言いたいことは計5つあります)を書いておきます。
「大事なのはこれから」

「なあヒデ、頑張るとかいらないから」高1の試合中に、当時の監督にこう言われました。…???…全くもって意味が分かりませんでした。頑張らないでどうやってボール奪うんだよ、どうやってサッカーするんだよ。そのように思っていました。結局、高校でこの言葉を理解できる場面は訪れず、チームは選手権予選一次予選の初戦で敗れました。
今となっては恥ずかしいですが、神奈川県予選で優勝して選手権に出たいと思い、朝、昼、放課後と練習してきた私にとっては本当に受け入れ難い現実でした。何をするにも気づけば高校最後の試合が頭に蘇り、暫く日々の生活から色が消えました。悔しさ、情けなさ、申し訳なさ、見返してやりたい、恩返ししたい、今までの自分は何だったのか等々、様々な感情が渦巻きましたが、一番は自分のサッカー選手としての可能性を諦めたくないという想いからソッカー部に入りました。

大学サッカーはとても新鮮で、日々の仕事の辛さ、厳しさ以上にハイレベルでサッカー出来て本当に楽しい日々でした。しかし、そのような日々も束の間でした。ある日の6時半からの練習のことです。突然、目の前が真っ暗になり、気づいた時には視界に空一面が広がっていました。そして遠くから徐々に皆の声が近づいてきました。
この日以降、検査入院や経過観察の為、サッカーをしたくても出来ず、何で自分だけこんなことになってしまうのか、考えても仕方ないことを永遠と考える辛い日々を過ごしました。しかし、その後、何の問題もなくサッカー出来ることになり、なんて自分は幸せなんだと思いました。サッカー出来ることは当たり前ではないと言葉通り、そう感じました。そして、この日を機に自分の生活を再度見直しました。怠惰な生活をしていた訳ではありませんが、自分に出来る最善の準備で練習、試合に臨むことを今日まで徹底してきました。

2年になり、C2(Dチーム)でようやくIリーグに出場して公式戦の緊張感を味わうことが出来ました。やがて学生スタッフを決めるミーティングが始まりました。色々なことを考え続けたこの期間は私にとって本当に辛いものでした。自問自答の日々で様々なものに押し潰されそうでした。選択に明確な答えはありません。本当に悩みました。それでも自分に嘘をつくことは出来ず、自分のサッカー選手としての可能性を諦めることはどうしても出来ませんでした。

3年では戸田さんに教わり、サッカーのことは勿論、人生に於いても大切なことを数多く学びました。印象に残っている言葉の一つに次の言葉があります。「CBをフリーにするのはボランチ、ボランチをフリーにするのはFW、SBをフリーにするのはSH」
意味は言葉の通りなのですが、つまり、自分一人でサッカーしている訳ではないということです。自身のポジショニングによって、走ることによって、味方をフリーに出来るのです。そのためには近い選手は勿論、一番遠い選手こそ起こっている状況を自分事と捉えられるかが非常に大切だと思うようになりました。このことが分かってから今まで以上にサッカーが楽しくなりました。
また、戸田さんに教わって以降、先述した、高校時代には理解出来なかった言葉の意味がようやく分かりました。頑張るのは当たり前でした。それ以上に何をいつ、どこで、(どのタイミングで)どうやって頑張るかが大切だと。今考えると、当時の監督は、ただがむしゃらにサッカーしていた私に対して、まさにこのことを言っていました。それがあって初めてやること、やるべきことがクリアになり、より頑張れると気づきました。勿論、最後には頑張ることは必須となると思いますが、それだけではダメなのだと気づきました。

そして、4年の現在。Bチームの一員としてIリーグ全国出場を目標に取り組んできましたが、自分史上、最も重要であった法政大学との試合に敗れて目標を達成することは出来ませんでした。

ここまで印象に残っている出来事を書いてきましたが、私の言いたいことは「その事象や、出来事自体も勿論大切であるが、それを自分自身がどう捉えてどう活かしていくかが大切なのではないか」ということです。つまり、大事なのは今までではなく、これからです。振り返ると高校での経験は今に密接に繋がっていました。暫く練習出来なくなってから最善の準備をする大切さに気づくことが出来ました。そして戸田さんから教わったこともそれは同じです。教わった内容それ自体も私にとって、とてつもなく重要でした。しかし、それ以上にこれをどうやって自分の中で膨らませることが出来るかが重要なのだと思います。その意味で今シーズンに関して言えば、昨年の経験を膨らませきれませんでした。(風船は膨らませられたのに)。結局、今シーズン、アイリーグのグループリーグでは何とか通用していたものの、法政と戦って力の差を感じ、私自身、チームに対してできることがもっとあったのではと自分の無力さ、情けなさを痛感しました。しかし、それと同時に、このことに気づけて良かったかもしれ知れないと思いました。この自分の弱さを踏まえて、今後に活かしていけるかがより大切だからです。

今までの自分の選んだ道を正解に出来るのは自分しかいません。だからこそ、あの頃があったから今の自分があると言えるように前を向いてこれから歩んでいきたいと、そう思います。その一方、今までやってきたことを省みることなく、ただひたすらに肯定したり、次に活かせばいいと初めから諦めたような取り組みでは良いものが得られないと思うので、今を一生懸命やり抜いた先に今後に活かせるものがあることも心に留めておきたいです。

最後に、本当に多くの方々に支えられてサッカーが出来ているという感謝の気持ちを忘れずに、サッカー選手としての可能性をこのチームで活動する最後の試合まで諦めずに、全力でやり切りたいと思います。お読みいただきありがとうございました。

次のブログ担当は慶應のハニカミ王子こと、ストライカーの福本拓海です。巧みなフェイントと一瞬のスピードで相手を置き去りにするたくみですが、私に会うたびに悪口を言い、私のことさえも置き去りにします。(これも愛情の裏返しだと信じています)。私と同じ経験をしたことのある方は勿論、慶應のストライカーの想いが見られる次回のブログは多くの人に必見です。

《NEXT GAME》
11月9日(土) 関東リーグ戦 第20節 vs関東学院大学
@日本大学グラウンド 14:00キックオフ

「ソッカー部での4年間」(江本優貴)

2019.11.03

江本平素は大変お世話になっております。梶浦つばさより“泣き虫”と紹介に預かりました総合政策学部4年の江本優貴です。
紹介された新人戦の話は、全部員の期待を背負い、主将として出場した全国大会の予選のことです。予選敗退になりそうな危機をまさしと沼のゴールで逆転し、次に繋げることが出来た安堵感から思わず涙してしまいましたが、当時総監督を務めていらした福井さんから「何泣いてるんだ。お前はもう終わりか。」とお叱りを受けたことは今でも忘れていません。

今回は最後のブログなので、僕の4年間について綴らせていただきます。感極まってかなり長文になってしまいましたが、最後までお読みいただけますと幸いです。

今から4年前。初めてソッカー部の活動に参加したシーズンインミーティングの様子を今でも鮮明に覚えている。
150人を超える部員。学生によるチーム目標の発表、部則の説明、学生スタッフの決意表明に各部門リーダーの紹介。
プレイヤーとしてしか存在意義を見出していなかったユース時代とは、何もかもが違う環境だった。
入部して数日。夜ボールを蹴りに行くと、合宿所には対戦相手の分析をしている先輩や、試合に出られない悔しさを押し殺して応援メッセージのビデオを作る4年生の姿があった。スポーツ推薦がなく、個人のレベルでは他大学に劣るからと同期内でも厳しい言葉を掛け合って高め合おうとする先輩達を見て、“これが学生主体の組織か”と衝撃を受けた。
自身の成長だけがチームの力になると信じ、ひたすら自分と向き合ってきただけの私にとって、チームの為に動けるそんな先輩の姿が輝いて見えた。

自分もこのチームに貢献したい。自然とこんな熱い気持ちが生まれ、どうやったらチームに貢献出来るか(ソッカー部で言う存在意義)を毎日必死に考え続けるソッカー部生活が始まった。

ソッカー部員は、大きく2つに分かれる。何か役職を持ち明確なタスクを与えられている人とそうではない人。前者になれるのは仲間からの信頼と自分自身の強い意志を持った数人だけで、その他大勢はどうやってチームに貢献しようかと自身の存在意義を悩み続けることになる。
では、何故、存在意義を考えなくてはいけないのか。ただサッカーをしているだけではいけないのか。
それは仲間の人生を大きく左右する決断をすることで、立場に関係なく全員に責任が発生しているからである。

ソッカー部は2年次に同期から学生スタッフ(役職を持つ人)を出さなければならない。膨大な仕事をこなしながらチームのリーダーとなる主務、プレイヤーを一足早く引退し、学生コーチとなってもらうグラウンドマネージャー等、どの役職も自分の時間を削ってまでチームの為に尽くす大切な存在だ。
私達も長いミーティングを経て、重みある役職を仲間に託した。
日本一になりたい。でも、絶対的なエースがいない自分達は全員がもっと競争しないといけない。その競争の先頭で走り続けるのは、誰よりも姿勢で示せる塩木が相応しい。と。

日吉に住んでいる私は、組織を支える仲間の努力を見る機会が多かった。
だからこそ、仲間をスタッフに推した側の責任を感じ、今の自分は、今のチームは、それで良いのか。スタッフに負けない位頑張れているか自分なりに考え続けてきた。
高い練習強度に付いていけず、何度もトップチームから落とされたこと。本気で練習に取り組んでいるのかと仲間に指摘して、嫌われたこと。度重なる怪我で10年振りの降格をスタンドから見つめるしか出来なかったこと。
チームに貢献したい気持ちとは裏腹に、辛いことは沢山あった。それでも、チームの為に働いている仲間を見ると、常に自分も頑張らなきゃという気持ちにさせられた。そんな仲間の存在が原動力となって、3年後期から安定して関東リーグに出られるようになり、ピッチ外に於いてもチームの問題を解決しようと自ら動けるようになった。

そして、学生スタッフの一役であるトレーナーを決める3年生の時のこと。遂に同期からの信頼を得て最終候補者に選ばれた。ただ、もっと嬉しかったのは「これまで同様、スタッフじゃない立場で引き続きチームに貢献して欲しい」と同期スタッフに言ってもらえ、候補から外れたことだ。
スタッフじゃない立場での役割を尊重され、感じる責任は増したものの、自身の存在意義を認めてもらえた様な瞬間だった。
トップチームの戦力として活躍する。ピッチ外でのスタッフではない立場での役割。3年目にしてやっと、少しだけ存在意義を見出せた気がした。

そうして迎えたラストシーズン。ずっともがいて、見出してきたはずの存在意義を見失うことになった。

2018年11月10日、ずっと希望していたトップ下を初めて任せてもらい自身の2ゴールでチームの残留を決めた日体戦の翌週。拓殖大学との関東リーグでサッカー人生一番の怪我を負った。調子が上がった時に起こった全治6ヶ月の左膝半月板損傷。僕の大学ラストシーズンは大怪我から始まることとなった。懸命なリハビリを経て何の違和感もない万全な状態で復帰出来たのは今年の5月。既に関東リーグも始まっており、活躍している仲間を見ると自分も早く出たくて仕方なかった。そんな中迎えた今季初の練習試合で再び左膝を捻った。またしても半月板損傷という悲劇、2度目の手術をすることが決まった。
全治3ヶ月の怪我ではあったが2ヶ月後に控える早慶戦にどうしても出たくて、無理をする決断をした。幸せなことに誰もが夢見る早慶戦のピッチに立たせていただけたが、その代償として膝が悪化し、8月に再び離脱。
今年出場させていただいた公式戦は早慶戦の15分と関東リーグの15分で計30分。1年の殆どをリハビリに費やすことになり、トップチームの戦力としての役割を失うことになった。
自分が出てチームの勝利に貢献したい。その一心で、毎練習前に痛み止めを飲み、グルグルにテーピングを巻いて掴み取った30分という出場時間。今シーズンは殆ど負けたことがないのに自分が出た2試合で2敗を喫し、自身も何も出来なかった。皆が作り上げてきたチームの歯車を途中から加わった自分が狂わせてしまった。そう思わずにはいられなくなり、8月に再び離脱した時にはもう復帰したくないとすら思った。

また、今シーズンはスタッフを中心としたチーム改革が進み、チームの状況を把握しにくくなった。それでも、自分なりに役割を考え続け、色々な行動を起こした。部室清掃の呼び掛け、TOP着の管理、早慶戦準備の手伝い。チームが緩いと感じる時には厳しい声を掛けたりもしたが、自分自身が何も貢献出来ていないのを自覚していたからこそ、当然仲間には響かず、口うるさい奴にしかきっとなれていなかった。皆に認めてもらったピッチ外での役割が、今ではチームの輪を乱しているだけの様に感じた。

これまでの3年間。今のままではダメだと、常に皆で危機感を抱きながら細かく目標を立て、最後の1年での昇格に全てを懸けてきた。そんな思い入れのあるラストシーズンは試練の連続だった。
人生初の手術を終え、長いリハビリが始まった日。2ヶ月間松葉杖をついた左脚はアスリートとは思えない程細くなった。みんながハードなトレーニングをこなす中、激痛に耐えながら膝が伸びる様になる為だけに全力を尽くす毎日。練習にすら行けず、ふとした時には開幕戦に間に合わない悔しさから自宅で一人涙を堪えられなくなる日もあった。
スタメンで出て絶対に勝つと意気込んでいた最後の早慶戦を2ヶ月後に控える5月。今シーズン初めて練習試合に出場した日は、半年のリハビリを乗り越えて楽しみにしていた気持ちが絶望に変わった。手術を告げられた診察中は涙を堪えるのに必死で、終わってすぐにトイレの個室に駆け込んで号泣した。
必死に頑張って、出場した公式戦2試合は全て負け、自分の頑張る理由が見えなくなった8月。自分が頑張ることで皆を悲しませてしまっているのではないか。そう思う様になってからは、もう復帰するのが怖くて、筋トレが必要なのに筋トレ器具に触るだけで涙が溢れ、下田から逃げる様に終電で実家に帰ったこともあった。元々泣き虫ではあるものの、22歳にもなった男が、人生で一番泣き、一番悩み苦しんだ。
一番楽しみにしていて、一番チームに貢献したいと願ったラストシーズン。
チームの力になりたいのに、全てが上手くいかず、チームに必要ないと言われている様だった。

それでも、初めて全てを投げ出したくなって、完全に気持ちが折れたからこそ、4年目にしてやっと見えたものが沢山あった。今やるべきことは分かっているのに頑張れなくなる人間の弱さ。常に気に掛け励まして下さった四戸さん、最善を尽くし続けて下さった松永先生と三浦さん、いつも側にいてくれる同期を始めとする支えてくれる人の偉大さ。そして、どんな状況でも継続して頑張り続けられる人の凄さ。もう頑張れないと心が折れ、退部しようかと本気で悩み続けたけれど、TOPチームで中々出番が来ない3年生が練習後も筋トレルームにこもり、練習では気持ちを前面に出して頑張っている姿勢からはいつも元気を貰え、僕もまだ頑張れることはあるんじゃないかと思える様になった。

改めて自分の4年間を振り返ってみると、思い出されるのは苦しい思い出と自分の無力さばかりだ。それでも、心の底からソッカー部に入れて良かったと本当に思う。
もっと上手くなって活躍して、今まで教わった人に恩返しがしたい。そう思って入部した4年間は、ユースの3年間と比べると殆どサッカーを教わることはなかった。でも、大学サッカーはきっと、それでいいんだと思う。歴史を築いてきたOBの方の想いを知り、OBの方や地域住民の方の支えに気付き、歴史ある組織の伝統を守る責任を感じ、仲間の役割を認め、一人では生きていけないことを痛感する。だからこそ、サッカーに対して本気になれて、チームに貢献したいと強く思えた。今シーズンは気持ちが折れてチームのことなんか考えたくない時期もあったけれど、それでも頭の中は常にソッカー部で一杯で、大事なことは全てソッカー部から学ぶことが出来た。

そして、最高に素敵な出会いにも恵まれた。毎回一緒に復帰走を走ってくれ、夜の自主練ではシャツインしながら、「敵は己だ」と言いながら何故か自分を守るすね当てまで装着してパス練する主務の塩木。毎日1時間睡眠、レッドブル5本の異次元な生活をしながらも最高の夢の舞台“早慶戦”を創り上げようと自分の人生を懸けれる大。誰よりも当事者意識を持ってチームを引っ張ってくれた海徳とやつ。たまにお酒を飲んで酔った時ですら、テンポテンポ!と言いながら股関節を回し出すトレーナーのハナテン(花田佑)と日頃の悔しさを叫び出す熱い同期。
全員は紹介出来ないけれど、最高の仲間と出会えて本当に良かったし、“この人の為に”と思える人が溢れるソッカー部に入れて本当に良かった。苦しい思いをしながらも、愚痴を溢さずに頑張ってくれたスタッフの皆、リサーチの皆、本当にありがとう。

僕達に残された時間はあと3週間。正直、自分の存在意義はまだ見えていないし、また自分がチームをぶち壊してしまうのではないか。そんな不安すらある。でも、沢山皆に迷惑を掛けてきたこのチームでのラストシーズン、何も貢献出来ずに終わる訳にはいかない。だから、最後は今シーズンのスローガンである“有言実行”に全てを賭けようと思う。
「関東リーグに出場して、試合に勝つ。」
皆と本気で喜べるチャンスは人生で今しかない。だから再び痛み止めとテーピングに頼りながら復帰することを決めた。
練習すればするだけ膝はボロボロになっていく状態でチームの力になれるかは分からないけれど、僕自身、一度も勝てずに今シーズンは終われない。
だから、有言実行の為、そして存在意義を見出す為、引退するその瞬間までもがき続けたいと思います。

長々と書いてしまいましたが最後までお付き合いありがとうございました。

バトンはヒデに引き継ぎます。ピンクの風船以外に友達はいないんじゃないかというくらい常に風船を膨らませながらトレーニングに励む努力家のヒデには、いつも刺激を貰えました。きっと、普段は聞けない熱い想いを知れるはずです。お楽しみに!

《NEXT GAME》
11月9日(土) 関東リーグ戦 第20節 vs関東学院大学
@日本大学グラウンド 14:00キックオフ

「私がソッカー部のマネージャーでいられる理由」(梶浦つばさ)

2019.11.02

梶浦平素より大変お世話になっております。
法学部政治学科の梶浦つばさと申します。

まず佐々木くん、誤解しか生まない紹介はやめて下さい。合っているのは、野村京平がゴリラ系DFなところだけです。
欅坂46をこよなく愛しすぎたが故に、現実とアイドルの区別がつかなくなり、こうなってしまったのでしょう。
半年後には彼も立派な社会人になると考えると、心配でしょうがないです。

ということで、ついに私の番が回ってきてしまいました。初めて書いた1年生の御殿場遠征ブログから、直近の神戸定期戦イベントレポート・山中合宿ブログまで、遠征や試合について書いてきましたが、自分のことを書き連ねるのはこれが最初で最後です。

この4年間、揺れ動く自分の喜怒哀楽の感情の殆どはソッカー部の出来事によるものでした。数十年前に同じ慶應義塾大学に通いラグビー部に所属していた父親が、大学時代を振り返る度に「大学時代の学部は法学部じゃなくてラグビー部だ」と言っていたのも、今では理解出来ます。

長くて、でもあっという間だったマネージャー生活。このブログを通して、マネージャーの私だからこそ考えていたこと、思うことが伝われば良いなと思います。

3年前の春、ソッカー部に入部した理由はいくつかありますが、簡単にまとめると、ソッカー部で何かを実現したいからというより、「4年間何かに全力で打ち込みたい、成長したい」という想いでした。だからこそ、早慶戦後に当時の主務・副務との面談で、なぜソッカー部なのか?という問いに対して、明確に述べられなかったのを今でも覚えています。「なんでソッカー部のマネージャーをやってるの?」4年間で何度聞かれたか分からないこの質問を聞かれるたびに、ソッカー部でないといけない理由を自問自答し、答えるのに苦労していました。
1年生の時の私は、とにかく目の前の仕事を全力でやる、それだけで精一杯で、正直選手のことやチーム状況まで考えられていませんでした。この部のマネージャーの仕事が室内業務メインであることに加え、ほとんどの人が初めましての環境で人見知りを発揮していたこともあって選手との関わりがあまりなかった私は、「チームの一員」であることをなかなか実感出来ませんでした。いてもいなくても変わらないのでは?と思いながらも、その事実から目を背け逃げるようにひたすら仕事をすることで、自分のモチベーションを保っていたように思います。

2年生になっても同じような状況が続きました。副務を決めるミーティングでは、部における自分の存在意義を考えるようになります。ありがたいことに「マネージャーは仕事をしているだけで十分部に貢献しているよ」と言ってくれる人もいますが、その言葉はしっくりきませんでした。なぜなら、自分で選んだマネージャーという道で、目の前の仕事をするのはごく当たり前のことだから。選手はサッカーに加えてプラスアルファで部への貢献を考えているのに、私は何も貢献出来ていないんじゃないかと悩むことが多かったです。

マネージャーである私の存在意義とは?マネージャーは勝利に貢献出来ていないのではないか?
答えのない問いを考える度にくじけそうになっていた私を救ってくれたのは、仲間の存在でした。

2年生の時の毎週・毎日のミーティング、新人戦を経て、3年生になってからは仲間との関わりが増え「チームの一員」としての実感を少しずつ持てるようになりました。次第に私の相談にのってくれる人、逆に私に相談して来てくれる人が増え、いつの日からか「頑張っているみんなの為に、自分を仲間の一人として受け入れてくれている人の為に、私も頑張りたい」、そう思うようになりました。そんな「仲間の存在」が原動力となっていました。

マネージャーの役割は何かと聞かれたら、多くの人は「選手を支える立場」と答えるでしょう。しかし4年間で私自身が選手の支えになれた自信はなく、むしろ私の方が選手に支えてもらってきました。人の為に頑張れることの楽しさ・嬉しさに気付けていなかったら、ソッカー部でマネージャーを続けられていなかったと思います。困った時、悩んでる時、悔しい時、相談にのってアドバイスをくれた人、ひたすら話を聞いてくれた人、笑わせてくれた人、時には怒ってくれた人、本当にありがとう。

大学生になるまでは困難からいつも逃げて無難な道を歩んできた私にとって、この4年間は喜怒哀楽の感情が入り乱れるいばらの道でしたが、なんとか続けることが出来、そして大切な仲間に出会えました。周囲の人の支え無しでは絶対に続けることが出来なかったのは確かです。

まずは家族。
弟がサッカーをやっていなければ、ソッカー部に入ることはなかったかも知れません。ソッカー部に入ったことで、梶浦家のもめごとの種で高校生の頃は大嫌いだったサッカーも、今では家族を繋ぐ大切な存在となりました。
子供が選手な訳でもないのに試合を見に来てくれて、いつも笑顔で話を聞いてくれる両親、ありがとう。
サッカーだけには真剣な弟、たまに見に行く試合で見るその姿に元気付けられていました。6歳年下ながら尊敬しているし、誰よりも応援しています。

次に中高からの友達。
私の周りにはそれぞれの道で悩みながらも全力で取り組んでいる、誇らしい友達がいます。同じ体育会で頑張る人、好きなことに全力でストイックに取り組んでる人、夢を追いかける人、海外留学に挑戦した人、資格獲得の為に毎日勉強している人、他大学に行き勉強に励む人。
みんなの姿を見て、話を聞いて、私も頑張らないとと刺激をもらってました。特に辛かった1,2年生の時、みんなと会ってくだらないことで笑い合う時間が私にとって必要不可欠でした。

最後にソッカー部で出会った仲間。
みんなが思っている以上に、私はみんなと一緒にいれる時間が楽しくて大好きで、いつも感謝の気持ちでいっぱいなんです。ソッカー部での経験は辛いことも沢山あったけれど、かけがえのない仲間に出会えたこと、それだけで入部して良かったなと思えます。これ以上言うとバカにされそうなのでやめておきます。

支えてくれる全ての人のおかげで、何にも変えられない大切な4年間となりました。
今の私にとって一番嬉しい瞬間は、チームの一員として認められている、”みんな”の中に入れている、そんなことを感じる時。その瞬間は、試合に勝ってハイタッチする時、練習後に話している時、一緒にご飯を食べている時、私の日常にたくさん溢れていて、みんなと過ごす日常は、私が頑張る原動力となっています。

こうやって、チームの一員として日常を過ごせるのもあと3週間。
関東リーグ優勝のかかった試合は残り4試合。
今でもマネージャーが勝利に向けて貢献出来ることがあるとは自信を持って言えませんが、試合の準備をミスなく行うというマネージャーとして最低限のこと、そして勝利を信じてその想いを伝えるという、今の私だから出来ることをしていきたいと思います。
そして、支えてくれる全ての人への感謝の気持ちを忘れずに、自分に出来ることを最後まで考え続け、大好きな仲間と共に笑顔でソッカー部生活を終えたいと思います。

長く拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

このブログのバトンは、私にたくさんのきっかけを与えてくれたえも(江本優貴)に渡します。
私のことを「泣き虫」とか「メンヘラ」とか言ってきますが、2年前の新人戦全国大会グループリーグvs東北選抜戦、前半を0-1と先制される厳しい展開の中、後半に逆転し勝利を収めた途端、決勝トーナメント進出が決まった訳でもないのに泣いていたり、3年の石川遠征のスピーチでは話しながら急に涙ぐんだりする君も、私と同じくらい泣き虫です。
そんな真面目で熱いえもはどんなブログを書くのでしょうか?

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

「本気のガッツポーズ」(佐々木龍)

2019.11.01

佐々木2平素より大変お世話になっております。
ニヤケ顔から繰り出す多彩な嫌味が武器、ソッカー部屈指の変わり者こと渡辺亘祐からバトンを受けました、総合政策学部4年の佐々木龍と申します。
亘祐のことは、2年次には毎週月曜日2人で筋トレしたり、TOPサブチームやフットサルセットで一緒にプレーしたりと接点が多く、卍マブダチ卍であり良きライバルだと勝手に思っています。人類史上最強のセーフティドライバーである亘祐パパにも日頃からお世話になってます。いつもありがとうございます。

この様な機会を頂いたからには、17年間のサッカー人生を締め括るブログとして思いの丈を目一杯綴ろうと思います。
大変長く拙い文章になりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

遂に4年ブログを書く日が来ました。大学入学が5分前のことの様に感じます。

…はははっ。皆さん、表情が硬いですよ。

本題に入る前に一つ、懺悔して置かなくてはならないことがあります。皆さんお気付きかと思いますが「早慶戦」についてです。私は今年の6月にもブログを担当し、「『有言実行』早慶戦に俺は出る!」(http://keio-soccer.com/official-blog/41730.html)を声高らかにリリースしました。しかし、結果は出場どころかベンチ外。「佐々木が出るなら」と会場に足を運んでくれた皆、遥々長崎から来てくれたお父さん、ごめん。ただただ力不足でした。
少しでも期待をして下さった先輩や後輩、両親、ブログを読んでいただいた皆さんにもこの場をお借りして謝罪したいと思います。申し訳ありませんでした。

では、気を取り直して本題に入りたいと思います。
私が人生で一番大切だと思っているものがあります。それはお金でも富でも名声でもありません。
p.s.私の様な整った顔立ち(小栗旬似)でもありません。

何よりも大切なもの、それは「本気のガッツポーズ」です。
ただのガッツポーズではありません。
体全体の血が登り、思わず雄叫びを上げてしまう、喜んでいる瞬間は最早意識がない。
気持ちが抑え切れず、スローフォワードしてしまう、そんなガッツポーズです。

ラグビー日本代表稲垣選手、笑ってもいいんですよ?

「本気のガッツポーズを何回出来るか、それにこの4年間こだわり抜いて下さい。」
フットサル部監督四戸さんからこの言葉を頂いて以来、本気のガッツポーズと愚直に向き合ってきました。
私はガッツポーズを、発酵させればさせる程、味も色も濃厚になる「味噌」の様なものだと思っています。大きな壁にぶつかればぶつかる程、もがき苦しめば苦しむ程、狂気に満ちた本気のガッツポーズになるはずです。
そう信じて疑わずボールを追いかけてきました。
p.s.アイドルもかなり追いかけました
p.s.推しメンです(https://www.keyakizaka46.com/s/k46o/artist/03)
p.s.上村莉菜氏、千葉県出身の22歳
p.s.通称「千葉の妖精」
p.s.柏レイソルのファン
p.s.握手会ではいつもry

失礼、少し取り乱してしまった。
話を戻します。

本気のガッツポーズ、当たり前のことですが、「本気」なのです。
ガッツポーズを出す為に日々の練習を「本気」で取り組み、
ミスをした時には「本気」で落ち込む。
挫折をした時には「本気」でもがき苦しむ。

毎日の「本気」が一瞬の「本気」のガッツポーズ、最高の興奮を生み出す。
これが私の考える「本気のガッツポーズ」です。

さて、ガッツポーズ理論を偉そうに語った私ですが、4年間で何回本気のガッツポーズを繰り出したのでしょうか。

答えは4回、厳密にはたったの3回。
① 3年夏 フットサル全国大会決勝で得点した瞬間
② 3年秋 Iリーグ1部残留トーナメントで同点ゴールを決めた瞬間
③ 4年春 那覇空港でTOP昇格を告げられた瞬間(心の中で)
④ 4年秋 Iリーグ1部Aブロック最終節で決勝点を決めた瞬間(サムネイル画像)

4年間、週6日ボールを追いかけ続け、たったの4回。はるとのブログ(「意味とか、効率的とか、コスパだとか」中井晴斗http://keio-soccer.com/official-blog/42888.html )じゃないですけどコスパ悪過ぎません?

けれども、その貴重な4回は言葉に言い表せない程感情が高まり、震えました。クソ嬉しかった。
「本気で悩んだこと全てに意味があった」
そう思えた瞬間でした。

正直、4年間でサッカーが心の底から楽しかったのなんて合計で1ヶ月、あるかないかです。(原因は実力不足。)

辛かったソッカー部生活をあの名著風にお届けします。
*2日前にリリースされた啓太郎のブログ(http://keio-soccer.com/official-blog/43203.html 「ソッカー部員失格」 渡邉啓太郎)と完全に被りました。笑
リリース前からこの構成を考えていたのでパクリではないです。
大事なことなのでもう一度言います、パクリではないです。

『サッカー選手失格』著:佐々木龍

第1章:「苦悩の多い4年間を送ってきました。」
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C2(現在のD)→C1(現在のC)→B→C→B→A→Bと人事異動を経験してきましたが、自分のカテゴリーで試合に出ていたのなんて戸田チルドレン時代(2回目のC)のたった8試合。殆どの時間をメンバー外として過ごしてきました。(原因は実力不足。)

試合に出る為に良いプレーをしようとすると空回り、またメンバーから遠ざかる。メンバーから遠ざかり過ぎて過密日程でターンオーバーを敷くチームの構想にさえも漏れる。
「いるの見えてる?」
「マグネットないの?」
そうでなきゃ辻褄が合わない程に戦力として見なされていないことばかり。
(原因は実力不足)

一つ忘れられない経験を紹介させて下さい。
2年次に準優勝を果たした新人戦全国大会のエピソードです。

第2章:「ほかのひとは、試合に出ました。そうして、自分だけ出ませんでした。」
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1.2年生セレクトメンバー30人で挑んだ新人戦全国大会でチームは準優勝を果たした。自分以外の29人がローテーションで起用されピッチで輝いていた。
その中で唯一、自分だけは全く試合に出られない。本当に俺だけ。
俺だけは絶対に試合に出ないからウォーミングアップのリーダーを全試合やった。悔しさ、不甲斐なさ何とも言えない負の感情をチームに持ち込まないよう必死に役割を全うした。バカみたいに声を出す以外隠す方法が見当たらなかった。
そして、他の皆は超過密日程で疲労を抱える中、俺だけは全く疲労していなかった。本当に俺だけ。

第3章:「サッカー選手、失格。もはや、自分は、完全に、サッカー選手でなくなりました。」
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一応、準決勝だけメンバー入りしてロスタイムの2分だけ出場した。
そして当時新人戦監督を務めていた本田完さんからこんなことを言われた。
「リョウ、出られて良かったな!」
きっと悪気はなかったと思う、完さんはとてもお世話になったアツイ先輩、チーム全体と選手個人のどちらにも圧倒的熱量で向き合う素晴らしいグラウンドマネージャー。
それでもその時は死ぬ程ムカついた。
「誰がメンバー決めてんだよ。俺のこと初心者だと思ってんの?なら最初からメンバーに選ばないでくれ。」
今なら分かる、完さんは俺のピッチ外での役割に強く期待をしてくれたんだと。
でも、そんなのサッカー選手じゃない。
この経験は一人の「サッカー選手」として本当に辛かった。

(完)

こんな経験が4年間の殆どでした。

その中で何より辛いのが原因は単純に「実力不足」だと明確に分かっていること。
自身の無力さを感じ理想との距離に絶望する日々、前のブログでも書いたけど大学生のくせに泣いたりもしました。

でも、そこで諦めなくて本当に良かった。
「本気」で悩んで、もがき苦しんで良かった。

「俺はTOPに行く」
「灰色のTOP着とピチピチの公式戦ユニに袖を通す」
絶望する日々の中でこれらの根拠のない野望は何故かブレませんでした。
あのラグビー日本代表姫野選手のジャッカルにも屈しなかったでしょう。

稲垣選手、笑ってもいいんですよ?

野望を原動力に、その都度「これだ!」と思った課題(結局殆どは止める・蹴るだったけど)と向き合い練習後に特訓しました。必ず生きると信じて疑わなかったフットサルも全力投球しました。

勿論、「本気」で。

こんな4年間の中で迎えた、たった4回の「本気のガッツポーズ」の瞬間。
私は本当に単純です、
「本気で悩んだこと全てに意味があった」、そう強く思いました。
特に待望のTOP昇格を果たした時は、「もっと挫折してやっても良かったな」位に思いました。

愚直に「本気」で取り組み悩み続けることで生まれる
一瞬の「本気」のガッツポーズ。

四戸さん、大切なことを教えていただきありがとうございます。
生涯、「本気のガッツポーズ」です。

後輩の皆んな、
「本気のガッツポーズを何回出来るか」
皆んなにもこのミッションに本気で取り組んで欲しい。

本気でやった奴にしか分からない、そんな感情に出会えるはず。
だから日々の練習本気で取り組んで下さい。
本気でサッカーして下さい。

とても長くなりましたが、17年のサッカー人生を締め括るブログの最後に一つ、やりたいことがあります。
それは、あの「有言実行」です。

早慶戦では本当に惨めな思いをしました。
ブログで宣言したからには何が何でも出場しなくてはならない使命感から練習や試合ではとにかく体がガチガチでプレーは最悪。
メインゲートのグッズ販売に回った当日は「何でここにいるの?」と沢山言われました。

でもこのままでは終われない。
有言不実行男のまま人生を捧げたサッカーは終えられません。

9月にTOPからBに落ちたり衝撃的に思うようにプレーが出来ず今も苦しいトンネルの中にいる自覚があったりしますがこれを機に私は吹っ切れます。
もう時間がない。あと4試合しかない。

では、いきます。

「関東リーグに出場する」

これが私の最後の有言実行。
これを成し遂げサッカー人生最後の「本気のガッツポーズ」をしてみせたいと思います。

大変拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
次のブログを担当するのは、

「男勝りで何が悪い☆令和最初のスマイリー娘こと梶浦つばさでーーーす!」

というキャッチフレーズ(ガチ)でお馴染みのマネージャー、梶浦つばさです。
あのゴリラ系DF野村京平と対等にタックルをし合う強靭な肉体(ガチ)から繰り出されるスマイリーな文章に乞うご期待!

《NEXT GAME》
11月3日(日・祝) 関東リーグ戦 第19節 vs立教大学
@国士舘大学グラウンド 14:00キックオフ

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